第3話
マリーゼが故郷を捨て、ドラコニア帝国の古書保管施設『龍山泊』の一員に加わった翌日。
「おい、レードラ。こいつはどう言う事だ?」
オーナーのレオンハルト第一皇子が機嫌の悪い声でマリーゼを指差す。注目されて居心地悪そうにするマリーゼの格好は、角を模した髪飾りと付け尻尾にエプロン。それに必要もないのに眼帯をしていた。
完全にレードラのコピーである。
「何じゃ、不満か。可愛いじゃろ?」
「可愛いけどぉ!」
「この飾りの繊細さ……皇家御用達の金細工師サイケ=デリック殿はさすがの仕事ぶりじゃのう。実に美しいではないか」
「あいつ何やってんの!? 美しいけどぉ!」
「尻尾に至っては魔界トカゲの革を使い、儂のイカした竜鱗の手触りを完全再現じゃ。どうじゃ、最高にかっこいいと思わんか!?」
「かっこいいけどぉ!!」
レードラが褒めちぎり、不承不承レオンが同意する度に、マリーゼは赤くなって俯く。服や眼帯はともかく、角と尻尾はいつ用意したのかと聞けば、こんな事もあろうかと準備していたのだそうだ。
「外出する度に店も臨時休業せねばならぬし、そろそろ店長代理が欲しくてな。まさかここまで瓜二つの者に会えるとは思うておらなんだが。…さぁ、お主の世界で言うところの、画竜点睛じゃ」
そう言うと最後の仕上げとばかりに、マリーゼの胸にネームプレートを付ける。そこには『店長(代理)』と書かれていた。代理の文字は豆粒のような大きさで、よく近付かないと見えない。そしてその光景は、絵的にかなりヤバかった。
「代理っつーかもう、影武者だろ……」
「あ、あの…」
胸元に顔を近付けられ、舐めるように凝視されて、困惑しつつも動く事ができないマリーゼ。視線で助けを求められて、レードラはレオンを引き剥がした。
「セクハラじゃぞ」
「何だよ、勘違いするなよ。俺が興味あるのはレードラの乳だけだ」
「…お主の場合、そこにドラゴン形態を含む辺りが特殊と言うか何と言うか」
漫才を始めた二人を余所に、マリーゼはネームプレートを見ながら戸惑いを口にした。
「あの、来たばかりの私がいきなり店長代理だなんて……務まるのでしょうか」
「心配いらん、仕事は教えるから追々覚えていってくれれば良い。こんな場所じゃから普段はあまり客も来んし、カウンターで受付でもしててくれ」
レードラは安心させるようにニヤッと笑うと、己の眼帯をトントン叩く。
「お主の視界は儂のここと繋がっておるから、厄介な客が来てもすぐに分かるしな。それより、目はよく馴染んでおるか? 片方四分の一とは言え、一国の守護神を務める儂の瞳の魔力じゃ。慣れん内は気を抜くと……」
「キャーッ!」
何気なくレオンの方を向いたマリーゼが、突然悲鳴を上げて顔を覆った。真っ赤になって目をぎゅっと瞑る彼女に、レオンもきょとんとしている。
「どうしたマリーゼ? 俺の顔に何か付いてたか」
「い、いえ何でもありません……その」
「ふはははは、生来のものではない膨大な魔力を持たされたのじゃ。勝手に透視能力が発動してしまう事もあるんじゃろ。眼帯を着けたくらいでは防げんから、上手くコントロールしてくれ」
「は、はいぃ……レオンハルト殿下、本当に申し訳」
「何だ、俺の裸見たのかよえっちー! おわっ」
「その足は何じゃ!」
胸の前で手を交差し片足を上げて謎ポーズを取るレオンに、レードラが立っている方の足をゲシッと蹴飛ばして転がす。そしてそのまま何事もなかったように、おろおろするマリーゼに向き直った。
「それはそうと、ご両親にはお主の生存を伝えておいた方が良かろう。タリアが本物の魔女であれば、対策もなしに放置しておくのも危険じゃしな」
「そうですね……あの、では手紙を書く際にはレードラ様のお名前をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「構わんよ。……ふむ、そうじゃな。あれを使うか」
レードラはマリーゼを店内に案内する。入り口と魔法陣のある場所には【本日休業】の札がかけられ、客や他の従業員が入って来れないようにしておいた。
ここ龍山泊には、席が三種類用意されている。ただ敷居をしただけの『魔』、仮眠用ベッド付きでシャワー室にも近い『聖』、そして防音魔法がかけられ、許可付きで魔法の使用ができる『神』だ。
レードラは【神の8】と書かれた個室にレンタル用の水晶玉を持ち込むと、何かの準備を始めた。部屋の四方に模様の描かれた札を貼り、床には魔法陣を描いてその上にテーブルと水晶玉を乗せる。
「これは魔力の強い相手に呼びかけるための儀式じゃ。向こうも水晶玉を持っていれば互いに通信できるが、今回は一方通行になるな。対象は、信用できる相手がいいじゃろ。お主の国の王妃でどうじゃ?」
「王妃様に…? 確かに、強い魔力をお持ちだと聞いておりますが。ご存じなのですか?」
「あやつも若い頃に一度、帝国に留学しに来たので知っておる。今の儂は瞳の魔力が半減している故、お主にも手伝ってもらうが、よいな?」
「はいっ! 精一杯務めさせて頂きます!」
魔力を失わせてしまった事に罪悪感を持つマリーゼだが、レードラによれば結晶がなくなっただけで、体の魔力自体は時間が経てば戻るらしい。マリーゼに与えた方も、体に馴染めば元々の魔力と混じり合い、完全にコントロールできるようになるとの事。
同じ姿の少女たちは薄暗い部屋の中央で互いに向き合い、水晶玉に手をかざす。
「儂に続いて詠唱するのじゃ。名前の箇所は自分に置き換えてな。
『ドラコニア帝国赤の渓谷が守護者、レッドドラゴンが命じる』」
「クラウン王国オンブル公爵家長女、マリーゼ=オンブルが命じる…」
「隣国クラウン王国王妃ブリット=ラ=クラウンは我が声に応えよ」
「祖国クラウン王国ブリット=ラ=クラウン妃殿下は我が声にお応え下さい」
レードラとマリーゼの魔力によって水晶玉が強い光を発し出す……と、そこに映ったのは隣国の王妃の姿だった。彼女等の声が届いたのか、戸惑ったようにきょろきょろと辺りを見回す。口をパクパク動かしているので、こちらから話しかけても向こうからの声は届かないようだ。
「王妃様!」
「しっ! ブリットよ、聞こえるか? 儂じゃ、ドラコニア帝国のドラゴン……お主とは留学時代、本来の姿で会ったのう。
そのまま声を出さずに聞いてくれ。お主の息子が追い出したマリーゼは、帝国にて預かっておる」
王妃の瞳が驚愕で見開かれる。そして唇が動いて「ちょっと待ってて」と言ったように見え、しばらくすると水晶玉から声が聞こえてきた。王妃の視線もこちらを向いている。どうやら向こうも通信魔法を使ったようだ。
『マリーゼ、貴女マリーゼなのね! よかった無事で』
「お久しぶりです、王妃様」
『その瞳……そう言う事なのね。本当に私の息子がごめんなさい。とても、辛い思いをさせてしまって』
王妃が涙を零して謝罪する。彼女のせいではないのに、祖国の王妃に頭を下げられてマリーゼは心が痛んだ。
「いいえ、ルピウス様の御心に添えなかった私の落ち度でもあります。もう貴女に娘と呼んで頂けない事をお許し下さい」
『ああ、マリーゼ……そうだわ、娘と言えばオンブル公爵よ。ルピウスの所業に激怒し、王家と縁を切る寸前まで話が進んでいたの。息子もあの女に唆されるまま、貴女の実家だからって取り潰そうとまで……何とか食い止めている最中なのだけれど』
家族まで巻き添えにされるところだった事に、マリーゼは歯噛みした。ルピウスへの失望と、タリアへの怒りが広がる。国を捨てると決めたけれど、自分のせいで家族に迷惑はかけたくない。
「ありがとうございます。隣国から無責任になりますが、どうか耐えて頂けませんか。家族には、私は無事だけどもう戻らないと伝えておきたいのです」
戻らない。
これは単に、帰国と言う意味だけではなかった。
王妃も神妙な顔で頷く。
『ええ、そうね……貴女にその選択をさせるだけの事を、我々王家はしてしまった。このまま生存を明らかにするよりは、今はそちらに保護をお願いしましょう。あの女の正体は近々暴く予定だけれど、問題はルピウスね。逆恨みで貴女の家族に危害を加えないよう、何とか対処しておきます。手紙も公爵に渡しておくから、私宛てに届けてもらえるかしら?』
「ブリットよ、マリーゼには儂の名を使わせるが、よいな。タリアが魔女の可能性もある。呪いを使われる事も考えて魔法陣の図面も同封するので、公爵家に送ってやるといい」
ひょいとマリーゼの隣にレードラが割り込んだので、王妃は目をパチパチと瞬かせる。
『その声……貴女があのドラゴンだったのね。マリーゼそっくりだけれど、マリーゼじゃない……その姿は、マサラ王妃を模したのかしら?』
「ふははは、かつてお主と同じ悩みで我が国を訪れた者じゃ。あやつは元々この国の出身じゃからのう」
マリーゼはその言葉に仰天した。マサラとは何代か前のクラウン王国の王妃だ。肖像画を見た事があるが、髪と瞳の色以外は確かにマリーゼによく似ていた。年齢が近ければ、きっと瓜二つだろうと予想できる程に。
オンブル公爵家では曾祖母が王女だったので、マリーゼはマサラ王妃と血が繋がっている事になる。二人がそっくりな理由が、分かった気がした。
「では王妃様、お手を煩わせてしまいますが、実家の事、よろしくお願い致します」
『水臭い事はなしでいいのよ。貴女の事はこれからも娘のように思っているわ……だけどマリーゼ、幸せになりなさい。それは誰にも邪魔させたりしないわ』
「はい……!」
もう母と呼ぶ事も叶わなくなった王妃に別れを告げると、マリーゼは手を水晶玉から離した。映っていた人影がすっと消える。
「さて、手紙を出したらクラウン王国の事はブリットに任せよう。お主にはこれから古書喫茶の仕事について覚えてもらうぞ」
「はい、よろしくお願いします!」
未練を断ち切るように、マリーゼは声を張り上げた。
龍山泊は古書の保管・整理と喫茶店の経営と言う二つの側面がある。雑用と言えばいくらでもあった。
料理についてはレオンが「んなの出前でいいんだよ、飲み食いしながら読めるってとこがセールスポイントなんだから」と言っていたので、別の飲食店と契約して魔法陣を通じて配達してもらっているが、やはり赤の渓谷ならではのメニューもあった方がいいと言う事で、何品か簡単な料理は店で作っている。その仕込みと調理、汚れた食器の回収と洗浄は、家事をした事のないマリーゼには初めてで四苦八苦した。
「ごめんなさい、またお皿割ってしまって……」
「魔法で修復するから構わんよ。儂も始めた頃は皿はおろか料理を引っ繰り返す事もザラじゃったぞ」
「今のしっかりしたレードラちゃんもいいけど、ドジっ子属性も可愛くて捨て難かったよなぁ」
「属性とか言うな。慣れればマリーゼだって上手くやれるわい」
「はい、申し訳ありません……が、頑張ります」
本棚は料理の仕込み前、店内は閉店後に掃除する。古書には保護魔法がかけられているが、埃は付くのではたきをかけなくてはいけない。風魔法を使えば楽なのだが、うっかり調理場や客のいる寝室に飛んで行ってしまうと困る。
「照明や調理場に使われる魔石にも魔力を補充しておかねばならんし、特に今は節約しておきたいのだ」
「そうなのですね……分かりました。その分私が綺麗にしておきます!」
マリーゼはレードラの瞳の魔力を半分奪ってしまったと言う負い目がある。レードラの方は全然気にしていないのだが、彼女にぞっこんなレオンの事を思うと、どうしても良心が痛むのだ。
店内以外では、届けられた古書の修繕をしている。レオンが貴重な書物を国で保管すると言う名目で集め出したところ、せっかくだから自分の所持している分も保護してもらおうとコレクターたちが寄付し出したので、今も本棚が増え続けている。そろそろまたスペースを増やすべきだろうか。
ぼろぼろになった書物は、神聖魔法で修復した後、保護魔法をかける。レードラぐらいになれば新品同然にできるのだが、黄ばんで黴臭さがあるのが情緒的だと言うよく分からない主張により、加減しつつ魔法をかけている。彼女としては食事する場所に汚らしい物を持ち込んで欲しくないので、見た目だけはそれっぽく、後は浄化しているが。
マリーゼはその辺りの匙加減が上手く、一度説明しただけですぐにコツを掴んだ。
「ほぉ……しばらく見ない間に、クラウン王国も随分と魔法が発達したもんじゃ。かつては魔法禁止令が出ていて、魔術師だったマサラも嫁いでからは控えていたが」
遠い昔に思いを馳せるレードラに、マリーゼは気になっていた事を訊ねた。
「レードラ様は……マサラ王妃とお知り合いだったのですか? その、ブリット王妃のような外交ではなく」
今でこそ喫茶店の店長などとふざけた役職に就いているが、本来なら王族でも滅多に会えないはずの存在なのである。
レードラは保護魔法のかけ終わった書物を分類しながら頷く。
「そうじゃのう、古い友人じゃった。お主がブリットから譲り受けた指輪があったじゃろう? あれを作ったのが儂とマサラの魔法の師匠でな。つまり、兄弟弟子だったのじゃ」
「…と言う事はそのお師匠様は、レードラ様よりもご年配の方だと?」
ドラゴンに魔法を教えると言うのも驚きだが、それだけ長い時を生きているのなら人間ではないのだろう。しかしレードラは首を振る。
「人にはそれぞれ、向き不向きがあるのじゃ。帝国の守護神とてそれは同じ。魔法も生まれつき得意な分野と、訓練により後天的に身に付くものがある。それにな、儂は年上だろうが年下だろうが、尊敬できる者には頭を垂れる。マリーゼ、お主からも儂は大いに学んでおるのじゃぞ」
悠久を生きる者にそう言われ、マリーゼは面映ゆくて顔を赤らめる。尻尾で頭をよしよしされているので台無しだったが。
「では、レオンハルト殿下にも?」
「あやつはまだまだケツが青い。と言うか、頭がおかしい」
バッサリ斬り捨てられ、つい噴き出してしまった。そうは言ってもレオンによる絶壁をくり抜いて店を造ると言う構想を承諾し、その店長まで引き受けているのだから、何だかんだで好意的ではあるのだろう。
(いいな、こう言う関係……)
帝国の後継者がドラゴンに懸想するなど不毛だとは言われるが、マリーゼには羨ましいと思える。真っ直ぐに、素直に好きだと言える彼が。その流れで、思考はもう一人の王子に行き着く。失われてしまった関係……その元凶となった女。
そう言えば、レードラはタリアを魔女かもしれないと言っていた。レオンも、そのやり口を呪術に例えていたが。
「あの、先程王妃様におっしゃった事は本当なのでしょうか。タリアさ……タリア嬢が魔女であると」
「ん? ああその可能性は考えておいた方がいいじゃろ。何せお主は魔力の結晶を奪われておる。そこから辿って居場所を知られる恐れもある。まあ儂の魔力のおかげで、ちっとやそっとの呪いなんぞ弾くがな、ふははは」
ケタケタ笑いながら眼帯をつつくレードラ。だが魔力を辿られると聞いて、マリーゼは不安になった。手紙は既に出したけれど、王妃や公爵家はタリアに害されていないだろうか。それに、もしも彼女がルピウスに、マリーゼが生きていて復讐を企んでいるなんて吹き込んだら……
「レードラ様。私に魔法を教えてもらえませんか」
「んー困ったのう、儂は魔法の教師には向いておらん。それに本来ならお主にやった分の魔力だけでも人知を超えておる。下手に扱えば暴走する可能性もあるからの。まずはコントロールを覚えるのが先じゃ」
「はい…」
大切な人たちの事は心配だが、焦って行動に出れば、せっかく力になってくれたレードラたちに申し訳が立たない。
まずは自分の事だけでも、きちんとできるようになろうとマリーゼは決意した。
「しかしタリア本人が魔女かどうかなんて、実はどうでもいいのじゃよ」
「えっ?」
レードラの言葉に、マリーゼが目を丸くする。仮定として話されていたものの、当たり前のように魔女だと思っていた。だってあんな、惨い仕打ちができる邪悪な女が魔女じゃないだなんて。
「魔法や呪術は使い手を雇えば事足りる。むしろ呪い返しを考えればその方が安全じゃしな。魔女としか思えぬ者でもただの人間、よくある話じゃ。
…しかしブリットも残酷じゃのう、息子自らの手で愛する女の真実を暴かせるとは。ククク……魔女や悪魔のせいにした方が優しい世界でいられる事もある。げに恐ろしきは女の恨みと男の愚かさよ」
ハッと息を飲むマリーゼ。レードラは知っている。かつて親友が下した制裁が、もう一度繰り返される事を。だとしても二人にできる事など、何もないのだ。
近々行われると言う婚約式でショックを受けるだろうルピウスを思い、だがまったく同情する事もなくマリーゼは目を閉じた。
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