11.

 九時を回るとぐに宿を出て農協へ向かった。

 例の三人組がだ玄関脇のソファに居座っていたら嫌だな、と思ったが、実際行ってみると朝のミーティングは終わった後らしく、彼らの姿は無かった。

 ハードタイプのスーツケースとは別に持ってきたショルダーバッグに、アイパッド、ロイヒトトゥルムのA5ノート、筆記用具を入れ、それを後部座席に置いてダイハツ・ミライースのエンジンを起こし、宿を出発した。


 * * *


 農協には乗用車三十台分くらいの、田舎町にしてはそこそこ大きな駐車場があった。

 建物から一番遠い端っこの駐車スペースにミライースをめ、食料品店でパンを二つと牛乳の五百MLパックを買い、車の中で朝食をった。

 パンをかじりながら、さっき見たこの町の航空写真について考える。

 思い出してみても、有りふれた山奥の田舎町を空から撮影した写真だ。奇妙な所なんて無い。

 ……なのに何故なぜ、あの航空写真に強烈な違和感を覚えたのか?

 違和感を通り越して拒否感とさえ言えるあの感覚の正体は何だ?

(これは俺の知っている故郷ふるさとの写真じゃない)

 直感的に、そう思ってしまった。

 プログラムのバグか何かで、グーグルともあろうものが間違って別の場所を表示したのか?

(まあ、それも絶対に無いとは言い切れないが……しかし)

 常識的に考えれば、間違っているのは私の記憶の方だ、という可能性の方が高い。

 生まれ故郷とはいえ、有名でもない小さな町の俯瞰写真を見る機会など、小学校の社会科の授業くらいのものだ。

 私が小学校を卒業してから、もう四十年の歳月がっている。

 実際、「グーグルが間違っているというのなら、では、お前の記憶にある『正しい町の姿』とやらを描いてみろ」と言われても、ほとんど思い出せない。

 小学校の社会科で、空から撮影した故郷の写真を見せられた記憶は有る。

 しかし、そこに写っていた町周辺の地形がどんなだったかなんて、憶えているはずもない。

「図書館に行けば確かめられる、か……」

 パンを食べ終え牛乳を飲み干し、ゴミをスーパー袋に入れてとりあえず助手席の足元に置き、私は、自動車のエンジンをかけた。


 * * *


 開館は午前十時だった。

 それまで、建物の横にある駐車場にミライースを停め、車中で待った。

 図書館は、町の文化体育施設の二階にあった。

 図書『館』というより図書『室』といった方が相応ふさわしい小さく慎ましい空間に、児童書やら実用書やら小説やらの本棚が並んでいた。

 私が町を出た三十七年前と、ほとんど変わっていない。

 戸を開けた時にプンッと匂ってくる本の香りさえ、あの頃と同じように感じられた。

「懐かしいな。高校受験の勉強をするために良く通ったものだが……」

 地方自治体が運営する公的図書館には必ず『郷土史』のコーナーがある。

 そこから適当なものを一冊取り出して、閲覧席に持って行ってページを開いた。

 お目当ての航空写真は、本の始めの方に掲載されていた。

 白黒のフィルム写真が、見開きの形で載っていた。

 隅っこに『196×年撮影』と書いてある。私が生まれる何年も前の写真だ。

 ショルダーバッグからアイパッドを取り出し、グーグルマップに現在の衛星写真を表示させ、古い郷土史に載っている写真と見比べた。

 ……ほとんど同じだった。

 建物などは建て替えられている物が多く、新たに開通した舗装路もあるから、完全に一致しているとは言えないが……しかし全体の地形は、昔も今もほとんど変わっていなかった。

 つまり、グーグル・マップの画像は、正真正銘この町を写したもの、ということだ。

(やはり、俺の記憶の方が間違っていたのか)

 そりゃ、そうだよな……と思いながらも何処どこか諦めきれず、その郷土史の本のページをパラパラとめくった。

 ふと、そこに書かれた文字が目に留まった。

『昭和3×年……の三つの村が合併し……新たな町として……』

(三つの村が合併? だって? 三つの村?)

 再びあの違和感が湧き上がり、脳を震わせた。

 ……いや、違う……

(何が違う? 思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ……)

 ハッとした。

 急いでかばんの中から電子ペンを取り出し、アイパッドを手書きモードにして、グーグルが表示させた航空写真の上に、ペン先を走らせた。

 小学校の授業で見た古い白黒の航空写真を必死で思い出しながら、を、線で囲んだ。

「そうだ……そうだったんだ」

 誰も居ない図書館の閲覧席で、私は思わずつぶやいた。

 線で囲まれた領域を、まじまじと見つめる。

「三つじゃない……四つあったんだ……四つの村が合併してこの町が出来た」

 私は小学校で、そう教わった。

「まるごと一つ、村が無くなってしまってるじゃないか」

 グーグルの航空写真上に電子ペンで線を引いて囲んだ場所……グーグル・マップでは森になっているこの場所には、本当は村があったはずだ。

 昭和の合併で独立した自治体としての『村』が無くなったとしても、そこには住人が居て、家があり、田畑があり、道があったはずだ。

 森なんかじゃない。こんな木々ばかりがしげる場所の筈がない。

 やっぱり、グーグルのミスなのか? プログラムのバグ?

 いや、それでは、古い郷土史の説明がつかない。

 誤植か? 『四つの村が合併……』とすべき所を、間違えて『三つの村が合併』と印刷してしまった?

 しかし、では1960年代に撮影された古い航空写真が現在のグーグル・マップと一致する件は、どう説明する?

 

 そこにあるべき村が無い。現在のデータに記録されていないばかりか、過去の記録からも消えている。

 私は本を閉じ、アイパッドの画面を消して、パイプ椅子の背もたれに体を預けた。

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