不協和音

 城塞都市イヴェルア、リスティンキーラ軍本部。


 王都であるグレイシアの近衛兵団本部にも劣らない豪華さに、私は落ち着けずにいた。やっぱり、エルラーンと一緒に来れば良かった。そんなことを思ってしまう。


 私が今いるのは応接室だ。話を聞きに来た、と告げると通されたのだ。出来るだけさっと終わらせて宿に向かいたかったが、これは時間が掛かりそうだ。


 エルラーンが心配だ。


 彼とは半年くらいの付き合いで、一緒に任務に行ったのは初めてだ。彼が強いのは分かっている。が、朝かなり調子が悪そうだったのが気になった。


 エルラーンにはどこか柔らかいところがある。古傷を繰り返し掻き毟られているかのような暗さと脆さ。デウス・エクス・マキナと契約しているケット・シーは欠落が目立つ。


 誰もが多かれ少なかれ、傷を抱えているのは言ってみれば当然だ。


 デウス・エクス・マキナは「面白い」者としか契約しないからである。彼らが言うには、力を貸すのは暇潰しと、後はニーズ派が気に入らないからだという。


 タチが悪い、と私ですら思う。


 だって彼らにとっては見世物だ。娯楽だ。


 苦痛も、悲哀も、絶望も、必死に生きるケット・シーたちが、命を削って紡ぐ全ての感情は────


 音もなく目の前の重厚な扉が開いた。


 慌てて姿勢を正す私の前に壮年のケット・シーが姿を現す。


 思わず目を見開きそうになって、慌てて感情を隠す。現れたのはレイモンド・フィン・エルドラド、現エルドラド家の当主。


 アルフェが所属している特別部隊は、いくらクラドヴィーゼン家の一人息子であるフェンが隊長だと言っても、レイモンドが出てくるような重要な地位には居ないはずだった。どうもきな臭い……


「お会いできて光栄です、エルドラド軍団長。私は────」


 私が椅子から立ち上がって名乗ろうとすると、レイモンドは貴族らしく、鷹揚に手を振って言葉を遮った。


「自己紹介は結構だ。時間も押しているのでね。私は君のことはよく聞いているんだ……」


 そう言ってレイモンドは、穏やかな笑みを浮かべた。


 何故かぞっとした。レイモンドの笑みはあくまで優しく、そこに何の敵意も、害意も感じ取ることは出来ない。


 しかし。


 一瞬、確かに背筋を撫でた悪寒は、決して気の所為ではなかった。


「ありがとうございます。それでは、今回現れたデウス・エクス・マキナについてお聞きしたいのですが……」


 笑顔が引き攣っていないかが気がかりだ。レイモンド・フィン・エルドラドは危険だ。私の勘がそう告げている。ざわざわと得体の知れない違和感で毛が逆立ちそうだ。


 人と話すのは苦手ではないが、今この時だけは誰かに変わって欲しい。口が上手いフェンとか、物怖じしないラウラとかに。


「あれは痛ましい事件だった……基本的なことは聞いていると思うが、地中から襲撃してきたフューリーは豹型だったそうだ」


「豹……ですか」


 フューリーは、様々な姿形をしている。例えば豹型は、短い耳に長い尾、四足歩行で跳躍力が高く、身に纏う氷も厚い強敵である。


「イヴェルア周辺には、蛇型のフューリーが出ると聞いていたのですが……」


「普段は、そうだ。しかも報告によるとその豹型は、息吹ブレスまで使ったらしい」


「かなり高位のフューリーということですか……しかし、なぜここに豹型が……?」


 それは当初からの疑問だった。雪原の大まかな場所ごとに現れるフューリーの種類はほぼ決まっている。恐らく気候や、氷力マナが関係しているのだろう。


 さらに、高位のフューリーは雪原の奥、中心の方に現れることが多く、街から見て手前側の雪原では滅多に姿を見かけない。


「さあね……しかし、フューリー共の考えることなど、私たちには関係がないと思うが」


 レイモンドはそう言って肩を竦めた。


 先程なら思っているが、どうもこの件は妙だ。胸の中にじわじわと広がっていく不信感、でも何に対して?たしかに豹型が現れたのは不思議だ。しかしそれだけではない。


 そんな私をよそに、話はどんどん進んでいく。


「調査にはこの報告書を活用するといい。では、私はこれで失礼するよ。是非ともデウス・エクス・マキナを見つけ出してくれたまえ」


 レイモンドが束ねられた幾枚かの紙を置いて出ていこうとする。私は少し躊躇ったものの、勇気を出して彼を呼び止めた。


「あの、一つ質問しても宜しいでしょうか」


「何だね?」


 レイモンドが振り返った。謎の緊張感で噛みそうだ。しかし、これはどうしても聞きたかった。


「何故、わざわざここに来られたのでしょうか」


「一つ仕事があったしね、個人的な興味だよ」


 個人的な……興味?一体どういう事だろうか。私の魔法はそれなりに珍しいかもしれないが、とてもそれだけで自分に会いに来るとは思えない。レイモンドは微笑んで、


「ああ、言い忘れていたよ。雪原では何が起こるか分からない。一人の時に奇襲を受け、残念ながら行方不明になるケット・シーも星の数ほど存在する」


 気をつけるといい。


 そう言い残して今度こそ去っていくレイモンドの背中をぼんやり見ながら、私は未だかつて無いほどの不安を覚えていた。


◇◇◇


 誰かが名前を呼んでいる気がする。


 目を開けたくなかった。体が重い。まるで泥になったかのような異常な倦怠感と重さ。と、同時に確かな心地良さも感じる。このままずっと眠っていたい。


 そもそも今自分は眠っているのか?何をしていたのか、何をするべきなのか……?


 全部考えたくない。ここで止めたい。でも起きなければならない気もする……


 もう一度、誰かが呆れたような声で囁いた。


『いつまで寝てる気なの? エルラーン』


「……っ!」


 目が覚めた。空は真っ暗だが、ケット・シーは夜目も効く。しかし、エルラーンの周りには眩し過ぎるくらいの燐光が飛び交っていた。炎の壁だ。


 自分が今まで何をしていたのか思い出した。どうやら、豹型のフューリーを倒した後、気を失ってしまったようだ。


『やっと起きたねぇ』


 スカーレットは姿を見せずに声だけで言った。


 この空の具合からすると、三、四時間は気絶していたようだ。この炎の壁はフューリー避けか。脇腹の傷も取り敢えずだが治っている。スカーレットには治癒能力は無いはずだが……?


「傷は……?」


『サービスだよ。時間が掛かるから戦闘中には無理だけど、君の治癒能力を底上げして無理やり傷を塞いだの。だから体力がかなり持ってかれてると思うけど死ぬよりいいでしょ』


 それはもちろんもっともであるが、デウス・エクス・マキナにサービスは最も無縁な言葉だろう。スカーレットには一々疑って掛からなければ、痛い目を見る。


 エルラーンの思考を読んだかのごとく、彼女は嗜虐的な笑みを浮かべて言った。


『いやぁ、ラズワルドと喋ってる時のエルラーンの感情はとっても美味しかったよ。だからサービスサービス』


「……それはどうも」


 最悪の目覚めだ。最早スカーレットは、契約者を嫌な気持ちにさせる一流職人を名乗れるレベルだ。誰も敵わないだろう。


 かなり頭が痛い上に体も重いが、ふらふらと俺は立ち上がった。早くデウス・エクス・マキナを見つけなければ。こんな所でもたもたしている暇などない。淡く光る道標を辿って歩き始める。夜はまだ永い。


 先程のショックで、アルフェと待ち合わせしていた事はすっかり頭の中から消えていた。







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