真実は見ている
眩い閃光を浴びた黒竜は驚いたように吼えたが、白銀の竜は動揺を見せずに牙を剥いた。その喉の奥に青い光が見え隠れする。次の瞬間、
蒼い炎が空を渡った。
炎は黒竜に直撃したものの、鱗などに直接の損傷は見られない。しかし、黒竜が現れた時に見たような禍々しい赤い光が竜の全身を包んだ。そのまま、風に吹かれる粉雪のように巨体が分解されていく。それと同時に水晶から溢れ出ていた光の奔流も静かに溶けていった。
俺たちは呆然とその光景を眺めていたが、白銀の竜がこちらをじっと見つめているのに気がつく。俺は弾かれたように立ち上がりかけたが、上手く力が入らずに地面にくずおれた。流石に限界が来ているらしい。
竜は攻撃するでもなく、威嚇さえせずに俺たちをじっと見つめているだけだ。その美しい瞳に射すくめられると、なんとも落ち着かない気分になる。竜の瞳の奥には確かな理性の光が感じ取れた。
『何故このような所にケット・シーがいるのですか?』
穏やかかつ威圧感のある声が響いた。男とも女とも分からない不思議な声は──────目の前の竜からか。
俺は思わず恐ろしい程に長い牙の並ぶ竜の口を凝視してしまった。一部のフューリー、
俺の視線に気づいたのか、白銀の竜はぐるる、とどこか楽しげに唸り声を上げた。
『直接喋っている訳ではありませんよ。
竜は言ったが、俺がなにか応える前に、シルヴィアが呻くように呟いた。
「嘘……どういうこと?あれは聖氷書……それにどうして第三迷宮に竜が……?」
『あら、貴方は教会の者ですか……どうしてここに居るのかは分かりませんが、どちらにせよ、来るべきではありませんでしたね』
「どうして……?」
今度はアルフェが僅かに震える声で尋ねる。竜は静かに嘆息した……ような仕草をした。
『知らない方が幸せなことは、この世界に沢山あるのですよ、ケット・シー。盲目は罪ですが、同時にこの上ない幸福でもある』
「シルヴィアさん、聖氷書って……」
ウェルデンがシルヴィアの方に振り返って畏れるように聞いた。彼女は少し青ざめながら、後ろの巨大氷水晶を指さす。
「あの本は……恐らく、聖氷書の原典です。極めて危険なので散り散りに封印されていると聞いていましたが、どうしてこんな所に……」
原典、と聞いてウェルデンが血相を変えた。
「……まさか」
『知っていましたか?そう、あれは
俺は息を呑んだ。ウェルデンが投獄される原因となった存在しないはずの十七巻目、ヤージュダーク。それが目の前にあるのだ。教会の最大の秘密が、今ここに。
「……あ、ありえない……」
震える声にハッとして振り返ると、シルヴィアが拳を握って立ち上がったところだった。
「嘘に決まってます!聖氷書は十六巻、それはリスティンキーラが建国された日から教会によって定められています!忌まわしい炎を使う竜の言う事が正しいわけがない!」
そうだ。普通にこの国に暮らしてきたケット・シーなら誰だってそう思うだろう。教会関係者なら尚更だ。それに──────先程黒竜を赤い光に返した力。俺と同じ蒼い炎。
シェラ=スカイシフトと名乗った白銀の竜にからは、今の所敵意は感じ取れないが、万が一機嫌を損ねれば何が起こるのか分からない。同じことを思ったのか、アルフェが慌ててシルヴィアを宥めようとした。
「シルヴィア、落ち着いて─────」
「落ち着けるわけないでしょう!?全部作り話に決まってる……!嘘だって、そんな事あるはずないって言ってくださいよ!そうじゃなかったら、私は……っ!」
シルヴィアの悲痛な叫びが木霊した。彼女を諫めかけていたアルフェですら押し黙る。本当は、全員─────シルヴィアでさえも分かっているのだろう。教会の教えを自分自身よりも大事にしていた、彼女がここにいる事が皮肉にもその証拠だった。もう真実から目を背けることは出来ない。無知ではいられないのだ。
一瞬の静寂が訪れる。その瞬きほどの時間の間に、俺の教会に対する不信感が波のように押し寄せてくるのを感じた。もともと教会に対する信頼などない。ないが、逆に教会について疑問を持ったこともない。当たり前に受けいれていた、聖氷教と神の存在。それはどのケット・シーも同じことだろう。今までの常識は本当に常識だったのか。執拗にヤージュダークを闇に葬ろうとするのはなぜなのか?
意外にも、停滞を破ったのは竜だった。
『貴方も……そして貴方たちも、本当は私の話が嘘ではないと分かっているはず。十七巻目の聖氷書は存在しないことになっている。でもあの場所にあるのは他のどの聖氷書でもない。つまり、教会は嘘をついているのです』
「どうしてそんなことをする必要が……?」
俺の口から思わず疑問が飛び出た。シェラはこちらを見たが、視線が交錯した瞬間、身体が無意識に震えた。明らかに純度の違う眼差しが俺を貫いていて、もう逃げられない獲物のような気分になる。
『知恵を持った生物の向かう先は欲望ですよ、蒼い炎のケット・シー』
「……ッ!」
心臓が止まるような錯覚を覚えた。見ていたのか。あの黒い竜の攻撃を相殺するために放った炎を。そういえば、シェラの吐く炎も青かったが─────
『ずっと昔、聖氷教が出来てしばらく経ったあと。リスティンキーラは酷い飢饉に見舞われました。異常発生したフューリーに食物は食い荒らされた。ケット・シーたちの数は急速に減っていきました。困った国王は気づいたのです。ああ、雪原を超えた向こうに。あるじゃないか、食料と労働力が、と』
その意味を理解したと同時に、血の気が引くのを感じた。それが真実なら。今までの全ては……?崩壊の予感がした。この後は聞くべきではなく、また聞くべきなのだろう。耳を塞ぎたくなるのを堪えた。竜は変革の言葉を紡ぐ。
『彼らはヤージュダークを偽典と称し、存在の抹消を試みた。なぜなら、ヤージュダークは融和と共存を語っていたから。異を唱えるものは処刑された。程なくして民衆はそれを受け入れました。教会は神の代弁者。彼らはそうすることにした。生き延びるために他から奪うことに目をつぶった。最初のそれは仕方がなかったのかもしれません。ただ、サラマンダーを下に位置づけて奪うことは終わらなかった。蜜を吸ったものは他の何かを見下さない生活には耐えられないからです。私はその後、第三迷宮に封じ込められたヤージュダークの氷力によって生み出されたのです……』
シェラはそう締めくくった。またしても静寂が地下に満ちた。それは先程のものとは違い、どこまでも重く空気に絡みついている。
竜の話は真実なのか。それは分からない。しかし、ヤージュダークが偽典として封印されたことは事実だ。そしてウェルデンが言った通り、その中身が融和と共存を語っているのも本当なのだろう。それは本来歓迎されるべきものであって、封じ込められるものではないだろう。もし竜の話が本当ならば、全てに説明がついてしまう。
つまり。これまで俺たちが殺した何万というサラマンダーと。彼らに殺されたケット・シーたちの生命は、教会の欲望によって意味もなく消費されていたということになる。
─────そして、俺の琥珀色の目と炎の魔法。それによってこれまで受けてきたありとあらゆる苦痛。絶望。俺が殺したアルト。その全てが何の意味もなかった。そういうことになるのか。
『ここから出る方法を、私は知っています。望むならば教えましょう……けれど、真実を知ってもなお、貴方たちは前に進みたいと思いますか?』
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