汝、隣人を愛せ

 どん、と肩に重い衝撃が走った。


 同時に、引き裂かれるような痛みが肩を中心に広がる。


「……ッ!?」


 一瞬思考が止まる。どこからだ?体温検知サーモグラフィーには一つしか反応はなかった。『狂愛』は確かに後ろを向いていたはずだ────少なくとも攻撃の直前までは。いくらデウス・エクス・マキナでも、後ろを向いたまま、しかも俺の背後から攻撃するのは不可能なはず。


 つまり……


 びいん、という弦楽器・・・の弦を弾いた(はじいた)時のような音が鳴った。


 肩の痛みを無視してなんとか身を屈めた俺の頭の上を、白く鋭く光る何かが過ぎ去った。


 そのままバックステップで後ろに下がる。といってもここは建物の中だ。集会場か何かなのか比較的広いものの、後ろに下がり過ぎれば壁に追い詰められるだろう。


 今、俺は三人のケット・シーに囲まれている。


 正面には薄い水色の髪の女────『狂愛』。


 左右の少し離れた場所には一人ずつ男が立っており、服装を見る限り村人だろう。恐らく、雪原の手前で大人しい雪食のフューリーを狩る狩人。一人は魔法で作り出したと思しきクロスボウ、もう一人は手のひらをこちらに向けている。


 遠距離攻撃系の魔法を持っているケット・シーの家系は、村や町で狩人を代々務めることが多い。きちんと訓練をしている訳では無いので、使える魔法はせいぜい一種類だが、それでも十分獲物は狩れる。


 逆に言うと、村の中で魔法が使えるケット・シーは狩人たちくらいである。肉がなければ生きていけないので、彼らの村の中での地位は高い。しかし狩人たちは、どこか様子がおかしい。目は虚ろで濁っており、こちらに攻撃する構えを見せながら微動だにしない。


 なんにせよ、追い詰められているのはこちらの方だ。肩の傷は恐らくクロスボウのもので、鋭い氷での太矢ボルトが刺さっている。不幸中の幸いと言うべきか、太矢ボルトは刺さったままなので出血は少ないが、このまま放っておけば死ぬだろう。やはり一人で突っ込んだのは軽率だったか。


 その時、『狂愛』が口を開いた。


「とんだお客様だな。寂れた寒村の家の屋根をぶち抜くとは乱暴極まりない。そうだろう?」


 少し張った、可愛らしい、と言うよりは凛々しいと表現した方が似合うであろう声だ。着ているのはリスティンキーラの軍服。勲章の類いは外されているため推測だが、この女が見つからなかったという大隊の隊長だろう。確か名前は────


 左右の男たちが即座に彼女の言葉に反応する。


「はい」


「仰る通りです」


 違和感。抑揚が著しく欠けており、表情が先程から全く動かない。このケット・シーたちは脅されているという訳ではなく、デウス・エクス・マキナの魔法で支配されている可能性が高い。


「私は無駄に仲間たちを殺したいわけではない。その傷では私たちには勝てないだろう? 降伏して、私に永遠の愛・・・・を誓えば決して君を傷つけないと約束しよう」


「……はぁ?」


 傷の痛みも忘れて俺は惚けた声を発してしまった。契約者の頭のネジが外れているのはいつもの事ではある。しかしなんだ、愛って。


「何を言っているか分からないという顔をしているな。しかしこれが私の願い」


『狂愛』は囁くと、左右に立つ男たちに視線を向けた。


「なあ。ガヴィー、ケイネス。私の事、愛してるか? 」


「はい、もちろんです」


「愛しています」


 またしても二人は即座に答えた。見ようによってはかなり滑稽な絵面だが、なんとなく理解出来た。つまり、彼女がデウス・エクス・マキナに願ったことは。


「この力は素晴らしいよ。みんな私のことを愛してくれる……私のためなら何でもしてくれるんだ。それがたとえ、同族殺しだとしても、な」


 そう言って『狂愛』は恍惚の笑みを浮かべた。


 ぞわ、と背中に嫌悪感が走る。おかしい。この女は狂っている。嬉々としてケット・シーを惨殺するような狂人とはまた違った狂気。思わず剣を握り直す。肩の傷がいよいよ痛むが気にしない。そんな事よりも寒気を振り払いたかった。


「そうだ、まだ名乗っていなかったな……これは失礼した。私はリーヴェ・フェッセルン。ここで無駄に死ぬことはないだろう。大人しく私に支配されるか?」


「死んでもお断りだ……!」


「……そうか、残念だな。契約者はさすがに支配できないから……君には死んでもらうしかない」


『狂愛』────リーヴェは、心底残念そうにやれやれと首を振る。と同時に、左側に立っているケイネスの手のひらから拳大の氷塊が打ち出された。それを最小限の動きで避け、ようとして予定変更、大きく横に跳ぶ。


 壁に激突した氷塊が弾け、無数の破片となって空間を凪いだ。なかなか凶悪な魔法だが、普通のケット・シーがこんなに綿密に魔法を使えるのか?


「──ッ」


 他の細かい傷はこの際どうでもいいが、肩の傷が痛い。動く度に太矢ボルトが肉を抉っている気がする。動くのにも邪魔だ。


 続くガヴィーの射撃も紙一重でかわす、と同時に太矢ボルトに手をかける。


「スカーレット」


『抜くの? 君貧弱だから出血多量で死ぬと思うけど』


「焼け」


『お、いいねそれ。痛みは代償、苦痛は私の悦びだよぉ? 氷力マナ量も増えて一石二鳥だね!』


 何故かテンションが高くなった彼女が喚くのを無視して太矢ボルトを一気に引き抜く。すかさずスカーレットが傷口を焼く。


「っ、ぅぐ……!」


 自分の肉が焼ける胸糞の悪い匂いを感じる暇もなく、視界が真っ白にスパークする。引き攣るような痛みが襲い、体が一瞬硬直する。その隙を狙ってガヴィーの射撃、身体に鞭を打って斜めに跳躍する。あまり後ろに下がりすぎるとジリ貧だ。氷の矢は足を掠めたが、かすり傷だ。せっかく肩の矢が抜けた直後に、足に矢が刺さるという間抜けな事態にはならずに済んだ。それにしても、


 痛い……!


 ぶわ、と身体中が汗でびっしょりになるのを感じる。焼いたのは肩の一部分だけだというのに、ぴりぴりとした痛みは全身に広がっていくようだ。抜く前より酷くなっている気もする、とぼんやり考える。が、悠長に苦痛を感じている暇などない。


爆ぜろっイフェスティオ!」


 解放する氷力マナを抑え気味に、足元に向けて小爆発を起こす。こういう細かい作業は苦手だが今回は成功、粗末な石の床が砕け、土煙と破片がもうもうと立ち上る。二人の攻撃は狙いはいいが、単調だ。やはり対ケット・シーにおいては素人ということか。この隙に気絶させれば、多少は楽になるはず。


 土煙の中、ケット・シー特有のよく聞こえる耳で気配を探す。魅了されているとはいえ二人は戦闘などしたことがないただのケット・シーだ。予想だにしない出来事に狼狽えているのがわかった。すれ違いざまにケイネスの額を剣の柄で殴って気絶させる。


 それにしても……何故リーヴェは何もしていないのか?二人を動かすので精一杯なのだろうか。不気味だが、遠距離攻撃の二人を放っておく訳にもいかない。建物は狭く、特にケイネスの拡散弾は脅威だ。というか、粉塵が晴れてしまう。ガヴィーはどこだ、と素早く辺りを見回した瞬間。


 ひゅんっ、と風を切る音がした。

 

 油断した。このままでは避けられない。かくなる上は。


 雪原の時に一度スカーレットが使っていた、炎の壁を思い描く。即座に青い炎が展開、すんでのところで氷矢を無害な水滴に変える。


 魔法の無発声発動。氷力マナに色を付けるにはイメージ力が必要だが、即座に出来ないことはない。しかしやはり、コントロールするには口に出すのが一番だ。分かりやすいし、扱いやすい。なにより、無発声発動は諸刃の剣だ。


 高い所から落ちるようなぞっとする感覚とともに何かが抜けていく。スカーレットが代償として血液を持っていったのだ。


 血液には氷力マナが多く含まれる……が、当然多く失えば死ぬ。先程の傷の出血も合わせるとそろそろ危険域だ。


『そんなに大きな魔法でもなかったからこれくらいにまけとくよ? あと私としては……さっさと契約者を無力化した方がいいと思うなー』


「言われなくても……!」


 突如目の前に吹き上がった青い炎に愕然とするガヴィーの首に剣の平を叩きつけて気絶させると、かなり酷い有様になった家の中央に立ったままのリーヴェの元へ向かう。それにしてもここに至るまで本当に何もしていないのが不気味で仕方がない……


『狂愛』は瞳をふ、と細めて。


 向かってくる俺になにかをするでもなく。


 ただ、ひとこと、


「おいで」


 横合いから猛烈な衝撃が俺を襲った。


「がっ……!」


 どうなっている。まだ戦闘ができるケット・シーがいたのか。たかが小さな村に?後ろから農作業用のスコップが突き出され、辛くもそれを避けて立ち上がった矢先に目に入ったのは。


 ぼろぼろになった建物の壁の隙間からわらわらとやってくる虚ろな目のケット・シーたち。


 しかし手に持っているのは武器などではなく、農作業に使うような道具ばかり。男も、女も、子供ですらも感情の無い瞳でリーヴェを見つめている。


 村のケット・シーたち……つまり、非戦闘員である。


「さて……君はなかなか強いな。このままだと殺されてしまいそうだ……なんせこの子達は普通のケット・シーだからなぁ……三十人も居ると言っても、君がその魔法で薙ぎ払えば一発だろう……ああ怖い怖い」


 言葉とは裏腹に、リーヴェはにっこりとこちらに笑いかけた。確かに、ただの村人など範囲魔法を使えば一発で焼き殺せる……


 殺せる。


 殺すのか?デウス・エクス・マキナに支配されているだけの、罪のないただの村のケット・シーを?


『あーあー、だから言ったのになぁ』


 動けないでいる俺に、スカーレットが心底愉しそうに囁いた。








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