ブルーブラッド・オブ・エルドラド(前編)

 落ちる。


 頭がふわふわして気持ち悪い。何度味わってもこの感覚には慣れない。


 落ちる。


 下へ下へと、吸い込まれる様な不気味な感覚。しかし不安は微塵もない。


 俺はこの後どうなるかを知っている。


 この感覚は、この光景は、もう飽きるほど体験している。だから不安はないが、


 少しだけ、いや、明確に。


 なにが起きるかを知っていたから、どうしても怖かった。




 目を開ける。


 先程の浮遊感はどこへやら、まるで唐突に地面が現れたかのように、俺は地面に叩きつけられた。


「かはっ……!」


 肺の中の空気が全部強制的に吐き出され、咳き込むがそれどころではないことももちろん分かっていた。もう何回目だろうか。


 無理やり体を起こすと、やはりそこは雪原だった。今更のように雪の冷たさが伝わる。


 しかし雪原は、「燃えていた」。そこかしこで青い炎が立ち上っている。辺りには血も飛び散っており、その量はちらちらとしか降っていない雪では隠せないほど多量だ。


 俺の前には、銀色の髪に青い瞳の美しい少女が倒れていた。ただし、彼女の身体は血まみれだった。


「アルト……」


 呟くように呼びかけた自分の声はひどく掠れていて、虚しく雪原に広がる。


 少女────アルトの傷は、明らかに致命傷だった。しかし彼女は残る力を振り絞り、弱々しく囁く。


「エルー……いい……? これはあなたのせいじゃない……絶対に……」


 そこでアルトは激しく咳き込んだ。口から零れた血が頬を伝う。


「優しいあなたには、っ、頼みたくないけど……あなたにしか頼めない……」


 そこまで言って彼女はこちらを優しい水の色合いの瞳で見…………?


 俺はそこで、心臓が止まるほどの衝撃に襲われた。


 アルトの顔がない。


 いや、顔はあるのだ。少なくともそこに存在はしている。輪郭は見える。


 しかし、ぼんやりと薄く霞がかったように、彼女の顔だけが見えない。


 見えないだけではなく。


 どうしても思い出せない。


 アルトとの思い出は思い出せるのに。


 彼女が優しく笑う顔が、どうやっても思い出せない……!


「エルー……」


 彼女は柔らかく笑おうとしたようだった。


「殺して」

















「……ぁぁぁぁぁあああああ!!!!!」


 目が覚めた。


 自分の叫ぶ声が、やけに遠く、他人事のように聞こえる。


 身体が酷く震えているのを自覚した。


 情けないな、と自分でも思うのだが、震えは止まってくれない。


 窓の外を見た。


「見慣れた」イヴェルアの街並みがこちらを見返した。


 真夜中だった。


◇◇◇


 城塞都市イヴェルアは、前線にもっとも近い街だ。


 司令部があるアナスタシアも雪原が近いものの、ヴォルガノスとの距離が遠いためサラマンダーはこちら側にはやって来ず、フューリーなどの討伐。本部があるイヴェルアではサラマンダーと小競り合いをしている。


 イヴェルアの近く、西の方の雪原からの方が、ヴォルガノスとの距離が近いのだ。まあ雪原を大軍で越えるのはかなり無理があるので、小競り合いなのだが。


 不意に、隣を歩くアルフェが心配そうな顔でこちらを見上げた。


「エルラーン、すごい隈だけど大丈夫?」


 ぎくりとした。跳ね上がる心臓を必死に宥める。アルフェは偶にこういう不意打ちをしてくる。それが、いやそれも────アルトに似ている。


 そこまで考えた瞬間、身体に夢の中の寒さが忍び寄るような気がしてぞっとした。なんとかアルフェに返答する。


「……大丈夫。夢見が悪かっただけだから、普通に戦える」


 アルフェはぷくりと頬を膨らませるようなそぶりを見せた。


「そーいうことじゃないんだけど……はぁ。無理はしないでよ?」


 取り敢えず頷いておいた。無理をしない保証はどこにもないのだが、それを正直に言うことは流石にしない。


 今回向かっているのはイヴェルアの中心にあるリスティンキーラ軍本部。アナスタシアよりも僅かに気温が高いのも影響してか、人通りはかなりあった。今日は天気が比較的よく、雪もまばらだ。


「アルフェ」


「ん?」


「二手に分かれないか」


 彼女は訝しげな顔をした。いきなりなのだからその反応は当たり前だ。


 しかし、俺にはどうしても本部に行きたくない、というよりも行ってはいけない理由があった。


「お前は本部に行く。俺は雪原で痕跡を調べる……どうだ?」


「なんで?」


「……二手に分かれた方が、効率が上がる、だろ?」


 上手く誤魔化せたか不安だ。しかし、アルフェはまだ不思議そうだったものの断る理由もなかったのか、提案を了承してくれた。


「じゃ、夜また宿でね!」


 そう言ってたったっと走っていく銀髪を見とどけて、こっそり溜息をついた。


 俺が本部に行きたくない理由。


 それは本部のトップの一人、レイモンド・フィン・エルドラドにある。というか、エルドラド家自体にあった。


 俺は炎の魔法を発現した異端児だ。


 もちろん、血筋を大事にするエルドラド家としては大問題だったし、もしこのことが他の四家にバレたら大変なことになる。


 それを抜きにしても、エルラーンの存在は信仰心的に許されないものだった。


 だから十五歳の時、エルラーンは二度とエルドラドと名乗るな、と家から追い出された。兄弟や家族から、いつもかなりの虐待を受けていたので、エルラーンもそれを了承して軍に入った。


 だから、エルドラド家のケット・シーには会いたくないし、近づきたくもなかった。本当はイヴェルアにも足を踏み入れたくなかったのだが、これはもう仕方がない────


 視線を感じた。


 ばっ、と振り返る。しかし、そこには誰もいない。雪原に近い街の外れは人通りも少ないのだ。


 気のせいか……?


 釈然としないものを感じながらも、俺はそれ以上考えることなく雪原への道を歩いた。











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