3.

 久しぶりに故郷へ向かう山道を通った。

 中学生の頃、親の運転する自動車に乗ってこの道を通った時は……右に左に蛇行する長い道が、故郷の小さな町と外界を隔てる障壁のように思えて、早く外の世界に出て行きたい……こんな長い道を通らなくても世界と繋がれる場所に住みたいと思ったものだ。

 高校入学と同時に実質的に地元を離れ、あっという間に三十七年が過ぎた。

 もはや地元民ではなく部外者になった身で故郷へ向かう道を走っていると、初夏の山間を流れる風が冷たく清々すがすがしく、たまにならこの道をドライブするのも悪くないと思えてくる。

 妻と一緒に来たかったな……と、一瞬だけ思った。

 故郷へ帰るというのは急な思いつきだったから、仕事のある妻を連れて来るなぞ、どだい無理な話だ。

故郷くにに帰るのは、お袋の三回忌以来だな……)

 当然、葬式や法事の時もこの道を通っている訳だが、用事があって帰るのと、こうして目的も無く帰るのとでは、気分が違う。

(……いや、目的が無いって訳でもない)

 読原よみはら百合子ゆりこに会う事。それが目的だ。

 あの夢を見ることで睡眠が阻害され、私は慢性的な睡眠不足に陥り、徐々に精神を擦り減らしていた。

 どうにかして、深い眠りを取り戻したかった。

 しかし、読原に会ってどうしようというのか?

 彼女に会えば、夢を見ずに熟睡できるようになるとでもいうのか?

「俺が五十二歳なら、読原も五十二だ……」

 自動車の窓から入って来る高原の風を浴びながら独言ひとりごちる。

 彼女とは小学校時代の同級生だ。

 夢に出てくる小学六年生の読原百合子を思い浮かべ、そこから五十二歳の彼女の姿を想像してみた。

 夢の中の彼女……すなわち私の記憶の中の彼女……は、手足のスラリと長い美少女だった。

 今にして思うと、私を含め当時の同級生の男子は皆、読原百合子に幼い恋心を抱いていたようだ。

「まさか……深層心理に眠っていた、満たされなかった小学校時代の恋心が原因って話じゃないよな? チンピラに頭を殴られて眠っていた記憶が呼びまされたってか?」

 自分の発想に、自分で苦笑してしまった。

 馬鹿馬鹿しい……

(俺は、なんで夢の内容を……読原百合子のことをカミさんに話さなかったんだろうな……)

 退院して以降、睡眠不足の夜が続いている事は、妻にも言ってある。

 しかしその原因が夢にある事までは言わなかった。

 当然、夢の中に出てくる美少女、読原百合子に会うのが帰省の主な理由だという事も、妻は知らない。

 家族には、ただ「フラリと故郷に行って気分を変えたい……」とだけ告げた。

 妻も息子も、それで納得したようだった。

(夢の内容を言わなかったのは、無意識に、妻に対してを感じたからか?)

 ハンドルを握りながら、心理学者を真似て自己分析してみる。

(いやいや、単に小っ恥ずかしくて言えなかっただけだろ……四十年ぶりに初恋の人の夢を見るようになって、それで会いたくなったから帰省します……なんて、自分の妻に言えるかぁ?)

 そこで、ふと、奇妙な事に気づいた。

(……そうだ……四十年ぶりだ……)

 上京してからこっち故郷に帰る事は滅多になかったが、それでも全く帰省しなかったわけでもない。

 かつての同級生とも、何度か会って酒を飲んでいる。

 男子の憧れの的だった美少女……彼女自身に会うことはなくても、友人らと飲んだ時に『あいつ今、何してんの?』といった噂くらいは耳に入っても良さそうなものだが……そんな話を聞いた記憶が全く無い。

 ……それどころか……

 姿

 中学に上がって本格的に思春期が始まれば、男子たちが彼女みたいな美少女を放っておくはずは無かった。

 実際に交際するしないは別にしても、有ること無いこと色々話題にして騒いでいた筈だ。

 しかし、その記憶が無い。

 私の生まれた町には中学校が一つしかない。

 町の子は皆、その中学校に通う。

 それなのに、中学の制服を着た読原百合子の姿を思い出せない。

(小学校卒業と同時に他の町へ引っ越したんだっけ?)

 どうも何かが引っ掛かった。

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