31.

 暗く静かな車内で、背もたれに体を預け、目を閉じた。

 土駒つちこま明夜あきよに言われた通り、何も考えず、出来るかぎり自分の脳を休ませようと思った。

 しかし『何も考えない』というのは、簡単なようでいて、なかなか難しい。

 いろいろな思いが浮かんでは消える。

 ふと妻と息子の顔が脳裏に浮かんだ。

 薄目を開けて、車窓の外を見た。

 半月に照らされた森が、うっすらと青白く光っていた。

 また目を閉じた。

 目を閉じて、薄目を開けて、また閉じる。

 カローラの車内で何度もそれを繰り返す。


 * * *


 そして数時間後。

「そろそろ始めるか」という、運転手小麻こぬさ金次きんじの声。

 その声に私は目を開け、窓ごしに空を見上げた。

 木の葉に邪魔されて空は見えない。まだ夜明けは先のようだ。

明夜アキ、M4を取ってくれ」助手席の熊枝くまえだ洋吉ようきちが、後部座席に座る土駒つちこま明夜あきよを見て言った。

(彼女、仲間内では『アキ』って呼ばれてるのか)

 そんなことを思いながら明夜あきよを見ると、彼女は「分かった」と返事をして体をひねり、後部座席のシート越しに荷室へ手を伸ばして、弾倉マガジンの抜かれた自動小銃を取り上げた。

 銃口を向きに気をつけながら、銃床を前にして熊枝くまえだに渡す。

 続いて、弾倉をいくつか荷室から取り、これも熊枝くまえだへ。

 さらに、もう一丁。そして弾倉。

 私は、その様子を見ながら、少し前から気になっていた事を彼らに問うた。

「助けてもらった身分で、こんな事をくのは心苦しいんだが……俺を襲った葉っぱの化物みたいな奴ら……ひょっとして、あれ、本当は人間だったんじゃないのか?」

 ミラー越しに、私と運転手の目が合った。

「だったら、どうだと言うんだ?」小麻こぬさが言った。

 思い切って、私は意見を述べた。「あの全身の皮膚や目玉から生えた葉っぱみたいなのは、一種の『寄生生物』のような気がするんだ……〈森人〉とかいう奴らは、実は、寄生生物に冒された人間の姿なのかも知れない、って……彼らが人間なら、あんな風に簡単に、次から次へと殺すというのは……その……」

「道徳に反する、とでも?」ミラー越しに見える小麻こぬさの目が細くなった。その瞳には、わずかにあざけりと哀れみの色があった。「まるで、『本当は助けて欲しくなかったんだ。俺は奴らのになりたかった』とでも言いたげな口ぶりだな?」

「いや、別にそういう意味じゃ……」

「確かに、ご推察のとおり連中は人間だ。〈森人の葉〉は人間に寄生すると、その根を全身に張りめぐらせる。当然、脳にも網目のように根を張る。その時点で、人間としての記憶・思考・感情すべてが機能しなくなる。葉っぱに操られた木偶でく人形さ。もはや人間とは呼べんよ」

「そう簡単に割り切れるもんじゃないだろう。病気で意識が戻らなくても、人は人だ」

「ふん……じゃあ、こんな風に考えろよ。『あれは、人間の死体という肥やしに生えた雑草だ』ってね。庭の雑草を刈るのは犯罪じゃないし、元から死体なんだから殺しても殺人罪じゃない……あ、屍体損壊罪が適用されちまうか……まあ、あれだ……命の危険にさらされたんだから正当防衛だ、って事で自分を納得させれば良い」

「だから、そんな単純に割り切れる話じゃないって、言ってるだろう」

「メンドくせぇオッサンだな……勝手にしろ。ただし、俺らの邪魔だけは絶対にめてくれ」

「どっちみち……」土駒つちこま明夜あきよが会話に割り込んできた。「どっちみち、この世界を創造した〈異界神〉を殺せば、この世界まるごと消滅しちゃうよ。〈森人〉も……何もかも」

「そうなのか?」私は土駒つちこま明夜あきよ……明夜アキの顔を見た。

「うん」明夜アキが暗闇の中でうなづく。「家主の居なくなった空家みたいなものだからね。あっという間に朽ち果てて消えてしまう」

「しかし……この世界の住人は、元々は旧禁刃野いさはの村の人たちなんだろう?」

「元々は、そうだけど……でも、既に〈異界神〉に支配されている可能性が高いよ。本体である〈異界神〉が死ねば、その支配下にある村人たちもタダでは済まない……たぶん、みんな死んじゃうと思う。それに、異界の生物を私たちの世界に持ち込むことは〈財団〉では禁止されている。もちろん『生物』の中には人間も含まれる」

「村人を救出しないってのか?」

「私たちの世界を〈異界神〉の侵略から守る……それが〈財団〉の役目。守るべきは世界そのもの。いちいち個別の人道上の問題に対処なんてしない。それどころか〈異界神〉を殺すためなら、どれほどの犠牲が出ても良いと思っている」

「ありえないだろ……そんな事が許されてたまるか」

「ねえ……」言いながら、明夜アキが私を見つめた。その目は青白い月光を浴び、闇の中で挑戦的に輝いていた。「そもそも〈異界神〉が駆除すべき危険な存在なのは、何故なぜだと思う?」

「それは……人間を〈巣〉に誘い込んで殺すからだろう? さっき、そんな風なことを言ってたじゃないか」

「それもあるけど……〈異界神〉の本当の怖さは、そこじゃない……本当に恐ろしいのは、よ」

「増殖……するのか?」

「ある種の生命体だからね。生物の本質は、自己を複製して数を増やすことでしょう? 一匹が二匹、二匹が四匹、四匹が八匹……増殖の連鎖が始まったら手がつけられなくなるよ。その前に駆除するしかない。徹底的に」

「徹底的?」

「そう。徹底的に。完全に。〈異界神〉とその眷族けんぞくが復活して再び増殖を始める危険性が0・1パーセントでもあってはいけない」

「だから、禁刃野いさはの村の人たちを連れて帰る訳にはいかないってのか? 

 私の問いに、明夜アキうなづく。「その通り。例えばの話、元の世界に連れ帰った人の体内に〈異界神〉の卵が植え付けられているかも知れないでしょう?」

 ……なるほど……

 外来種みたいなものか。

 異界の環境に長時間さらされ続けた人々を、我々の世界へ連れて帰る訳にはいかない……なぜなら彼らは、知らず知らずのうちに凶暴な外来種の卵や種を持ち帰る危険があるから。

「トロッコ問題って、知ってるか?」しばらく黙っていた小麻こぬさが再び口をひらいた。

「ああ」私はルームミラーごしに小麻こぬさを見てうなづいた。「五人を見殺しにして一人を助けるか、一人を殺して五人を助けるか……いわゆる『究極の選択』ってヤツだろ?」

「お前なら、どうする?」

「……」

「俺の答えは簡単だ」小麻こぬさが言った。「数の多い方を助ければ良い」

「ずいぶん、割り切りが良いんだな」

「迷っていたって、時間は動くし状況は変わる。何を選ぼうと必ず『選択』には『結果』がともない、その『結果』が俺らに次の選択を迫る。生きている限り、次から次へと選択を迫られ、選んだ結果の責任を取らされ続ける。それが人生ってもんだ……『決断できません』と叫んだところで逃げられん。だって、『決断しない』ってのも一つの『決断』だからな。それによって何らかの結果が導かれる事に変わりはない……話を元に戻すと、少数を犠牲にして多数の安全を守るのは理にかなった判断だよ。この禁刃野いさはの村とかいう異世界の人口が百人なのか千人なのかは知らんが、元の世界に住む人類七十億の命とは比べものにならんさ。そうは思わんか?」

 私が答えられず黙っていると、助手席の熊枝くまえだ洋吉ようきちが「道徳の授業も、その辺で終わりにしたらどうだ?」と言った。

「……だな。そろそろ出発するか」と小麻こぬさ

「ちょっと待って」明夜アキが前席の二人に声をかけた。「フォーチュン・タグを交換しとこうよ」

 前席の男二人が、目を合わせる。

「そうだな」と小麻こぬさが言い、首から何やら金属プレートのようなものを外して明夜アキに渡した。

 熊枝くまえだも、それにならう。

個人認識IDタグ……なのか?)

 それは、アメリカの兵士たちが首から下げている小さな金属製のネームプレートのように見えた。

 ……いわゆる『ドッグ・タグ』だ。

 明夜アキは、前席の二人からドッグ・タグを回収して左のポケットに仕舞い、代わりに右のポケットから新しいドッグ・タグを出して前席の男たちに渡した。

「それから、おじさんにもげるよ」

 言いながら、私にも同じものを寄越よこす。

 私はその小さな金属プレートを月の光にかざして見た。

 個人認識IDタグと言うくらいだから、本来はプレートに持ち主の名が刻まれているはずだ。

 しかし、私がもらったそれは、何も書かれていないツルツルの金属板だった。

「これ、ハリウッドの戦争映画とかに出てくるドッグ・タグってやつだろ?」

 私の問いかけに、小麻こぬさうなづく。

「その通りだ……もともとは、戦場で顔も分からないほどに損壊した死体の身元確認に使うものだ」

「でも、名前が無いじゃないか」

「死体の身元確認に使うタグに名前が無い……つまり、その名無しタグを付けてる兵士は死ねない、死なないって訳」と明夜アキが言った。「まあ、験担げんかつぎよ。御守おまもりみたいなもの……私は幸運フォーチュンタグって呼んでるんだ。ポケットに入れといて」

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