邂逅

「…………ぅ、ん……?」


 目を開いた瞬間、尋常ではない痛みが左肩と後頭部に走った。


 まだ意識ががはっきりしない。ふらふらと目の前が揺れる。しかし何回か重い瞼を動かすと、ぼやけていた景色が元に戻ってきた。


 最初に視界に入ったのは、頑丈そうな鉄格子と灰色っぽい壁、そしてその隅にうずくまる一人のケット・シーだった。


 視線を感じたのか男は顔を上げる。銀色の短髪、その上にちょこんと乗る灰色の耳はいかにも普通のケット・シー然としているが、特徴的なのはその瞳だった。右は新雪の真白、左は透き通る氷の水色。いわゆるオッド・アイである。


「目が覚めたかい?」


 オッド・アイのケット・シーは柔らかい口調で尋ねた。が、俺は反射的に後ずさった。牢獄は出会いの場所としては最悪だ。俺たちも他のことは言えないが、投獄されるということは、そうされるだけの何かをやったという事になる────冤罪の可能性も否定できないが。


 じゃら、という金属音で今更嵌った手枷の重みを感じた。明らかに警戒されていることに気づいた男は慌てて弁明する。


「ち、違うよ、僕は怪しい者じゃない……って言っても、こんな場所じゃあ説得力はないけどね。とにかく、君たちに危害を加えるつもりはないよ。そもそも出来ないしね」


 そう言いつつ彼は同じように手首に嵌められた手枷を持ち上げてみせた。


「僕はウェルデン・フィーダー・ラングレイズ。ウェルって呼んで。差し支えなければ君と、後ろの子の名前も教えてくれないかな?」


 名前を答える前に、後ろの子、と言われて俺は振り返った。そこには同じように手枷を嵌められ、ぐったりと倒れているアルフェの姿があった。


「……っ!」


 思わず近寄って起こそうとした時、静止の声がかかる。


「待って、動かすのはよくないかも」


 それはその通りであったので、俺は手を引っ込めてウェルデンに向き直った。彼はラングレイズ、と名乗ったが……本当に「あの」ラングレイズ家のケット・シーなのだろうか。怪しい。しかし、いくら胡散臭いとはいえ名乗らないのは如何なものか。そこまで考えて、どうやらウェルデンは俺が名乗るのを待っているらしい、と気づく。


「俺はエルラーン……こっちはアルフェ二ーク。アルフェ二ーク・フィー・アラバスタ」


 下の姓は名乗らない方が賢明だろう。そもそも、この琥珀色の目はかなり奇異に映っているはずだが、ウェルデンは普通に話しかけてきている。そこを問題にする気はないらしい。まあ、そこでどうこうするようなケット・シーなら、アヴィータにぶち込まれる事はないだろうが。皮肉なものだ。


 ウェルデンは僅かに首を傾げた。


「エルラーン……?」


 不味いことに、俺の名前に聞き覚えがあったらしい。なんとか誤魔化そうと別の話題を振る。


「それより、さっきラングレイズって言ったよな」


 その問いはかなり曖昧なものだったが、彼は意味を悟ったらしく、自嘲するように微かに笑った。


「ああ……四家の一つ、ラングレイズの僕がこんな所にいるのは不思議だよね。でもアヴィータに入れられる理由は決まってるよ」


「聖氷教に反した……」


「そう。その通り。それも、この最上階に投獄されるケット・シーはとびきりの反逆者さ。僕はしくじったんだよ」


 ここは最上階なのか。と、いうことはケット・シーの処刑方法は決まっている。すなわち……落とすのだ。塔の一番上から、空から降る雪の如く。そうすることで、罪人の罪は償われると聖氷教では教えられている。


「しくじった?」


「うん。実は────っと、これは本当は門外不出なんだけど、もう僕はラングレイズじゃないし、知って欲しいから話すんだけど……ラングレイズはね」


 と、長い前置きを経て喋ろうとしたウェルデンが、突如言葉を切った。その理由は俺にも分かった。足音かするのだ。しかも、どんどんこちらに近づいてくる。ケット・シーだ。華美な衣装を見に纏った男は牢獄の中を一瞥すらせずに、何か薄っぺらいものを投げ込んだ。そのままさっさと去っていく。


「……?」


 かさりと俺の足元に落ちたのは、板のようなものだった。拾い上げてみると見た目に反し軽く、なんの装飾もない表面には素っ気なく「5」と書かれている。裏返してみても何も無かった。


「ウェルデン、これは?」


 板を見せると、彼は途端に険しい表情になった。


「これには……処刑までの日数が書かれているんだ……君たちのだよ」


「え……異端審問もなしに?」


「見ただろ、あのケット・シーの態度。聖氷教に反逆した僕らはもうケット・シーとして扱われてないんだよ。見たら穢れるんだってさ。だから、処刑宣告もこんな板切れでされるんだよ……異端審問は一応するけど、もう決まってるんだよ。僕らが死ぬことは」


 五日。五日後に俺は死ぬのか。案外動揺はなかった。心は静かにその事実を受け入れている。一瞬、もういいかな。とすら思った。別に死んでもいいかな。俺には大層な「生きる意味」がない……が。


 アルフェは違う。


 アルフェは俺などを庇おうとしたばかりにこんな目に合っている。更に俺と一緒に死ぬなんて……彼女はまだ死ぬべきではない。俺は良くても、彼女はそうではない……大体、アルフェが処刑されそうになっているのは、俺のせいなのだ。俺のせい。また、全部俺が悪い。思考がどんどん重い自己嫌悪に沈みそうになる────


 こんな事では駄目だ。


 そんな無駄なことをしている暇はない。アルフェだけでもここから逃がさなければならない。たとえ俺が死んだとしても。


 静かに決意を固める。助けになりそうなもの、情報、ケット・シー。全てを利用して蹴倒してでも、アルフェを助ける。まずはウェルデンの話を聞くことにしよう……なにか脱獄の足掛かりになる情報があるかもしれない。


「それで、ウェルデン、ラングレイズは……?」


 彼はすっと表情を消して一つ頷いた。


「ラングレイズは、『偽典』を封印するために作られた家なんだ」

















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