4.

 四時少し前に到着した。

 故郷ふるさとの町は、母の三回忌に帰った時から何も変わらず、静かに眠っているようだった。

 まずはチェックインを済ませておこうと、民宿へダイハツ ・ミライースの鼻先を向ける。

 田舎町ではありがちな事だが、この町の住人の三分の一は知り合いで、三分の一は『知り合いの知り合い』、残る三分の一は『知り合いの知り合いの、そのまた知り合い』だ。

 宿の主人は私の二歳上で、当然、小・中は同じ学校に通っていた。

 チェックインを済ませ、部屋へ案内された時に、その二年先輩の宿の主人あるじに、『読原よみはら百合子ゆりこ』についていてみた。

「読原? うーん……憶えていないなぁ」と、彼は首を横に振った。


 * * *


 実家を継いだ兄には、前日に連絡を入れておいた。

 民宿を予約したと言うと「水くさい事を言わずに、家に泊まれば良いだろう」と返された。

 もちろん私の怪我と入院のことは兄も知っていた。私が「まだ体調が完全じゃないから、夜は一人で静かに眠りたい」と答えると、強いてそれ以上勧めては来なかった。

 その代わり、という訳でもないのだろうが、初日の夜は実家で夕飯を食べて行け、と言われた。

 それには素直に従うことにした。

 どうせ酒を飲む流れになるのだろうから、レンタカーで実家に戻るわけにはいかない。

 車は民宿の駐車場に置いて実家まで歩こうと決めた。時間にして十五分ほどの距離だ。

 七時半に夕食を始めると言われたので、七時過ぎに民宿を出て、夜の田舎道をテクテクと実家へ向かって歩いた。

 兄と兄嫁が二人で腕を振るったという夕食は、なかなかに豪華で、品数も多かった。

 ビールの五百ML缶を何本か空けた。

 怪我の具合はどうだとか、仕事の調子はどうだとか、東京で働いている娘(つまり私にとっては姪っ子)がちっとも連絡を寄越よこさない、心配だからたまには様子を見に行ってくれとか、娘には早く結婚して欲しい、早く孫を抱きたいとか……酔っぱらった兄の愚痴だか何だか分からない話を二時間も延々と聞かされ、九時半ごろ実家を後にして、少し肌寒くなった夜の田舎道を、民宿まで歩いて帰った。

 薄暗い街灯と満天の星空の下を、缶ビールの酔いを冷ましながら歩いていると、雑多な思いが浮かんでは消えていく。

 読原百合子について、兄貴にもたずねておくべきだったろうか? と自問し……いやいや、やっぱり話題にしないで正解だ、と自答する。

 兄も兄嫁も、私や読原とは年齢としが離れているから、彼女と接点があったとは思えない。女の名前を出して変に勘ぐられるのも嫌だ。

 女同士の連絡網を使って兄嫁から我が妻に『むかし同級生だった女を探しにこの町へ帰って来たらしい』などと告げ口されたら、目も当てられない。

「読原百合子、か……」

 夜道を歩きながら独言ひとりごちる。

「そもそも俺は、彼女に会ってどうしようというのだ?」

 東京の飲み屋街でチンピラに殴られて頭を打って、それで脳の何処どこかの回路が繋がって、四十年ぶりに小学生時代の初恋の女子を思い出した……ここまでは、まあ、筋が通っているように感じられる。

 そして、殴られた後遺症だか何だかで、毎晩、彼女を夢に見るようになって、熟睡できない夜が続いている。

 ……で、いったい私は、何のために彼女に会おうとしているのか?

 まさか、会って『金輪際こんりんざい、俺の夢に出て来ないでくれ』とでも言うつもりか?

 医者に行って、睡眠薬でも処方してもらうべきじゃなかったのか?

 そんな事をグルグル考えているうちに、気づいたら民宿に到着していた。

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