クリスタリア

 凍るってどんな感じなんだろう。


 ふと幼いながらに覚えた疑問を噛み砕きたくて、父親に聞いてみた。


 子供の頃から優等生で、何でもできた。できなくても死ぬほど努力した。「努力しなければいけない」と理解していたから。


 でも体験しなければ分からないことはもちろん分からなくて、子供特有の好奇心を抑え込むには幼すぎた。いつも厳しい父親は、よく分からない笑みを浮かべて珍しく頭を撫でてくれた。


「すぐ分かる。今に分かるよ」


「あれ」が行われる直前にふわりと頭を通りすぎた最後・・の不安。


 もしも感情がなくなったら。


 悲しい、苦しい、つらい、楽しい、嬉しい、幸せだ、と感じられなくなったら。


「それ」はケット・シーなのだろうか。


 いきものなのだろうか。


 それは、ただの────────







 意識が覚醒する。瞳を開く。


 そういえばクリスタリアに向かう途中なのだった。


 起きたらいつの間にか瞼が冷たい────なとどいうことは、当然・・ない。


 くだらない夢を見てしまったな、と僅かに感情に細波さざなみが立った。


 今日もサラマンダーが出るかもしれない。ぼうっとしている暇などない。


 灰銀が静かに揺れた。


◇◇◇


 日が暮れる頃、クリスタリアに到着した。


 俺一人だと、主に瞳の色のせいで門に入る前に一悶着あったりするのだが、クラドヴィーゼン家の次期当主であるフェンと、ついでに軍属のラウラがいるのでかなり短時間で門を潜ることが出来た。


 もちろん俺も軍の一員だが、この国の聖氷教至上主義は根強い。軍属である事を証明するものを示しても、難癖を付けてくる輩は一定数存在した。まあもちろん、普通に通してくれるケット・シーもいる。つまり、個人差ということだ。


 クリスタリアは変わった街だった。


 中心に巨大な鉱山が鎮座し、その周りには採れた氷水晶を加工する工房や倉庫、運搬のためか広い道が敷かれている。そこから円状に広がるように街は広がっていき、家が立ち並ぶ区域、そして四箇所に立つ見張り塔の他、イヴェルアには劣るものの、立派な城壁がぐるりと囲む。


「エルラーン、クリスタリアは初めてか?」


 フェンがくるりと振り返った。そういえば、彼はここの出身だった。確かラウラもだ。ラウラはそこそこの貴族の出らしい。ここクリスタリアは雪原から距離があり、寒さもイヴェルアやアナスタシアよりマシなため、貴族が比較的多く住んでいた。


「そういえば、来たのは初めてだ」


「なら、街の北には近づかない方がいい」


「北……って鉱山の向こうか?」


 珍しく、ラウラが言葉を引き継いだ。


「北にはスラムがある。危ない」


「スラムか……」


「鉱山で働いている貧しいケット・シー、あるいは滅多に居ないが奴隷サラマンダーたちが住んでいる。やつらは大体徒党を組んでいるし、盗みも殺しもする」


 鉱山の労働環境など劣悪に決まっており、確かにそこで働く者などロクなやつではないだろう。賃金も限りなく低いため、生きるためなら何でもするというのは頷ける。スラムが形成されるのも道理だ。


「分かった。気をつけるよ」


「そうした方がいい」


 なんだかラウラがいつもより饒舌だ。珍しいこともあるものである。しかし理由はなんだろうか。この前二人になった時は別に普通だったので、 フェンが関係しているのか。しかし彼もべらべら喋るタイプではない……「あいつ」と違って。


「既にシルスリムの管理者には俺の名前で話をつけてある」


 今回は『狂愛』の時のような目には合わなくて済むのか……と納得しかけたが、


「どうやってシルスリムに連絡を付けたんだ? この前まで司令部にいただろう?」


 そこでフェンは何故か顔を顰めた。


「連絡をつけたのは俺ではない」


「おー! 三人共! 元気してたー?」


 じゃあ誰が、と思う暇もなく騒々しい声が掛かる。瞬間、俺はフェンが嫌そうな顔をした理由を悟った。


「あなたが静かであればもっと元気」


「同意見だ」


「相変わらず辛辣だね!ちょっと心にくるよ!」


 声が大きすぎる青年はカトラス・ストラト。一応特別部隊のである。別にカトラスのことが嫌いという訳ではまったくない……こともない。悪い奴ではないのだが、とにかくうるさいのだ。人格者であるアルフェでさえも思わず黙らせたいと零すほどの、感動のうるささである。


「ほら! ほら! 僕ちゃんと鉱山の人と話を付けてきてあげたんだからさっ! もうちょっと労わってくれてもいいんじゃないですかね?ね?」


「頭の中を雷で掻き混ぜるのが最新のリラックス方法だと本で読んだ気がする」


「本当か? ラウラ。じゃあカトラスで試してみよう」


 あまりにうるさいので、たまに……いや度々、フェンに物理的に黙らさせられている。魔法制御の巧みさの無駄遣いだ。カトラスはそれでも全く懲りないのが不思議だ。今も元気に喚いている。


「僕で試さないでよ! そもそもどんな本なんだよ!!」


 確かに、それは地味に気になる点だった。ラウラは本のタイトルを思い出そうと少しの間空中に視線を彷徨わせたが、すぐにぽん、と手を叩いた。


「思い出した。『正しい拷問の手引き』」


「拷問じゃん! リラックスじゃないじゃん!」


「私たちのリラックス」


「ストレスからの解放」


「うわあああああ助けて! エルラーン助けて!」


 うわこっちに来た。


 話が拗れるからやめて欲しいし、フェンについでに焼かれたくない。ちなみにカトラスによると、フェンの卓越した魔法制御能力によって痛みはないがそれがかえって怖いんだとか。分からなくもない。


「とりあえず……シルスリムに行かないか?」


 完全に雷で頭をシェイクする気だったらしいフェンが、普通に手を降ろしたのでほっとした。彼の言動には時々洒落にならないタイプの天然が混じるのだ。その物理的被害者は主にカトラスである。


「それもそうだな」


「じゃっ! 僕はアナスタシアに帰りまーす!」


「一刻も早く帰って」


 カトラスは諜報員なので、主な仕事は情報を集めたりすることで戦闘ではない。よって司令部に帰るのだろう。まあ帰ってくれた方が、お互い幸せになれると思われる。


 シルスリムに向かって歩き出すフェンとラウラを追いながら、最早カウントしたくなってくるくらい、何回目か知れないため息を吐いた。





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