第11話 屋上で昼食を
午前中、最後の授業の終了を告げるチャイムが鳴ったあと、学級委員の礼を合図に一年二組は昼休みに入った。
机の上を片付けた太一は、了介を誘って昼飯にしようとしたのだが、すでに隣の席に座っていたはずの相手はいなくなっていた。
「あいつ、さっきまでそこにいた気がしたけど、どこにいった?」
「太一、お昼ご飯を一緒に食べましょう」
誘う相手がいなくなりどうしようか思案していると、後ろから優しげな声が掛かった。
太一が振り返ると可愛いランチバッグを持った湖都奈が、にこやかに微笑んでいる。
「……昼飯を一緒にか? ――ああ、そうだ! 今日は良い天気だから外で食べよう!」
湖都奈に応えようとした瞬間、太一は背中に強い殺気を感じた。ちらっと後ろに目を向けると、教室中の男子が太一のことを殺意のこもった目で睨んでいる。
視線を前に戻せば、そんなことに無頓着な湖都奈が、にこにこと太一を見ている。頬に流れる汗を感じながら、太一は彼女と早々に教室から退散した。
中庭に出てベンチに二人並んで座ると、湖都奈は空を見上げながら伸びをした。
「んーー。太一、今日はのどかで雲一つない、良い天気です」
今日の天気は湖都奈の言う通り快晴で、太一たちと同じように中庭に出て、春の陽気を満喫する生徒たちの姿がそこかしこに散見された。
「そ、そうだな……。い、良い天気だな」
答えながら太一は、湖都奈に釘づけになっていた視線を反らした。
伸びをしたことで強調された、無防備な彼女のボリュームのある胸に、自然と目がいってしまったのだ。
そんな太一の視線に気付かず、湖都奈は伸びを終えると弁当を広げた。
「! 見てください、太一! ……すごく可愛いです!」
弁当の蓋を開けた湖都奈が声を上げるので太一も中を覗くと、そこには卵や海苔で形作られた可愛い犬がいた。その出来栄えの良さに思わず太一も感嘆の声を上げる。
「おお!? これはすごいな。湖都奈が作ったのか?」
「いえ、このお弁当は私が作ったわけではないんです」
少し申し訳なさそうに、眉を八の字にして湖都奈が答える。
「じゃあ一体誰が作ったんだ、この弁当?」
太一の頭に紫音の顔が浮かんだが、彼女は基本めんどくさがりなので、弁当を作ったとしてもここまで手の込んだことはしないな、と即座に否定する。
「それはもちろん、
「えっ!? あの人が作ったのか!?」
片眼鏡をつけた老紳士と目の前の可愛い犬の弁当とが、どうしても結びつけることができずに、困惑してしまう太一であった。
「でもまあ執事をやってるくらいだから、これくらいは簡単にできるのか。顔には合ってないけど。――そう言えば、湖都奈は料理をしないのか?」
太一が訊くと、湖都奈は困ったように苦笑した。
「私はどうにも料理との相性が悪いようで……」
そして彼女は遠い目をしながら言った。
「今日は太一のために頑張って何か作ってこようとしたのですが『協力者を毒殺するおつもりですか!?』と、皓造に泣きながら止められてしまいました」
その言葉に太一は固まってしまった。太一のために料理をしてくれようとしたことにではない。あの老紳士をして、そこまで言わしめる湖都奈の料理の腕にだ。
「皓造はいつも大げさすぎます。いくら何でも人様を毒殺するようなもの、一般家庭に置いてある食材で作れるわけがありません」
湖都奈にしては珍しく頬を膨らませ、自分の執事に対しての不満をこぼす。
何と答えたらよいものか太一が思案していると、湖都奈が弁当の中を、興味深げに覗いてきた。
「太一のお弁当も凝っていますね。もしよければその玉子焼き、一つ頂けませんか?」
湖都奈は太一が作った何の変哲もない玉子焼きを見ながら言ってきた。
「ん、別に構わないぞ。じゃあ、入れるから弁当箱をこっちに出してくれ」
箸に玉子焼きを挟んで太一が言うと、彼女は予想外の行動にでた。
「……せ、せっかくなのでその、あーん、してもらえませんか……?」
「……はぁっ!?」
突然のことに太一は思わず素っ頓狂な声を上げてしまうが、湖都奈はどうやら本気のようだ。
頬を赤く染めながら身を寄せてきて、目を閉じると小さく口を開ける。
間近に迫る絶世の美少女に、箸で玉子焼きを挟んだ太一の心臓がバクバクと鳴り響く。
すぐさま辺りを見回して、こちらを見てる者がいないかと確認する。そして誰も見ていないとわかると、改めて湖都奈に視線を向けた。
かなり接近しても、キメ細やかな雪のように白い肌。口紅をさしていなくても赤く瑞々しい唇。自然とカールした長い睫毛。
太一はこのままずっと眺めていたい誘惑にかられるが、そんなわけにもいかない。頬に汗が流れるのを感じながら、意を決して玉子焼きを湖都奈の口へと運んでいく。
「あ、あーん……」
小刻みに震える右手を必死に抑え、何とか入れることに成功した。
湖都奈は玉子焼きを口の中に入れてから、モキュモキュと咀嚼して嚥下すると、うっとりとした声で言った。
「……なんでしょう、この噛んだ瞬間のフワッフワ、トロトロの触感は……。ほどよい加減の絶妙な甘さが堪りません……!」
何を大げさな、と太一は苦笑するが、片手を頬に当てて話す湖都奈の表情は幸せそのものだった。
恐らくは錯覚だろうが、湖都奈の周りで赤い光が微かに舞っているように見えた。
「――うっ!?」
突然、右腕が電流が走ったように痛み、太一は反射的にうずくまって押さえた。
「……どうしました、太一?」
急にうずくまる太一の様子が心配になったのだろう、湖都奈が声を掛けてくる。
「いや、大丈夫だ。少し痛みが走ったけで、もう治まった」
「そうですか。あまり無理はしないでくださいね」
ほっと安心したように湖都奈は微笑んだ。
「ああ、気を付ける」
右腕に一瞬走った痛みに太一は首を傾げつつ、自分の弁当に箸をつけようとした。
「――では、どうぞ。太一も口を開けてください」
だが湖都奈のその一言で、箸は弁当につく前に止まる。
「……へっ? ――俺もやるのか!?」
太一は一瞬理解ができず反応が遅れてしまったが、湖都奈はすでに箸で自分の弁当の中からたこさんウィンナーを挟んでいる。拒否する前に、太一の口元へ持ってきた。
「当然です。私だけしてもらって、返さないわけにはいきません」
妙に真剣な面持ちで湖都奈は言う。
断れなさそうな雰囲気にどぎまぎしながらも、太一は目を閉じて「あ、あーん」と口に入れてもらう。
「太一、お味はどうですか?」
「……あ、ああ、悪くなかった……」
気恥ずかしいやら何やらで正直、太一はろくに味もわからなかったが、何も言わないわけにもいかず無難な答えを選択する。
「それは良かったです。今回は皓造の作ったものでしたが、次はちゃんと自分で作ったものを持ってきます」
湖都奈は決意を固めた瞳で太一に宣言する。
「お、お手柔らかに頼むな」
太一は断ることができず、それだけ言うのが精一杯だった。
しばらくして弁当を食べ終えると、先に食べ終えていた湖都奈に昨日から気になっていることを尋ねた。
「――桃代さん、昨日あれからどうなった?」
太一が自宅に帰るときになっても桃代は意識が戻らず、喫茶店の奥で眠っていた。そのあとどうなったのかを確認したかった。
「彼女は今朝方、意識を取り戻しました。虹力のことを説明すると最初は驚いていましたが、しばらく預けると言ってまた気持ちよさそうに眠ってしまいました」
「そうか、なら良かった。――で、学校の方は? 映画の撮影とか言って許可を取ってたみたいだけど、鍵とか壊したろ?」
「それはもうすでに、皓造が昨日のうちに手配して直してしまいました。誰も桃代さんが壊したことを知らずに、平常通り授業が始まっています。映画の撮影というのも、昨日一日だけあの場所を人払いをするための方便ですし」
一日でも多く授業をしようとする進学校を一日だけでも休校にする。それだけのことが〈円卓の虹〉にはできるらしい。
各地に協力者がいたり、壊れた建物を半日で直してしまったりと、この団体は太一が思った以上に城壱市で影響力を持っているようだ。
「――太一、今度の日曜日に予定は空いていますか?」
太一が思案に耽っていると突然、湖都奈が訊いてきた。
「日曜? 今のところ特に予定はないけど」
「もしよければ、一緒にショッピングに行きませんか?」
「ショッピング……ああ、わかった。一緒に行こう」
特にどこかに出かける予定もなかったので、太一はその提案を受けることにした。
それまで了介でも誘って遊びにでも行こうかと考えていたが、ここにいない親友より目の前の少女を太一は選んだ。
「太一は街に戻ってきたばかりですし、入用な物が色々とあるんじゃないですか?」
「……そう言われると文房具で色々。ノートが足りてないし、シャーペンも前から使ってたのが壊れかけてたな」
城壱市に戻って来るまで、太一は荷物を送ったりしてあらかじめ準備をしていた。
だが実際に高校に通い始めると、いくつか消耗品で不備があることに気付いた。
「それと太一がいた頃とでは、この街もだいぶ変わってしまっているでしょうから、一緒に案内もします」
確かに街の様相は、太一が五年前に住んでいた頃の面影はあまり残っていなかった。
湖都奈と初めて会話した公園も太一の記憶では古い集合住宅だった。街が整備されていく中で、取り壊されたらしい。
「それで、待ち合わせ場所と時間はどうする?」
「駅前広場の大時計前に一〇時にどうでしょう? それほど私たちの家からの距離が変わりませんし、近くの商店街で大抵の物は揃えることができます」
「わかった。……そうだ湖都奈、連絡先を交換しないか? 〈円卓の虹〉の活動とかで行動するのに何かと便利だろ?」
太一は携帯電話をポケットから取り出して湖都奈に向ける。
「そうですね。是非お願いします」
太一の提案に、顔をほころばせて湖都奈は答えた。
連絡先を交換し、太一は携帯に湖都奈のデータがちゃんと入っていることを確認してから、ポケットにしまい直した。
「――太一、これはただのショッピングではありません。〈円卓の虹〉のミッションでもあります」
「〈円卓の虹〉の? なら、またどこかに暴走しそうな虹霊がいるのか?」
ショッピングと〈円卓の虹〉がどう繋がるのかはわからないが、どこかに暴走するかもしれない虹霊がいるのなら、太一は止めるつもりだ。どんな理由があるにせよ、暴走してしまったら、桃代以上の被害が出てしまうかもしれないからだ。
「いえ、今回は暴走を止めにいくわけではないです」
意気込む太一に返ってきたのは、それほど切迫した雰囲気ではない湖都奈の声だった。
「手紙に書いてあったじゃないですか。〈アルカンシエル〉が虹力を預けるのに相応しい人物だと心から認めなければ【
「俺に湖都奈の虹力を納めろっていうのか?」
「〈円卓の虹〉の目的はもう太一にお話ししましたけど、その他にもう一つあります。それは〈アルカンシエル〉全員の虹力を、太一に納めてもらうことです」
「……〈アルカンシエル〉全員の?」
「そうです。【
「俺が虹力を納めなきゃならない必要があるのか?」
太一には暴走していない湖都奈や他の〈アルカンシエル〉の虹力を納める必要がどこにあるのか疑問だった。
「太一は常に抜き身の剣を手に持った女の子と、一緒にお弁当が食べられますか?」
質問した太一に返ってきたのは湖都奈のそんな言葉だった。
「剣は刃を剥きだしたままでは様々なものを傷つけてしまいます。〈
湖都奈の言うことは至極単純だった。
世界を救うためには強い力を求めなければならない。しかし誰かが納めなければ、その強い力を持つ者が世界にとっての脅威になるのだ。
太一は隣に座る少女にそんなものにはなってほしくなかった。
「なるほど、わかった。――そういうことなら俺は湖都奈の虹力を納められるよう頑張らなきゃな。……でも何でそれがショッピングに繋がる?」
「それは一緒に行動することで太一を知るためです。――よく知らない相手を心から認めることなんてできません。私が太一のことで知っているのは、全て紙に書いてあることばかりです。私はもっと太一を知りたいですし、太一に私を知ってもらいたいです」
湖都奈は一言一言、真摯な声で訴えてくる。
「――日曜、太一の時間を私にください」
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