アブソリュート・ゼロ

 奴隷サラマンダーの住居は檻の中である。


 質より量を求められる鉱山奴隷は、ろくな食事も与えられずに首輪と枷をはめられ、ただでさえ狭苦しい檻の中に大人数で放り込まれる。


 それはもはや生き物に対する扱いではなかった。例えるならば、「ああこの服は邪魔だな。棚の中に纏めて入れておこう」。そういう扱いである。そもそも、奴隷は────とりわけ鉱山労働などの単純作業用の奴隷は、そのままの意味で「一山いくら」で売られている。


 怒りがふつふつと湧き起こってくる。それは下等生物のケット・シーに対してと、その奴隷に甘んじている自分たちに対してだ。


 今日も酷く鞭を打たれた背中が痛む。奴らはサラマンダーが仕事をしてもしなくても鞭を打つ……死ぬまで痛めつけられるか、ただ弄ばれるかの違いはあるにせよ。仲間たちも項垂れたまま、一言も喋ることなく眠ってしまったようだ。このままで堪るものか。穢らわしい獣共に復讐するんだ!と呼びかけたとしても、すぐに笑い飛ばされるに決まっている。


 力がないからだ。


 猛々しく口で言うのは簡単だ。誰でもできる。しかし言葉に出すだけでは何も変わらない。むしろ、それを聞きつけたケット・シー共は嬉々として自分たちを虐げるだろう。何の意味もないどころか、不利益でしかない。


 行動できるだけの力があれば。


 この檻を叩き壊し、ケット・シーを皆殺しにし、仲間たちを助けられる力があれば。


 でもこれは努力でどうにかなる問題ではない。何をどう頑張ろうと、素手で鉄格子を壊すことは出来ないし、一人でケット・シーを皆殺しにすることは出来ない。だから神に祈るしかない。いや、もうこの際神じゃなくてもいい、なんでもいい。恋人を無惨に殺したケット・シー共を、今も多くのサラマンダーを虐げるけだものに復讐できるなら……!自分の全てを差し出しても構わない。


『────その言葉、後悔しませんか?』


 ふと耳に、檻には一人もいないはずの女の涼やかな声が届いた。


 ◇◇◇


 告げられた言葉にどう返せばいいのか分からなかった。「何か」を言わなければいけないと感じるのに、その「何か」が一向に出てこない。俺がそうまごついている間にも、フェンはさっさと右の通路に歩いていってしまう。慌てて後を追いかけつつ口を開こうとした瞬間、先に空中に声が流れた。


「エルラーン、氷結魔法アブソリュートって知ってるか」


「四家の秘術だっていう……?」


 彼はどうやら歩きながら話すつもりのようで、いかにも合理的で彼らしい。しかし先程の言葉を思い出すと……完全に今更だが聞いてはいけなかったのかもしれない、と若干の罪悪感を覚えてしまう。しかしここでやっぱりやめる、というのは更に無責任のような気がした。


「そうだ。エルドラド、クラドヴィーゼン、ツィスタレスティ、ラングレイズの四家は、他を出し抜こうと躍起になってより強い魔法を造りだそうとした。その過程でクラドヴィーゼンは考えた。どうすれば他のケット・シーよりも圧倒的な力を手に入れられるのか、と」


 俺はエルドラド家から追い出された上に、魔法が発覚してからはロクな教育を受けていないので、もちろんエルドラド家の氷結魔法アブソリュートは知らないし、使えない。多分、クラドヴィーゼン家と同じことを他の四家も考えただろう。どうすれば他よりも強くなれるのかと。


「そしてある時思い至ったんだ。どんなに強い魔法を作って代々伝えたとしても、その魔法を使うのはあくまでケット・シーだ。だから、『本体』を何とかしなければ意味が無いと」


 何故か酷く嫌な予感がした。フェンの「本体」という表現にも身震いを覚えたが、もしかしたら、氷結魔法アブソリュートはただの強い魔法、というだけでなく────


「ケット・シーが行動を決める時は、ふたつのものを参照するとクラドヴィーゼンは考えた。理性と、感情だ」


「ああ、感情のまま行動するのはよくな」


 言いかけて、気づいた。気づいてしまった。理性と感情。本体に影響を及ぼす氷結魔法アブソリュート。効率。強さ。


「まさか……」


「……察しがいいな。クラドヴィーゼンの氷結魔法アブソリュートは、『心血』。心を凍らせる……つまり、感情を殺す魔法だ。負の感情だけだがな」


 感情を、殺す。


 あまりにも残酷な話に一瞬、その言葉の意味を認識することが出来なくなった。負の感情だけ……と言っても、悲しみ、怒りも感じることが出来ず、更に疲れた、つらい、苦しい、そう思うことも出来なくなるというのか。


「ああ、全部じゃないぞ。例えば、適度な怒りは使いようによっては役に立つだろう? その辺りは多分上手く調節しているんじゃないか?」


 等価交換という言葉を思い出した。


 なにかを得るためには、同等の価値を持つなにかを差し出さなければならない。


 フェンの圧倒的な強さの代償は感情だった。では自分は何を払えばいいのだろうか。何にも揺らがない強さを手に入れるためには、記憶の他に何を差し出せばいいのだろうか。自分は……これ以上の代償に、耐えられるのだろうか?


「フェンは……苦しく、ないのか」


 彼は相変わらず休むことなく歩きながら、どこか可笑しそうに言った。


「おいおい、さっきの話、聞いてなかったのか? そんなこと、今の俺に分かるわけがないだろう」


 そうだ。今のフェンには、それすらも感じられないのだ。


 それは……それは、本当に「強さ」なのだろうか?


「ああ、それと」


 フェンは何か思いついたらしく、振り返った。


「デウス・エクス・マキナには本当に気をつけろ。奴らを一瞬たりとも信じてはいけない。ケット・シーを弄んで愉しんでるだけだ。その証拠に……」


「俺の代償は、『正の感情』だ」


「……ッ!?」


 あまりの衝撃に自然と足が止まった。デウス・エクス・マキナがケット・シーのことを玩具としか見ていないのは知っていた……つもりだった。しかし、これは……これは、余りにも、惨い……


「強さを追い求めすぎるのはやめた方が良い。さもないと、俺みたいな化け物になるぞ?」


 フェンは黒い尻尾を振って茶化すように言ったが、俺はどうしても、その言葉を笑うことが出来なかった。













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