約束
シルヴィアの言葉が終わっても、誰も一言も発さなかった。多分、どうするか決めかねているのだろう─────そもそもウェルデンは状況が理解出来ていないかもしれないが。結局、シルヴィアをどうするかは俺とアルフェが決めるべきなのだが、俺自身としては彼女の行為を咎める気持ちはあまりない。いや、最初は多少あったような気もするが、それは単なる衝撃であったように思う。なぜなら、俺がこんな姿と魔法で生まれてきてしまったのと同じく、聖氷教を信じる彼女が俺を異端告発するのは仕方がないことなのだから。しかし、そんな俺の気持ちとは裏腹に、アルフェはこちらを窺うように見た。
「エルー……」
「……アルフェはどうしたいんだ?」
聞くと、彼女は何故か憤怒のような、憤りの表情を覗かせた。しかしそれは見間違いだったのかと思うほどに一瞬で消える。
「……あなたはいつもそうよね。自分の事は二の次で他ばっかり。その腕の傷だってそのままだし」
彼女が何を言いたいのかがよく分からず、俺は押し黙るしか無かった。今まであまりの展開に忘れかけていた右腕の傷がずきずきと疼き始める。とはいえ、軽傷とまでは言えないものの死ぬような傷ではない。教皇について歩く間に一応自力で止血したし、ずっと歌い続けていたアルフェの手を煩わせるのも悪いかと思ったので放っておいただけなのだが……
またしても重く張り詰めつつあった空気を変えようとしたのか、ウェルデンが何か言おうとした。が、それを遮るように、シルヴィアが歩いてきた通路の向こうから何かが這うような嫌な音がした。第三迷宮はその名の通り、入口らしきこの場所から無数に道が分岐していた。どちらに進むべきなのか迷いそうになったが、ウェルデンはその内の一本に躊躇いなく進んで手招きした。
「こっち! 早く!」
そうしている間にも不気味な音はどんどんと近づいてくる。俺たちは意を決してウェルデンに続いて走った。幸い、迷宮自体は自然の代物ではなさそうだが地面は土で、気づかれなかったのか音が追いかけてくる素振りはなかった。迷いなく入り組んだ道を走っていくウェルデンは、先程までの負傷を全く感じさせない速さで、俺の腕は身体が上下する度に思い出したように痛んだ。俺が明らかに右腕を気にしているのが見えたのか、後ろを走るシルヴィアがぼそりと言った。
「その腕、治しましょうか」
俺が何か答える前に、シルヴィアの更に後ろをを走るアルフェの冷たい声が聞こえた。
「何かおかしな事をする気じゃないでしょうね」
「私を信じられないのなら、何もしませんが……痛いのではないかと、思っただけです」
シルヴィアは小さく呟いた。彼女はそれきり何も言わなかったが、ぎこちないものの好意で申し出たことは俺にも伝わった。
「……じゃあ、後でお願いできるか?」
「エルー?」
「……え」
アルフェが驚いたような声を発し、治療を申し出た側のシルヴィアも少し戸惑ったようにこちらを見た。
「それとも、やっぱり嫌になったか?」
「……いいえ。ありがとうございます」
彼女は俺のからかう様な台詞をきっぱりと切ってお礼を告げた。治療する側がされる側にお礼を言うのはおかしな気もするが、シルヴィアがそれでいいならよしとしよう。
最初からどこにいるのかなど分かりはしなかったが、入り組んだ道を走ったおかげで本当に分からなくなった。ウェルデンは少し開けた十字路のような場所で足を止める。と同時に、地面に力なく座り込んだ。
「大丈夫か?」
「うん。ごめんね……過去を見たせいでちょっと頭痛がしただけ」
「過去を……見た?」
俺の怪我を治療しながら、シルヴィアが怪訝そうに聞き返した。不機嫌さが漏れ出ているアルフェは何も言わない。
「うん……僕、君たちと同じ契約者なんだ」
ウェルデンは無垢に答えたが、彼はシルヴィアが部隊の中で唯一契約者でないこと、そして彼女が聖氷教に従わないものを心底嫌っていることを知らない。俺はシルヴィアが烈火のごとく怒り出すのを予想して、思わず身を竦めた。しかし、意外なことに彼女は尾をぴくりと揺らしただけだった。
「……私は契約者ではありません。そこの二人だけです」
「……そっか」
ウェルデンも何かを悟ったのか、それ以上その話を追求することはしなかった。治療は終わったらしく、シルヴィアが疲れたような息を吐く。
「……ありがとう」
彼女は少し照れたように頷くと、ウェルデンと同じように座り込んだ。顔色があまり良くない。俺は数瞬躊躇ったが、勇気を出して話しかける。
「どうしたんだ?」
「実は私の魔法、少し特殊で……私はあまり
未だぎこちなさはあるものの、シルヴィアは普通のケット・シーに接するのと同じように俺の質問に答えた。俺の方を向こうとはしないが。これを通常の会話と呼ぶのかは謎だが、こんな風に話したのは初めてかもしれない。
「言っとくけど、私、まだあなたがエルーにした事許してないからね」
一瞬空気が緩みかけたものの、アルフェの硬い声がそれを阻んだ。
「……アルフェ、俺は大丈夫だから、この問題はここを出れたら改めて片付けないか? とにかく、ここから出れないと元も子もないし……」
俺の言葉に、彼女は真意を計るようにじっとこちらの眼を見つめたが、数秒後、少しだけ声音を和らげて返答した。
「あなたがそれでいいなら……」
彼女が同意してくれたことにほっとする。こんな所で争うなんて真っ平御免だ。そもそも、ここで死ぬかもしれないのだから、過去の諍いを持ち込んだって仕方がない。少しではあるが未来のことを考えた俺は、あることを思いついた。
「ウェルデン、ここから脱出出来たら特別隊に入らないか? 仮定の話だけど……」
「あっ、それいいね! きっと楽しくなるよね!」
俺の提案にアルフェがぱっと顔を輝かせた。切り替えが早いな、と思いつつウェルデンの反応を見る。彼はいきなりのことに戸惑ったのか、一瞬声を詰まらせたものの頷いた。
「あ……うん。いいね。もしここから生きて出られたら、だけどね」
「約束ね!」
アルフェは嬉しそうに言って、久しぶりに笑顔を浮かべた。
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