33.

 谷底の道を抜け……私は、あのピラミッドがある広場に戻って来た。

 昨日は、老人が運転する軽トラックに乗せられて来た。

 今は〈夜叉護やしゃご財団〉のメンバーたちと一緒に、彼らのカローラに乗っている。

 空の色も、だいぶ明るくなってきた。

 間もなく太陽が昇るだろう。

 運転手の小麻がハンドルを何度か切り返し、谷間の道と広場の境界にカローラを横向きにしてめた。

 助手席に座る熊枝洋吉とその後ろに座る私の側、つまり自動車カローラの左側面がピラミッドの方を向く形だ。

 右側面、運転席の小麻とその後ろに座る土駒明夜の側が、谷底の道に面する。

(一本道に対して直角に自動車くるまを置く……なるほど、車体をバリケード代わりに使って、村の方から来る奴らを遮断しようって訳か)

 小麻が、耳に無線ブルートゥースイヤフォンのようなものをめた。

 助手席のヘッドレスト越しに熊枝を見ると、彼も同じものを耳にめていた。

「あー、あー、テスト、テスト……本日は晴天なり」小麻がつぶやく。

 その声がスピーカーで増幅され、車内に響いた。

 あのイヤフォンには骨伝導マイクが内蔵されているらしい。

「どう? 私の声、聞こえる?」明夜アキが前席の男たちにたずねる。

「良好、良好」小麻がOKのサインを出す。

 車内の何処どこかに仕込まれた集音マイクが明夜の声を拾い、それを〈アンチョビ〉とかいう人工知能が男たちのイヤフォンに送信したのだろう。

 つまり車外に出ても、耳に仕込んだ通信機を通して、彼らは車内の明夜と会話できる訳だ。

「それじゃ、作戦開始と行きますか」小麻が言い、それを合図に前席の男二人は小銃を持ち、同時にドアを開け、車外へ出た。

 助手席の熊枝がピラミッド側、運転席の小麻が谷底の道側に出た格好だが、小麻は直ぐにボンネットを飛び越え、熊枝と並んでピラミッド側に立った。

 M4小銃を構えて、ピラミッドに向け引き金を引く。

「ピュンッ」という、空を切り裂くような小さな音。

「銃声が、小さいんだな」私は気づいてつぶやいた。「消音装置とかいうヤツも無いのに」

 スパイ映画なんかに出てくる、銃口に取り付けて音を消す筒状の装置が無い。

 にもかかわらず、小麻のM4からはわずかな音しか聞こえなかった。

「彼の〈能力〉は石化よ」私の疑問に答えるように明夜が言った。「触れたものを石に変えてしまう能力ちから。そして銃の引き金を引く瞬間、弾丸に『ねん』を込める事もできる」

「弾丸に『念』を込める? だって?」

「それによって、遠距離からでも石化攻撃を加えられる……弾丸に込められた『念』には、音速を越えた瞬間の衝撃波を中和する効果もある。だから発射音が消える。消音装置は必要ない……小麻さんの役割ポジションは、遠距離攻撃ロングレンジ

「ロングレンジ? じゃあ、もう一方の……熊枝とかいう男の役割は?」

「熊枝さんの役割ポジションは、近接攻撃クロース・クウォーター。剣や戦斧で敵にとどめを刺すのが仕事」

 その時、小麻の声が通信機を通して車内に響いた。

「俺の石化弾が効かない……あのピラミッドがダイヤモンド製ってのは本当かも知れん……元からダイヤで出来てるなら、そりゃあ、俺の石化能力も意味無いわな」

 それに続いて熊枝の声。「ADG320タイプそのものじゃなくて、その亜種かも知れんな。アンチョビ、ちゃんと記録しておけよ」

「了解」と合成音が答える。

「どうしたものかな」小麻が言った。車内スピーカーを通して聞こえるその声には、かすかに戸惑いが感じられた。

「戦術支援プログラムより、提案……」再び、アンチョビの声。「スキャンの結果、入り口の自動扉は薄く、集中攻撃による破壊は可能」

「つまり……」と熊枝が言う。「俺に、頑張ガンバって来い……て訳か?」

 窓ごしに熊枝の様子を見た。

 彼は、いかにも『やれやれ、面倒めんどうだ』と言った雰囲気を漂わせながら肩帯スリングを使って小銃を背中に回していた。

 そして右側の腰に付けた鞘から短剣を一本抜き、「ぬんっ」という気合いと共に、逆手に持ったそれを地面に突き刺した。

 驚くべきことに、たった一突ひとつきで、剣は刃の根本、つばの直前まで地面に深々と刺さった。

 何という筋力……そして瞬発力だ。

 さらに驚くべき現象が続く。

 一度地面に突き刺した短剣を熊枝が引き抜いた時、それは

 長い鋼鉄製の柄の先に、栗のイガイガのようなスパイクを無数に生やした鉄球が付いている……確か、モーニング・スターとかいう中世ヨーロッパの武器だ。

「熊枝さんの〈能力〉は『金属形状操作』」明夜が窓の外の熊枝を見ながら私に言った。「手に触れた金属の形を、自由自在に変化させられる……しかも、手にした剣なり槍なりを地面に突き刺し、土中の鉄分を吸収させ、質量を増やす事も可能なの」

「つまり、土の中の金属成分を集めて武器を成長させられるってのか? 根から養分を吸って成長する木みたいに? それで短剣が、あんなデカい武器に……」

 私は明夜から視線を外し、もう一度、熊枝を見た。

 巨大な鉄球を付けた棒を右手に持ち、彼は、ピラミッドの入り口に向かって走り出した。

 ……ものすごい速度だ。

 オリンピックの短距離走者……いや、全力で獲物を追うライオンか……

(あの人間離れした筋力と瞬発力も彼の〈能力〉なのか?)そんな風に思った。

 自動扉の手前まで行った熊枝が、野球のフルスイングの要領で透明な扉に鉄球をつける。

 粉々に砕ける扉。結晶の割れる「バリン!」という音が、カローラの車内まで響く。

 カローラのリアハッチが開いた。

 振り向くと、小麻が小銃ライフルとは別の武器を荷室から取っていた。

「熊枝、射線から外れろ」通信機から聞こえる小麻の声。「催涙ガスをく……いぶり出してやる」

 リアハッチを閉め、催涙ガスの発射装置ランチャーを構える。

 一発目。割れた自動扉の向こう側に命中。続いて二発、三発。

 ピラミッド内に撃ち込まれた催涙弾が煙を吐き出し、建物の中が見る見る白く濁っていく。

 熊枝は既にカローラ横のポジションに帰っていた。

 右手に握られた巨大な武器モーニングスターが、一瞬にして元の短剣に戻る。

 彼は短剣をさやに収め、再び銃を構えた。

 煙の中から、白い貫頭衣を着た男女がゾロゾロと出てくる。

 昨日、私を気絶させ、森の中に捨てて来いと命じた連中だ。

 皆、両手で顔を覆い、ゴホゴホとき込んでいる。

「どうだ? 催涙弾の味は?」車内スピーカーから小麻の声が聞こえた。「満足に呼吸も出来ないようじゃ、自慢の『音響攻撃』も無理だろう」

 窓ごしに彼を見ると、催涙弾のランチャーからM4自動小銃に持ち替え、ピラミッドから出て来た連中に狙いをつけていた。

『ピュンッ』

 鋭い発射音。

 白衣集団の中にいた若い女が、胸を打たれてり、その姿のまま灰色の石に変質して動かなくなった。

 中年の男が撃たれ、倒れる途中の姿で石像と化し、地面に横たわった。

 老婆、若い男、女……次々に撃たれ、石になる。

 彼らは、私を『音響攻撃』とかいう技で気絶させ、怪物のいる森に置き去りにした連中だ。

 ……しかし……

「武器も持たない無抵抗の人間を銃で皆殺しにするのか?」私は隣に座る明夜アキへ振り返り、思わずその端正な顔をにらんでしまった。

 語気が荒くなっていると、自分でも分かる……相手は、まだ二十歳にも行かないであろう少女なのに。

「さっき小麻さんも言ったでしょう? あれはよ」無表情のまま、明夜が言った。「〈異界神〉の幼虫を植え付けられ、そのコントロールによって脳死状態のまま動かされているだけ」

「しかし……彼らは互いに言葉を交わしていたぞ? しかも日本語だった」

白蟻しろありの群れだってコミュニケーションくらい取るわ。フェロモンという化学物質を使ってね。〈異界神〉の中には、乗っ取った人間の言語中枢を利用して眷族けんぞくとコミュニケーションを取るタイプも多いよ」

「しかし……」

「人間の見た目に騙されないで。何度も言うけど、あれは〈異界神〉という名の寄生虫が、死体を操っているだけ」

 気がつくと、世界は朝の光に満たされていた。

 窓ごしに、谷底の道をこちらへ走ってくるトラックが見えた。

 荷台に、村人たちが何人か乗っている。

 明夜アキもトラックに気づき、「村から加勢かせいが来た。気をつけて」と叫んだ。

 それまでピラミッドの方を向いていた熊枝が振り返り、カローラの車体を盾にするような格好で、村人の乗ったトラックへ銃口を向けた。

 小麻の方は、相変わらずピラミッドから出てくる白衣の男女を片っ端から撃って石化させている。

 小麻がピラミッド担当、熊枝が谷から来る村人担当という風に、あらかじめ役割分担をしていたのだろう。

 熊枝が、M4自動小銃の引き金を引いた。

 銃声がとどろく。

 同時に、谷底をこちらへ向かって走っていたトラックのフロントガラスが割れ、真っ白に曇る。

 もう一発、フロントガラス。

 三発目は右フロント・タイヤに当たり、タイヤが破裂バーストする。

 たまらずトラックが谷間の道をふさぐように横転。

 荷台に乗った村人たちが地面に放り出された。

 その後ろにも車が何台か続いていた。しかし先頭車が横転したため、停車せざるを得なかった。

 停車した車から村人らがゾロゾロと降りてくる。

 彼らが横転したトラックを乗り越えこちら側に全身を晒したところを狙って、熊枝が連射モードにした自動小銃で薙ぎ払う。

 バババババ、という連続した炸裂音。

 どうやら小麻と違い、熊枝には銃声を消す能力が無いらしい。

(熊枝は『弾丸に念を込める』能力を持たないのか……)

 村人たちが、顔、胸、腹などから血を吹いて次々に倒れる。

 小麻に撃たれた者は一瞬にして石像と化すが、熊枝に撃たれた者は、ただ血を流して死ぬ。

 それだけに生々しかった。

 村人の多くは老人と老婆だったが、若い男女の姿もあった。幼い子の姿も。

(これじゃ……こんなの、一方的な虐殺じゃないか)

 私はたまらず、今すぐ車外へ出て熊枝の銃撃をめさせようとドアノブに手をけた。

 その私のそで明夜アキつかんで制した。

「落ち着いて。何度も、何度も言うわ。あれは人間じゃない。人間の死体を操っている寄生虫……寄生虫、細菌、ウイルス、そんなものに情けなんて必要ない……撲滅する事、全滅させる事だけを考えれば良い。それが世界のため。人類のためよ」

「……」

「これを見て」そう言いながら、明夜は私の胸にタブレットを押し付けた。

 タブレットの画面を見る。

 車載カメラの望遠画像だろうか……熊枝に撃たれ、今まさに倒れようとする少年の姿が映し出されていた。

 その後頭部は、大きく膨らんでいた。

 膨らみから無数のイトミミズみたいな触手がウネウネと広がっている。

(彼女の言う通りなのかも知れない……あそこに立っている村人は皆、〈異界神〉とやらに脳を冒され、脳死状態で肉体を操られている『生きた死体』なのかも知れない……しかし……)

 私は、明夜アキの顔を見た。

 美しい瞳が、必死に訴えていた。

『車の外へ出ては駄目』と。

 その時「アアアアア……」という高周波音が車内に響いた。

 奴らの音響攻撃だ。

 しかし音量は小さかった。

 不快な音ではあるが……相手を気絶させたり脳にダメージを与えるような攻撃力が無い。

「なるほど……これが音響攻撃ってやつか」熊枝が言った。「確かに気持ち悪い音だな」

 ……大丈夫、なのか? 熊枝も、小麻も、私たちも。

「大丈夫よ」まるで私の心を読んだかのように明夜アキが言った。「この車はシールドで守られているから」

「シールド? 確か、前もそんな事を言っていたな……しかし、外の二人は?」

「小麻さんと熊枝さんも大丈夫。遠く離れない限り、彼らもシールドが守るから」

 なるほど……シールドとか言うこの自動車の防御能力は、車の外に出てもある程度の範囲なら有効と言うわけか……

「おい」通信機ごしに、小麻の声が聞こえた。「おいでなすったぜ。

 ピラミッドの方を見た。

 小麻の攻撃を受け、白い貫頭衣の者らは皆な石像と化していた。

 そして、壊れた自動扉の向こうから、散乱する石像を踏み倒し、『何か』が姿を表そうとしていた。

 巨大な、肉の塊。

 殻から出るカタツムリのように、まだら模様のブヨブヨとした巨大な肉の塊が、ピラミッドの中から這い出てきた。

 その肉塊の先端に…………ああ……十二歳の……小学六年生の……彼女が……記憶そのままの姿で……

「読原!」

 私は無我夢中で、ドアを開け、そでをつかむ明夜アキの手を振り切って車の外に飛び出た。

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