スノウ・スライド

 ひゅおお……


 白銀の世界に、吹雪の音が木霊する。


 寒くてたまらない。いや、寒いを通り越して痛い。ケット・シーの身体には寒さに対する耐性があるが、それでも雪原の冷たさには敵わない。


 どうやら魔法構築が上手くいっていないようだった。棘のように鋭く容赦ない冷気は、やすやすと防寒具を貫通して肌を刺す。


 僕────ノーツ・ラファは昔からそうだった。要領が悪くて才能もない。だから偵察部隊などに配属されてしまうのだ。


 リスティンキーラ軍の偵察部隊は、半ば捨て駒だった。というか、「なってしまった」と言うべきかもしれない。雪原は極限地帯だ。その圧倒的な自然の力には為す術もない。つまり、偵察に出したとしてもなかなか戻ってこないのである。では一体どうやって情報を得るのか。


 ケット・シーには時たま、「マーキング」という魔法を使えるものが生まれる。雪の上にいるケット・シーを追跡できる魔法だ。もちろん、偵察兵には最善を尽くしてもらうが……もし戻ってこれなければ、そのケット・シーがどこまで行けたかで敵の位置や、フューリーの位置を推測するのだ。


 完璧な捨て駒である。


 偵察部隊には、正規の軍属ケット・シーではなく、貧しい村などから徴兵されてきた村のケット・シーが配属されることが多い。もちろん、短期間で適当に仕込まれた魔法などでは、生き残ることは難しい。送り出された小隊五十人は、過半数以上が死ぬだろう……


 ……と言う話をうっかり聞いてしまった。本来なら、僕ごときがそんな事を知っているはずもない。でも聞かなければよかった。そんな事は知らずに、名誉ある任務だと聞かされて偵察に赴く方が、幾分か気が楽だっただろう。終着点が同じならば、過程を気にするのは当然だ。


 もしも才能があったなら。


 誰しも一度はそう思うことだろう。僕もこの短時間に何十回思っただろうか。もし、氷魔法最強の使い手と名高いクラドヴィーゼン家の次期当主、彼のように才能があったなら。きっとさぞかし幸せな生活を送っているのだろう。僕の考えられないような贅沢をし、その強さで周囲から持て囃されて。


 それにしても寒い。寒い。もう歩きたくない。逃げたい。でも逃げる場所なんてない。雪原は単独行動出来るような場所ではないし、任務を放棄すれば殺される。村に居たってひもじい生活をするばかり。


 グオォォ


「何か聞こえなかったかノーツ?」


 確かに、何か唸り声の様なものが聞こえた気がする。もしかすると、フューリーかもしれない。ただでさえ分隊になって分かれているのに、小隊でも勝てないだろうフューリーに遭遇すれば命はない。


「でも岩しかねえぞ! 空耳なんじゃねえのか?」


「そう……」


 先頭の副隊長がそうかもな、と言いかけた瞬間。


 岩が


「おい、岩が動いたぞ!」


「岩じゃねえ! サラマンダーだ!!」


 誰かが目ざとく、岩の上に跨る長耳を見て叫んだ。これは岩ではない。これは……


「ドラゴン……?」


 呆然とした呟き。御伽噺にしか登場しない化け物。岩にようにゴツゴツした灰色の皮膚を持つ竜は、ゆっくりと首を擡げて咆哮した。


「ゴアアアアアアアァァァァァ!!!」


「うわあああああ! 助けてぇ!!」


「死にたくない、死にた」


 見上げるほどに巨大なドラゴンは素早く足を持ち上げると、まず先頭のケット・シーを蹴り殺した。飛び散る血とさっきまでケット・シーだったモノを前に、身体が硬直してしまう。あまりの恐怖に動けない。


 逃げなきゃ……!逃げなきゃ死ぬ!


 もう任務なんて関係なかった。そんなことはどうでもよかった。死にたくない。こんな所で死にたくない。誰か助けて!自分だけでもいいから助けて!


「嫌だぁぁぁ! やめてくれ!」


「誰か!誰かぁぁぁぁ!!」


 逃げ惑うケット・シーたちが蟻のように踏み潰され、叩き殺され、尾に薙ぎ払われて死んでいく。小隊は完全にパニック状態だった。


 ようやく、よろめきながらも数歩踏み出せた僕が見たものは。


 視界いっぱいに広がる紅蓮だった。


◇◇◇


 右の道からも左の道からも足音は聞こえてくる。しかし、ただの鉱夫を攻撃してしまっては大変なことになる。


「エルラーン、熱源感知サーモグラフィーで何か分からないか?」


「やってみる」


 頷いてから意識を集中させる。熱源感知サーモグラフィーは本当に便利かつ代償が少ない魔法なので、無詠唱でも発動できるよう練習してある。


 目を開く。右も左も真っ赤だ。これは明らかにケット・シーの体温ではない。つまり……


「フェン、サラマンダーだ。間違いない」


「やはりそうか。いつからリスティンキーラはサラマンダーの国になったんだ……右を頼む。俺は左をやる」


「……了解」


 うんざりしたように零しつつも、フェンは左方向の道に向かって右手を掲げる。


 ああまた殺すのか、と複雑な気持ちになりつつも剣を抜く。もちろんスカーレットは無視する。自分のエゴを優先させる訳にはいかない。敵は────


 殺す。


「氷に羽撃きはばたき フィールドの刃」


「音無く吼えろ、蒼き龍よ」


 もっとも効果的なタイミングを図るための詠唱、爆発は不味いので炎の火力を重視。


氷晶の鳥よヘイルストーム


炎の舌サファイア!」


 正反対の魔法が、正反対の位置で渦巻いた。


 侵食するように広がった青い炎が、トンネルを飛び出してきたサラマンダーに次々と殺到していく。悲鳴と轟音、を飛び越えて更に奥からサラマンダーたちがやってくる。逃げたり、怯んだりする様子はない。


「……ッ!」


 振り下ろされたサーベルを躱して、蒼炎を纏った剣を叩き込む。右は少し数が少なかったのか、すぐに静かになった。振り返ると丁度、フェンがスノウファーレンでサラマンダーの足を撃つ所だった。


「……殺さないのか」


 フェンは倒れたサラマンダーに銃口を向けると、無感情に答えた。


「色々と聞きたいことがある」


 引き金を引く。空中を白い閃光が駆け、サラマンダーの右手首から上を粉々に吹き飛ばした。


「あぎっ……!」


 サラマンダーの悲鳴に思わず顔を顰めた俺とは対照的に、フェンは至って普通の声音でサラマンダーに尋問を始めた。


「さて、なるべく速やかにこちらの質問に答えてくれると嬉しいのだが?」




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