誰もがたったひとつだけの

 殺すのか?デウス・エクス・マキナに支配されているだけの、罪のないただの村のケット・シーを?


 きっとリーヴェは気づいている。俺の「弱さ」に。だって殺さなかったから、あの二人を。


『はーぁ。ね、私はあくまで君の「願い」を叶えなきゃいけない立場なわけだけどさ、自惚れすぎじゃない? きみ』


 噛み締めた唇は鉄の味がした。じわじわと包囲網は狭まってきていて、様子を伺っているのか……それともいたぶっているのか?


『全部救えるのはね? その力を持ってるケット・シーだけなんだよ。分かる? つまり今のきみが何を言っても戯言なわけ。この局面まで来て殺せないのはさ、優しいんじゃなくて弱いだけなんだよね。エゴだよエゴ。自分が殺したくないだけでしょ? いいからさっさと殺しなよ』


 スカーレットの言うことなど聞きたくもないが、今回は完全に言う通りだ。俺の魔法は威力は高いが調整が難しい。相手の数は多く、一人ずつ殴って気絶させるような悠長な事はできない。魅了されているので、怯むこともない。殺すか、殺されるかしかない。


 夢の中の寒さが這い回るような気がした。またか。またなのか。また殺すのか。


 しかしこれはエゴだ。ただの自己保身だ────俺は国に忠誠心などないが、軍に所属するケット・シーは個人の欲求よりも全体の利益を優先しなければならない。ここで俺が死ねば、『狂愛』による被害は更に増えるだろう。やるしかない。


 俺の意思に従って、握る剣が薄蒼を纏う。氷力マナが手のひらから剣に伝い、波紋のように広がり、滑るように蒼炎がゆらめく。


 同時に『狂愛』から笑みの気配。あなたはやはり、「そちら」を選ぶのかと。スカーレットもにやにやしながら見物するのだろう、俺がどんな表情で彼らを殺すのかと。


 うんざりだ。どうしてコイツらはこんなにイカれているのか。


 しかしそれはある面で真実だ。


 他人を虐げるのは愉しい。気持ちいい。


 それが真実。紛うことなき、真実だ。


 だから俺は神を信じない。


 いる、いないではなく、信用しない。縋らない。


 こんな醜いいきものを作った神を、尊い存在だとは思わない。思えない。


 荒れ狂う意思なき蒼炎は、内心を微塵も反映せずに全てを燃やし尽くす。


 流れるように空を踊った炎はまず、一番近かった村のケット・シーたち十二人ほどをあっさりと飲み込んだ。熱風が辺りを満たすと同時に、吐き気を催すような匂い。後方のケット・シーたちは驚くでも、恐怖に叫ぶでもなく動く様子もない。完全にリーヴェの支配下に置かれているようだ。


 そこまでを客観的に分析した直後、リーヴェが粉塵の向こうから叫んだ。


「愛しい兵隊たち、私を守って! あのケット・シーを殺せ!」


 その言葉を聞いた村のケット・シーたちは、どこかぎくしゃくとした動きで一斉に手にした農具を構えた。粉塵は晴れてきている。


 心に苦いものが広がるのを感じつつも、俺も柄を握り直した。『蒼炎』の炎はあまり延焼しないので、集会場はそれほど燃えてはいないが、爆風で様々な所が吹き飛んでいる。一応柱は避けたのでまだ崩れてはいないが、威力を抑えようとイメージする。


 息を吸い込んだ。氷力マナが音になる寸前。


「────────」


 なにかがきこえた。


 時が凍りついてしまったかのように全員が動かない。俺も、リーヴェでさえも。


 その静寂にもう一度、鮮烈なおとが耳を叩く。


「〜〜〜〜〜〜〜!」


 目の前でぐら、と十八の身体が傾いた。糸が切れた人形のように村人たちは地面に倒れ込み、リーヴェがよろめく。


「な、なにっ……? これは……」


 ああ、これは。


 この言葉ですらない、うつくしいおとは。


 これは……うただ。


 ぽっかり穴の空いた天井から舞い降りる天使のように、ふわり、とひとりの少女が飛び降りた。


 白銀の髪に真っ白な耳、月の光より蒼いその瞳。


「アルフェ……?」


「よかった、エルー……無事だったんだね」


 そこでアルフェは顔を歪めた。


「心配したんだよ……! 戻ってこないから!」


 その言葉に答える前に、ふらふらと立ち上がったリーヴェが喚いた。


「っ……! 一人が二人に増えたところで同じだっ! どうせあんたたちは殺せない! なんの罪もないこの子たちをっ……! さあ立って! 私のために!!」


 しかし倒れたケット・シーたちは立ち上がるどころか、ぴくりとも動かない。


「何故……?なんで……!」


 これがアルフェの魔法、『氷歌』だ。


 空気中の微力な、しかし膨大な量の氷力マナに特殊な発声方法で出した音で干渉し、魔法を使った対象の身体に様々な効果をもたらす。今回の魔法はおそらく「羽を休めよテイルリング」、対象を深い眠りに誘う魔法だが、流石にデウス・エクス・マキナの契約者には効き目が薄いようだ。


「なんで……! なんで! 誰も立ってくれないの……!?」


 リーヴェはこれまでの余裕たっぷりな態度と裏腹に、もはや半狂乱だ。『狂愛』は強力な魅了魔法が主なせいで攻撃魔法は乏しいのだろうが、この様子はそれだけが要因ではない気がする。


 アルフェはリーヴェに向き直って冷たく告げた。


「確かに、私たちは罪のない村人たちは殺したくないわ。もしかしたら殺せないかもしれない。でも、あなたは違うわ。リーヴェ・フェッセルン……あなたはデウス・エクス・マキナに手を出した。軍を裏切って、無理やり村人たちを支配下に置いた。ただの裏切り者だもの」


 徐々に近づいてくるアルフェに恐怖を覚えたのか、リーヴェは後ずさって背後の壁に空いた穴から逃げようとした。アルフェに駆け寄りながら俺は剣をリーヴェに向ける。


炎の壁よラーヴェトラム


 リーヴェの後ろに、ごう、と青い炎の壁が伸び上がった。彼女は悲鳴を上げて急停止する。


「なんで……なんでこうなるんだ? どうして私だけっ……!? 私は……ただ……他のケット・シーに……」


「エルラーン」


 アルフェに囁かれて頷いた。彼女の魔法はケット・シーを殺すには向かない。それに、殺したくないからと言ってアルフェにその役目を押し付けることはしたくない。


 剣を首筋に振り下ろす。せめて即死させてやろう、と考えてリーヴェに近づいたのは失策だった。


 ケット・シーの鋭敏な聴覚が、彼女の最後の呟きを捉えてしまった。


「愛されたかっただけなのに」


 あいされたかった。あいしてほしかった。


 母親にも父親にも、兄にも蔑まれ軽蔑され、憎まれた自分と。


 誰にも愛されない自分と。何故俺だけが、と叫んだ自分と。


 同じ。


 振り下ろした剣は僅かに狙いを逸れ、首筋を切り裂いて致命傷を与えたもののリーヴェは一瞬だけ、生にしがみついた。


「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


 リーヴェの血を吐くような絶叫と共に、手が霞むような速度で腰に差してあった短剣を投擲する。狙いは────アルフェだ!


 駄目だ。死ぬ。間に合わない……!


 魔法しかない。しかも普通の魔法ではアルフェも巻き込む。押し返せ。押し返すんだ。俺を中心に爆風を起こすのではなく、俺を集結点にするっ……!


 ぱ、と視界に真っ赤な火花が散った。負荷が限界だ。脳がぐちゃぐちゃに掻き回されるような痛み、を感じているということは自分へのダメージはスカーレットが何とかしてくれたのか。まあ自分で使った魔法で死ぬのは流石に笑えない。ぐるぐると回る視界には何も見えはしないが、ただひとつ。


 ざらりざらりと耳に残る、リーヴェの声が。


「は、は……この、」


「この、同族ケット・シー殺し」


 揺れる。なにが揺れている?地面か、それとも俺の視界か?もしかすると、建物がついに崩れるのかもしれない。


 ぶつ、と何かのスイッチを切ったかのように何もかも見えなくなって、


 暗転する。


◇◇◇


 は、と目を見開く。


 アルフェが心配そうに見ていて、辺りにはもうもうと立ち上る土埃。あの後すぐに目が覚めたらしい。建物はとうとう崩れてしまったようだ。周りにはまだ眠ったままの村のケット・シーたちもいて、どうやらアルフェは計十八人を運んだらしい。


「大丈夫……?」


 答えようとして咳き込む。身体中を這い回る得体の知れない不快感が酷い。魔法の負荷だ。しかし肩の傷などは治っていて、きっとアルフェが治してくれたのだろう。


「大丈夫だ……アルフェ、俺のせいで」


「言わないで」


 言葉を強引に遮って微笑む。


「私は謝られることなんて望んでないし、それならそんなこと口に出さない方がいいでしょ?」


 でも。最後のは。


 最後、アルフェが死にそうになったのは間違いなく自分のせいだ。


 それどころか、最初から全部自分のせいだ。感情を捨ててさっさと全部焼き払い、デウス・エクス・マキナを討伐しておけば、こんなに酷いことにはならなかったはず。


 いつもこうだった。いつも俺のせいで、全部壊れる。ケット・シーが死ぬ。


 愛されないのは当然なのだ。


 こんなことなら、死んでおけば良かったのかもしれない。生まれた時に、小さい頃に、雪原でラズワルドに襲われた時に。


「ね、暗く考えないで。村のケット・シーが亡くなっちゃったのは残念だけど、これからの被害を減らせたわ。リーヴェは確実に死んだと思うし……村の破壊も少なくてすんだじゃない、ここは崩れちゃったけど」


 アルフェはふわりと笑いかけた。彼女の心遣いを無碍にしてはいけない、そう思って笑い返そうとしても上手くいかない。顔の筋肉が引き攣るばかりだ。


「エルラーン、私、あなたをすごいと思う。軍に入って、サラマンダーを、フューリーを殺して荒んでいっちゃうケット・シーは多いけど、あなたはずっと優しくいられる。それって、どんな至宝よりもずっと素晴らしいことだと思う。他者を想う心を失ってないってことだから」


 アルフェの言葉は表面を撫でていくだけで、微塵も奥には届かなかった。だって、これは完全にスカーレットの言葉が正しい。殺せないのは俺の弱さだ。罪悪感を背負いたくないだけ、ただのエゴで浅ましい。それはやさしさなどではない。


 ようやく笑顔をつくることに成功した。


「……ありがとう、アルフェ」


 暗い表情が気になっていたのか、アルフェはぱっと顔を輝かせる。そうだ。本当の優しさとはきっとこれのことを言う。さっきの言葉は、アルフェに届けられるべきものなのだ。


 殺せ。弱さを。自らの弱さを殺せ。


 空を朝焼けの炎が駆ける。それは血の色にも似ていた。















































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