第3章 メモリー・イズ・スノウフレイク
アンダー・ザ・シルバーホーク
「ふざけてるわ」
目前のアルフェは静かにそう言った。ずっしりと重い、リスティンキーラでは貴重な木で出来た机の上には、「原稿」が置いてある。
一体何の原稿か────というか、もちろん原稿なのだから演説のためのものに決まっている。別にアルフェはそこを問題にしているわけではない。問題は、その内容だった。
「『サラマンダーとの戦争は依然として続いていますが、どの戦闘においても我が軍が圧勝しています。数だけの野蛮人ごときにリスティンキーラが負けることは、ただ一度としてありません! 恐れることは何もないのです』……よくもこんな嘘ばっかり並べ立てられるものね」
アルフェは怒っていた。いや、ちょっとやそっとの怒り方ではない。その深い青に静かな憤怒を湛え、今にも紙を細切れにしそうなほどの勢いである。
「サラマンダーを勝手に侮ってしっぺ返しを食らって、でもなんにも反省してないんでしょ? 上は。どうせまた貧しい村のケット・シーたちをかき集めてろくな戦術も立てずに無駄死にさせて……使い捨ての駒くらいにしか思ってないんでしょ?」
「アルフェ、落ち着……」
「落ち着けって? 私は十分落ち着いてるわ。こうなったら直訴に行ってやる……! もう我慢できない!」
押し殺した叫びと共に部屋から出ていこうとするアルフェを引き止めたのは俺ではなかった。
「止めておけ、アルフェ。アヴィータ行きになるぞ」
いつの間にか、扉の前にはフェンが立っていた。無事ラウラを助け出した後、彼は極度の負担のため倒れ、しばらく昏睡状態だったのだ。
「フェン! もう身体は大丈夫なのか?」
「酷い目にあったが、一応動ける」
彼は軽く肩を竦めると、俯いたままのアルフェに歩み寄る。フェンが何かを口にする前に、激情を孕んで震えた声が
「フェン、あなた……まさか、これを本気で……?」
「ああ。俺と軍は偽りでケット・シーたちを戦場へ駆り出す」
「どうして……どうして?」
「どうして、だと?」
フェンの灰銀の瞳が酷く冷たい翳りを纏った。
「もし戦争に負ければ、奴らはケット・シーを根絶やしにしようとするだろう。今までに死んだケット・シーたちよりも、もっと多い犠牲が出る。それは俺が許さない」
「っ……!」
アルフェはその覚悟の凄まじさに二の句が継げない。フェンが言っていることは確かに正しい。しかしそれは、一割の犠牲を肯定することに他ならない。ただし、犠牲無き勝利などどこにもない。
俺にはどちらが正しいのか、分からない。
「犠牲を減らす為ならば、俺は喜んでクズにでもなんでもなってやる」
彼は鋭く囁くと、机から書類を取って去っていった。アルフェが唇を噛んで呟く。
「それでもわたしは、それが正しいとは思えない」
ずっと分からないままだった。
フェンも、アルフェも、他の隊員も。
「自分の意思」があって、まあそれは当然なのだけれど、なんというか、確固たる意思がある。「自分はこうする」「これは許すことが出来ない」それが正しいか間違っているかに関わらず、生きる意味を持っていて。対して俺は何もない。つまり、生きているだけ。それだけ。
フェンは犠牲を減らすために一割を切り捨てて。
アルフェは犠牲をなくすために必死に唄って。
じゃあ俺は、一体何のために戦っているのだろう?
そこに思い至った瞬間、唐突に激しい焦燥感を感じて窓の外を見た。
もちろん、そこには雪しかなかった。
フェンが戦場へ向かったとラウラから聞いたのは、その次の日の事だった。
◇◇◇
私はエルラーンが大嫌いだ。
聖氷教を信じないケット・シーなど死んでしまえばいいと思っているし、サラマンダーなどさっさと滅びてしまえばいいと願う。
私はデウス・エクス・マキナが大嫌いだ。
しかし契約者を殺すには奴らの力を使わなければいけない。それは事実だった。
エルラーンのようなケット・シーが力を持っているという事実が嫌だ。
どうせ何も失っていないくせに。奴らのようなケット・シーの中の異端は、絶対に私たちを裏切る。それを私は知っている。
しかし最近思うことがある。
私は正しいのだろうか。
いや、聖氷教が正しいのは当たり前だ。そんな事は確定している。そうではなく、私個人の話だ。
私はエルラーンが大嫌いだ。
しかし向こうはそうではないらしい。
戦闘中に私が危なければ助けてくれるし、私がいくら暴言を吐いても、彼は困ったような顔をするだけだ。もしも彼の瞳が琥珀色でなくて。彼の魔法が冷たい氷であったなら。
私は彼と友人になれていたのだろうか……?
……そんな事を考えていても仕方がない。振り払うように目を閉じた私にとっての至高は聖氷教。全てはトワイライトファーレンの御心のままに。
聖氷教に背くものは、全て「悪」だ。
気持ちを落ち着かせて相手の話に集中する。何故このケット・シーに呼ばれたのか分からない。本来、聖氷教に仕えるものとはいえ平民上がりである私ごときが会えるような方ではないはずなのに。
「それでは、さっそく本題に入らせてもらう」
彼はそこで一呼吸置く。次の瞬間、
信じられないほど冷酷な瞳が、私を鋭く貫いた。
「シルヴィア・クライオジュニク。私と共に、エルラーンを異端告発しないか?」
レイモンド・フィン・エルドラドは、そう言って微かに笑みを浮かべた。
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