デウス・エクス・マキナを殺せ

ほりえる

第1章 エルドラド

プロローグ

 むかしむかし、「どこか」に氷がありました。


 氷だけがありました。


 氷がすべてのいきものの始まりでした。


 その氷は永遠よりながいながい時間が経っても溶けませんでした。


 しかしある時、氷から水滴がひとつぶおちました。


 そこから氷の神様、トワイライトファーレンが生まれました。氷の神様はまず「どこか」に形を与えることにしました。


 氷から地をつくりました。


 空をつくりました。


 川も海もつくりました。


 そこで氷の神様は一旦満足しましたが、神様はひとりぼっちです。


 さびしくなった神様は、氷からいきものをつくることにしました。


 しかしつくっている最中に神様は、鋭い氷でうっかり手を切ってしまいました。


 その時流れた血から、恐ろしい怪物ができてしまいました。


 しかし神様は怪物をかわいそうに思い、そのままにしておきました。


 それから、神様はようやく満足して、空から地上を眺めていました。


 するとある時、神様は恐ろしいことに気が付きました。


 氷を溶かそうとするいきものがいたのです。それは「炎」という、神様が流した血の飛沫から出来たものを使おうとしていました。


 神様は怒りました。すべての祖たる氷をとかそうなんて!


 神様はいきものに言いました。忌まわしき炎を使ってはなりません。


 あれは神の理から外れたものなのです。氷と共に暮らしなさいと。


 神様はその教えをずっといきものが覚えていられるように、雪原の中心に巨大な氷の結晶をつくりました。


 そしていきものが堕落しないよう、試練を与えることにしました。


 神様は炎から、炎を崇めるおそろしく野蛮ないきものをつくったのです。


 こうして、神様はようやく仕事を終えました。


 神様はいつも、いきものたちが正しい道を選ぶことを願っています。





 ​────だから、炎と暮らす野蛮ないきものは滅ぼさなければなりません。


 それが神様のこどもである、私たちの使命なのですから。


 忌まわしき炎に触れてはなりません。ゆめゆめ、忘れてはいけませんよ。


 炎は、消さなければならないのです。


『聖氷書 第一章より』



 ◇◇◇


 白銀。


 自らを魔法で守ってもなお身体を刺し貫くような寒さが雪原を吹き抜ける。


 は、と吐いた呼吸(いき)ですらきらきらと氷の粒になって空中に広がる。


 降り積もる雪はふわふわと柔らかく、わざわざその為に専用の魔法を使わなければ足が容易に沈んで行ってしまうだろう。


 俺だってここに好きでいる訳ではない。端的に言ってしまえば、


『仕事』をしに来ているのだ。


 突如15メラほど前の雪がボコっと盛り上がり、辺りが舞った雪で白く染まった。雪煙の中からこちらを見据えるのはぎらつく深紅の瞳。


 瞬間。


 白い世界を咆哮が穿いた。


 びりり、と空気が震え、そこに内包された怒りを伝えてくる。


 その咆哮は体温を持つもの、あたたかい身体を持つものへの憤怒だ。


 普通のいきものであればたちまち震え上がり、腰が抜けて一歩も動けなくなるだろう。それほどの威圧感を咆哮は備えていた。


 まあ、普通のいきものがこんな所にいるはずもないのだが。


 今更咆哮ごときでは怯まない。ふ、と右手を上げて魔法を(ことば)を宙に乗せる。


 と、同時に深紅の瞳の獣の四肢がたわめられ、俺に向かって一直線に空中を駆けた。


 雪煙から飛び出した獣は鋭く長い牙と爪を持っていたが、それ以上に特徴的なのはその体だった。まるで氷の鎧を着込んだかのような毛は一本一本が氷柱(つらら)のように尖っており、硬質な印象を与える。


 獣が長い爪で俺の喉を掻き切ろうというまさにその時、魔法が完成。解き放たれた蒼炎が獣の体を埋め尽くす。


~〜■■□▪ー!!!!!!


 断末魔は聞き取れなかった。


 炎を纏ったまま獣は雪原に勢いよく落下し、そのまま動かなくなる。


 念には念を入れて、剣を腰から抜いて獣をつついてみる。どうやらしっかり死んでいるようだ。ぱちりと指を鳴らすと、激しく燃え盛っていた青い炎は嘘のように瞬く間に消え去る。


 それを見届けた俺は踵を返して歩き出した。


 吹き荒ぶ雪で視界は非常に悪く、真っ白な世界は方向感覚を狂わせてくる。しかしここで迷うのは文字通り命取り。帰り道が分からないはずがない。僅かに青い燐光を纏う身体に触れた雪は即座に溶け落ちる。



 息絶えた獣は瞬く間に雪の毛布を被せられて見えなくなった。


◇◇◇


 イスヴェリストは小さいながらも不思議な大陸だ。


 大陸の西側にはとても寒く、雪が絶えない国。


 東側には火山の地熱の影響でとても暑い国があり、そして両国の間には、忌々しいほどに広大な雪原が広がっている。


 火山があるのだから、本来雪原など存在しうる訳がない。


 よしんばあったとしても、火山が一度噴火すれば気候が変わるだろう。しかし何度火山が噴火しても、雪原は雪原として存在し、気温が上がるそぶりすら見せなかった。


 しかしそれを疑問に思うものは誰一人として……少なくとも公式には、いない。それは何故か。


「神」がそうあれと大地を創られたからである。


「神」がそうあれ、と仰ったのであれば、それに疑問を差し挟むことなど罰当たりな事だ。


 二つの国はとても信仰を大事にする国だった。


◇◇◇


 雪国────リスティンキーラ。


 雪原よりはましなものの、今日も雪が街に降り注いでいる。


 俺はいつも、フード付きの外套を深く被って街を歩く。同じような格好の者がたくさん街を行き交っているのは、ひどく気温が低いから。防寒は欠かせないのだ。


 まあ、俺にはもう一つの理由もあったりするのだが。


 街は一見、平和に見える。行き交う人々は穏やかに談笑し、街一番の大通りに居並ぶ店からは客を呼び込もうとする威勢のいい声が響いていた。


 しかし目指す建物のほど近くに、「それ」はあった。


 地面に埋められた長い木の杭。そこには両手首を杭に括り付けられている一人の耳が尖った少女がいた。その身体は切り傷と打撲痕、そして凍傷に覆われている。生きているのか死んでいるのかはよく分からない。


 そこを一人の少年が通りかかる。見たところ、まだ成人にもなっていないような幼い彼は少女に気づくと、道の脇にたくさん転がっている石を掴んで投げ付けた。少女が辛そうに呻く。どうやら生きていたようだ。少年はそれを気にすることなく通り過ぎながら吐き捨てた。


「穢らわしい耳尖りめ、さっさと死んでしまえ!」


 大陸には二種類の種族が国を作っている。


 雪国、リスティンキーラに住む獣耳のケット・シー。


 火山の国、ヴォルガノスに住む耳が尖ったサラマンダー。


 二国はずっと昔から争っていた。それも当然だ。


 ケット・シーが崇めるのは氷の神。炎は神に仇なす穢らわしいもの。


 サラマンダーが崇めるのは炎の神。氷は滅びを表す邪悪なもの。


 自分たちが崇める神の意に従おうと、二国は互いを滅ぼそうとする。


 しかし、決着はなかなか付かなかった。


 まずは二国の真ん中に横たわる広大な雪原の存在。


 雪原は常に猛吹雪が吹き荒れ、そこで生き残れるように進化した恐ろしい獣────フューリーが多数生息する危険地帯だ。


 もう一つの原因は武装の差がないことだった。


 リスティンキーラでは炎を使って何かをすることは当然ない。炎がなければ鉱石を鍛えられず、精々木や石などを削るしかない。それでは鍛冶が盛んなヴォルガノスにはもちろん蹴散らされるに違いない。


 そうなっていないのは、リスティンキーラには「魔法」があるからであった。ケット・シーは魔法で鍛えた武器を作り、氷雪で敵を薙ぎ払った。


 これにより、両国の戦力は拮抗。戦争は終わらずにずっと続いていたのだった。


 ようやく目的地に着いた。


 風にはためく軍旗が誇らしげに掲げられ、扉の両脇は長槍を持った軍服姿のケット・シーが固めている。旗の意匠は氷の結晶に渦巻く吹雪と交差する槍。


 リスティンキーラ軍司令部だ。


 俺が帰還することは通達済みなため、特にトラブルもなく入口を通過。目的地である三階を目指して階段を登って三階の廊下を歩き出した瞬間、


「えっるらーん!!!」


「うわあっ!!???」


 突如腰に甚大な衝撃。そんなことを予期しているわけがないので、俺はバランスを崩してすっ転びそうになる。廊下はかなりのつるつる具合を誇っており、幾ら転倒防止用の魔法がかかっていても、気を抜けば転びかねない。


 バランスを取り戻し、なんとか床との戦いに勝利した俺は、飛びついてきた人物の方に向き直った。


 ────というか、こんなことをしてくるケット・シーは一人しかいない。


「お帰りなさい! デウス・エクス・マキナはいた?」


 案の定、そこには銀髪に白い耳、蒼い目の女ケット・シー。


 悪戯っぽい笑みを浮かべて問うのは俺が所属する隊の副隊長、アルフェニーク・フィー・アラバスタだ。


「俺を見つける度に悪戯を仕掛けるのはやめてくれないか……アルフェニーク」


 彼女は廊下を歩きながら少し不満そうな表情を浮かべた。


「アルフェで良いって言ってるでしょ。それに転ばなかったんだから、ざ……いいじゃない」


 まったく良くない上に、今聞き捨てならないことを言おうとした気がする。


「……アルフェ、今お前転ばなくて残念って言おうとしなかったか?」


「え? いやいやそんな訳ないじゃん。人通りばっちりの廊下で思いっきり転んだら面白いのにとかそんなこと一切考えてないからね? ほ、ほら、報告に行くんでしょ? はやくはやく!」


 理不尽極まりない急かし方をされた。あと、こいつ絶対本気だったな。転ばなくてよかった。


 走らないぎりぎりの速度の早歩きで廊下を進む。これは軍族ケット・シーの得意技だ。できるとできないでは大きな差が……あるわけではない。


 突き当たりの重厚な扉が目的地だった。


 リスティンキーラ軍特別隊司令室。


 扉には聖氷書から引用された言葉が刻まれた、銀のプレートが掛かっている。



『魔を以て魔を制せ。全ては氷神の御心のままに』












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