第13話 頭の中の霧
「ヒャーーーーーーーーーハッハッハッハッハッハッハッ!!」
昼休み中の一年二組の教室内に、了介の哄笑が響き渡る。
何事かと教室にいた他の生徒たちが怪訝な顔をして見てくる。
昨日の青唯との出来事を、太一が昼休みに了介に話したらこの様である。もちろん右手が光を発したことは言わずにだ。
了介は左手で顔を覆い、身体をくの字に折り曲げ、心底堪らないと盛大に笑っていた。
そんな親友の姿を、変わらないなこいつは、と数年ぶりに見た太一は懐かしんでいたのだが、初めて目撃した周りの生徒はさぞ驚いたことだろう。
「――お前は相変わらずだな」
机に頬杖を付きながら太一は言った。
「クヒャヒャヒャ、いや悪い、悪い。でも、可笑しくって、可笑しくって」
了介は目に涙を浮かべ、まだ笑い足りないといった様子だったが、なんとか抑えた。
「クク、女の子を抱っこしたあげくに、頭突きされるって聞いたことがねえ」
「頭突きじゃない! 青唯が立ち上がったのを、俺が邪魔してたんだ」
あくまで自分が邪魔をしてしまったのだと、言い張る太一である。
今日は湖都奈はクラスの女子たちに昼食を誘われていて、昼休みに入ると一緒にお弁当を持って出て行ってしまった。
太一も「一緒に行きませんか」と誘われたのだが、女子数人の中に一人だけ男子が入る勇気はなかった。
湖都奈を見送ってから誰かと席を一緒にさせてもらおうと教室を見渡すと、隣で了介が呑気にあくびをしていた。
なので今日は男子二人、教室で机を並べて弁当を広げていた。
「不思議なもんだ。まさかお前の笑い声が懐かしいと思う日が来るなんて」
「まあなあ、電話で話すことはあったが、そこまでは笑わないからな。さすがに俺も」
「お前の悪党みたいな笑い方、初めて見たときは危ない奴なんじゃないかって内心ヒヤヒヤしてた。実際、そんなことは全くなかったんだけどな」
箸で了介を指しながら、太一が初めて見た時の印象を語る。
「おいおい、悪党みたいとは失礼な奴だな。それと箸で人を指すんじゃない」
「それは悪かった。お詫びと言ってはなんだけど、エビフライをやるから許せ」
「なあ、それって冷凍食品だろ。そっちの美味そうな玉子焼きとか唐揚げくれよ」
「冷凍食品でもいいだろうが。朝の慌ただしい時間帯の味方だぞ?」
朝早く起きて、朝食と弁当の準備をするのに、冷凍食品はありがたかった。
青唯の分の弁当はちゃんと毎回手作りしているのだが、青唯と太一ではそもそも食べる量が違う。なので太一は、足りない分を冷凍食品で補っていた。
「そうだ、太一は部活とか同好会に入ったりするのか?」
「今のところはどこにも入る気はない。家や他のことで時間が取れそうにないんだ」
「おいおい、お前は家のことと言うよりは青唯ちゃんのためだろ? ……ちなみに俺もどこにも入る気はない。これで色々と忙しい身で時間がないんでな。正直、やることが多すぎて手が回らんわ」
「忙しいっておまえは何をやってるんだ?」
「まあなに、色々とな……色々」
太一が訊くのだが、了介は曖昧に言葉を濁し、どこか遠くの方を見つめるだけだった。
「そう言えば、お前はいつも何時頃に登校してるんだ? 気付いたときには席に座ってるけど、これまで一回も会ってないぞ」
家が近所でほぼ同じ通学路を辿るはずだが、太一はこれまでに一度も登校中に了介に出くわしていない。
「あれま、そうだっけか? それはただ単に俺とお前の登校時間がずれてるだけだろ。それとも何か? どうしても俺と一緒に登校したいのか?」
了介がニヤニヤ頬を上げて太一に茶化すように言ってくる。
「冗談はよしてくれ。気持ち悪い。思わず右ストレートを入れたくなるじゃないか」
「――よっし、校庭に出よう。ここじゃ狭いからな」
太一は了介とともに椅子から立ち上がる。
が、すぐに二人して椅子に座り直す。
「……俺が悪かった。少し落ち着こう」
「そうだな、何か二人だけだと虚しくなってきたわ」
幼い頃からのくだらないやり取り。いつも間に入る青唯がいないと、どうにもしっくりこない二人だった。
「……もう一つ気になったことがあるんだけどいいか?」
「なになに、どうした太一。何でも聞いてくれよ」
「俺らが一緒に遊び出したのって一体どれくらい前だったか覚えてるか? いまいちはっきりしないんだ」
太一はふと何年前から隣に座る親友と腐れ縁になったのかを思い出そうとした。
しかし記憶を辿ろうとすると、頭の中に深い霧が立ち込めて阻まれてしまった。
「さあて、何年前だったかねえ。……別に何年前でもいいんだがな」
顎に手を当て考える素振りを見せたが、了介はすぐに止めてしまった。最後何かぼそっと言った気がするが、太一の耳には届かなかった。
不思議な話もあったものだ。親友とまで思っている相手と、初めて会った歳を一切覚えていないとは。
太一が必死に思い出そうとすればするほどに、霧は深くなっていく。
「気にするな、それだけ小さいときに会ってたってことだろ。家もご近所なんだしな」
了介がバッサリ切り捨てた。……そう言われると、そうなのかもしれない。それで太一も考えるのを止めた。
「そうそう、そんなことより太一、お前今度、赤護さんとデートするんだってな」
急に思い出したかのように、了介が訊いてきた。
「デートっていうか、買い物と道案内だな。ほら、俺がいない間に城壱はだいぶ変わっちまったからさ。――って、あれ? 俺、お前に湖都奈と出かける話をしたっけ?」
了介どころか、誰かに湖都奈と出かけることを話した記憶は太一に一切なく、あれ、と首をひねる。
「おっと、そうだっけか。んなことより、女の子と二人きりで出かけるのを世間一般じゃデートって言うんだよ。どうなんだ? 仲良くなれそうか?」
太一の疑問を打ち消すように、食いぎみに了介が顔を近づけて訊いてくる。
「そう簡単にいくとは思えねえよ。青唯以外の女の子と出歩くなんて初めてなんだ。俺も仲良くなりたいとは思うけどよ……」
そんな了介の様子に、若干圧されながらも太一は答えた。
太一もできるなら湖都奈ともっと仲良くなりたい。嘘偽りのない本音だ。
それに、彼女は期待しているのだ。太一が【
だが、これといった取り柄もない自分なんかに、それが本当にできるのか。ふいに目に見えない暗い不安が太一の心を襲う。
「――まったく、らしくないな。太一、お前がそんなんじゃあ、せっかく誘ってくれた赤護さん、かわいそうだろう? 当たって砕けるくらいの気概でいけよ。その方がよっぽどお前らしいぜ」
不安が顔に出ていたらしい太一に掛かったのは、そんな気楽な了介の声だった。
「……俺らしい?」
「ああ、何難しいこと考えてんだか知らないが、女の子とデートすんのにそんなシケたツラじゃあ、楽しめないだろうが。いつも通りのお前でいいんだよ」
「……楽しむ、か。ああ、確かにそうだな。俺は湖都奈とデートするんだ。こんな顔でいったら心配されちまってデートどころじゃなくなっちまう」
気合いを入れ直すため、太一はパン、パンと頬を叩き、こわばった顔をほぐして笑みを浮かべる。
「サンキュー。了介のおかげで目が覚めたぜ。砕けるのは勘弁だけど、俺らしく当たってくる」
「おう、その意気だ。――ってことでアドバイス代として卵焼きをもらおう。うん、美味い」
サッと目にも止まらぬ早さで、了介が太一の弁当から卵焼きを一つ、左手に持った箸で挟むとかっさらっていった。
「――はやっ!? 返事する前に取ってくなよ。それくらい別にいいけどよ」
あまりの早さに太一は目を丸くして驚くが、卵焼きを食べて満足そうな了介の顔を見ると怒る気にはなれなかった。
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その日の朝、太一は洗面台の鏡を穴が開くほど、じっと覗き込んでいた。
入念に身だしなみをチェックして、買っておいたワックスで髪もいじってみる。
――そう、湖都奈と約束をしていた日曜日が来たのである。
太一は普段外に出る身だしなみに対して、そこまで気にすることはない。
しかし、今回は初めて家族以外の女の子と一緒に出かけるのだ。横を歩く男がみすぼらしい格好では非常にまずい。なので、こうして太一は朝から鏡の前で慣れない作業に没頭しているのだ。
「――うーん。まあこんなところか……」
一応、おろしたてのシャツや比較的買ってからまだ間もないズボンでコーディネートしてみたが、これでも太一にとってはかなりお洒落しているのである。
ふと覗き込む鏡越しに洗面所の扉が開くのが見え、振り返るとそこには可愛いパジャマ姿の青唯が立っていた。
「……あれ、兄さん、お出かけですか……?」
どこか眠たげな声で、そう訊いてくる。
起きてきたばかりの寝ぼけまなこだが、すでにファフが青唯の腕には抱かれていた。
「おはよう青唯。今日は兄ちゃん、友達と一緒に買い物に行ってくるんだ。悪いけどお昼ご飯は一人で頼めないか」
日曜日に一人で留守番させてしまうことを、申し訳なく思いながら太一は頼んだ。
「……わかりました。行ってらっしゃい」
そう言ってから何を思ったのだろう、青唯は訝しげに尋ねて来た。
「――買い物に行く相手、女性ですか?」
「よくわかったな。兄ちゃん、友達としか言ってないのに」
「なんとなく、そうかな、と……」
太一が出かける前に鏡の前で入念に身支度をするなど、普段は決してしないことを知っている青唯からすれば簡単にわかったのだろう。
「髪を整えるところ、見たの初めてなので」
ジト目になって言う青唯に、内心焦りながらも必死に太一は弁明を試みる。
「ほ、ほら、兄ちゃんこっちに戻って来てからまだ日が浅いからさ。買い物がてら一緒に案内してくれるんだってさ」
「兄さんは、その人と、仲が良いんですか……?」
「……うーん、会ってまだ数日しか経ってないからなぁ。まだ良いも悪いもないと思うけど、どうしてだ?」
「いえ、別に……」
……なぜだろうか。徐々に青唯の態度が冷たくなっていく気がする。
「そ、そうだ、青唯。今度一緒に出かけないか? 美味しいものでも食べに行こう」
そっぽを向いて、どこか拗ねている様子の青唯に太一は提案した。可愛い従妹のご機嫌を、朝っぱらから損なうわけにはいかない。
「……本当、ですか?」
疑わしそうに尋ねてくる青唯に、太一は胸を張って言った。
「ああ、もちろんだ。兄ちゃんが青唯に嘘なんて言うわけないだろ」
「じゃあ、約束です」
青唯は右手の小指を出して太一に向けた。小さく可愛らしい指である。
「わかった。約束する」
その子供らしい仕草に微笑みつつ、太一は自分の小指を青唯の小指に絡めた。
「兄さんは、普段通りの、着飾らない姿が一番です」
そう言うと、満足した顔で青唯は洗面所から出ていった。
「……着飾らない姿、ね」
青唯が出ていったあとの洗面所で、太一は誰に言うでもなく一人呟いた。
そして勢いよく水道の栓を開くと頭から水を浴びる。
「ツメタッーーーー!?」
ワックスを冷たい水で全て洗い落とすと、太一は栓を閉め顔を上げた。鏡に映る髪から水を垂らした自分を一瞥すると、パンッと頬を叩いて気合を入れた。
出かける時間になり、身支度を終えた太一が玄関で靴を履いていると、普段着に着替えた青唯が近づいてきた。
「兄さん、行ってらっしゃい。気を付けて」
「――行ってきます」
青唯に挨拶をすませると、太一は胸を張って玄関の扉を開けた。
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