28.

 暗い夜の森を、自動車が走る。

 スピードは、それほど速くもない。

 こずえのあいだから、半分だけ明るい月が時々顔をのぞかせる。

 私が縛られ放置されていた祭壇の広場を離れて以降、このカローラを襲う〈森人〉は無かった。

 小さくうなるエンジン音と、未舗装路の石を踏むタイヤの走行音、風が木の葉を揺らす音。それだけ。静かといえば静かだ。

「自己紹介しようよ」後部座席、私の隣に座る少女が言った。「いつまでも『おじさん』って呼ぶわけにもいかないし」

 つまり『名乗れ』と私に言っている訳だ。

 彼らは命の恩人だ。別に隠す理由も無い。私は素直に自分の名前を言った。

「何やってる人? 仕事は?」続けて少女がいてきた。

 その質問にも答えてやる。フリーランスである事、その業種。

「ふうん。なるほど」と少女。「私は土駒つちこま明夜あきよ。よろしくね」

 少女に続いて、運転手の丸刈りダークスーツ男が「俺は小麻こぬさ金次きんじだ」と名乗った。

 さらに、助手席の筋肉男が「熊枝くまえだ洋吉ようきち」と低い声で言った。

 しばらくの沈黙。

 運転席の丸刈り……小麻こぬさ金次きんじが「なんでに来たのか、詳しく聞かせて欲しいな」と言った。

 車内は暗かったが、ルームミラーごしに運転手と目が合ったような気がした。

 私は迷った。どう説明したものか……そもそも、素性も分からない連中に話すべき事なのか。

「ひょっとして、私らのことを『怪しいやつ』って思ってる?」少女が……土駒つちこま明夜あきよが私にたずねてきた。

 彼女の方へ視線を向けると、暗闇の中で目だけが光っているように見えた。

「まあ、そりゃそうか」と彼女が軽くめ息をいた。

「いや、別にそういう訳じゃない」と私。

「でも私たちが何者かを知りたいんでしょ?」

「……」

「私たちは『夜叉護やしゃご財団』の従業員。まあ、〈エージェント〉ってやつ」

「やしゃご財団? エージェント?」

「やしゃご……ても、曽孫ひまごの子じゃないよ。鬼だか神様だかの『夜叉』に、まもるって書いて『夜叉護やしゃご財団』」

 夜叉、つまり古代インド神話の鬼神、転じて仏教の守護神の事か……しかし、こいつら一体いったい

「ますます分からない……って顔してるね」

「ああ。済まない。もう少し詳しく頼む」

「結構、長くなるよ。それと、私が話し終えたら……」

「俺も、自分の事を話せ、か? どうしてこんな場所に居るのか」

 少女がうなづいた。「それと、あまりにも話が突飛とっぴ過ぎて信じられないかも知れないけど、嘘は言わないから、信じて欲しい」

 望むところだ……話が突飛なのはお互いさまだと思った。

 私は「わかった」と少女に向かってうなづいた。「聞かせてくれ」


 * * *


 少女が話し始める。

「私たち〈夜叉護やしゃご財団〉のエージェントは、言ってみれば『駆除業者』みたいなものなんだ。

 私たちの世界に取り憑いた『虫』を駆除する害虫駆除業者。『虫』っていうのは例えだけどね。私たちは、その駆除すべき相手を〈異界神〉と呼んでる。

 私たちの世界とは別の何処どこかから飛来した、異世界の神様っていう意味。

 実際には、ある種の生物、生命体だと考えられているけど……やつらに精神を支配されてしまった人々にとっては神にも等しい存在だから、とりあえず私たちも〈異界神〉って呼んでる。

 どう呼んでも良いけど……異界、異世界、異次元の彼方……そんな場所から飛来した〈異界神〉は、私たちの世界に取り憑くと、その空間の一部を切り取って〈時空の壁〉で覆い、自分の〈巣〉にしてしまう。

 例えて言えば、蜘蛛が巣を張るようなイメージかな。

〈巣〉の大きさ、つまり〈異界神〉に切り取られる空間の広さは決まっていない。

 家一軒の事もあるし、細い路地一本の場合もあるし、学校まるごと、会社まるごと、村や町や、都市まるごとの場合さえある。

 そして……ここが重要で、理解しづらい所なんだけど……〈異界神〉が空間を切り取った瞬間から、

 ええと、上手く説明できるかな……

 例えば、異世界から来た〈異界神〉が、私たちの世界の一部を切り取ったとする。

 その切り取った空間の中に、誰かの家が含まれていたとして……その家は、どうなるのか? そこに住む家族は?

 答えは……

 切り取られた空間の外側の世界では、。そういう時間線に修正されてしまう。

 家も、そこの住人も、最初から無かった事にされる。

 あらゆる帳簿の記録、全ての人の記憶から、その家、その家族の存在が消される。

 いいえ……消されるなんて、生易なまやさしい物じゃない。

 何度も言うけど……そもそも私たちの歴史、私たちの時間線には存在しなかった事にされてしまうのよ。

 一方、私たちの世界から切り離され、〈異界神〉の巣の中に取り込まれた人々は、どうなるのか?

 彼らは彼らで、独自の時間線を……独自の記憶、独自の歴史を与えられるの。

 それまでとは別の記憶、役割、設定を与えられて、新たな設定にのっとって生きる、生かされる、という事。

 そして切り取られた空間……〈異界神〉の〈巣〉は、徐々に成長し体積を広げ、やがて一つの完成した世界になる。いずれ元の世界とは完全に独立した別の世界が出来上がる」


 * * *


 土駒つちこま明夜あきよは、そこまで一気に話し、(どう? 理解できた?)とでも言いたげな目で私を見た。

 つまり、ってやつか?

 彼女の説明を、私自身の故郷に当てはめてみた。

 ……時間軸上のある時点までは、私の故郷は四つの村が合併して出来たという歴史を持ち、旧禁刃野いさはの村は存在し、読原よみはら百合子ゆりこという少女も存在した。

 そこへ、異世界の何処どこかから〈異界神〉なる生命体が飛来し、旧禁刃野いさはの村を含む空間を切り取り、隠し、自分の〈巣〉にしてしまった。

 結果、切り取られた空間の外側の世界では歴史が改変され、禁刃野いさはの村など最初から存在しない事にされ、読原よみはら百合子ゆりこの痕跡も完全に消滅した……役所の記録からも。同級生の記憶からも。


 * * *


「〈異界神〉の巣には……」

 土駒つちこま明夜あきよが再び話し始めた。

「〈異界神〉が切り取った内側の世界と、元から存在する私たちの世界との間には、所どころに『穴』が開いている。二つの世界をつなぐ『通路』と言っても良い。

〈異界神〉は、外の世界からその『穴』を通って〈巣〉の中へ迷い込んで来る人間を待っている。

 ちょうど、蜘蛛が巣を張って、そこに引っかかる獲物を待つようにね」


 * * *


「なるほど……な」

 少女の話を聞き終え、私はつぶやいた。

「つまり俺は、その〈異界神〉とやらの蜘蛛の巣に、知らず気づかず足を踏み入れ、まんまと異世界に捕らえられた、という訳か」

「いいえ。違う」土駒つちこま明夜あきよの目に、挑戦的な色の光が見えた。「昨日、森の中でれ違った時に『ひょっとしたら』と感じていたけど、いま、こうして異世界で再会して、確信した……おじさんには、んでしょ? それどころか。誰も知らないはずの、……違う?」

 少女の目が『さあ、今度は、あなたが話す番だ』と言っていた。

 私はうなづき、深く息を吸い、吐いた。

 そして、全てを話した。少女だけでなく、前席に座っている男二人にも聞こえるように。

 ……東京の繁華街でチンピラに殴られ頭を強く打った事。それから同じ夢を見るようになった事。読原よみはら百合子ゆりこという少女。彼女が住んでいた旧禁刃野いさはの村という土地。それらが誰の記憶にも無く、どの資料にも記載が無い事。森の中の透明な壁。そこを通過し気づいたら見知らぬ村に居た事。老人に連れられて行った透明なピラミッド。後頭部から触手の生えた村の住人たち。

 話し終えると、喉がカラカラになっていた。

「はい、これ」土駒つちこま明夜あきよが、私に緑茶の五百MLペットボトルを手渡した。

 私は「ありがとう」と言って遠慮なく受け取り、キャップを外して喉をうるおした。

「なるほどねぇ……」と少女。

「パス・ファインダーだな」話を聞いていた筋肉男……熊枝くまえだ洋吉ようきちつぶやいた。

「うん。そうだね」少女が熊枝くまえだに答える。「たぶん……てか、間違いない。おじさんは、通路探索者パス・ファインダーだ」

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