第8話

 依頼内容は、スライム五匹の討伐。出現場所はギルドから半刻ほど歩いた街の一角。そこには初心者の初クエストのため、人が立ち入らないようギルド職員により縄が張られていた。


「至れり尽くせりだな」

「初心者だからと言うより、皇子様の初戦闘のためじゃね? …それより、ちゃんと戦えるのか? 装備はどうなってる」

「一応、城の者が護身用に持たせてくれた皮の胸当てと、訓練用に刃引きした剣。防御+4と攻撃力+1だ」

「死ぬ気かよ……俺の金槌の方がまだ殺傷力あるわ」

「懐かしいなー、あのゲーム。城を出た途端に何度スライムに殺された事か」


 呑気にケラケラ笑っているレオンを、張り飛ばしたくなった。厄介なヤツに捕まったな、とサイケは独りごちる。


「そんなゲーム感覚でいたらお前、本当に殺されるぞ。それともスライム如きに殺られるはずないとでも思ってんのか?」

「まさか。俺はレッドドラゴンに何度も半殺しにされてきた男だぜ。だが本気の殺し合いは初めてなんだ……冗談でも言ってなきゃ震えて動けないくらいだ」


 全然自慢にならない事をかっこつけて言うレオン。それでも強くなるために、敢えて危険に飛び込む気なのだろう。本当に愛のためなら何でもする男だ。


(バカだ……このままにしておいたら割と本気で帝国が滅ぶ。だけど何か見捨てられないんだよなあ、レッドドラゴンもこんな気持ちだったのかな。……くそ、仕方ねえなあこのおっさん子供が!)


「分かったよ。そこまで言うなら、レッドドラゴンの代わりに俺がお前を男にしてやる」

「えー……そう言う趣味はちょっと」

「違えよ!! レベル上げに付き合うって言ってんだ。その前にいいか、お前が想像してるようなスライムは、この先いないと思え」

「えっ、スライムいないの?」

「いるんだよ、そこに!!」


 そう言って指差したのは、通路の行き止まりを流れる溝。そこからドロドロした塊が五つ、蠢きながらこちらに這い出てくる。一体一体、吐き気のするような色と臭いで、目玉がぐるんぐるんと好き勝手に位置を変えている。


「あいつら、核を抜き取らないと切っても再生するからな」

「あ…あの気色悪いのがスライム?? 綺麗で透き通ってて可愛いフォルムのやつじゃなくて……詐欺だ、あんな鼻水がスライムなんて信じないぞ! もう『ねちょねちょねちょりん』とでも改名しろ!!」

「いや、スライムなんだって…」


 錯乱しているようで意外と冷静なコメントに噴き出しそうになったが、急に向こうがスピードを上げて襲い掛かってきたので笑い事ではなくなった。

 レオンは必死に剣で応酬するが、斬っても叩き付けても手応えがない。その内体力が尽き、防御が疎かになったところで、一匹がべしゃっと顔に貼り付いた。


「うごっ!! ぅぐうう…」

「レオン!!」


 無茶苦茶に剣を振り回すが、視界も悪いのか当たらない。このままでは窒息する……となった辺りで、サイケが動いた。


(そろそろいいか)


 道具袋から、自作の魔道具マジックアイテムを取り出す。その形は、前世で言うところの霧吹き。皮手袋でしっかり防御すると、レオンにくっ付いたのも含め、五匹にシュッシュッと吹きかけていく。


「ピギッ!!」


 スライムたちが、あっと言う間に凍り付いた。そこを金槌で、ガチャンガチャンと壊していく。レオンの顔のスライムは、破片が目に入らないよう丁寧に割った後、そうっと剥がした。核を回収すると、顔に残っていた分はドロドロと溶け出す。


「うぇっ、ぺっぺっ…、悪い……」

「飲め」


 乱暴に手拭いで拭った後、魔法薬ポーションを渡せば、死にそうな顔をして飲み干した。口や鼻にスライムが入ってしまった上での不味い魔法薬ポーションなので吐き気がするだろうが、ちゃんと飲んでくれなきゃ困る。

 凍ったスライムは、あと一匹残っていた。レオンの経験値稼ぎのために残しておいた分だ。


「殺せ」

「……」


 刃の潰した剣で苦労しながら、ガツガツと攻撃して核を掘り出す。こうしてギルドに持ち帰って、報酬を受け取るのだ。


 帰り道、レオンは何度も鼻をかんでいた。


「ああ、くそ! 本当にあいつら鼻水だよ……ねちょねちょねちょりんだよ!」

「ぶふっ! …まあ、見通しが甘いのが分かったんならいいよ。次はもうちょい計画的にやれよ、皇子サマ」


 戦闘が終わった気の緩みもあってニヤニヤしていると、レオンが据わった目でサイケを見てくる。


「……お前、あの霧吹き、何」

「これか? スライムキラー」

「は!?」


 サイケは再び道具袋から霧吹きを取り出すと、シュッと一吹きした。先程と違い、今度は何故か氷が出ない。


「俺の発明スキル、10あっただろ。レオンの言う通り、前世の知識そのまんまで作っても経験値は入らない。だがそれを活かして、存在に干渉できる新発明なら、カウントされるみたいなんだ。

霧吹きは前世と同じだが、そこに氷魔法を封じた魔石を取り付けて、ノズルの口をこっちに捻ればスライムを凍らせる霧が出る仕掛けにした。今回はただの水だけど魔法薬ポーションと組み合わせれば、さらに付加効果が出せるぜ」


 ぽかんとサイケの説明を聞いていたレオンは、鼻紙でぐしっと拭って俯く。


「お前、すげえな……俺なんて足引っ張っただけじゃん。もう少しで死ぬとこだったよ」

「バカが、皇子様が見殺しにされるわけねえだろ。俺たちはギルドに監視されてたんだよ」


 サイケが目配せした先には、何人かの気配を感じる。レオンは全然気付かなかった。人が死にそうになってる時に助けにも来なかったが、先に倒してしまえばレオンの目的を妨害する事になる。ぎりぎりまで、見定められていたのだ。


「要は、レッドドラゴンの試練と一緒だよ。だから心配はしてなかったけど……お前に何かあったら俺が厳罰喰らうから、一応対処はしておいたんだ」


 さりげなく、身勝手な行動は周りが迷惑すると釘を刺しておく。後ろで一際強く、ブビーッと鼻をかむ音がした。振り返るとレオンが大欠伸をしている。鼓膜がピーンと鳴ったのだろう。

 スライムと鼻水塗れで、とても帝国の皇子様には見えないが、今はこれでいい。未来の皇帝レオンハルト殿下には、少しは挫折を知っておいてもらわねば。


「なあ、お前って前世じゃ俺より昔の人だろ。でも俺は年齢から言えばお前よりもっと長く生きた」

「そうだったな……」

「んで、どっちも異世界に、同じ世代で生まれ変わったわけだ。今度は俺の方が三つも年上で、お前はまだ十二のガキンチョ」

「だから何だよ……」


「お前が目からスライム垂らしてたって、俺はかっこ悪いとは思わないからな」


 コツ、コツ、としばらく靴の音だけが辺りに響く。通り掛かった民家の中からスープを炊く匂いが漂ってきて、腹減ったなぁ…などと考えていると、レオンがぼそりと一言。


「レードラには言うなよ」

「そこかよ! ってか紹介してくれんの、愛しのレードラちゃんを?」

「…ッ、さんをつけろよ、デコ助野郎……!」

「え…今の泣いてんの、笑ってんの? 上手い事言いたいだけなのか?」


 サイケの問いには答えず、レオンは黙って鼻を擦った。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 後日、レオンとサイケは帝都の広場にある掲示板の前にいた。黒板を付けたのもレオンが国中に広めた前世の知識の一つである。当然、発明スキルには加算されない上に子供の落書きにしか使われていなかった。


「みんな、もっとこれ活用してくんねーかなあ。白墨チョークだってタダじゃないんだぞ」

「教育も頑張ってるみたいだけど、一朝一夕じゃ結果は出ないからな。…でもこれ、雨宿りにはちょうどいいよ」


 黒板が濡れないよう、屋根は大きめに作ってすだれを垂らしている。裏はコルクボードで、貼り紙ができるようになっていた。レオンは布でガシガシと黒板を拭くと、チョークで文字を書く。


「…その『べー!』ってのは何の暗号だ?」

「べーじゃねえよ、蜂だよ英語の! 特定の層には絶対刺さるから」

「特定の層だけ刺してどうすんの。募集するんだろ、前世日本人だったヤツ。だったらこれだ!!」

「『宇宙人、未来人、異世界人…』いや、こんなに要らない。大体これじゃ、オタクしか来ねえじゃん。俺等戦うんだぞ」


 実践を経て己の経験不足を痛感したレオンは、改めて冒険者の仲間を募る事にした。後でミルク売りに同じ文章を他の掲示板にも書いてきてもらう予定だ。異世界転生に限定したのは「同郷に悪いヤツはいない」理論である。サイケにしてみれば「こんなバカに付き合える忍耐力の持ち主は、同じくらいぶっ飛んだ人間だけ」だからなのだが。


「俺等だって世代違うだけでオタクだろ。案外いけるんじゃないの? みんな異世界転生したらダンジョン行きたがってたから」

「命知らずだよなあ……スライムと言えば某ゲームのアレだと思ってるよ絶対」


 やれやれ、と肩を竦めるレオンに、サイケは必死に笑いを堪える。この間の経験はレオンを大きく成長させたようだが、調子いいところは相変わらずだった。だけど、ほんの少し……不本意ながらも、そんな我が帝国の皇子様を見守っていきたい自分もいたりするのだ。


(悔しいから他の奴等も巻き込んでやるけどね。一蓮托生だ)


 掲示板の前でああでもない、こうでもないと悩んでいたレオンだったが、やがてチョークをカツッと走らせた。


「シンプルだけど、これでいいか。『来たれ、日本人! 大和魂でドラゴンをあっと言わせよう』っと」

「これじゃ、ドラゴン退治と勘違いしないか? それに、日本人って…」

「帝国でドラゴンと言えば神様だし、来てくれればちゃんと説明するよ。あと最初は異世界転生に絞ってたんだが……よく考えたら、生まれ変わりなしでこっちに飛ばされるヤツもいると思うんだ。と言うか、俺の世代はそっちの作品が多かった」


 そう言うと場所を譲ったので、サイケはレオンに続いてとある住所を書き込み始める。募集した日本人(転生、転移問わず)はこちらの事情を説明し、協力してもらうか話し合って決める必要がある。帝国民なら皇子に逆らおうなんて思わないだろうが、帰る場所のある日本人はどうだろうか……こちらの都合で命の危険に曝すわけにはいかない。ここは無理強いせず、時間が空いた時だけ裏方としてサポートを頼もう。


「言われた通り、安アパートの一室を借りておいたぞ。クエスト報酬と魔石モーターの儲け分しかないとは言え、あんな狭くてボロい場所でよかったのか?」

「面接だけだから充分だよ。その後の集合場所はホントすっげえから。後は……組織名を決めないとな」


 冒険者のパーティー名じゃないのか、と思ったが、最終目的は冒険ではなく、レオンがレードラと結ばれる方法を見つけ出す事だ。非常に個人的なこの計画に引き込むためには、如何に同胞として心を一つにできるかにかかっている。組織名もその要なのだろう。


「あんまり限定的なパクリネームにすると、意味が分からなくなるからな。日本人ならみんな何となく知ってて、なおかつ共通の認識を持ってるやつがいい」

「んー……なら、これでどうだ!!」


 サイケのアドバイスを受け、レオンが掲示板に書いた文字。


 そこには『梁山泊』と書かれていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「リョーザンパク……最初は梁山泊と言う名前だったのですか!」


 いよいよ店名の秘密に迫ったところで、マリーゼは身を乗り出す。お茶請けをもぐもぐ頬張っていたレードラは頷きながらごくんと飲み込んだ。


「そうじゃ。あやつらの前世では他国の地名だそうじゃが、それが書物を通して『有志が集う場所』と言う意味になる……儂等の世界にも見られる事じゃろ?」

「そうですね……」


 楽しそうに話すレードラが、必死に自分を求めるレオンを面白がっているように見えてしまい、マリーゼは俯く。分かっている。こんなのはただの……気のせいだと。だがどうにもレオンに感情移入してしまい、ついムキになってレードラに言っておきたくなった。


「あの……私も、かっこ悪いとは思いません」

「んむ?」

「ルピウス様も、挫折を知らない御方でした。美しい立ち振る舞いで自信に満ち溢れて……そんな御方のおそばに立てるのが、誇りでした。

……ですが、挫折してボロボロになっても、レードラ様のために懸命に努力されるレオン様を、私は……決してかっこ悪いなんて思いません!」


(ほほう……?)


 夢中で言葉を紡ぐマリーゼは、己の複雑な胸中に気付いていない。レードラは興味深そうに目を細めた。彼女はレードラに、レオンの健気さを分かって欲しくて何とか伝えようとしているのだろう。それも本心には違いないが……その裏側には、まったく別の感情が渦を巻いていた。


(いやはや、これは何とも……予想外じゃった)


 お茶を飲みながら、一人納得してうんうん頷く。


「良いのではないか?」

「えっ」

「動機が何であれ、努力は悪い事ではない。お主やサイケのように、その想いをきちんと理解してくれる者もおる。

儂も嫌いではないぞ……アホじゃとは思うがな」


 思いがけず優しい目をされて、マリーゼは息を飲んだ。レードラはとっくにレオンを認めている。マリーゼが余計な気を揉むまでもなく、ちゃんとお互いを愛しているのだ。たとえそれが、同じ形をしていなくても。


 ホッとすると同時に、二人の絆に立ち入れない事で何となく寂しさを感じてしまい、思わず自分の頭に手が伸びる。


 そこで触れたのは、皇家御用達の金細工師が作ったと言う、レードラの角を模した髪飾り。確かその者の名は――サイケ=デリックだった。

 そう言う繋がりがあったのか……とレードラを見遣ると、よっぽど気に入ったらしく、お菓子をパクパク食べている。神である彼女には必要ないが、嗜好品として楽しんでいるのだ。言わば供え物なのだと聞いた。


 と、そこでマリーゼはある事に気付いた。


「しかしこの胡桃菓子は美味過ぎるわい。何と言うたか……確か断末魔みたいな」

「ところで、レードラ様……レオン様とサイケ様お二人だけの秘密を、貴女がどうしてご存じなのですか」


 ふと浮かんだ疑問に、甘味を堪能していたレードラの呟きを遮ってしまう。


 そうなのだ、スライム退治のクエストからの帰りで、レオンがレードラには言うなと頼んだ出来事を、思い出話として語っていたのは、他ならぬレードラだった。


 まさか、瞳の魔力を使ったのでは……と疑惑の目で見てしまう。


「あの馬鹿垂れの頭なんぞ四六時中覗くほど暇ではないわ。どうせ九割方アホな内容に決まっておるからのう……じゃが、まあ」


 コトリとカップを置くと、レードラは途端に邪悪な笑顔を見せ、


「あれから六年も経っておるんじゃ。サイケのヤツも酒が入った拍子に、ポロッと漏らす事もあるじゃろ……ふははははは!」


 そう言って今度こそ確実に、心底楽しんでいたものだからつい、お人が悪い……と思ったが。


「儂は元から人ではない」


 心の声にツッコまれてしまった。


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