不殺の蒼炎

 アルフェの高らかな歌声が響き渡った。階段の前で俺たちを待ち構えていた近衛騎士たちは、突如響いた魔法と、同時に飛び出した俺に反応しようとするが、その動きは鈍い。味方に疾さを、敵に停滞を与える夜雀の歌には本当に助けられる。


 真っ先に一番近いケット・シーの懐に潜り込む。『狂愛』の時もそうだったが、とにかく数を減らさなければ始まらない。しかし殺さずに無力化というのもなかなか難しい。剣だけならまだしも、魔法を使わせないようにするためには意識を失わせるしかない。


 俺は咄嗟に、剣の峰のほうで相手の胴を薙いだ。刃はついていないとはいえ、デウス・エクス・マキナがその膨大な氷力マナで創り出した剣だ。その強度は氷水晶にも劣らない。嫌な音と共に骨が何本か砕ける感触が剣越しに伝わり、その衝撃で相手は後方に吹き飛ばされる。俺にも返ってくる力に逆らわず一回転、もう一人のケット・シーに向き直った頃には、近衛騎士たちも体勢を立て直していた。


『スカーレット、お前、自分の創り出した剣に自信はあるか?』


『なにさ急に。そんなの当たり前でしょ? 他でもない私の氷力マナから出来てるんだから。鍔も柄も強度抜群よ!』


『安心したよ』


 俺は右手で柄を握り、反対の手で剣先を握った。これ自体は基本の構えの一つだが、篭手もつけていない俺がこの構えをとれば、普通なら手が切れる。しかし、いつも使っている支給された剣とは違い、俺と契約しているスカーレットがその氷力マナで創り出したものは、俺と同じものとして認識される。だから手が切れないのだ。


 向かってくる近衛騎士のひとりが剣を振り上げた瞬間、俺は剣で突きを放つのではなく、ぱっと右手を放した。歌い続けるアルフェの『氷歌』によって加速しつつ、驚愕に目を見開くケット・シーに向かって柄を振り下ろす。柄とはいえ、この速度で殴れば鈍器と同じ。二人目のケット・シーが地面に倒れ伏すのを見届ける間もなく、近衛騎士たちは矢継ぎ早に俺に襲いかかってくる。三人目の放つ氷弾をかわしつつ、四人目の喉を打つ​​─────


「…………ッ!」


 瞬間、背後から音もなく迫ったレイピアが、俺の脇腹を掠めた。


 刺突の寸前までまるで気配に気づかなかった。無表情で剣を引き戻す青髪の女ケット・シーは、背後の近衛騎士たちに何事かを指示した。恐らく、この騎士たちの一番上がこのケット・シーなのだろう。指示を受けた騎士たちは一斉に散開し、一部は俺に、あとは後ろに回り込もうとする。背後を取るつもりか……?いや違う。


 俺の後ろにはなお歌い続けるアルフェとウェルデンがいる。二人に手を出させるわけにはいかない。しかし俺は一人しかいないので、同時に八人を止めることは出来ない。つまり、ここで取りうる手段は一つしかない。


炎の壁よラーヴェトラム!」


 俺の中を氷力マナが駆け回った。それは俺の身体は狭すぎるとばかりに唯一の出口である剣の切っ先へと殺到していく。そのぴりぴりとした不快な感覚に耐えながら、意念イメージを収束。背後に蒼い炎の壁が吹き上がる。


 目の前のケット・シーたちから動揺の声が漏れる。聖氷教では炎は忌み嫌われる穢れたものであり、生涯炎を見ないケット・シーも多いはずだ。その動揺はむしろ当然のものと言えた。しかし、青髪のケット・シーは表情を一切変えずに一喝した。


「怯むな! 何も問題は無い……予定が少し変更されるだけだ」


 その言葉に近衛騎士たちが剣を構え直す。このケット・シーはかなりの手練に違いない。とすると、魔法が使えると考えた方が自然だろう。二人目だ。氷力マナはケット・シー全員が持っているが、魔法が使えるかどうかは才能に左右される。さらに、そういった才能を持つものは軍に入ることが多い上に、基本的な魔法の訓練を受けられるのも軍だけだ。近衛騎士の仕事は主に街と要人の警備だけだから、魔法を必要としないのだろう。その代わり、剣技には優れているものが多いようだが。


 俺もさっきのような構えではなく、刃の部分を両手で握った。奇策はもう通用しないだろう。今にも足を踏み出そうとした、瞬間。


 炎の衝撃から落ち着きを取り戻しつつあった近衛騎士たちを耳障りで不安を誘う歌声が襲った。アルフェの「慟哭フィアー」だ。なぜここで歌を切り替えたのか、それが分からないほど馬鹿ではない。


境界の陽炎よ!リステギア・イース


 空間から滲み出すように蒼い炎が渦巻いた。それは次第に形を成し、拡がっていく。


「ひっ……」


 誰かが怯えた声を漏らした。ごう!と燃え盛る「炎」は翼を打ち鳴らし、空気を震わせる無音の咆哮を上げた。それは紛れもなく巨大なドラゴンだった。


 普段あまり使い所がない幻影魔法だが、アルフェの「慟哭フィアー」と合わせればなかなかの実用性を誇る。まあ、同じ相手には一回限りではあるが。


 動揺している隙を逃す手はない。俺はすばやく先程氷弾を撃ったケット・シーの首に柄を叩きつけ、崩れ落ちると同時に四人目へ。彼はなんとか斬撃を受け止めたが、俺は鍔の部分に刃を引っ掛けて思い切り引いた。まだ体勢を立て直せていないケット・シーがよろめいたところで、そのがら空きの胴体を思い切り柄で突く。吹き飛ばされたケット・シーは駆け寄りかけていた五人目に衝突する。


 振り返ると、ケット・シーの一人がなにかをぶつぶつと呟いている。魔法だ。迂闊にも三人目の存在を考慮していなかった。歯噛みしつつ跳躍するが、詠唱が終わる方が早い。俺は何が来てもいいように身構えたが、意外にも攻撃は飛んでこなかった。その代わりに、魔法を使ったケット・シーの足元から吹雪が巻き起こり始めた。避ける間もなく吹雪は広がっていく。


 しかし、痛みなどはなかった。本当にただの吹雪だ。確かに、この魔法では軍に入るのは難しいだろうが​……わざわざそんな魔法を使う目的はなんだろうか?


 どこから近衛騎士たちが襲ってくるか分からない。俺は魔法で吹雪を散らそうと意念イメージを集中させかけたが​─────


 転瞬。


 俺の右腕に酷く冷たい痛みが走った。


 腕からレイピアの切っ先が生えている。この剣を使っていたケット・シーは一人しかいない。しかしなぜ?気配など全く感じ取れなかった。こんなに近くまで来られていれば、最低でも先程のように刺突の瞬間には反応できたはずだ。


「外したか」


 ずるりとレイピアを抜いた青髪のケット・シーが、今度こそ俺の胸に狙いを定めた。


 全力で跳躍するものの、貫かれた右腕が足を引っ張る。間に合わない​─────


 誰かが叫ぶ声が聞こえた気がした。





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