狂愛のデウス・エクス・マキナ

「帰ったか」


 扉を開けた音に人影が振り返った。黒い尾をぱたり、と降ってアルフェが振った手に答えると、続けて問う。


「何か情報はあったか?」


 俺は首を横に振った。


 今回、デウス・エクス・マキナが出たという噂を聞きつけた情報部が調査命令を出してきたのだが、向かった第一候補のポイントはもぬけの殻────といっても雪と氷しかないが、とにかくフューリーくらいしか居なかった。とんだ無駄足だ。


「第二候補にも何も居なかったよ」


 アルフェも残念そうに言った。


 いくら氷神を信仰するケット・シーと言えども、好き好んで雪原に足を運びたくはない。少なくとも俺はそうだ。熱心な信者はどうか知らないが。むしろ積極的に雪原に足を運びたがるのかもしれない。


「で、そっちはどうだったの? フェン」


 この特別部隊の隊長、フェリドゥーン・フォン・クラドヴィーゼン。縮めてフェン。かなり強力な魔法の使い手だ。


 それもそのはず、クラドヴィーゼンは長く続く血筋の家で、最初に氷から作り出されたいきものの子孫である、と「主張」している。


 まあ、長く続いていることは確かなようだが。ちなみに同様の主張をしている家はあと四つある。エルラーンが生まれた家、エルドラドもその一つだ。


 フェンがその質問に答える前に、横合いから敵意に満ちた視線が俺に突き刺さった。


 またか、と思う暇もなく吐き捨てるように、


「何の成果もなくノコノコと帰還。いいご身分ですね、『火群ほむら』」


 苛立ちと憎しみを表すように灰色の尾をぴしゃりと地面に叩きつけながらこちらを見ているのはシルヴィア。熱狂的な聖氷教の信者だ。


 リスティンキーラに住むものは大体が聖氷教の信者だが、何事にも段階というものがある。俺などはかなり信仰が薄い部類で、フェンやアルフェ、先程から椅子に座ったまま無言で書類を処理しているラウラは普通。そして目の前のシルヴィアは何事にも聖氷教を持ち出すレベルで熱心な信者である。


 まあ俺にこうも敵意を向ける理由も分かる。アルフェも成果なしで帰ってきただろという意見は置いておいて。


 ヴォルガノスの民の目の色が赤系統に対し、リスティンキーラの民の多くが銀、青、灰、黒などの目の色をしている。対して俺の瞳の色は琥珀色、これだけでもかなりのグレーゾーンだ。もしこれで瞳が赤色などであれば、生まれた瞬間に神に反するものとして処刑されかねない。


 しかし、なによりシルヴィアが許せないのは多分俺の魔法だ。


 使える魔法は一人一人異なっており、一般のケット・シーでも「氷力(マナ)」と呼ばれるエネルギーは持っている。


 それをさらに強く形作ったのが「魔法」である。自分の氷力(マナ)がどのような形をつくるか、それは使ってみなければ分からない。訓練すれば軍の基本魔法くらいは使えるようになるが、より強力な力を得るためには才能と、きっかけが必要なのだ。


 エルラーンの魔法は「蒼炎」、つまりケット・シーたちが忌み嫌う炎だ。


 聖氷教の信者からすれば俺は神に逆らう罪人である。


「ちょっと、何なのよその言い方」


 アルフェが食ってかかった。自分を庇ってくれたことが嬉しいか嬉しくないかと聞かれれば嬉しいが、話が余計に拗れることは間違いない。どちらもひどく負けず嫌いなのだ。


「アルフェ……」


「庇うんですか? アルフェニーク副隊長。氷を溶かすものは等しく罪人ですよ」


「エルラーンは何もしてないでしょ! 助けられたことだってあるくせに!」


 駄目だ。これはもう止まらない。下手に口を出すとさらに面倒なことになりかねないので、俺は仕方なく止めるのを諦めた。というか一応自分のことなのだが……


「当然でしょう。神に逆らう者は許されません。せめて私達信徒に尽くすくらいはして貰わなければ、到底罪を償うことはできませんよ」


「あなたねぇ……! それは傲慢に過ぎるんじゃないかしらっ?」


「傲慢? 失礼ですね。だいだい何故そいつを執拗に庇うのですか? 男女の関係でもあるのですか?」


「なっ……!」


 アルフェが怒りか羞恥か分からないが、真っ赤になった。何事かをシルヴィアに喚き返そうとした時、冷水のような声がそれを遮った。


「シルヴィア。いくらなんでも失礼すぎる。それから、男と女がいたらすぐにくっつけたがるのは馬鹿のすること。辞めた方がいい」


 今度はシルヴィアがさっとラウラの方に向き直り、


「ラウラ……」


「いい加減にしろ」


 フェンがぴしゃりと言った。しかし頭に血が上ったシルヴィアは、そのままフェンに抗議の声を上げようとする。


 その瞬間、部屋の空気が張り詰めた。背筋にぞわりとした物が奔る。卓越した魔法の制御力を持つフェンが、氷力(マナ)を空吹かししたのだ。すっ、と彼の灰銀の眼が僅かに細まった。


「悠長に内輪揉めをしている暇はない………分かるな?」


 これには流石のシルヴィアも正気に戻ったのか、バツが悪そうに目を伏せた。


「申し訳ありません……失礼しました」


 そのままくるりと背を向けて部屋を出ていく。扉がバタンと閉まった瞬間、部屋の空気が元に戻った。視界の隅で、アルフェがほっと息をついたのが分かった。反対に、フェンはため息をついた。


「悪いな、エルラーン。シルヴィアには後で言い聞かせておく」


「気にしてない。仕方ないさ」


 そう。


「他人からの」罵倒など安いものだ。


 そんなものは慣れきった。


 あの時に、


 あの言葉に、


 比べれば。


「話を進めると、今回のデウス・エクス・マキナはどうやら実在したらしい」


 デウス・エクス・マキナは、ケット・シーと契約し、その感情を喰らって力を増す生命体だ。高い代償の代わりに、彼らは契約者がもっとも強く願う望み、欲望を一つだけ叶える。


 聖氷教会はデウス・エクス・マキナを神に背く生物として、契約したものは一部の例外を除き、断罪せよと声明を出している。


 しかし、望みを叶えるという甘い言葉に抗えず、契約する者は後を絶たない……


 まあだいたい死ぬが。代償を払えなかった者はデウス・エクス・マキナに魂を食われるのだ。それでなくても狂死するもの、自殺するものは多い。


 その中で生き残った一割、それを狩るのが軍の特殊部隊、「一部の例外」。つまり俺達だ。


 デウス・エクス・マキナも一枚岩ではないようで、無差別に契約する黒(ニーズ)派と軍のケット・シーも白(セフィロト)派に分かれており、白(セフィロト)派は黒(ニーズ)派を狩るケット・シーに力を貸しているのだ。何故かは分かっていないが。


 デウス・エクス・マキナは戦場、雪原での生活にストレスが限界になった軍人たちが勘違いすることもあるので、調査が必要なのである。


「一週間前、野営地の近くのフューリーを掃討する際、地中から大型の襲撃を受けて大隊が壊滅したそうだ」


「壊滅?」


 アルフェが眉を顰めた。確かにおかしい。大型のフューリーは強敵だが、大隊を壊滅させることは滅多にない。


「その後、後続の部隊が大型を討伐。生き残りを保護して経緯を聞いたところ、『隊長は悪くない』『俺達があの人の期待に答えられなかったからいけないんだ』等と何を質問しても同じことしか答えない。その隊長の遺体も見つからない。そこで調査に入った結果、デウス・エクス・マキナの氷力(マナ)反応が検出された」


 それは完全にデウス・エクス・マキナと契約者の仕業だが、アルフェが首を傾げた。


「同じことしか言わない……?」


「魅了っぽい感じなのか?」


 俺が聞くと彼は頷いた。


「どうやら調査部も同じ結論を出したらしい。このデウス・エクス・マキナは識別番号015、『狂愛』と名付けられた」


「狂愛……物騒な名前ね」


 アルフェが嫌そうに言ったが、まったくもってその通りだ。物騒ではないデウス・エクス・マキナなど天地をひっくり返しても存在しないだろうが。


「と、いうことで、2人にはまずイヴェルアに向かって欲しい」


 その言葉を聞いた瞬間、息が詰まった。後に続くフェンの言葉が認識できない。


 城塞都市イヴェルア。


 エルドラド家の領地である。














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