ブルーブラッド・オブ・エルドラド(後編)
雪原は広い。
横にも、縦にも長く横たわる銀世界は、場所ごとに特徴が違った。それこそ、アナスタシアとイヴェルアでは環境が段違いなのだ。
意外と厄介なのはその地面。イヴェルアの近くはかなりの荒地であり、ゴツゴツとした岩場が多い。加えて気温がアナスタシアに比べて少しとはいえ高く、高い岩は完全に雪に埋もれない。
つまり、ただでさえ雪の中から奇襲してくるフューリーが、雪に覆われた岩の後ろから飛び出してくるのだ。
そのせいで俺は炎の魔法を応用した転倒防止魔法、体温保護魔法と並行で、最近新しく創った索敵魔法を維持する羽目になっている。創りたてで効率も悪いので、氷力(マナ)の消費が馬鹿にならない。炎の魔法なのに「氷の力」というのもおかしな話だが。
まあなんと呼ぼうと力は力だ。
ケット・シーはみな氷力(マナ)を持っているが、その総量には差がある。エルラーンは血だけはエルドラド家のものだけあって、氷力はかなり多い方だ。しかし、氷力量と同じくらい、いやそれ以上に重要かもしれないことがある。
それは、魔法の「効率化」だ。
例えば、二の力で持ち上げられる物があったとして、それを五の
フェンなどはこの効率化が上手く、氷力はやや多めくらいなのに俺よりも長く戦うことが出来たりする。
そろそろ、件の大隊が全滅した地点に着くはずだ。この辺りは岩があるのでそれを目印に進んでいく。雪原で迷子になるなど最悪極まりない。
またしばらく歩くと、尖った大岩が交差する場所に出た。
ここだったはずだ。デウス・エクス・マキナの氷力(マナ)反応は出たそうなので、契約者であるエルラーンはより詳しく調べるのが任務だ。任務なのだが、俺はまったく乗り気になれなかった。俺は索敵魔法は使うことが出来るが、追跡系の魔法は不得意だ。
つまり、デウス・エクス・マキナに魔法を構築してもらわなければならない訳である。しかし、彼女は────と言っても性別があるのかは知らないが、性格に難がありすぎて、あまり話したくはない。
嫌々、鞘から淡い紅色の剣を抜くと、呼びかける。
「スカーレット」
瞬間、真横の空気が揺らいだ。僅かに氷力が抜ける感覚と共に、空中に姿を現したのは俺と契約しているデウス・エクス・マキナ、『紅(スカーレット)』。
整った女性的な顔立ちにワインレッドの髪、瞳。かなり派手な装飾のついたドレスを身につけており、嗜虐的な笑みを浮かべている。わざわざ氷力(マナ)を使って半実体化しやがったスカーレットは、無邪気な子供のように両手を広げた。
『やっほーエルラーン! 会いたかったよぉ!』
「俺は会いたくなかったよ」
できれば、この先二度と会いたくない。まあもちろんそれは出来ない。
俺は、スカーレットに願ったのだから。
『つれないなぁ、プレゼントもあげたのにさ。いい夢だったでしょ?』
思わず舌打ちしそうになった。
しかしスカーレット相手に過剰反応は厳禁だ。さもなくばより酷い目に会うことになる。もちろん体験談だ。彼女は契約者を絶望のどん底に突き落とすのが大好きな性格破綻者(サディスト)で、代償である「記憶」を使ってこちらを徹底的に追い詰めてくる。
そのせいで自殺した契約者は数知れず。そんな事は気にしない彼女は、その度に契約者を取っかえ引っ変えしているのである。
逆に言えば、取っかえ引っ変え「できる」ほどに、願いを叶えるという条件は大きいのだ。魔法は氷の神、トワイライトファーレンから与えられた祝福だと教会は言うが、その神にどれだけ願っても、奇跡なんて起こらない。
代償なしに都合良く願いが叶うなんて、そんな夢物語は存在しないのだ。
「……それより、『狂愛』の痕跡を追ってくれないか」
『ちぇ。まあ、契約者様のご命令は聞かないとね? ……
スカーレットが囁くと、身体から氷力が抜ける感覚と共に視界に一瞬光が弾け、雪原にぼんやりと発光する赤い線が引かれた。
この線は俺の視界にのみ反映されており、『狂愛』の足取りを表している。線はふらふらと曲がりくねりながら、後方へ伸びていた。
『うーん、これはイヴェルアとはちょっと位置がズレてるねぇ。その辺の村の近くにでも隠れてるんじゃない?』
やはり、『狂愛』は死んでいなかったようだ。雪原は雪原で面倒だが、ケット・シーが住んでいる方向に向かわれるのも困る。取り敢えず街に戻ってアルフェと合流しよう。そう思った時だった。
『右!』
スカーレットから鋭い警告が飛び、俺は咄嗟に横に思い切り跳んだ。
瞬間、背中のギリギリを冷たい何かが凄まじい速さで通り過ぎ、遠くの地面で雪煙を立てた。なんとかバランスを保って地面に着地、振り返ると。
10メラ程先に巨大なフューリーと人影があった。
強烈な違和感。フューリーに知性は例外を除いてあまりなく、自分たち以外の種族には即座に襲いかかるはずだ。にもかかわらず、人影は逃げる様子もなく、フューリーはぴくりとも動かない。
人影……ケット・シーは黒い耳に黒い尾。青い瞳がこちらを睨みつける。
見覚えがあった。
「ラズ、ワルド……?」
「気安く名前を呼ぶな、まともな魔法も使えない罰当たりの分際で」
ラズワルド・フィン・エルドラドはレイモンドの一人目の息子で、俺の兄にあたる存在だ。まあ両者ともにそんな事は微塵も思っていない。
レイモンドと同じく気位が異常に高く、エルドラドの血に誇りを持っている。エルラーンが嫌いなケット・シーの一人だ。
「何のつもりだ? 俺は今任務中だぞ」
軍の任務を妨害したとなれば、いくらエルドラドでもただでは済まない筈だ。
「そのような事は我らエルドラドには関係ない。何故ならお前は、今からここでフューリーにいたぶられて死ぬからだ……不幸な事故でな!」
つまり、俺は不幸にもフューリーに殺された事にする訳だ。
ラズワルドの魔法は『支配』。自分の
「何故そこまでして俺を殺そうとする?」
「何故、何故と来たか」
ラズワルドは心底軽蔑するような、穢い《きたない》モノを見るような目でこちらを睥睨した。
「お前は我らエルドラドの汚点だ! 失敗作だ!! 存在が許されない! お前のようなケット・シーがいる事が気持ち悪いんだよ! 俺たちの美しい血が汚れるだろうがこの下等生物が!! よくのうのうと生きてられるな、役立たずの分際でアルトを殺した癖に!!」
「っ……!」
自分はこんなにも憎まれていたのか。ただこの国に、あの家に生まれてきただけなのに?ケット・シーに生まれただけなのに?
何より、「アルトを殺した」と叫ばれた瞬間。
昨日の記憶の冷たさを、寒さを、明確に思い出した。
一瞬、息が出来なくなった。
「殺せぇ!!!!」
巨大な豹の様なフューリーが雪を蹴立てて肉薄、したと思った時にはもう目の前だった。
叩きつけられる前足をなんとか回避するが、氷で鋭く尖った尾の追撃が脇腹を抉る。呼吸と体勢が崩れる。
このままではいずれ仕留められる。豹がさらなる追撃を放とうとした瞬間を縫って魔法が完成。
「
豹の左足付近で青い焔が爆発した。
豹が痛みに唸り声を上げ、焔を振り払おうと足を振る間に、爆風を利用しつつ地面に降りる。
魔法を使う時は、言葉を口にした方がイメージしやすい。今使った爆発魔法は俺が使える物でももっとも出が早い、つまり効果範囲が狭く、イメージしやすいものだ。
脇腹の傷の具合を確かめる。あまり深くはないものの、軽い傷ではない。
俺は治癒の魔法は使えないので、早々に決着を付けなければ先にスタミナが尽きる。
「スカーレット!」
素早く呼びかけると、デウス・エクス・マキナは面倒そうに答えた。
『分かってるけど、ちゃんと払うものは払ってね』
「代償は払う。氷力もやるから、魔法の構築はやってくれ」
『おっけー、咄嗟に出来ないやつだけね?』
その時、ようやく焔を振り払った豹が怒りに赤い目をギラつかせて口を開く。ぞっとするほど長く、湾曲している牙の奥にちらちらと白い光のようなものが見えた瞬間、なりふり構わず横へ跳躍。
ゴッ!!
と音を立てて吹雪がさっきまでエルラーンがいた所にクレーターを作った。高位のフューリーだけが使ってくる、『息吹(ブレス)』だ。最初の攻撃も十中八九、これだろう。
アルフェの支援がないのが痛すぎる。彼女の支援魔法さえあれば────
『息吹(ブレス)』を外したと見るや、豹が真っ直ぐこちらに向かって突進。巨体にも関わらず凄まじい速さだ。
もう一度身動きの取れない空中に跳ねあげられれば、今度こそ仕留められるに違いない。続けての牙の突き上げを辛くも回避、豹の首に刃を突き立てる。毛皮、ではなく硬い氷の感触。それは分かる。しかし、
「なっ……!」
刃が通らない。フューリー達は毛皮の代わりに硬い氷の外殻を持っているが、こちらもただの剣ではない。
やはり、このフューリーは相当高位の種らしい。そんなことをしている間に俺を落とそうと豹が激しく体を振る。不味い。ここで振り落とされれば狩られる。
「っ、」
剣をより深く突き立てるべく力を込める。豹ももちろん死にたくないので必死だ。スカーレットの魔法構築はあと少しだ。持ちこたえなければ終わる。
ぐるん、と視界が回る。豹の体が横に傾いている。どうやら、フューリーは俺を体重で押しつぶすつもりらしい。一か八かで剣に
「
ドン、と豹の体内で重々しい音が弾けた瞬間、俺の目前が真っ青に染まる。
剣の切っ先から魔法を使ったので豹の肉体が威力を吸収しただろうが、それでもこれだ。
即座に身体を衝撃と、引き裂かれる様な痛みが襲う。それと同時に地面に思い切り叩きつけられる。頭がぐらぐらするが、それでも剣を空に向ける。
豹の首はズタボロになっていたが、これぐらいではフューリーは死なない。長い爪を振り回し、今度こそ俺を引き裂こうとする。
構築率100%。
「
剣から眩いまでの青い炎が咲き、瞬く間に巨大な鳥の姿になり飛翔する。
今まさに俺に飛びかかろうと爪を振り上げた豹の剥き出しの腹に一直線に向かって。豹は慌てて炎鳥を避けようとするが、間に合わない。青い炎は翼を広げ、獣の全身を舐め尽くす。
「グウゥゥゥ!?」
豹は藻掻くが、逃がすわけがない。
蒼い閃光が弾け、フューリーを完全に燃やし尽くす。
どさ、と重い衝撃と共に、かつて豹の形をしていた物が雪原に落ちる。あまりの熱に雪がかなり溶けてしまっていて、地面はぐちゃぐちゃだ。
安堵に力が抜けそうになるが、俺は身体中の痛みを堪えつつ立ち上がり後ろを向いた。
しかし、ラズワルドは何処にもいなかった。
恐らく、フューリーの敗色が濃厚になった所で逃げたのだろう。殉職したことにするつもりだったのだからそりゃあそうだ。その場にラズワルドが居ては全てが無駄である。
しかし、次────があるのか分からないが、ラズワルドの憎悪は高まるばかりだろう。なにせ、「エルドラドの失敗作」である俺から逃げる羽目になったのだから。
それにしても、なんだか眠くなってきた。ふわふわ、と意識が揺らぐ。
自分が倒れた軽い音が、最後に聞こえたものだった。
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