第一章 龍の谷の古書喫茶

第1話

 ドラコニア帝国一の深さを誇る渓谷には、国の守り神であるレッドドラゴンが生息すると言われていた。


 その断崖絶壁を掘り進めた形で造られた、一風変わった古書の店。世界でも有数の貴重な書物が揃えられたその店は、しかし追い求める者が購入して持ち帰れると言う類の商売をしてはいなかった。


「いらっしゃいませー! 何名様ですか?」

「二名だ。フリータイムで頼む」

「かしこまりました。現在空いてるお席は、魔の六番になります。お荷物はお預かりしますね。こちら、お食事のメニューになります。お飲み物はセルフサービスとなっておりますので、ごゆっくりどうぞー!」


 軽快な口調で案内すると、女性店員はペコリと頭を下げて行ってしまう。彼女の着ているエプロンからは、動物のような尻尾がちょろりと見えていた。

 それを見送る客の一人が、相方の袖を引っ張る。


「お、おいレオン…! 何だあの女は、魔物じゃないか」

「可愛い子だろ? 新人なんだけど早くも人気でさー」

「そうじゃなくて! 何故、皇家御用達の古書取扱施設に、魔物が闊歩しているんだ!? しかもお食事だと…?」


 周りを見渡してみると、敷居で分けられた席には一癖ありそうな客たちが、ランチやスイーツに舌鼓を打ちながら、店の本棚から持ってきた書物を黙々と読み耽っている。


「ああっ、あれは我が国でも数点しかない魔導書! 物を食いながら読んではページにソースが付くではないかっ! あー濡れたコップもあんな乱雑に置いて! もし倒れたら……」

「うるっせーな、ルピウス! いいか、見てろよ」


 騒ぎ立てる相方にうんざりとした表情を見せたレオンは、本棚から適当に「ドラコニア帝国の歴史~知られざる秘宝研究~」と題した本を抜き出し、セルフサービスで持ってきたコップを軽く傾ける。

 チョロチョロと零れたジュースが、革表紙とページにかかった。


「な…っ、お前なんて事を……えっ??」


 掴みかかって止めようとしたルピウスは、目の前の光景に絶句する。レオンが台拭きで軽く拭うと、パアッと本が光り、ジュースが一滴残さず消えたのだ。触ってみるとべたつきも濡れた跡さえなく、零れた事実そのものがなかったかのようだ。


「保護魔法がかけられている。汚す事はもちろん、盗んで店の外に持ち出す事も不可能だ。……そもそもここって『古書喫茶』だから。本を読みながら飲み食いするために造られたんだよ」

「こ……古書喫茶ぁ!?」


 ドラコニア帝国には、建国以来多くの歴史書、魔導書、またそれに関する研究書が世に出されてきたが、戦争も何度かあり、その度に焼失の憂き目に遭ってきた。絶版された伝説の書物を巡って、魔導師や研究家たちによる熾烈な所有権争いが繰り広げられる中、ある時第一皇子の一言により、この古書喫茶なる、世にも風変わりな店が誕生する事になる。


「せっかくの知識を一部の者たちに独占させ、また不慮の事態により焼失させるのはあまりに惜しい。ここは我が帝国の守護者に一部ずつ捧げて護らせ、本当に必要な者たちの元に情報を提供しようではないか」


 そうして幼い頃から心を通じ合わせていたと言う守護神――レッドドラゴンの承諾を得て渓谷の壁をくり抜き、古書が読める喫茶店『龍山泊』を建設した男。ドラコニア帝国第一皇子レオンハルト……ジュースがかかった貴重な研究書と台拭きを手に、得意気な顔をして立つその人であった。


「俺の自慢の店を見に行きたいって言うから、特別に連れて来てやったんだぜ」

「見たいと言ったのは古書の保管施設だ、喫茶店じゃない!」


 やいのやいのと言い合っていると、騒ぎを聞き付けたのか『店長』と書かれたネームプレートを胸に付けた女性が近付いてくる。


「お客様、どうかされましたか?」

「おー、レードラちゃん。ちーっす」


 この店のオーナーをしているだけあって、レオンと店長は顔見知りのようだ。

 …と、その顔を見たルピウスが仰天する。


「マリーゼ!!」



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 一年前、ドラコニア帝国の隣に位置するクラウン王国での出来事。


「マリーゼ、お前には愛想が尽きた。私はタリアと結婚する!」


 愛しい恋人を抱き寄せ、ルピウスは目の前の婚約者を睨み付けた。


「お待ち下さいルピウス殿下! 何かの間違いです、私はタリア様には何も…」


 断罪されたマリーゼはおろおろと、毛虫でも見るような目を向ける自分と、その腕に縋り付いて涙ぐむタリアを見比べる。その仕種さえ、タリアへの嫌がらせを誤魔化すためのものだと思えば火に油を注がれた思いだった。


「もういい、お前の顔など見たくもない……正直に吐けば許してやったものを、あくまでも白を切るつもりなのだな。この婚約を破棄した上で、お前にはクラウン王国から出て行ってもらう!」

「そんな、あんまりです! せめて陛下と王妃様に申し開きを…」


 他国へ外交に出て留守にしている両親の名を出され、かっとなったルピウスは、縋り付こうとするマリーゼの手を振り払い、護衛に命じた。


「この女を国外へ追放しろ! …ああそうだな、その前にこれを回収しなくては」


 項垂れるマリーゼの手を掴むと、王妃から贈られた指輪を無理矢理引き抜く。彼女は母のお気に入りだった。自分よりも実の親子のように仲睦まじげに振る舞う所も、気に入らなかった。


「痛っ!」

「これは王子妃となる者に代々贈られる婚約指輪。お前などが持つべきではない。返してもらうぞ」

「殿下……」


 マリーゼの青い瞳が、涙でキラキラ光っている。ルピウスが昔から唯一好きだったのは、彼女のこの瞳だけだった。


「連れて行け!!」


 兵士に命じた後は振り返りもせず、ルピウスは嬉しそうに寄り添ってくるタリアを抱きしめた。




 その後、帰国した両親は怒りで青ざめ、自分を散々詰ったが、ルピウスの心は揺るがず、逆にタリアこそが正当な妃なのだと主張した。


「マリーゼはこの国の王妃に相応しくありません。私はタリアとの愛を貫きます」

「ルピウス貴方、私がマリーゼに贈った王子妃の指輪はどうしたのです」


 息子の言葉を遮って問いかけてきた母に不快そうに眉を上げるが、ルピウスは得意気に懐から取り出した。


「ここに。タリアには婚約時に渡すつもりで持っていたのです」


 父王は顔を覆い、「育て方を間違えたか…」とぶつぶつ言っている。それを横目に、母は冷めた目でルピウスを見下ろした。


「分かりました。ではルピウス、タリアと新たに婚約式を行いなさい。無事に挙げる事が出来たら、彼女を貴方の妃と認めましょう。その際、必ずマリーゼの持っていた指輪を彼女の指に嵌めるのですよ」



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「マリーゼ、こんな所にいたのか! この一年、探したんだぞ。さっさとタリアにかけた呪いを解け!!」


 突然怒りを露わにしたルピウスに店長が呆気に取られていると、彼女の肩を掴もうとする手をレオンが止めた。


「おいルピウス! 俺のレードラに、なに乱暴しようとしてんだ」

「誰がお主のレードラじゃ!」


 持っていたお盆でレオンをポカリと殴ると、店長は取り繕った声でルピウスに話しかける。


「失礼ですが、お客様。どなたかとお間違えではないでしょうか。私はこの古書喫茶で店長を務めております、レードラと…」

「嘘を吐け! その顔、その髪の色! どこからどう見ても……」


 火のように真っ赤な髪に、金と銀が織り成す二つの髪飾り。片目を覆う眼帯の反対側には金色の瞳。そしてスカートから覗くのは……


「し、尻尾??」

「どうだ、マリーゼとやらにこのキュートな尻尾はあるのか、どうなんだ!?」

「尻尾を撫でるな、セクハラじゃ!!」

「ブベラッ」


 愛しげに尻尾の先に触れたレオンが、レードラの回し蹴りに吹っ飛ばされた。本棚にも保護魔法がかかっていたのか、大の男が激突しても衝撃で本が落ちてくる事はない。


「レオンハルト! マリーゼ貴様、この国の第一皇子に無礼な…」

「私はレードラです。他人の空似では?」

「まだ白を切る気か? 他人にしては……」


 生き写しだった。ただ瞳の色が違う。彼女は煌めく宝石のように青い目だったはずだ。片方とは言え、こんな爛々とした金色ではない。


「魔法か…? その眼帯を取ってみろ」


 手を伸ばせば、すいっと避けられた。涼しげな眼差しがやはりマリーゼそっくりで、苛立ちが募る。


「困ります、お客様」

「おい、無礼はどっちだ。この御方は我が帝国の守護神様だぞ」


 復活したレオンが、今までのおちゃらけを拭い去った態度でルピウスの腕を掴む。


「だが……痛たたたっ、腕を捻るな!」

「放してやれ、レオンハルト。こうなったら、直接見てもらった方が早い」


 エプロンを解きながら、レードラまでもが店長の顔ではなくなっていた。レオンが無言で解放してやると、ルピウスは周りの異様な雰囲気に気付いた。本を読んでいた連中が、異質な物であるかのように自分を見ている。


「な、何なんだ……守護神って、どう言う事だよ?」

「見ていろよ、小僧共。今日は特別サービスじゃ」


 そう言うとレードラは、渓谷が見渡せるテラスへと出て行った。そこは空を飛べる客が出入りに利用している。書物が風に飛ばされないよう、もちろんここにも保護魔法はかけられていた。


 レードラは助走を付けると、そのまま渓谷へと落下していく。


「あっ、おい……!」


 後を追って崖下を覗き込んだルピウスはそこで、彼女の体が光り輝くのを見た。

 変化していく。

 少女の体が、血のように赤い鱗に覆われた、巨大なドラゴンの姿に。


 髪飾りは金と銀の角に。背中には大きな翼。特徴的な瞳は金色のままで、ただ片方は潰れていた。


「ドラコニア帝国守護神……レッドドラゴン!?」

「レードラちゃ――ん、最高ー愛してる――!!」


 隣ではレオンが興奮のあまり絶叫している。読書や食事を一旦止めて見守っていた客たちは、そんな第一皇子に生温かい視線を送っていた。


「いやー、久々に見たな店長の本当の姿」

「式典の時くらいだからレアだぜ」

「しっかし殿下も懲りないな。フラれまくってるのにまだ諦めないとは」

「しょうがねえよ、世継ぎを残さにゃいけないのに国の守り神と結婚なんてさ」


「結婚……?」


 困惑してレオンを見ると、照れたように鼻を擦る。


「だってあんなに可愛くてかっこよくて美しいんだぜ。本当の姿も、人間形態もさ。子供なんて要らないから嫁に来て欲しいよ」

「何を言っとるんじゃ、未来の皇帝が」


 人間の姿に戻ったレードラがテラスへと降り立つ。外れていた眼帯を再び着ける時、一瞬だけ隠されていた方の目が見えてしまった。瞼が縫い付けられ、べこっとへこんでいる。

 眼球が、なかった。


「これで納得して頂けましたか、お客様」


 呆然としていたルピウスに声をかけると、戸惑ったように何度も頷く。


「それは何より。では皆様、引き続きお寛ぎ下さい」


 カウンターに戻ろうとするレードラを、ルピウスが慌てて引き留める。


「待ってくれ! 君がマリーゼではないのは分かった……では、店長として聞こう。この店に、隣国のクラウン王家に伝わる魔道具マジックアイテムに関する書物はないか?」

「……貴方はそのクラウン王国の王子ではないのですか。何故わざわざこの国に?」

「あ、それについては俺から話すよ」


 まだ興奮冷めやらぬレオンが割り込み、レードラの腕を掴んでいたルピウスを引き剥がす。そしてぞんざいに指差しながら事情を説明した。



「こいつとは学生時代、留学先のクラウン王国で知り合ったんだ。マリーゼってのはこいつの元々の婚約者で……俺が留学してた時点ではそうだった。けど一年前、こいつは婚約者を差し置いてタリアっつー女に熱を上げてな。マリーゼが虐めたとか難癖付けて追い出しちまったんだよ。で、タリアとの婚約式でマリーゼから奪った指輪を彼女に嵌めたら、一気にバケモンみてーな姿になっちまってな。もう王妃様大激怒で。元の姿に戻るまでは婚約は認められないって言われたから、こうして隣国まで範囲を広げて、方法を調べに来たんだと」


「説明が雑過ぎる! あの指輪は奪ったんじゃない、元々我が王家の…」

「先程、そのマリーゼを探していると言っておったな。あれは何故じゃ?」


 抗議の声を遮られ、ムッとレードラを睨み付けるが、まったく動じずに金色の瞳でじっと見返されると、こちらが飲まれるしかない。


「あいつが呪いをかけたに決まっているからだ! あの女はタリアに嫉妬し、国外追放にされた事を恨んで指輪に魔法をかけたのだ」

「証拠は? 王家の指輪にそんなもんかかってたら、王妃も気付くだろ」

「マリーゼは母上のお気に入りだった。今まではあいつが身に着けていても、何ともなかったんだ。それが、タリアの指に嵌めた途端に、あのような……体が醜くブクブクに膨れ上がり、全身針鼠のように棘だらけになってしまった。……何てかわいそうなタリア」


 どん、と腹立たしげにカウンターを叩くルピウスに、通りすがりの客が迷惑そうな視線を送っていく。

 レードラは、ふむ、と考え込むと、目録が記されているらしき冊子を取り出し、指でなぞっていく。


「ではお主は、母君がマリーゼ嬢とグルになり、タリア嬢に呪いをかけていると、そう睨んでおるのじゃな?」

「そうだ。だが母は、それについてはまずマリーゼを連れ帰れたなら答える。指輪も指が膨れ上がっているせいで外す事もできないのだが、元の姿に戻す方法は自分で調べろと突っぱねるばかりで……」


 指輪を切断しようにも、下手をすれば指ごと切り落としそうだし、もし無理にでも破壊しようとすれば、元に戻る保証はできないと言われてしまった。

 タリアがこうなった原因は、自分で探り当てろと。


「国中の魔導研究家たちに聞いたり書物を読み漁ってみたんだが、結局分からず終いだった。そこでレオンハルトが我が国に留学した際に聞いた、世界中の古書を保管する計画を思い出して……」

「それで、帝国までやってきたと言うわけじゃな」


 ルピウスは力なく頷く。だが彼がレオンを頼ってきたのには、もう一つ理由があった。


「マリーゼの追放先は御者に適当に選ばせたのだが……最後に彼女を乗せた馬車が通ったのが、この辺りだと言う情報が最近入ったのだ」


 その言葉に、レードラとレオンは顔を見合わせる。この古書喫茶がある渓谷に、馬車が通れるほどの広さの道はない。崖の上には鬱蒼とした森が広がっていて、そのギリギリの場所を馬車なんかで入ったりしたら……


「普通に考えて、谷から落ちて死んだのでは?」

「そんな! じゃあ、タリアの呪いはどうやって解けば…」


 かつての婚約者を欠片も気にかけない発言に、レオンは嫌悪の表情を向けた。留学時代、少し抜けてはいるが人懐っこい人柄は、今や過去のものとなってしまったか。心中で友人としての縁を切っていると、冊子のページを捲っていたレードラの手が止まる。


「ちょっと待っておれよ……あった、これじゃ」


 そうして奥の本棚から、一冊の古びた革表紙を持ってきた。ドラコニア帝国に残された歴史書の一つだが、それが隣国の国宝とどう言う関係があるのか。


「お主んとこの王家に昔、我が国の魔女がアイテムを献上した事があったのじゃ。儂は彼女とも知り合いでな……当時の出来事や指輪のデザインについても書かれているのがこの本じゃ。

そのアイテムとは『真実の指輪』。今のお主のように、見目良い女に逆上せ上がってバカになった王子の目を覚まさせようと、クラウン王国の王妃が魔女に相談に来た。そこで王子妃に相応しいか見極めるためにと作られたそうじゃな。効果は――『指に嵌めた者の心が、姿形となって現れる』」

「で、でたらめだ!! それじゃ、まるでタリアが……」


 激昂して反論しようとするルピウスの脳裏に、タリアの姿が浮かび上がる。あれだけ美しかった彼女の姿が、今や……呪われた後の、醜い姿しか思い浮かばない。あれが、彼女の心? じゃあ、マリーゼとの事は……


 青ざめて無言になったルピウスを、レードラは静かに諭す。


「元の姿に戻したければ、彼女とはよく話し合って悔い改めさせなさい。人間は成長する生き物です。心を入れ替えれば、外見もそれと相応しくなるでしょう」

「そう言うこった。ほれ、帰った帰った」


 入り口付近の、魔法陣が描かれた小部屋を指差し、レオンが冷たく言い放つ。この崖から直接入るには空を飛ぶしかないが、それができない者たちは、別の場所と繋がったこの魔法陣を使って移動するのだ。


 動かなくなった彼に舌打ちし、レオンが無理矢理引っ張って行こうとすると、ルピウスが弾かれたように顔を上げ、レードラに問いかける。


「お前……いや、君は本当にマリーゼじゃないのか!?」

「違うっつってんだろ、さっさと帰れ。もう来んな!!」


 なおも縋ろうとするルピウスを移動用の魔法陣までぐいぐいと押していく。レードラは陣の文様に何やら書き加えて送り先を変更していた。あれは……国外か。


「クラウン王国まで飛ばしてやろう。早々に恋人と会ってくるが良い」

「ちょ、待……っ」


 抗議の声が上がる寸前、ルピウスの姿はフッと消えた。


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