第10話 アルカンシエル
だいぶ日が傾き、辺りが薄暗くなり始めた頃、太一たちは喫茶店の前に停まったミニバンから降りた。
「それでは私は車を置いてきますので」
そう言ってここまで運転してきた流珂は、何処へとミニバンを走らせていった。喫茶店には駐車場がないので、どこか別の場所に停めてくるのだろう。
メイド服を着た女性が車を軽快に運転する姿は、太一の目にとても新鮮に映った。
「紫音は先に行って待ってる」
扉のプレートは『CLOSE』になっていたが、鍵はかかっていないようで、真っ先に助手席から降りていた紫音は、扉を開けて中に入っていった。
湖都奈はミニバンの三人乗りの後部座席に、太一と挟むようにして気絶した桃代を座らせていたが、降りたあとは再び桃代を両手で抱えていた。
「大丈夫か? 狭いから気を付けろよ」
その状態では湖都奈は両手が塞がり扉が開けられないので、太一が代わりに開けて通れるように支えた。
「ありがとうございます、太一。先に入らせてもらいます」
太一が湖都奈を店内に通して扉を閉めると、二人はカウンターに近づいた。それを待っていたかのように待機していたメイド服の給仕が四人、側に近づいて来た。
「お疲れ様です、湖都奈様。彼女は私たちが預かりますね」
「紫音様は先に扉を通って円卓へ行かれました」
「あとは私たちが引き継ぎます」
「お二人は円卓へ向かってください」
四人は口々にそう言うと、湖都奈から桃代を預かり、カウンターの中にある扉からドタドタと慌ただしく、店の奥へと消えていった。
「仕事熱心なのはいいことなのですが、もう少し落ち着いて動くように教育した方がいいのでしょうね、あれは」
急に背後でおっとりした声がしたので、太一がギョッとして振り返ると、いつの間にかミニバンを停めてきたらしい流珂が、頬に手をあてながら嘆息していた。
「ほどほどにしてあげてください、流珂」
四人を気遣うように湖都奈は言って、円卓の間に続く扉へと向かった。
「それでは太一、私たちも行きましょうか。あまり待たせてしまうと、紫音が寝てしまいますから」
「わかった。今日は色々あったし、昨日訊きそびれたこともあった。そのことについても教えてくれないか」
「ええ、もちろんです」
扉は紫音が通ったあとだからか、湖都奈が軽く押すだけで開き、階段にも明かりが灯っていた。
昨日ぶりとなる円卓には紫音が先に着いていたのだが、案の定というか、すでに円卓に突っ伏して眠っていた。
太一が近づくと気配を察したのか、ゆっくり上体を起こして眠たげな瞼ををこすると、きちんと椅子に座り直した。
「それではまず、何から話しましょうか?」
紫音の様子に苦笑しつつ、昨日と同じ席に座りながら湖都奈が言った。
「富栄高校でのことを教えてくれ。なんで二人はあそこに暴走しそうな虹霊がいることを知っていたんだ? しかも名前まで」
「それは情報網に引っかかったから。〈円卓の虹〉はこの街のいたるところに虹霊の協力者がいる」
それだけ言って紫音は口を閉じてしまった。さすがにそれはないだろう、と太一が口を開く前に湖都奈が引き継いだ。
「協力者たちは常に周囲の虹霊に異常がないか見てくれています。もし何かおかしな兆候があれば、すぐに私たちに連絡をくれるんです。そのあと、直接私か紫音が確認をしにいって、異常があるとわかれば腕輪に反応される前に対応します」
「じゃあ湖都奈が彼女の名前を知っていたのは……」
「ええ、協力者が教えてくれたからです。さっき桃代さんを奥へ運んでいった四人も、そうやって〈円卓の虹〉が暴走を止められた人たちなんです。彼女たちは何か礼がしたいとここで働いてくれたり、街で情報を集めてきたりしてくれます」
すぐに別れてしまったが、彼女たちの瞳の色がいづれも人のそれとは違い、右腕に腕輪をはめていたのを太一は見ていた。
「虹霊を止めるのには、普段もあんな風に気絶させるのか?」
湖都奈は綺麗な当て身で桃代を気絶させていた。それは実に手慣れた動きだった。
「あれは緊急時の最終手段で、普段からあんな乱暴なことしているわけではないです。断じて。――基本は会話で止まってくれますし」
焦ったようにブンブンと両手を前に振って、顔を赤くしながら湖都奈が否定する。
「桃代さんの階位が高かったこともありますが、すでに会話が成立しないほどに彼女の虹力は乱れていました」
太一の耳は湖都奈の言葉に、聞き慣れない単語を捉えた。
「なあ、湖都奈。その階位って何だ?」
「階位とはその虹霊が持つ虹力の強さを示すもので、第一から第六までの位があり、強さが増すごとに上がっていきます。主に虹霊や
第三位、ちょうど真ん中の辺りだ。それがすごいことなのかどうかは太一にはわからないが、通学路で会った女子大生よりは上な気がした。
「ちなみに湖都奈と紫音は、その階位の中ではどこになるんだ?」
太一は流れで何となく気になって聞いてみた。二人は実に容易に虹力を駆使し、湖都奈にいたっては第三位の桃代に対し、常に圧倒的優位に立っていたので、少なくともそれ以上だとは思っていた。
「太一、私たちの階位の前に、あなたに聞いてもらいたいことがります。昨日言えなかった悪夢と七本の剣についてです」
そして湖都奈は語りだした。幼少の頃から度々見るようになったという悪夢を。
「――その夢の中では私の手の届く範囲を除く、世界の全てが深い闇に覆われています。走ってもどこにも着かず、声を上げてもどこにも届きません。そんな状態がしばらく続いてから、必ずそれは現れます」
「現れるって何がだ?」
「私たちは〈
言いながらその感覚が蘇ったのか、湖都奈は自分の身体を両腕で強く抱きしめる。
「ろくに虹力を使えず、成す術もなく飲み込まれそうになったときに声が聞こえてくるんです。女性の声で『七つの光を助けて』と。――そこで私は目を覚まします」
話し終わった湖都奈はふうっと息を吐いて、抱いていた腕を下ろした。額には汗が浮いていたが、それにかまわずに太一に笑顔を向けてくる。
「聞いてくれてありがとうございました。太一に話して少し気が軽くなりました」
「湖都奈はそんな夢をちっちゃい頃から見てきたのか……」
「昔はそれほどでもなかったんですが、ここ最近は見る頻度が増えてきました。私が虹力を安定させにくくなったのも、それで心が乱されてしまうからです」
その悪夢を見る苦しみがどれほどのものか、太一には理解することができない。
悪夢を見るなんて大変だ、と同意を示すことはできる。できるからこそ太一はするべきではないと思った。それは湖都奈の苦しみを否定するものでしかないからだ。
「話してくれてありがとう。だけど何でその話を俺に?」
「太一に悪夢のことを話したのは、これが近い未来に世界に起こることだからです」
湖都奈の表情は真剣で、嘘や偽りを言っているようには聞こえなかった。
「その夢が未来に起こることだとわかる理由は?」
「理由はいくつかありますが太一、これを見てください」
湖都奈が紫音に向かって首を振り合図すると、彼女はリュックの中から薄型のノートパソコンを取り出した。いくつか操作をすると、太一に画面が見えるようにパソコンの向きを変えた。
「……これは砂漠、だよな」
画面に映し出されていたのは砂漠だった。雲一つない空と砂漠が広がっているのだが、その全景を見ることはできない。なぜなら――。
「この真ん中に映っている黒い半球は?」
比べるものが何もないので、どのくらいの大きさかはっきりしないが、砂漠の真ん中に黒い半球が映っていた。画面に広がる砂漠の中で、そこだけが合成で付け足されたかのように景色から浮いている。
紫音がパソコンを操作すると、今度は空撮で撮ったと思われるジャングルの写真に変わった。
そして黒い半球はそこにも映り込んでいた。木のような比較対象が見えて、初めてそれが数キロ単位で広がる巨大なものだとわかった。
「この二つ写真は合成ではありません。黒い半球は実在しています」
「何でこんなものが?」
「発生した原因は不明です。調査した機関の報告によると、中に入ることはできるようですが、ライトを照らしても光が自分の足元にしか届かず、突然身体を摑まれ引きずり込まれそうになったため退避した、とのことです」
「! おい、それって!」
説明を聞き終えた太一は驚愕に目を見開いた。湖都奈の悪夢に出てきた〈闇塗者〉の特徴と酷似していたからだ。
「はい。――とても似ています〈闇塗者〉に」
「何でこれがニュースになっていない?」
「確認されている数は世界で二件。場所も人が寄り付かないような僻地ばかりなので、混乱をまねかないように報道統制が敷かれています」
それでこれまで聞いたことも見たこともなかったのか、と太一は得心がいった。
「〈闇塗者〉が実在するなら、湖都奈が悪夢の中で聞いた七つの光ってのが気になる。蜂の手紙に書いてあった七本の剣と何か関係してるのか?」
「太一にしては冴えてる。紫音たちもその可能性に思い至った」
「……にしては、は余計だ。で、実際のところどうなんだ?」
「蜂がなぜ悪夢のことを知っているのかは不明ですが、七つの光と七つの剣は同一と見てまず間違いないでしょう」
湖都奈の中ではすでに光と剣が同一のものという認識があるようだ。だが、太一にはなぜそうなるのかがわからなかった。しかし、自分の右手に目を落として富栄高校での光景が頭をよぎった。
「……光、虹力が剣に変わるのか……?」
それは今までの太一なら絶対に思い浮かばない発想だった。
虹力は何か対象となるものに付与することで、初めてその効果を発揮するのだ。それが光を放って剣の形に変わるなど、これまで聞いたことがない。
しかし太一は【
「第三位以上の虹力を持つ虹霊は、自身の虹力を剣にして具現化させる【
「具現化ってどうやって? 虹力は何かに付与させて使うものじゃないのか?」
「詳しくはよくわかってない。ただ付与の対象が物体である必要はない。実際に桃代は虹力を空気に付与して飛ばしてた」
理科実験室で自分たちを襲った見えない衝撃波はそういうからくりだったのか、とようやく太一は理解できた。
「七つの光と七つの剣が同一だとすると――七人の虹霊のことを指してるのか」
「はい。そして、世界を塗り潰すほどの闇に対抗できる七人の虹霊とは、七つの原色の虹力を持つ位階の最高位、第六位にあたる〈アルカンシエル〉を除いて他にありません」
――その名が円卓の間に告げられたときだった。
湖都奈は突然何かに驚いたようにビクッと肩を震わせた。慌てたようにポケットから封筒を取り出し、中身の手紙を確認しだした。彼女の反対側を見れば、紫音も同じように驚いた顔をしている。
「ふ、二人ともいきなりどうした? 何かあったのか?」
「――今、強大な黄の虹力を封筒から感じました。中を確認したところ、手紙の後半に文章が追加されています!」
太一には全く知覚できなかったが、封筒が発した黄の虹力は二人の様子から見るに、相当なものだったらしい。その虹力によって手紙の隠されていた文章が現れた。
「――読みます。『〈アルカンシエル〉の名が出たのなら問題ないだろう。【納虹剣】についての補足をここに記す。【納虹剣】は第三位以上の虹霊に対して【創虹剣】を促す作用がある。そして、剣の具現化を成功させると、納めるこができる。納めた剣は持ち主の虹霊が望めば、容易に取り出せるから安心してくれ』」
そこまで読むと湖都奈は一旦止めて、納得できたと太一にうなずいた。
「桃代さんの虹力がなぜ太一の中にあるのか、これでわかりましたね」
「太一が奪ったんじゃなくて良かった」
「もし奪われたのでしたら、事態はもっと深刻なものになっていますよ。紫音」
紫音に優しく微笑みかけてから、湖都奈は手紙に視線を戻した。
「――続けます。『ただし【納虹剣】には一つ例外がある。〈アルカンシエル〉に発動するには『大切なもの』を捧げさせて、心を開かせなければならない。強大な虹力を預けるのに相応しい人物だと、心から認めさせなければ〈アルカンシエル〉は【創虹剣】で剣を創ることすらできないのだ』――以上で手紙は終わっています」
読み終えた湖都奈は、手紙を綺麗に封筒に戻してから言った。
「まさか手紙にこのような仕掛けが施されていたとは……。誰にも気付かれることなく円卓に置いていったことからも考えて、これはもう間違いありません」
「間違いないって何がだ?」
「この手紙を書いた、蜂という人物が黄の虹力を持つ〈アルカンシエル〉の一人だということです。私や紫音と同じく」
「へえ、二人は〈アルカンシエル〉だったのか――って、ええっ!?」
驚いて思わず太一は椅子から立ち上がる。それもそうだろう、今まで出てきた話によれば〈アルカンシエル〉は位階最高の第六位。保有する虹力は強大で、世界でたった七人しか存在していない。その内の二人が太一の両隣に座っているのだから。
「何で先に言ってくれなかったんだ!?」
「ごめんなさい太一、今まで黙っていて。先ほど〈アルカンシエル〉の名を出した際に話そうと思ったんですが、その前に手紙が虹力を放ったので……」
タイミングを逃してしまったらしい。湖都奈は申し訳なさそうに肩を落とすと、しゅんとして俯いてしまった。
「あ、いやいや、別に責めてるわけじゃないんだ。さっきの話からだと虹霊の神様みたいなすごい存在に聞こえたから、驚いただけで――」
「……紫音たちはすごくないと?」
「そうじゃないんだ、紫音。まさか自分のすぐ側にいるだなんて思ってもなかったから――」
紫音に対して太一が両手を振って弁明していると、横からくすくす小さく笑う声が聞こえた。
「……湖都奈?」
太一が見ると湖都奈が細かく肩を揺らしながら、口に手を当てて笑っていた。
「ご、ごめんなさい。太一が必死で紫音に言っているのが、何だか可笑しくって」
太一の視線に気付いて赤くなった湖都奈が、姿勢を正して謝った。
「いや、こっちこそごめん。急なことだったんで取り乱した」
二人に謝りながら太一は席に座り直す。冷静になって考えればすぐにわかることだ。
強大な虹力を持っているから何だというのだ。それを除けば他と何も変わらないではないか。驚く必要がどこにあるというのか。
「太一、自己紹介を改めてしませんか? お互い初めてしたときに言わなかったことや言えなかったことがあったので」
「わかった。ならまずは俺から。――日向太一。【納虹剣】が使える。二人とも、改めてよろしく頼む」
「赤の〈アルカンシエル〉、赤護湖都奈です。改めてよろしくおねがいします」
「……同じく紫の〈アルカンシエル〉、三日月紫音。改めてよろしく」
そして誰からともなく笑い出すと、三人の笑い声で円卓は満たされていった。
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