18.

 夢を見て、真夜中に目覚めて、しばらく布団の中で悶々として、明け方に浅い眠りにつく。いつもの繰り返しルーティンだ。


 * * *


 故郷に帰って三日目の朝。いつもより少し遅く午前八時に目覚めた。

 カーテンを開けると、糸のように細い雨が山間やまあいの町に降っていて、少し肌寒かった。

(季節はずれの春雨、か)

 前日の教訓から、あらかじめ農協で菓子パンとペットボトルを買っておいたから、取りあえず朝の栄養補給と水分補給は足りた。

 顔を洗い、歯を磨き、部屋着から外出着に換えて玄関に行くと、例の髪の青い少女がソファに座っていた。

 やはりノートパソコンに何やら高速入力している。

 少女をチラリと見て玄関から出ようとした私を、その青い髪の少女が「あの……」と言って呼び止めた。

「あの……おはようございます」

「ああ、おはよう」突然声をかけられ、少々戸惑いながら私も朝の挨拶を返した。

「昨日、町の北側の森で会ったって、明夜あきよから聞きました」少女が言った。

明夜あきよ? って?」

「私と同じ顔で、髪の毛が緑色の」言いながら、彼女が自分の髪を指さす。

「……ああ」

「私たち双子なんです」

「うん。そうだろうと思っていたよ」

「昨日、彼女が言ってました。町の北側の森で、宿に泊まっている小父おじさんに会ったって」

小父おじさん、ねぇ」

「あ、すいません」

「いや、別に」

には、近づかない方が良いと思います」

「何で?」

「えーと……それは……く、熊が出るから」

 少女の言い訳を聞いて、私は思わず苦笑してしまった。「その〈熊が出る森〉とやらに、君のお姉さんだか妹さんだかは、何をしに行たんだい?」

「それは……ええと、あの」

 困ったように眉を寄せて言いよどむ少女を見たら、何だか罪悪感を覚えてしまった。

(ちょっと意地悪な質問だったか)

 我ながら大人気おとなげなかったと思い、私は「わかった。君の言うとおり森には近づかない事にするよ」と答えた。

 少女が安心したように微笑む。

 私は、「わざわざ注意してくれてりがとう。じゃあ、これで」と少女に軽く手を振って、玄関の戸を開け外へ出た。


 * * *


 北の森……本来、禁刃野いさはの村が有るべき場所(少なくとも私がそう思っている場所)に向かってミライースのハンドルを切りながら、青髪パソコン少女との会話を反芻はんすうする。

(やはり、森には……双子姉妹も含めて、あの御一行様は何かを隠してる)

 それは間違いなさそうだ。

 少女の端正な顔が頭に浮かんだ。

「どっちが罪深いのだろうな……」

 車を運転しながら、自分自身に苦笑してしまった。

 熊なんて嘘っぱちだろう?

 いったい君たちは何を隠している?

 何から私を遠ざけようとしている?

 ……と、あくまで問い詰めて幼気いたいけな少女を困らせる方が罪深いか。

 それとも、その場では忠告に従うようなことを言っておきながら、シレッと約束を破って森に入ろうとしている今の私の方が、罪深いのか。

 

 * * *


 グーグルの航空写真をアイパッドの画面上で拡大してみると、北の森の中を走る『すじ』が五、六本見つかった。林道だ。

 衛星軌道からは見えないような細い道だって有るかもしれない。

 取りあえず、それらの林道へ片っ端から入ってみようと思った。

 正直この時点で、いったい自分が何のために故郷に帰って来たのか、その目的を見失っていた。

 どうやら読原よみはら百合子ゆりこなる人物は、この世に存在しないらしい。

 認めたくないが、彼女は私の脳が作り出した妄想の産物という可能性が高くなった。

 だとするなら、これ以上故郷ふるさとの町に滞在し続けても仕方がない。

 ……が、既に四泊五日ぶんの宿泊費を前払いしてある。

 知り合いでもある民宿の主人に、今さら「予定を早めて東京に帰ろうと思うので、残金を返してくれ」というのは気が引けた。

 私自身、このままモヤモヤした感情を抱えて帰るのも嫌だった。

(せっかくの休暇と里帰りだ……せいぜい気分転換させてもらうさ)

 そんな事を思いながら、昨日とは別の林道へミライースを侵入させた。

 夢に出てくる少女が妄想なら、夢の舞台である森の道も、禁刃野いさはのという名の村も、すべて私の妄想だろう。

 こうして林道を走ることに何の意味も無い。

 だからと言って、テレビも無い民宿の部屋で悶々として暇をつぶすのも、何だかしゃくさわる。

 ろくに外で遊びもしないインドア少年のまま中学を卒業し町を出た私にとって、町周辺の森は『未知の世界』だった。

 どうせ暇つぶしなら、冒険気分で森に分け入ってみるのも悪くない。

 ……万にひとつでも『何か』が見つかるかも知れない……という淡い期待も捨てきれずにいた。

〈読原百合子〉や〈禁刃野村〉が、狂った私の脳味噌が生み出した妄想ではないと証明してくれる『何か』が見つかるかも知れない……心のどこかで、そう期待していた。

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