第三迷宮

 無言で歩き出してしまった教皇と司祭に大人しく着いていきながら、俺はまったくこの状況を理解出来ずにいた。ひとまずは助かったようだが、「第三迷宮送り」という不穏な単語が気にかかる。それにウェルデンの容態も心配だ。ちらちらと様子を伺う俺に、相手も気づいたのか微かに微笑んだ。


「僕は大丈夫。アルフェニークさんの魔法のお陰でね。昔から魔法を使うのが下手でさ、制御が上手くいかなくて長い時間戦えないんだ」


「そうか……でも大丈夫ならよかった」


 彼が「自分の魔法は戦闘向きではない」と言っていた理由が分かったが、昔からという事は相当苦労しただろう。一般ケット・シーならともかく、四家のひとつ、ラングレイズ家の一員で魔法が使えないとなれば、ラングレイズに居場所はなかったはずだ。


 俺とウェルデンが囁き声を交わす間にも教皇はずんずん歩いていき………何も無い突き当たりの前で立ち止まった。しかし、彼女は手のひらを当てて呟く。


氷神トワイライトファーレンとその十三羽の鴉に崇拝を」


 ぱっと光が弾け、何も無かった壁にびっしりと複雑な紋様が浮かびが上がった。その線は次々に繋がっていき、淡い光が四隅に達した瞬間、壁が紋様に吸い込まれるようにして消える。

 俺たちが驚愕するのを見て、教皇は僅かに目を細めて手招きした。恐る恐る壁と向こうの境界線を越えると、そこは小さい部屋だった。俺の肩くらいの大きさの氷水晶が所狭しと置いてある。が、他にはなにもなかった。


「さて」


 教皇はくるりと振り返ると、ぱちりと指を鳴らした。するとそれまで宙に浮かんでいた氷の槍が砕けて散る。恐ろしい魔法制御能力だ。


「私に聞きたいことがあるのではないですか?異端者たちよ」


 透き通った氷の瞳を優しげに細めた様子はいかにも「教皇」然としてはいるものの、先程の容赦のない姿を見た今となっては胡散臭いことこの上ない。俺は警戒しつつ口を開いた。


「……なぜ俺たちを助けたんですか?」


「助けてなどいません」


 どんな言葉が帰ってくるのかと少し身構えていた俺は拍子抜けしそうになったが、すぐに気を引き締めた。やはり、ここで殺すつもりなのだろうか?


「私はただ、必ず死ぬ運命からほぼ確実に死ぬ運命にあなたたちを落としただけですよ……もしもあなたたちが迷宮から脱出出来れば、全ての罪は神によって赦される。でもここ百年で、第三迷宮から脱出できたケット・シーは二人しかいない」


「迷宮」がどういうもので、ここ百年で迷宮に入れられたケット・シーがどれくらいいるかは分からないが、教皇の言い草から察するに、俺たちが生きて帰れる確率は無に等しいらしい。確かに死刑よりはマシかもしれないが。しかし、わざわざ教皇が俺たちを迷宮送りにする理由が分からない。


「キオノスティヴァス様、なぜあなたはそのようなことを?」


 ウェルデンが少し掠れた声で問うた。教皇は質問した彼ではなく、俺を見つめて一言だけ言った。


「あなたたちの異端告発はレイモンドの差し金でしょう」


 どくん、と心臓が跳ねた。奴の名前を聞いただけで息を乱した俺を気にかけずに教皇は続ける。


「彼はあなたも知っている通り、この国で圧倒的多数派のヘイル派の教皇と懇意にしています。彼らは私たちが邪魔なのです。異教徒との共存を目指すリウム派が。だから、私たちの味方になりそうなケット・シーを片端から異端告発しているのです。私はあなたたちを助けたかった……でも、やりすぎればリウム派そのものが破滅してしまう。私にはこれしか出来なかった」


 そうして悔しそうに瞳を伏せる。俺たちが何も言葉を発せないでいると、彼女は途端にもとの教皇然とした厳しそうな顔に戻った。


「これからあなたたちを第三迷宮へと送ります。そこから無事に出てこられれば全ての罪は赦されます。愚かな私には祈ることしか出来ない……どうか氷神の御加護がありますように。エラ・トワイライトファーレン」


「送るって、どうやって……?」


 そもそも第三迷宮そのものが初耳だ。一般ケット・シーたちも知らないだろう。そんなものが地上にあれば相当目立つはずだ。


「そこの水晶に手を触れてください。魔法であなたたちを内部まで送ります」


 さあ、と教皇は促すように頷いた。俺がそっと進み出て水晶に手を触れると、ウェルデン、アルフェもそれに続く。それを確認した教皇は背後に控える護衛の司祭たちに合図を送った。そのうちのひとりが、冷たい風のような声で聖書の一節を唱える。


「リズリムの枝に氷の葉を。フィレルの実に氷晶を。影に白狼の風を……」


 瞬間、俺たちが触れている氷水晶が激しく発光し始めた。声を発する暇もなく目もくらむような閃光が弾け、身体を僅かな浮遊感が覆う。五感すべてが薄れて消えていくような気持ちの悪い感覚とともに、俺は突如地面に投げ出された。脳裏にしつこくこびり付く光に顔を顰めながら目を開けると、そこは限りない暗闇だった。一瞬恐怖が沸き起こったが、目が暗闇に慣れると共にぼんやりと周りが見えてくる。先程までとは全く違う場所だった。辺りを見渡すと、二人が倒れているのが見える。土っぽい地面と湿った匂い、壁に掲げられた頼りない光を放つ謎の鉱石は、何処と無くフェンやラウラと訪れたシルスリムを思い出させる。


 二人もすぐに目を覚ましたようだった。アルフェは俺よりも先に光に目が慣れたようで、よろよろと立ち上がって呟いた。


「ここが……第三迷宮……?」


 ウェルデンもようやく目が慣れたようで、アルフェになにか答えようとした。が、彼はいきなり動きを止める。


「なにかいない?向こう……」


 指さされた方を見てみると、確かに濃い暗闇の中に何かが動いているのが見える。俺は腰に差した剣の柄に手をかけて目を凝らした。アルフェが息を吸い込む音がやけに大きく聞こえる。あれは……ケット・シー……?


 音もなく俺たちの方に歩いてくるのは、確かにケット・シーだった。一人のようだ。背丈はさほど高くなく、光の方へ進む度にその姿が顕になっていく。白い耳に、下に行くほど灰色になっていく銀の髪。


「シルヴィア……?」

















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