10.

 部屋に帰っても、農協の食料品店が開く九時まで中途半端に時間が空いて、やる事が無い。

 その辺りを散歩して高原の空気でも吸って来るか……とも思ったが、外に出るには、玄関に置かれた安っぽいソファ・セットの横を通らなければいけない。

 気不味きまず取りの直後だ。あの三人の宿泊客と顔を合せるのは嫌だった。

(これから、どうしようか……)

 夜は、かつての同級生、松沢と会う約束をしている。

 それまでの時間、何をするべきか。

 とにかく読原よみはら百合子ゆりこが今どこに居て、何をしているのか、それを知りたい。

 そのためにやるべき事は、何か……いや、そもそも彼女の消息を知って、どうしようというのか? そう自問してみた。

 出来ることなら会ってみたい、と思った。

 毎晩続く夢の原因が読原百合子に……というより、私の脳に眠っていた『読原百合子の記憶』にあったと仮定してみよう。

 頭を強打したことで、記憶が突然よみがえり、同時に、思春期以前の果たせなかった恋心、その欲求不満のようなものが噴出して夢となって、私の睡眠時間を奪っている……そんな理屈が、一応は成り立つように思う。

 だとすれば、現実の彼女に会うことで初恋の思いが消えて欲求不満が解消され、毎夜の夢から解放されるかもしれない。

 読原百合子がこの夢の『核心』なのは間違い無いが、それ以外にもう一つ気になる事があった。

 ……周囲の景色だ。

 毎夜、毎夜、同じ景色の中に私と百合子は立っていた。

 深い森の中の、細い未舗装路。赤茶けた土の上に転がる小石の色や、道の両側に生える木々の枝の形を思い描けるほど、それは鮮明で詳細だった。

 一般に夢の中の背景というものは、どこかが誇張されていたり、歪んでいたり、ディテールが欠落しているものだ。

 しかし、私の見る夢の景色は、不思議なほどリアリティがあった。あれは、私が無意識に創作したものなのか……それとも、どこかに実在するのか?

 小学生時代、実際に彼女と行った場所の記憶? その再現なのか?

(もし実在するのなら、この町の周辺だろうな……)

 山間の町だから、周辺地域には林道が無数にあった。

 私は、スーツケースの中からアイパッドを取り出した。

 宿の主人は、客用のワイファイは導入していないと言っていたが、こんな田舎町でも中心部ならドコモの携帯が通じる。

 ポケットから電話機を出してテザリングを有効にした。

 タブレットを操作して、グーグル・マップを呼び出す。

 流石さすがのグーグルも、こんな田舎町周辺の、山菜採りシーズン以外は誰も通らない細い未舗装林道まで撮影してストリート・ビューに収めるほど物好きではないだろう。

 しかし地球全体を舐めるようにスキャンした航空写真なら、林道が、森の中を走るすじとなって写っているかも知れない。

 緯度と経度を入力し、位置をこの町の上空に合わせ『航空写真』ボタンを押した。

 低軌道衛星から撮影された、何の変哲もない、緑に囲まれた小さな町の俯瞰写真が表示された。

「……なんだ……これは……」

 町の航空写真を見た瞬間、脳がゾワゾワと波打つような、強烈な違和感に襲われた。

 タブレットの画面いっぱいに表示されているのは、有りふれた、ただの田舎町だ。

 奇妙な所は、ひとつも無い。

 それなのに、頭の内側に付いた違和感をどうしてもぬぐえない。

 ……いや、違和感というよりは、むしろ拒否感……

 航空写真の町を自分の故郷ふるさととは認められない、認めたくないという拒否の気持ちを、どうしても抑えられなかった。

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