強者と狂者のバラッド アンコール

 あまりの苦痛に何も考えれられない。


 地面に倒れ込んだまま荒い息を繰り返すことしかできない俺を悠々と見下ろし、ラインハルトはだらだらと喋り続けている。大方、ずっと煩わしかったクラドヴィーゼン家のケット・シーを自らの前に跪かせているという事実で頭が一杯なのだろう。こちらとしてはありがたい話ではある。


「……それにしても、よく喋れたね。今までこの魔法を受けた奴らは喋る所か、意識すら保てなかったよ。その根性だけは認めてあげなくもないけど……これで分かったろう? 君たちなんかよりもずっと! 我らバルトハルト家の方が優れているのだとっ!!」


 それにしてもこいつ……どうでもいいことを悠長に。


 本格的に視界が狭まってきた。ここで気絶すれば死は免れないだろう。それだけは駄目だ。俺にはまだやらなければならない事がある。なんとかして打開策を────?


 転瞬。視界の隅のオスカーの胸に、白い刃が生えるのがやけにゆっくりと見えた。まったく予想していなかったのか、サラマンダーが崩れ落ちる。


「……なん、で……ラインハ」


「気安く僕の名を呼ぶな、長耳風情が」


 ラインハルトは白銀の短剣を抉るように動かした。


「ごはっ……!」


「お前らと話すのは本当に苦痛だったよ。でもさすが長耳だ。知能の低さは折り紙付きだね。まさかこんなに簡単に騙されるなんてなぁ。まあいいや。とりあえず存在が不快だから死ね!」


 オスカーは呆然とした表情のまま喀血する。大量の血が地面にじわりと広がっていく。あれは助からないだろう。


 ラインハルトはサラマンダーの内通者ではなかったのか。つまり、自分たちを殺すための口実として、オスカーは利用されただけにすぎないのだ。


 では、ラウラは?


 ラウラを攫う必要がどこにあったのだろうか。オスカーに密かに協力して自作自演のストライキを起こし、俺たちを鉱山に誘い込んで殺す。あとはオスカーを始末して俺たちはサラマンダーに殺されたことにして、手柄も貰えばいいだけ、簡単だ。何故あのような面倒なことを……?


「さて」


 ラインハルトがこちらへ向き直った。


「あはは、後ろで戦ってたお仲間は何処かに逃げちゃったよ?惨めだねぇ」


 心底楽しそうに笑うが、そんなことはどうでもいい。エルラーンは逃げたのだろうか。いいや、そんな訳は無かった。彼は優しい。優しすぎるケット・シーだ。目の前で窮地に陥っている仲間を見捨てて逃げることは出来ないだろう。逃げてくれれば彼は助かるから、それはそれでもいい。しかしその場合はラウラを助けることは無理だ。どうにかして二人とも逃げてもらわなければ。


 自分が犠牲になることで二人のケット・シーが助かるならば死んでも構わない。


 が、そもそも逃げる必要はあるのだろうか?


 エルラーンと協力すればラインハルトを墓の下に叩き落とすことは出来るかもしれない。ならば今すべき事は。


 ラインハルトに気づかれないよう、そっと痺れる手を動かそうとした時耳朶を打ったのは。


「死にゆく憐れな君に教えてあげよう。『賢者』がどうなるか知りたくないかい?」


「ッ!」


 痛みで頭は霞むが、それは鮮烈に脳内を貫いた。素直な反応を返した俺に気を良くしたのか、ラインハルトは首から下がっている細い鎖を持ち上げた。鎖の先には一際大きな氷水晶が揺れている。しかし本来透き通っている筈の水晶の中には黒い影が見えた。あれはまさか────


「君たちが探していた『賢者』はここだよ。本当に馬鹿だよな君たち! こいつを利用しない手はないよ」


 俺が無言でいると、興奮状態のラインハルトは得意げに言った。


「こいつに無理やり氷力マナを貯めさせればどんな大魔法も使い放題だ! しかも大量の爆弾としても使える! バルトハルトは四家の一角……いや頂点に上り詰め! やがてリスティンキーラを支配する強さを手に出来る!」


 なんと壮大な夢物語なのか。武力だけで国は統治できない。そもそもラウラはそう易々と協力しないだろう。魔法を無理やり使わせる何らかの手段があったとしても、無茶な使わせ方をすればすぐに精神が壊れて使い物にならなくなる。


 少しだけ呆れた。この男にも、そんな馬鹿の前で這いつくばる自分にも。ラインハルトが二の句を継ぐ前に、痛みで強ばる右手の小指が、スノウファーレンに僅かに触れた。すかさず名前を胸中で呼ぶ。時間が遅くなるような感覚。目に浮かぶ何色とも言えない空間の中には、俺とキトゥリノだけが向かい合って立っている。


「キトゥリノ!」


『はい、マスター。非常にいい格好ですね。興奮します』


 この不味い状況の中でどうでもいいことを口走るキトゥリノの言葉を遮る。


「勝手にしろ。それよりこの魔法を……」


『マスター、私は万能ではありませんので、痛みを消すことは出来ません。似たようなことは出来ますが』


「じゃあ」


『マスターのご命令ならば何なりと。ただこの魔法にはデメリットがありまして。マスターの身体を麻痺させて痛みを一時的に感じなくするのですが、負担がかかります。なので誤魔化せる時間は十分。それから、反動でその後にマスターは……』


『今の二倍の苦痛を味わうことになります』


 今の、二倍の苦痛。この瞬間にも頭がおかしくなってしまいそうな痛みの倍。


 ああなんだ……それだけか。


 一番最初に出てきた感想はそれだった。というか、もはや笑えてくる。なんでも倍、倍って幼い子供のごっこ遊びのようだ。


 そんな自分はやはり、壊れているんだろうなぁと自覚する。それも当然だ。だって俺は化け物。感情のない冷たい氷。


 ああ……どうでもいい。


「そうか。でも少し待ってくれ。俺が合図したら魔法を使うことは可能か?」


『もちろんです、マスター。それでは……』


 頑張ってくださいね。


 嘲笑うように告げられた言葉と共に、不思議な空間が弾けるように消える。キトゥリノの名前を呼ぶ前の世界。


「権力! 金! 女! 俺は全てを手に入れるっ! そのためにはお前らが邪魔なんだよっ! 消えろぉぉ!!」


 ラインハルトが腰の長剣を抜き放つ。首に振り下ろされる銀の切っ先を、微塵の怯えもなく見つめた。魔法を発動するタイミングを測る。あと三秒。二、一……


 魔法発動の瞬間、


 蒼炎が洞窟を鮮やかに照らした。


 ◇◇◇


 大変なことになった。


 俺は洞窟の横道を必死に走る。熱源感知サーモグラフィーを信じるならば、ここを曲がればフェンを襲ったラインハルトを強襲出来るはず。早くしないと間に合わない。着実に進んでいるはずなのにもどかしい。


 サラマンダーを全員倒した────いや、殺した後、彼に加勢しようと魔法を唱えかけたが、二頭の獣と戦っている最中に集中を乱しては不味いと思い、手を出さずに見ていたのが間違いだったのかもしれない。いきなり加速して鮮やかに二頭を片付けたフェンに駆け寄ろうとした瞬間、ラインハルトが彼を襲ったのだ。


 俺まであの魔法を受ければいよいよどうしようもなくなるので、増援のサラマンダーたちが潜んでいた横道に急いで駆け込んだ。ラインハルトは気づいていないようだ……というか、俺を気にする余裕がないのか。こっそり壁の向こうの様子を伺っている内に、ある仮説が俺の中で浮かび上がった。


 ラインハルトは、一人以上に魔法を使うことが出来ないのではないか。


 オスカーを殺す時、彼は魔法を使うことはしなかった。もし二人以上に魔法を掛けられるのであればそうするだろう。だって普通の魔法に必要な代償は氷力マナだけ。生物である限り動きをほぼ確実に止められるであろうラインハルトは、出し惜しみする必要など無いはずだ。


 ならそこに勝機がある。同時に二人に魔法が掛けられないのならば、二人で攻撃すればいいのだ。


 荒い息を吐きそうになって必死に堪える。ようやく回り込むことに成功した。暴れまわる鼓動を落ち着かせながら剣をそっと持ち上げた。


 ラインハルトが話す内容を聞くに、ラウラはどうやら無事らしい────水晶の中に閉じ込められている状態を無事と言うかは疑問だが。今ラインハルトはフェンの至近距離だ。魔法を撃つなら今しかない。が、フェンに誤射してしまえば死は免れない。そして、ラウラが入った水晶に魔法を当ててしまえばいい結果は招かないだろう。それこそ中のラウラが死んでしまうかもしれない。俺は魔法制御が苦手だ。緊張で手の震えが止まらない。もし失敗したら……しかし。


 今やれないのなら、きっとこの先ずっとやれないだろう。


 確かにケット・シーを、いきものを殺すのは罪深いことなのかもしれない。だからといって、今自分勝手な欲望ででラウラを攫い、サラマンダーを騙し、フェンを苦しめるラインハルトをただ黙って見ている……それでいいのか?それは本当に「善」なのか?


 答えは否だ。


 薄紅の剣に蒼い光が灯る。氷力マナが爪の先から剣の柄、を伝って刃へ。無詠唱の魔法発動。洞窟から青が爆発的に広がり────一筋に集ってラインハルト目掛け飛翔する!


 と同時に俺は通路から飛び出した。フェンの元に全速力で向かう。


 全て自分を正当化するための偽善だとしても。俺の「仲間を守りたい」という気持ちは本物だから。少しだけ、本当に少しだけだけど。勇気を貰えた気がした。


 ラインハルトは腐っても有力分家の当主、突如飛来した炎の矢をぎりぎりで避けようとした……が、流石に間に合わず、細いものの莫大な力が秘められた矢は左腕を掠め、肘から下を跡形もなく吹き飛ばした。


「あ、あぎゃあああァァァ!!! ぼ、僕の腕がァァァァ!!」


 ラインハルトが必死に左腕の傷を止血しようとしている間に、フェンは多少ふらつきながらも立ち上がった。


「……エルラーン、十分で片付けるぞ」


「了解」


 俺は十分が彼のタイムリミットなのだと悟った。きっとまた代償を払ったのだろう。今回の件で、フェンはどれだけの代償を捧げたのか。ラインハルトに向かって走り出す寸前、彼は思い出したかのように告げた。


「ありがとう」


「っ、」


 一瞬息が詰まった。誰かにお礼を言われて……それが後ろめたくないのは、何年ぶりだろうか。何故か涙が滲みそうになるが、それを振り払って援護をすべく駆け出した。


 ラインハルトの血走った目がこちらを憎悪たっぷりに睨めつける。


「糞……お前たちごときがこの僕の左腕を傷つけやがってッ……! 許さない……! 楽に殺してやるものか……ッ!!」


 先程の優雅さは消え去り、牙を剥いたただの野獣がそこにいた。スノウファーレンを抜いたフェンが嘲るように言う。


「左腕が無い方が、全体の均衡が取れていいんじゃないか? これで道端の糞から石ころにグレードアップだな! おめでとう!」


「がァァァァァ!!!」


 怒り狂ったラインハルトはまずフェンに襲いかかる。我を忘れていても剣術は健在のようで、かなりの速さの斬撃が繰り出される。が、彼はすれすれの所で綺麗に回避すると、スノウファーレンで返しの一撃を見舞った。白雷をかわそうとする間にラインハルトに接近。


蒼き流星よファイアボルト!」


 先から先程よりも更に細い炎の矢が肩に突き刺さる。細いため致命傷には遠いが、動きが一瞬止まる。フェンが再び雷で足を心臓を狙う。ラインハルトはこれもかわしたが、余裕が無い。


 ここにきて俺とフェンの連携が噛み合ってきた。おかげでラインハルトは防戦一方だ。それに魔法を使ってこない……もしかして、一度使うと暫く使えないのか。それとも対象を切り替えられないのか。


 今度は俺に向かって振り向きざまに短剣を投擲、体勢を立て直す前に剣が首を狙う。その間にフェンが左手を掲げる。氷の奔流がラインハルトの足元に押し寄せる。跳躍したところを狙って俺はまた矢を放つが当たらない。


 フェンがすかさずスノウファーレンから白雷を放つ。空中を奔った雷はラインハルトを掠め、彼は感電でふらつく。ここしかない、という確信のもと剣を上向けて叫ぶ。


爆ぜろイフェスティオ!」


 水晶に当てないよう最小限に絞った爆発が下半身に命中。爆風でラインハルトが吹き飛び地面に落下する。フェンがちらりとこちらを見やった。


 警戒しながら近づくと、ラインハルトは既に息絶えていた。即死だったのか……あっけない死だった。そっと首飾りを外す、と同時に猛烈な倦怠感が襲ってきた。やっと、やっとやったんだ。それだけを胸中で呟く。


 気配を感じて振り返るとフェンが同じくラインハルトの死体を眺めていた。俺は少し躊躇う……がそっと拳を突き出した。彼は一瞬だけ戸惑いを瞳に載せたが、すぐに頷いた。


 こつん、とささやかな音をぶつけあった拳が立てた。












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