21.

 舗装農道を走る軽トラの荷台に後向きに座って、流れて行く景色を眺めた。

 田畑の中に、ポツリ、ポツリと民家が見える。ありふれた日本の田舎のように感じられた。

 なぜか人の姿が見えない。

 ここが日本の何処どこであれ、過疎化が進んでいるのは間違いなさそうだ。

 人が少なくて当然とは思うが、それにしても私が乗っている軽トラ以外に、自動車一台、住民一人の姿さえ見えないのは、どういう訳だ?

(一人くらい農作業をしている村人が居ても良さそうなものだが……)

 軽トラが、農道に面した一軒の家の前で停車した。

 どうやら住居の一階部分を店舗に当てた、田舎によくある小さな雑貨店のようだ。

 店の前に昔懐かしい公衆電話が設置されている。

 運転席から出て来た老人が「ちょっと電話してくるから、待っててくれ」と言って、その公衆電話まで歩いて行った。

 彼が電話を掛けている間に、私は荷台の上に座ったままポケットから携帯電話を出して見た。

(やはり、圏外か)

 何となく、そうだろうと予感していた。

 アイパッドやロイヒトトゥルムのB5ノートが入ったかばんはミライースの車内に置いてきた。

 ポケットの中には携帯の他に、幾らかの現金、クレジットカード、運転免許証、それとハンカチ。これが今の私の所有品すべてだ。

 電話をしている老人の後ろ姿へ視線を戻し、ふと『誰と何を話しているのだろう?』と思った。

 さすがに話し声までは聞こえない。

 そこで奇妙な事に気づいた。

 いつの間にか、老人は自分の後頭部全体をタオルで覆い、その両端をあごの所で縛っていた。時代劇のコソ泥がするっかむりのようだ。

 さっき出会った時は、あんな物していなかった。

 やがて用事が済んだのか彼は電話を切って軽トラに戻り、荷台の私に「待たせたね」と言って、運転席に乗り込んだ。

 終始、例の『ニコニコ顔』のまま。

 車が、再び動き出した。


 * * *


 老人の運転する軽トラックは、典型的な日本の田舎景色を通り過ぎ、ゴロゴロした石ばかりの荒れ地に入った。

 荒れ地に入ると同時にアスファルトの舗装路面が途切れて、乾いた土の上にかろうじてわだちの跡が見えるだけの道に変わった。

 構わず、荒れ地の未舗装路を先へと進む。

 さすがに不安になった。

 老人は「村役場まで送ってやる」と言ったが……こんな場所に本当に役場があるのか?

 やがて道の両側が切り立った崖に変わった。

 二つの崖に挟まれた谷底のような場所を、奥へ奥へと進んでいく。

 まるで石切場にでも向かっているようだ。

 徐々に不安が高まっていく。

(この老人、本当に信用できるのか? まさか強盗なんて事はないだろうが……痴呆ぼけている、とか?)

 突然、視界が開けた。

 サッカーグラウンドが優に四、五枚は敷けそうな円形の平場に出た。

 周囲は崖。

 巨大な盆の底みたいな場所だ。

 自然に出来た地形とは思えない。

 露天掘り採掘場の跡地、だろうか?

 円形の平場の中央に、異様な建築物が見える。

 だ。

 太陽の光を反射してキラキラと輝く〈透明のピラミッド〉

 大きさでは本家エジプトに及ばないが、それでも高さは五階建てのビルディングくらいあるだろう。

 驚くのはその材質……というか、視覚へ強烈に訴えるその質感だ。

 陽光を内部で複雑に反射させて輝く無色透明の結晶体。

 プリズム現象というのだろうか……所々で反射光が虹色になっている。

 単に全面ガラス張りのビルディングというだけなら、東京にも無数にある。

 しかし、あんな風に複雑に光を反射してキラキラと光る建物なんて……

 いや、ピラミッドの材質なんてどうでもいい。

 これが村役場だって? あり得ないだろう。

 建物の十メートルほど手前で、軽トラックは停車した。

 運転席の老人がクラクションを短く二度鳴らし、エンジンを切り、車外に出て私を見た。相変わらずのニコニコ顔だ。

「さあ、着いたぞ」

「ええと……ここが村役場、ですか?」

 私の問いに、老人がうなづく。

 美術館や劇場など公共建築の中には凝った造り(あるいは珍妙なデザイン)の建物が少なくないと聞くが、まさか透明ピラミッドが村役場とは。

(それに、なんで態々わざわざこんな村はずれの採石場跡地みたいな場所に建っているんだ?)

 若干の不審感を覚えながらも、トラックの荷台から降りる。

 彼は、ニコニコ顔のまま透明のピラミッドを見上げて「すごいだろう?」と言った。

「すごいだろう? これ」

「ええ。まあ」私は曖昧あいまいに相槌を打って、き返した。「総ガラス張りのピラミッド、ですか」

「ガラス? とんでもない!」老人は『オラが村の役場はそんな安っぽいもんじゃねぇぞ、バカにするな』とでも言いたげな顔をした。

 それも一瞬で、またぐに元のニコニコ顔に戻る。

「ガラスじゃないんですか? じゃあ?」私は重ねていた。

だよ。建物自体が、無垢むくのダイヤ単結晶体だ」

「まさか……」

 建物全体が巨大な一つのダイヤモンド?

 そりゃ一体いったいどういう冗談だ?

 あらためて透明ピラミッドを見上げた。

 確かに、表面の質感や陽光の反射ぐあいから『単なるガラスではない』という印象を受ける。単なる全面ガラス張りのビルとは、何かが違う。

(しかし、それにしたってダイヤモンドって……)

 ピラミッドの中央には、自動ドアらしき物があった。あれが正面玄関だろう。

 ドアが開いた。

 中から異様な姿の男女がゾロゾロと歩いて出てきた。

 全部で五十人くらいか。

 異様な集団だ。

 おそろいの真っ白な貫頭衣。

 老人と同じニコニコ顔。

 その、ピラミッドから出て来た真っ白い服のニコニコ顔集団が、建物の前に横一列に並ぶ。

 いっせいに、口を大きく開ける。

 彼らの後頭部から、ニョロニョロとした細い触手のようなものが出て来た。

 一人につき、十本か十五本くらいだろうか。

 それがゆらゆら揺れながら後頭部を中心に放射状に広がっていく。

 まるで、宗教画に描かれた『後光』のグロテスク・バージョンのようだ。

「何だ、あれは」

 私は、振り返って老人を見た。

 老人が大きく口を開けながら『っかむり』を外した。後頭部から触手が伸びていく。

「あああああ……」

 オペラ歌手の発声練習のような高音で、老人が叫び出す。

 それに呼応するように、ピラミッドの前に並ぶ白衣の集団も「あああああ……」と叫び始める。

 声と声が共鳴し合い、その強烈な共鳴音が、私の耳から進入し頭蓋骨の中で反響を繰り返す。

 危険だ、逃げろ、と思う。

 しかし鳴り響く彼らの声によって、私の神経はすでに何らかの異常をきたしていた。

 走ろうとする足は一歩も動かず、両腕は力なく垂れ下がる。

 ついに私は膝から崩折くずおれ、土の上に体を横たえた。

 奴らの声が……不快な音が鳴り響く……頭が痛い……頭が割れそうだ。

 意識が遠のく……視界が暗くなる……

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