35.エピローグ

 こうして私の巡礼は終わった。

 読原百合子という名の、記憶の中の少女を探し求める巡礼だ。

 彼女はまさに〈異界神〉という名の女神と化していた。

 異次元から来た生命体が最初に取りいた宿主、それが彼女だったのだろう、と〈夜叉護財団〉のメンバーは推察した。

 何処どこまでが読原百合子で、何処どこからが〈異界神〉なのか判別がつかない程に融合が進んでいた。だから、当然、人間だった頃の記憶も意識も有ろうはずがない、と言われた。

 本当にそうだろうか? と思った。

 あのとき、〈異界神〉の中にかすかに残った彼女の意識が、私の声に反応したのではないか?

かすかに残っていた彼女の人間性に賭けた』と言えば聞こえは良いが……要するに、あのとき私は、そのわずかな人間性を利用し、罠に掛け、彼女もろとも〈異界神〉を殺す手伝いをした、という事だ。

 私は、読原百合子を裏切った。

 自分が助かりたかったからだ。

 自分自身と、を助けたかった。


 * * *


 元の世界に戻ってみると、わずか一時間しか経過していなかった。

〈異界神〉の創造した世界は、こちらの世界と切り離された独自の時間線を持っているらしい。異界の方が時間が速く進む場合もあれば、逆に遅く進む場合もあるという話だ。

 竜宮城で三日過ごして帰ってみたら、現実世界では百年の歳月が流れていたという浦島太郎伝説も、あながちない話じゃないという事か。

 〈夜叉護財団〉の連中は、その日のうちに民宿を引き払い、彼らの『本部』とやらに帰っていった。

 彼らのチームに居た、もう一人の男……ロン毛のチャラ男は驢野ろの旬太しゅんたと言った。

 彼の能力は、私と同じ『パス・ファインダー』

 この世界と異界をつなぐ通路を見つけるまでが、彼の仕事だ。

〈異界神〉と戦う能力を持たない彼は、この世界に開いた通路の入り口を見つけ、他のメンバーを送り出し、自分はこちら側に残って仲間の帰りを待つ。

 もう一人の少女……明夜アキの双子の姉妹も紹介された。

 彼女は土駒つちこま晴夜はるよと名乗った。仲間からは晴夜ハルと呼ばれていた。

 なるほど……晴夜ハルに、明夜アキか。

 他のメンバーと違い、彼女は、いわゆる『超能力』を持っていなかった。

 その代わり、コンピュータ・プログラミングの才能が頭抜ずぬけているらしい。カローラに搭載されていた人工知能……〈アンチョビ〉も、彼女が一人でプログラミングしたという事だ。

 彼らが去った後、私は故郷の小さな町を散歩し、ビールとつまみを買って民宿に戻り、二階の部屋で独り酒をやった。二階の窓から、田畑と、その向こうに広がる森と、山々が見えた。それらは夕陽を浴びて赤く染まり、やがて夜の闇に沈んだ。

 寝るのが怖かった。

 しかし、寝ないわけにはいかなかった。

 しこたま酒を飲んで、気絶するように民宿の布団の上に倒れた。


 * * *


 何の夢も見ずに、朝まで熟睡した。

 三ヶ月ぶりの事だ。

 翌日、カーテンを透過して入ってくる朝の光で目覚めた。

 布団の上で上半身だけを起こした私は、気づいたら「読原……」とつぶやいていた。

 読原は……あの少女は、夢からも消えてしまった。

 たぶん、永遠に。


 * * *


 頭を怪我して以降ずっと見続けていた夢から解放される、という当初の目的は達せられた。

 故郷の町にはもう用が無かったが、民宿の主人は知り合いだ。残りの予約をキャンセルするのも何だかはばかられた。

 だから予定どおりもう一泊して、五日目の朝、故郷を後にした。


 * * *


 夕方というにはまだ早い時間に、東京のマンションに戻った。

 妻も、息子も、まだ仕事から帰っていなかった。妻には、前日の夜に電話をしてあった。『もう、夢を見なくなった』と。

 シャワーを浴び、服を着替えて、地元の商店街に出かけた。

 酒屋に入り、ワインとビールと日本酒を買う。

 スーパーで食材を買って晩飯に腕を振るおうかとも考えたが、面倒になってめた。

 代わりに少し値段の張る出前サービスに注文した。

 妻が帰って来て、出前が届き、私たちはワインの栓を抜いた。

 つまみを頬張ほおばる私に、妻が言った。

「帰省は、どうだった? どんな事があったの?」

 当然、予想された質問だ。

 私はあらかじめ考えておいた体験談を話した。

 もちろん全て、出まかせのデタラメだ。

 まさか、超能力者たちと異世界にトリップし、その世界の神と戦ったなんて言える訳がない。

 妻は「ふうん……」と相槌あいづちしながら私の話を聞いていたが、彼女がその話をどこまで信じているのか、いないのか、私には分からなかった。

 妻と私二人だけの『宅飲み』もそろそろお開きという頃になって、残業を終えた息子が帰って来た。

 彼は「それじゃ、一杯だけ付き合おうか」と言って椅子に座り、ビール缶を開け、500CCを飲み干すと「じゃ、おやすみ」と言ってサッサと自室にこもってしまった。大方、アニメの配信だか何だかを観るのだろう。まあ、息子なんて、あんなものだ。


 * * *


 数日後、仕事を再開した私に依頼が入った。

 待ち合わせ場所に指定された都心の喫茶店で会った依頼主は、ダークスーツを着たすきの無い男だった。

 名刺には『〈夜叉護財団〉代理人』と書かれていた。

 彼は言った。「あなたと専属契約を結びたい」と。

 私が一番稼いでいた頃の、ざっと三倍の金額を提示された。


 * * *


 それからさらに一週間後。

 私は、川崎市北西部住宅街の小高い丘に建つ研究所めいた民間施設の玄関先に立っていた。

 壁のプレートには『夜叉護データ・コンサルティング』の文字が刻まれている。

 そのプレートを見ながら……私は、土駒つちこま晴夜はるよに言われた台詞せりふを思い出していた。

 あの日、異界から帰って来た私と互いに自己紹介を終えた晴夜ハルは言った。

「〈アンチョビ〉が命令に従ったって、本当ですか?」

「ああ……あの時は無我夢中だったけど……たぶん、そうだと思う。そんな気がする」

「へええ……じゃあ、人工知能アンチョビさえも認めたって事ですね」

「認めたって、何を?」

「もう既に、私たちのだって事ですよ」

 その彼女の言葉を思い出しながら、自動ドアを抜け、私は建物の中に入った。

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異世界の村【因果変質領域1】 青葉台旭 @aobadai_akira

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