第14話 気になるお店

 太一がいつもの習慣通り早めに家を出て、駅前広場の大時計を確認したときには、針は九時三〇分を指していた。


 この前は同じ場所で待ち合わせをして、湖都奈と正面衝突するはめになった。

 今回はさすがにもう何も起こらないだろう、と太一は大時計の前に近づいていく。

 すると、そこにはすでに見知った先客がいた。


「これは太一様、おはようございます。お早いお着きで」


 燕尾服を華麗に着こなす湖都奈の執事、皓造が大時計の前に立っていた。

 この駅前で燕尾服はかなり目立つ。それに加え、皓造は身長が太一より二〇センチほど高くスタイルがいいので、まるで映画の中から出てきたような存在感がある。周囲の人々も皓造のことを見てざわついていた。


「な、何で皓造さんがここにいるんだ? ――まさか、湖都奈に何かあったのか?」


 執事の皓造がここにいて湖都奈がいないということは、彼女に不測の事態があったのではないか、と太一は不安になり尋ねた。


「ご安心を、太一様。お嬢様はもう間もなくこちらへ来られます」


 だが皓造は至って平静に太一の不安を否定した。


「じゃあ、皓造さんは何しにここに来たんだ? ひょっとして親同伴みたく一緒にくっついてくる気だとか……言わないよな」


 皓造と湖都奈と三人で街を歩く姿を想像し、太一は自然と頬が引きつる。


「そうではありません。これからお嬢様のことを太一様に深く知っていただくために、これを渡すように頼まれました」


 皓造は一冊の可愛らしい手帳を取り出して、恭しく太一に手渡してきた。表紙はラメでデコレーションされており、明らかに男性が持つには可愛らしすぎる。


「――この手帳は?」

「なんでも『湖都奈お嬢様攻略マニュアル』だそうで、渡すよう頼んだ本人曰く、これを読めばお嬢様をいちころにできるのだとか」

「何だ、それ? 一体誰がこんな物を」

「喫茶店で働く給仕の一人で、春乃といいましたか。他の夏希、千秋、冬美の四人での共同制作だとか」


 太一の頭に喫茶店で働いていた四人のメイド服の給仕が浮かぶ。……あの人たちは一体何をやっているんだ。流珂さんに教育してもらった方がいいんじゃないのか。


 太一は皓造から受け取った手帳を一瞥する。これさえあれば湖都奈をもっと知ることができるかもしれない。

 だが、どうしても太一はこの手帳を受け取るわけにはいかなかった。


「皓造さん、せっかく持ってきてもらって悪いんだけど、俺は手帳を受け取れない」


 太一は皓造に手帳を返してから続ける。


「俺は手帳に頼るわけにはいかない。――もちろん、湖都奈のことを俺はもっと知りたいし仲良くなりたい。だけど、こんな物に頼ってちゃいけないと思うんだ」


 それは、これから湖都奈を知り、彼女の剣を納めようとする太一の覚悟である。


「……ほう、それはまたどうして?」

「俺は湖都奈に心から認めてもらわないといけないし、認められたい。だから湖都奈のことは、俺自身が湖都奈の口から聞かなきゃダメだ。こんなチートを使って心から認めてもらえるとは、俺にはどうしても思えないんだ」


 真剣な眼差しで皓造に、湖都奈に対する太一自身の決意を語る。

 それをどう見たのだろう、皓造はうなずくと黙って手帳をポケットにしまった。


「そうだ。一つ訊きたかったんだけど、何で皓造さんは代表代理なんだ?」

「それは〈円卓の虹〉の創設者であり初代の代表が、お嬢様のご両親だったからですよ。お嬢様が成人し、正式に代表を引き継げるようになるまでは不肖、この栄久田が代理を務めております」


 そう言って深く礼をしたあと、皓造は太一に背を向け駅前広場を離れていった。

 しばらくして大時計の針が九時五〇を指すと、辺りがざわつきだした。

 皓造でも戻って来たのかと思い、太一が視線を向けると、湖都奈がにこやかに微笑みながら駅前広場に歩いてきていた。


「お待たせしました、太一。私も早めに準備して来ましたけど、早いですね」


 服装はブラウスの上にカーディガン、下はミニスカートとニーソックスを合わせ、綺麗な脚線美を描いていた。肩にはバッグを掛けている。

 太一は声を掛けられるまで、湖都奈に見惚れて動けず固まっていた。


「どうしました、太一? ――あ、この格好変でしたか?」


 不安げに湖都奈が自分の恰好を見回すが、そんなことあるはずがない。


「すっごく似合ってる! 可愛いくて思わず見惚れてた!」


 太一はブンブン音がなるほど左右に首を振って、湖都奈の言葉を全力で否定した。


「……あ、ありがとうございます。その、そんなに褒めてもらえるとは思っていませんでした。嬉しいです……」


 見る間に湖都奈の頬がカァと赤く染まっていった。

 自分がどれだけ恥ずかしいセリフを吐いたのか、彼女の反応で即座に理解した太一も、頬をポリポリとかいて赤くなる。


「えっと、今日はまず、地球堂に行きましょう。あのお店でしたら品揃えも豊富ですから」


 まだ若干、顔の赤い湖都奈がポンと手を打つと、文房具に関してはこの辺りで揃わないものはない、とまで言われている文房具店へ行くことを提案してきた。


「駅からは少し離れてるけど、やっぱり文房具って言ったらあの店しかないよな」


 太一も特に断る理由はなく、湖都奈の提案を快く了承すると、駅前広場から離れていこうとした。


「あの! 太一にお願いがあります!」


 湖都奈が意を決するように、声を上げて太一を呼び止めてくる。


「どうした湖都奈? 地球堂の前にどこか、寄りたいところでもあるか?」


 頬を染めて両手をぎゅっと握りしめた湖都奈に、太一はどこか他に寄りたいところがあるのかと思い尋ねる。


「――手を、繋いでもらってもいいですか!?」


 湖都奈は言って、左手を太一に差し出してくる。


「手を繋ぐのか? それくらいお安い御用だ」


 太一は湖都奈の白い手を優しく握った。彼女の細い華奢な指が、きゅっと太一の手を握り返してくる。


「これで安心して街を出歩くことができます」

「今日は休日で人も多いからな。はぐれないように気を付けよう」


 太一は湖都奈と手を繋いで、地球堂への道を並んで歩きながら注意を促す。


「はい! はぐれてしまわないよう気を付けましょう!」


 湖都奈は太一と繋いだ手を、嬉しそうに見つめながら応えた。そんな彼女と二人、太一は駅前広場を離れ、並んで街のなかを歩いていく。


「けど、面白いもんだ。こうして知らない道を歩いてると思ったら、急に憶えのある道に出たりして」


 太一が湖都奈と並んで道を歩いていると、知らない場所にふいに昔の記憶に残る景色に出くわすのだ。


「私は城壱からあまり出たことがないのでわかりませんが、太一みたいに五年も離れるとそうなるのかもしれません……ところでなぜ五年も離れたんですか? いくら調べても、ここを離れていた理由がわからなくて不思議だったんです」

「俺がここを離れてた理由? あー、右腕に大怪我を負ったんだ。それで療養とリハビリをじいちゃんの家でしてた」

「大怪我を!? ごめんなさい、知らなかったとはいえ【納虹剣ペイドソード】で負担をかけていませんでしたか?」

「大丈夫だ。湖都奈が気にすることじゃない。怪我自体はとっくに完治してるし、中学生のときは部活動の野球で普通にボールを投げてた。【納虹剣】も負担になんてなってないからさ」


 とても申し訳なさそうな表情をしている湖都奈に、なんてことはないと太一は右腕で力こぶを作ってみせる。

 それを見て安心したのか、彼女はほっと胸を撫で下ろした。


「でも太一、あまり無理はしないでください。学校でお弁当を食べていたときも腕を押さえていましたから」

「ああ、わかった。できる限り無理はしない」


 二人で話しながら歩いていると、件の文房具屋にたどり着いた。中に入ってみると、店内には所狭しと商品が棚に陳列されていた。


「相変わらず、この店にはすごい量が置いてあるな」


 太一は見える範囲の棚を眺めながら呟いた。


「店内は通路が狭いので、ぶつからないように気をつけて進みましょう」


 そう言って湖都奈は太一と繋げていた手を放すと、シャーペンの並べられたコーナーへと向かっていく。太一も握っていた手の感触を名残惜しく思いながらそのあとに続く。


「太一はどんなシャーペンがいいですか? 私が選んであげますね」


 棚に隙間なく並べられているシャーペンを見ながら湖都奈が言った。


「そうだな……、できる限り壊れにくいのがいいかな。これから長く使っていくわけだし」

「壊れにくいもの。――書きやすさはどうですか?」

「書きやすさはもちろんだけど、それよりは持ちやすさかな。手に馴染むのがいい」


 湖都奈から訊かれること全てに、太一はきちんと答えていく。それを何回か続けると、彼女は棚から一本選び出して太一に渡してきた。


「これなら太一の要望にできる限り応えられていると思います」


 太一は湖都奈から受け取った赤いシャーペンを、棚の脇に貼ってある白紙の上で軽く滑らせてみる。


「いいな、これ。頑丈で持ちやすいし、サラサラ書ける。色は何が残ってる?」


 太一はシャーペンの感触を確かめながら湖都奈に訊いた。


「あ、ごめんなさい太一。そのシャーペン、残っているのはもうその一本だけみたいです」


 湖都奈は棚を見回してから、申し訳なさそうに太一に言ってきた。


「――赤色か。なんか少し女の子っぽい感じもするけど、色の違いで機能が変わるわけじゃない。よし、これに決めた」


 太一は手に持っている赤色のシャーペンを見つめながら言った。


「その、自分で薦めておいてなんですが、太一は嫌じゃないですか、赤色?」

「赤色が? 綺麗な色じゃないか。俺は好きな色だ」


 湖都奈にシャーペンの色について訊かれたので、太一は特に深く考えず正直に答える。


「本当ですか!? 太一にそう言ってもらえてよかったです。実はこのシャーペン、私も前から使ってるんです。色も含めてお揃いですね、太一」


 太一がそう言うと、ぱあっと、向けられた方が照れてしまうほどの明るい笑顔を湖都奈は輝かせた。


「湖都奈はどこか寄りたいお店ないのか? 俺の買い物に付き合わせたんだ。俺も湖都奈に付き合うぞ」


 ビニール袋を手に持って地球堂を出てからしばらく、湖都奈に道案内を受けていた太一だったが、ふと彼女の希望をまだ聞いていないことに気付いた。


「そうですか……では太一、一つあるのですがいいでしょうか?」

「ああ、どこに行きたいのか教えてくれ」

「ここは一体何のお店でしょう?」


 湖都奈が示したのは、ちょうど二人が差し掛かった道沿いにある店舗だった。人が出入りして自動ドアが開くたびに、中から軽快な音楽が聞こえてくる。


「ここか? ここはただのゲームセンターじゃないか」

「ゲームセンター? それは何をする場所なのでしょう?」

「湖都奈はゲームで遊んだことないのか?」

「チェスのようなボードゲームは皓造や流珂とよく対戦していますが、それとは全く違うようですね」


 音が漏れてくる入り口に、視線を向けながら湖都奈が言った。


「というと、テレビのゲームで遊んだ経験はない?」

「紫音が遊んでいるのを横から見たことがあるので知ってはいますが、私は遊んだことがありません」


 まさか、湖都奈が今までゲームで遊ばずに育ってきたとは想像もしていなかった。太一はその事実に驚いたが、それならと彼女を誘った。


「じゃあ実際に遊んでみよう。言葉で説明するよりやってみた方が早いし、面白い」


 そう言って太一は湖都奈を連れて、ゲームセンターの中へ入った。

 店内には多くの筐体が置かれていたが、その中でレースゲームがちょうど二席並んで空いていた。

 湖都奈を先に座席に座らせてから太一はその隣に座り、基本的な操作を彼女に教えてからゲームを開始した。


「――太一! タコを投げられて、画面を真っ暗にされてしまいました!?」

「すぐ消えるから、とりあえず落ち着いて。画面の見える範囲でコースを予想して、ハンドルを切るんだ」


 湖都奈は初めての操作に、まっすぐ前に進むこともおぼつかなかった。太一は接触して邪魔しないように離れて走るのだが、NPCはお構いなくタコをぶつけていった。


「最初はコースを覚えるのが先決だ。先頭集団からできる限り離されないようにしつつ、走りながらコースの全景をつかむんだ」

「わかりました。……アクセルにブレーキのタイミングも大事ですね。ドリフトも活用していかないと上位には入れません」


 ……ゲームを開始してまだ数回しか走っていないのに、もう上位を目指しているのか。

 太一は思わず感心して、ちらっと湖都奈の方に視線を向けるが、すぐにまた前に向き直った。

 別にゲームに集中しているわけではない。このゲームは太一が幼い頃からあり、相当やりこんでいるので少々、脇見をしたところで支障はない。


 ――ではなぜか、その理由は極めて単純。隣で座る湖都奈のミニスカートから覗く、艶めかしい白い太もものせいだ。

 ニーソックスと織りなす絶対領域の精神的な攻撃力が、お年頃な思春期の男子高校生である太一には高すぎたのだ。


 しばらく遊んでからゲームセンターを出たところで、太一は出入り口の横にそれを見つけた。

 入るときは気付かなかったが、そこにはガチャガチャが数台並べられていた。


「懐かしいな、これ」


 見つけた太一は、懐かしさで思わず声を上げてしまう。


「太一、何ですかこれは?」


 興味津々といった様子で、湖都奈が訊いてくる。


「お金を入れて回すと、いろんなおもちゃが出てくるんだ。俺が城壱から出ていく前はよく見かけたけど、このシリーズまだ残ってたんだ」


 ズボンのポケットから財布を取り出すと、ガチャガチャに硬貨を入れて回す。

 出てきたカプセルを開けると、中には手のひらサイズの小さな銃が入っていた。

 高校生の太一の指で、ぎりぎりトリガーを押せる大きさである。


「……随分小さいですね」


 右手に載せて湖都奈に見せると、彼女は率直な感想を述べた。


「所詮はワンコインのおもちゃだからな。――見てろ」


 左手に向けて、銃のトリガーを引く。


「――赤い光が!? こんな小さなおもちゃに虹式動力ポーラが組み込まれているんですか!?」


 銃の放つ赤い光線に湖都奈が驚愕に目を見開くが、それも当然だ。

 なぜなら虹式動力は、まだ手のひらに乗るほどに小型化が進んでいない。紫音が富栄高校で使用したドローンが今できる中では最小だろう。

 驚く湖都奈に、太一は笑いながらおもちゃの仕掛けを説明した。


「これは虹力なんかじゃない。ただの赤い光が出てるだけだ。昔はこれでよく了介と西部劇ごっこをして遊んでたんだ」

「太一にはごっこ遊びをしている頃があったんですね」


 おもちゃの銃を撃ってる姿を想像したのか、笑いながらそんなことを言ってきた。


「……だいたい子供の頃はみんなやるだろ」


 太一は銃をズボンのポケットにしまってから言う。


「光量が意外と強いから、人の目を直接狙って撃つのは絶対に禁止だ」


 ……する必要があるかは不明だが、念のため、注意を入れておくことは忘れない。

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