第12話 夕食後のひととき
その日の晩、太一が夕食を終えリビングのソファに深く腰掛けて休んでいると、キッチンの方から優しいメロディが聞こえてきた。
どうやら青唯が洗い物をしながら、鼻歌を歌っているらしい。ソファに座りながら太一がそちらに視線を移すと、青唯は歌いながら洗い終えた皿を丁寧に皿を拭いていた。
「兄さん、洗い物が終わりました」
洗い物を終えた青唯がキッチンから、リビングにお茶を運んで来た。
料理全般を太一がする代わり、青唯が洗い物をして食後のお茶を淹れてくるのが、学校に行き始めてからの日向家では日常となっていた。
「ありがとう、青唯。こっちで一緒に休もう」
「はい、そうします」
青唯はお茶をソファの前のテーブルに置くと、今まで太一の横に鎮座していた、竜のぬいぐるみを抱き上げてからその場所に座った。
さすがにぬいぐるみを抱きながら、洗い物やお茶を運ぶことはできない。できる限り手放したくない青唯は、キッチンからいつでも見えるソファの上に座らせていた。
「兄さんの側なら、安心です」
なぜかその間、太一はずっとぬいぐるみの横に座らされたが、可愛い従妹の頼みを聞くことにした。
「――そうだ、そのぬいぐるみに名前はあるのか?」
ふと、太一は青唯に抱えられるぬいぐるみに名前が付いているのか気になった。
「この子の名前は、ファフです」
青唯が抱いていたぬいぐるみを、太一に掲げて見せてくる。
「学校にも持って行ってたけど、ファフはいつも持ち歩いてるのか?」
「はい、ファフとはいつも一緒です」
青唯は大切そうにファフを胸に、ギュッと抱きしめる。
「ファフを青唯はそんなに気に入ってくれたのか」
太一は自分の作った物が従妹にとても気に入られた事実が嬉しかったが、その分申し訳なくもなる。
幼い子供が作ったにしてはその出来栄えは決して悪くはないのだが、それでもファフはところどころ縫い方が荒かった。製作者である太一としてそこだけ気になった。
「今度ファフを兄ちゃんに貸してくれないか? 兄ちゃんの友達に裁縫が趣味って娘がいてさ。その娘にファフを直してもらおう」
湖都奈が学校でした自己紹介で、裁縫が趣味だと言っていたことを太一は思い出し、青唯に提案してみた。
「……いえ、大丈夫です」
すると青唯は彼女にしては珍しく、急に不機嫌になった声を出し、守るようにファフを太一から遠ざけた。
「……あ、ああ悪い。兄ちゃんが悪かった。ごめん、青唯」
なぜ不機嫌になったのかわからなかったが、それでも従妹にそんな態度を取らせてしまった自分が悪いと青唯に必死に謝る。
そして機嫌を直してもらおうとあることを思いつき、太一は膝の上に青唯を指でちょいちょいと招いた。
「そうだ、兄ちゃんが久々に青唯を抱っこしよう。好きだっただろ? ……あ、でももう青唯も中学生だしそういうのは嫌か……?」
「――っ!?」
青唯は目を見開いて驚き、しばらくその場で固まっていたが、恐る恐るといった感じでファフを抱いたまま太一の膝の上に座ってきた。
小柄な少女の重みと温もりが、太一に懐かしさを呼び起こさせる。
「――昔はよくこうして小さい青唯を抱っこして、本を読んであげてたな」
まだ二人が幼い頃、太一はよく青唯を膝の上に乗せて、抱っこしながら絵本や物語を読んであげていた。
「……兄さん、そ、その、重くはない、ですか……? 私、あの頃よりもおっきくなったので……」
「青唯は全然重くなんかないぞ。 むしろ軽いくらいだ」
「そ、そうですか……。それなら良かったです」
青唯は昔よりも成長し大きくなった自分が、太一に負担をかけていないか心配になったようだが、彼女と同じように太一も成長しているのだ。太一が身体に感じる重みは想像以上に軽かった。
「……なあ、青唯。青唯は腕輪なんかはめさせられて嫌じゃないのか?」
青唯の白く細い腕にはまる、不釣り合いな無骨で黒い腕輪を見ながら太一は訊いた。
「これはみんなはめてるものだから、嫌とかじゃないです……。でもたまに男の子にからかわれます……」
「……その男の子の名前と住所教えてくれないか。兄ちゃん、ぶっ飛ばしてくるから」
どこぞの馬の骨が、可愛い従妹をからかうなんぞ万死に値する。
青唯を抱っこしているのでその場から動けないが、はらわたが煮えくり返り、太一はすぐにでも男の子の家に殴り込みにいく気満々だった。
ふと太一は身体に細かい振動を感じた。見ると、発生源の青唯が小刻みに震えていた。どうやら笑っているようだ。
「――青唯?」
「ごめんなさい。……兄さんがそうやって、怒ってくれるの……嬉しくて。でも大丈夫。気にしてないです」
青唯の可愛い笑顔に免じて、男の子のことは忘れることとして、特に腕輪に対して不快な感情は抱いてはいないようだ。
太一は気持ちを落ち着かせると、昔やっていたように青唯の頭を撫でてやろうと右手を彼女の頭の上に乗せた。
すると右手が青く発光して動かなくなる。その感覚に憶えのある太一は、あまりの驚愕に目を見開いた。
「!? ……ダメッ!!」
――ゴスッと激しい衝撃が突然、太一の顎と右手を襲った。
驚きで口を半開きにしていたので、舌を思い切り噛んでしまった。唐突すぎてすぐに反応できなかった。
衝撃の理由は単純。それまで大人しく抱っこされていた青唯が、太一が右手から光を発した途端、勢いよく膝の上から立ち上がってしまったのだ。
その結果として当然の如く、すぐ近くにあった顎は、乗せていた右手ごと青唯の頭突きをクリティカルヒットされてしまった。
頭突きした張本人の青唯ともども、しばしの間ぶつかった箇所を押さえてうずくまる。
「ひゃ、ひゃひょひょ、ひひひゃひ、ひゃにひゅひゅんひゃ!?」
太一は舌を噛んでいるので、上手く発音することができない。
「ご、ごめんなさい、兄さん。……びっくり、しました」
さすが虹霊というべきか、青唯は太一よりも早く立ち直ると、ファフを両手に抱え直してリビングを駆け出して行ったが、その身体からは仄かに青い光の粒子が漂っていた。
「……抱っこ、してもらえて嬉しかったです……」
部屋を出る前に一度立ち止まってから太一にそれだけ言うと、青唯は今度こそ出ていってしまった。
「ふ、ふぉぉぉぉぉぉ……」
太一はその場で数分間、立ち直れないでいた。
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