アルト
「信用されないのは分かってる。でも……協力してくれないかい? 僕はここで死ねない。死ぬわけにはいかないんだ────一緒に、ここから逃げよう」
「……分かった」
「────そうだよね、やっぱり信用なんて…………へ?」
自分で言ったにも関わらず、ウェルデンは本気で瞳を困惑したように瞬かせている。その様子が少しだけおかしくて、俺は久しぶりに楽しさから笑った。
「なんでそんなに驚いてるんだ? 自分で言ったんだろ?」
「そ、そうなんだけど……あっさり了解してくれるとは思ってなくて……」
「俺は今までデウス・エクス・マキナとその契約者に酷い目に合わされてきたが、同じくらい助けられた。俺の仲間たちも契約者だし……契約者が全員悪だというつもりは微塵もない」
「そうなんだ。────エルラーンって変わってるんだね……」
「か、変わって……?」
目を白黒させる俺を見て、ウェルデンは逆に笑い返した。その微笑みは今まで俺が向けられてきた嘲笑や、侮蔑といった負のものではなく、慣れない感情に戸惑いを隠せない。それを悟ったのか悟っていないのか、曖昧な表情を浮かべて彼は続ける。
「僕のデウス・エクス・マキナは攻撃には向いてないんだけど……きっとここを抜け出すのには役に経つと思うんだ」
「なるほど、どんな能力なんだ?」
「名前は鏡花水月。簡単に言うとね────僕には、過去と未来が見えるんだ」
「え……?」
過去が見える。そんな魔法は聞いたことも無い。普通、過去や未来といった「今」ではないものに干渉するには、莫大な
「突拍子もないかもしれないけど、本当の話なんだ。見える過去は百年前、未来は三秒後までだけど……僕の知りたい『真実』を追いかけるには十分さ」
「確かに、逃げるのには役立ちそうだ」
俺は頷いた。むしろ、彼と同じ牢獄に入れられたのは不幸中の幸いだったかもしれない。ここから脱出できる可能性が高まった────まあ、最初から異端告発など受けないのが一番だったのだが。
「ところで……彼女、どこか悪いのかい?さっきから目を覚まさないけど」
「……分からない。でも仮に薬で眠らされているのなら、多めに使われたのかもしれない」
「……?」
疑問符を浮かべたウェルデンに、俺は一つの可能性を呟く。
「アルフェの魔法は『氷歌』。珍しく自分の身体の外を変化させる魔法だから、もしかしたら枷があっても魔法が使えるかもしれないんだ」
その結果彼女の身体は傷つくかもしれない。とは言わなかった。代償に関する話は個人に深く関わるので、普通許可なしにする事は無い。ある時から、俺はアルフェの代償を知っていて、アルフェも俺の代償を知っていた。
「なるほどね、彼女があの『
ウェルデンはそう言ったが、俺は思わぬ所から不意打ちを食らってそれどころではなかった。
「アルト……?」
「へ?」
「今、アルトって……?」
「あれ、知らなかったの?彼女はちょっとした有名ケット・シーでさ。貴族じゃない家から珍しい魔法を持って生まれたからね。僕は生憎聞いた事はないけど、歌が魔法の引き金になってるのは珍しいから……
吹雪。蒼焔が踊り狂う雪原。じわりと広がる赤。
力なく倒れ伏すケット・シーが、黒く塗り潰された顔でこちらをじっと、見る。
熱い。熱い。身体の中を駆け巡る激情が火傷のように俺を焼く。目の前の銀髪青目のケット・シーが、口をゆっくり開くのが分かる────顔は見えないのに。
止めて。やめてくれ。それ以上何も言わないでくれ!
狂うほどに切望するのに、願いは届かない。
ねえ、エルラーン。
殺して。
「……エルラーン? エルラーン! 大丈夫かい?」
「……ッ!」
びく、と身体が引き攣れるような震えと共に幻想から解放される。
「ああ……大丈夫、ちょっと……その、ぼうっとしてただけで……悪いな」
「いいよ、僕は詮索しないから」
ウェルデンは頷いて微笑むと、本当にそれから何も言わなかった。どうやら俺が落ち着くのを待っているらしい。まったく、少しだけ覚悟が決まったかと思えばこのザマだ。それにしても、どうして運命とはこんなに残酷で悪趣味なのだろうか。よりにもよって、アルトとそっくりなアルフェの二つ名が。
罪からは逃れられないと、誰かが囁いた気がした。
「……っ」
不意にアルフェが身動ぎした。もしかしたら、さっきのウェルデンの大声で意識が覚醒に向かっているのかもしれない。そんな事を考えていると、ぱちりと彼女が目を覚ました。
「……あれ、ここは……? エルー……?」
◇◇◇
特殊部隊の隊室は重苦しい空気に包まれていた。それも無理はない。あいつとアルフェニーク副隊長がアヴィータに収監され、その原因を作ったのが私ともなれば当然のことだろう。
それにメンバーも良くなかった。部屋で向き合っているのは当事者の私、無言で怒りを発するラウラ、そして珍しく────これまでにあったのかも定かではないが、にこりともしない所か一言も喋らず俯くカトラス。前線に向かった隊長に知らせが届くのは最速で六日後、つまり処刑には間に合わない。
これは気まずさと言うのだろうか。それとも罪悪感?後悔?
いずれにしろ、「私」がこの状況で居心地の悪さを感じているのは本来おかしな話だ。聖氷教に照らし合わせれば、私は正しいことをしたのだから何も気に病む必要は無い。むしろ誇らしい気持ちすら覚えてもいいはずだ。あの……この状況からでも何とかしてみせそうな規格外である隊長は間に合わない、残ったのは後衛向きの二人だけ。処刑が成功することは間違いない。
────それともほんとは死んで欲しくない?傷ついて欲しくない?
あの忌々しいデウス・エクス・マキナの声が蘇る。そんなはずはない、と何度目かの虚しい否定を繰り返す。本当は分かっているのだ。自分がこの告発に納得していないことなど。
いや。納得するのだ。無理やりにでも。だって聖氷教は私の全て。異端者は死ぬしかない。それが正しいのだ。
だから私は、誰よりも先に声を発した。
「言いたい事があるなら早くして頂けませんか? 私には異端者の方々に関わっている時間なんて……」
瞬間。
私の頬を唐突な衝撃が襲った。
「ッ……!?」
なにが。一体何が起こったのか。あまりの衝撃に全く理解が追いついていない私の目の前には。
未だかつて見たことがないような形相でこちらを睨みつける、カトラス・ストラトが立っていた。
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