第17話 逃走劇

 太陽が徐々に西へと傾きだした城壱市の街並みのなか、太一が湖都奈と手を繋ぎやってきたのは、アクセサリーショップ、〈シャン・ド・フルール〉。一〇代向けのアクセサリーを中心に商品展開をしている。


「俺、正直ファッションのことはあんまりよくわかんないけど、アクセサリーならまだ湖都奈に似合うものを選んでやれるかと思ってさ」

「私のために色々と考えてくれてありがとうございます。でも、太一が選んでくれるのなら、どんなものでも私は嬉しいですよ」


 お店の入り口をともに抜けながら、湖都奈が言ってくる。


「そうは言うけど、似合わないものを贈ったってしょうがないだろ」


 繋いでいない方の手で、太一は頭をポリポリとかきながら奥に進み、ショウケースに並べられた色とりどりのアクセサリーに目を移した。


 ――これは派手すぎる、これは湖都奈のイメージに合わない。太一は一つ一つ端からつぶさに観察をしながら、湖都奈に似合いそうなものを探していく。

 そうして見ていくうちに、小さなアクセサリーが太一の目に留まった。

 綺麗な白い花の意匠が施された、小さなペンダント。

 それは一緒に並ぶ他の煌びやかなアクセサリーに比べると、だいぶ落ち着いた雰囲気のペンダントだった。

 だが――太一はペンダントから目が離せずにいた。


「この花はエーデルワイスですね」


 太一と同じようにペンダントを見つめていた湖都奈が言った。


「湖都奈はこれが何の花かわかるのか?」


 指で示して訊いてみる。花をよく知らない太一には、白い花としか判断がつかない。


「はい。この白い花の名前はエーデルワイスと言います。花言葉には大切な思い出、勇気などがあります」

「へえ、よく知ってるな」


 すらすらと説明する湖都奈に、太一は思わず感心してしまった。


「エーデルワイスは私の大好きな花なんです」


 そう言って、嬉しげに微笑んだ湖都奈の顔から見た太一は、彼女に贈る礼の品をこのエーデルワイスのペンダントにすることに決めた。

 美しい貌に浮かぶ屈託のないその微笑みを見ただけで、このペンダントを置いてもう他にあり得ないと、太一は確信してしまったのだ。


「――俺はこれを礼として湖都奈に贈りたい」


 値段はろくに見ていなかったが、横に並んでいるアクセサリーが五千円や六千円くらいだったので、ペンダントの値段も似たようなものだろう。

 ショーケースから取り出してもらうため店員に声を掛けようとすると、太一の腕が隣から引っ張られた。


「? どうした湖都奈? ……ひょっとして気に入らなっかったか?」


 勢いで選んでしまっていたが、湖都奈の意見もきちんと訊いておくべきだったか。


「い、いえ、そうではなくて……とても綺麗なものだと思うのですが……」

「ああ、俺も湖都奈にすごく似合うんじゃないかと思う」

「!? そ、そう言ってもらえるのは嬉しいです。嬉しいのですが……」


 なおも湖都奈が言いよどむので、太一もさすがに疑問に思い尋ねた。……少し驚いていたように見えたのは気のせいだろうか。


「……どうしたんだ、さっきから? 湖都奈、何か言いたいことがあるなら構わずに言ってくれ」

「その、ペンダントのお値段が……」


 言われて確認した太一の目玉が、その値段に思わず飛び出しそうになった。

 ペンダントの下の値札には一万五○○○円、と表示されていた。


「……なな、なんだよ湖都奈、びっくりさせるなよ。たっ、たったの一万五○○○円じゃないか。こ、これくらいなんてことはない。なんてことはないさ。ははははは……」


 自ずと引きつる頬に、太一は無理やり笑みを張り付けて、湖都奈に心配ないと安心させようとしたが、背中に流れる大量の汗はどうにもできなかった。


「太一、声が上ずっていませんか?」

「ん、ん、そんなことはない。ちゃんと買えるだけのお金は持ってきてるから大丈夫だ」 


 湖都奈に指摘されてコホン、と咳払いしてから太一はしっかりと答えた。今日はこんなこともあろうかと、いつも持ち歩くよりも多めに財布に入れてきたのだ。抜かりはない。


「ありがとうございました。また、お越しくださいませ」


 会計を済ませた太一は店員の声を聞きながら、湖都奈と一緒に店をあとにする。

 外に出ると、日は西にだいぶ傾いていた。暗くなるのも時間の問題だろう。


「申し訳ありません太一。こんなに高い物を買ってもらって」


 今日はそろそろ解散しようと、駅に向かって歩いている途中、湖都奈が言った。彼女は非常に申し訳なさそうな表情で、手に持った紙袋を見つめている。


「そんなこと、いちいち気にするな。俺が礼として贈っただけなんだから」

「それにしてはやはり値段が釣り合っていないです……」


 湖都奈は礼として高すぎる贈り物に、罪悪感にかられているようだ。


「――そうだ! じゃあ、早速そのペンダントを着けてるところを俺に見せてくれ。それが払いすぎた礼のお釣りってことで」


 そんなことはないといくら言ったところで、湖都奈はこのままではずっと引きずってしまうだろう。太一はペンダントをここで着けることがお釣りだと湖都奈に求めた。


「何ですか、それ? お礼にお釣りって。聞いたことないです」


 ぽかんと太一の顔を見たあと、くすくすと可笑しそうに笑いながら湖都奈が言った。


「いいだろ別に。それで俺が満足できるんだから。――なあ、頼むよ」


 太一は湖都奈に手を合わせ、拝むようにお願いした。


「わかりました。……太一がそこまで言うのなら」


 湖都奈は紙袋からペンダントの入った箱を取り出したが、紙袋が邪魔そうだったので代わりに太一が持った。ついでに空いた箱も受け取り紙袋に放り込む。

 胸元にペンダントを着けながら、湖都奈は「ありがとうございます」とお礼を言った。


「――どうでしょう? 似合っていますか?」

「…………」


 ペンダントを身に着けた湖都奈に尋ねられるが、太一はすぐに答えられない。言葉を完全に失っている。

 赤護湖都奈という一人の少女の存在を、最大限に惹き立てるのが己の責務である、とでもいうように純白の花エーデルワイスのペンダントは、日を受けて湖都奈の胸元で輝いている。


 そんな湖都奈の姿を間近で見ていた太一は、改めて少女の人外な美しさに魅了され、声も出せずに固まってしまったのだ。


「……あの、やっぱり似合っていませんでしたか?」


 太一の沈黙をどう受け取ったのだろう、湖都奈の声がとても不安げなものになった。

 ブォン、ブォン音が鳴るほど首を左右に振ったあと、太一はどれだけ湖都奈にペンダントが似合っているか必死に訴えた。


「――すっごく似合ってる!! どれだけ似合ってるかって言うと、俺の足りない頭じゃ言い表せないくらい、似合ってる!! この上なく、とんでもなく、めちゃくちゃ最高に、似合ってる! ペンダントは湖都奈に似合ってるんだーーーーーーーーーーーーー!!」


 勢いで叫んだあと、ゼェゼェ肩で息をしながら太一は湖都奈を見た。

 いきなりの大声に、道を行き交う人々は何事かと太一に眉をひそめるが、そんなことは気にも留めない。

 太一の本心からの叫びを聞いたあと湖都奈は黙って俯いてしまった。


「――とう……」


 自分の言ったことに気を悪くしてしまったのではないか不安になり、太一が声を掛けようとすると湖都奈が何か囁いた。


「――えっ?」


 太一が訊き返すと、今度は顔を上げてちゃんと聞こえる声で湖都奈は言った。


「ありがとうございます、太一。似合ってるって太一にあんなに言ってもらえて、本当に嬉しかったです。――太一に貰ったこのペンダントは私の『大切なもの』です」


 湖都奈は泣いていた。瞳に涙を浮かべて、心から嬉しそうに微笑んでいた。彼女の身体から赤い光が輝いて舞っているのが、太一の目にはっきりと見えた。

 そのときだった。


 場の雰囲気をぶち壊す警報が、辺り一帯に高々と鳴り響いた――。


「警報!? 何で!?」

「――そんな!? 虹力は乱れていないのに腕輪が!」


 湖都奈の驚愕の声を聞いて太一が彼女の右腕を確認すると、黒い腕輪から赤い光が発せられていた。


「腕輪は虹力が乱れないと反応しないんじゃなかったのか!?」

「はい。それが腕輪の機能のはずです!」

「それが何で反応して警報が鳴っているんだ!?」


 湖都奈の虹力が乱れていないのならば――なぜ警報が鳴り響くのか。


「わかりませんが、この警報には何か意図的なものを感じます!」

「意図的? それってどういう――」

「今は一刻よりも早く、太一の避難が先決です!」


 意味がわからず訊き返そうとした太一の腕を摑み、湖都奈は近くの建物へと引っ張っていこうとする。


「お、おい待ってくれ。湖都奈はどうする気――って、力強っ?!」


 湖都奈よりも体格のいい太一が、彼女にズルズルと引きずられるのでつい、言葉に出してしまった。


「私はPRFに保護されるわけにはいきませんから、このまま人気のないところまで一人で逃げようと思います。――それと力強いは余計です!」


 女の子に力強いと言って、喜ばれることはそうはないだろう。それも言った相手が花も恥じらう一〇代の乙女であったならば、なおさらのこと。案の定、湖都奈も拗ねてしまった。


「……今のは俺が全面的に悪かった。ごめんなさい。……その、湖都奈さんは一人で逃げて大丈夫、ですか?」


 太一は己の非を認め、心から湖都奈に謝った。そして彼女のことを心配をするが、機嫌をうかがうように掛ける声は、自然と敬語になってしまう。


「太一、私もそこまで本気ではないですから、そんなにビクビクしないでください。大丈夫です。太一とぶつかったときも、無事に逃げおおせたんです。今回もなんとかしてみせます」


 人を安心させるような声で湖都奈が言ってくる。

 だが太一も今回の警報に嫌な予感がした。このまま湖都奈を一人で行かせてはいけないと、心の中で何かが囁いている。


「――俺も行く。湖都奈を一人で行かせることなんてできない!」

「しかし、ただの人で虹力と無関係な太一を巻き込むわけには……」

「今日一日、一緒に街を出歩いて、お弁当まで食べた女の子が危険な目に合うかもしれないんだ! 放っておけるわけがないだろ!? ただの人の俺なんかじゃ足手まといになっちまうかもしれないけど、湖都奈をこのまま一人で行かせて、逃げることなんてできるか……!」

「……私の言い方が悪かったですね。太一はただの人ではなく、私の大切な人です。足手まといだなんて思っていません。あなたがそう望むなら、私は一緒に逃げます」


 湖都奈はそう言うと、道端に並ぶ街路樹の影に、肩にかけていたバッグを下ろした。


「太一、荷物を私のものと一緒にまとめて置いてください」

「どうするんだ?」


 太一は言われた通り、自分の荷物を湖都奈の荷物の横に置きながら訊いた。


「あとで〈円卓の虹〉が回収します。なくすわけにはいきませんから。こういった非常時のために、私はいつも紫音製の発信機を持ってるんです」


 湖都奈と話していると突然、虹術結界プリズムが周囲に展開され、透明な膜に覆われるような感覚が太一を襲った。


「! 時間がありません! いきます!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。何で俺にお姫様抱っこをしようとしてくるんだ!?」


 湖都奈が両手で抱えようとしてくるので、太一は慌てて止めた。


「両手で抱えた方が、安定しやすいかと思いまして。駅から公園までも太一をそうやって運びましたし」

「――な!? いや、安定しなくてもいいから別の抱え方に変えてくれ!」


 衝撃の事実に太一は驚愕して声を上げそうになるが、時間がないので別の方法を湖都奈に頼むだけにとどめた。


「わかりました。揺れますので、舌を噛まないよう気を付けてください」


 湖都奈は太一の身体を軽々と持ち上げ腰に抱えると、勢いよく空へ跳び出して行った。


「!? ――!」


 襲った浮遊感と猛烈な勢いに、太一は悲鳴を上げないよう必死だった。まさか女の子に抱えられる日がこようとは、夢にも思っていなかった。

 男である太一は当然、湖都奈よりも重量があるのだが、彼女は眉一つ動かさずに太一を抱えたまま、近くの三階建ての建物を軽々と跳び越えていった。


 そこから高層のビルが並ぶオフィス街の方面へと向かい、建物の壁の間を縫うように跳んでいく。

 瞬く間に太一の視界に映る景色が、置いていかれ変化していく。

 虹術結界がどの程度の範囲にまで及ぶのかはわからない。だが結界の中から脱出できなければ、PRFから逃げ切ることなどできないのだ。


 太一が自分よりはるかに華奢な女の子に抱えられた奇妙な逃走を続けていると、視界の端に独特なシルエットの機械を身に着けた集団が飛翔しているのを捉えた。

 腕輪の通報を受け出動したPRFに、とうとう補足されてしまったのである。


「! ――湖都奈! ビルの影からPRFが来てる!!」


 注意するよう、太一は湖都奈に必死に訴える。

 太一よりも先に気付いていたのだろう、湖都奈はわかっているというように一度、太一にうなずくと、すぐさま跳躍する速度を上げてPRFとの距離を離した。


「……なんで屋上じゃなくて、わざわざ狭い路地を選んでるんだ?」


 湖都奈に抱えられながら、太一はふと疑問に思った。なぜ彼女は障害物が少なく視界の開けた屋上ではなく、建物の間の路地を縫うように跳んでいくのか。


「確かに屋上を跳べば動きやすいですが、それは飛んでいる相手方にとっても同じこと。それに、出来る限り入り組んでいた方が私には利点が多いんです。――例えばこんな風に!」


 湖都奈は目の前に建つビルの壁に脚を着くと、思い切り蹴飛ばして進行方向を左へ変えた。と、思いきや、さらに別のビルの壁を蹴飛ばして、今度は右に向きを変える。

 その急激な湖都奈の方向転換に、あとを追うPRFの隊員たちは翻弄され、三人ほど曲がりきれずにドン、と鈍い音を立ててビルの壁に激突した。


「今ので死ぬことはありませんが、復帰できるまでに時間を要するでしょう」


 湖都奈は跳びながら落下する隊員たちに、ちらっと視線を送るがすぐ正面に戻した。


「……太一が一緒にいてくれて助かりました」


 さらに数名の隊員を壁に激突させてダウンさせたあと、ふいに湖都奈がそんなことを太一に言ってくる。


「俺はただ、ぬいぐるみよろしく湖都奈に抱かれているだけで、今のところ何も活躍らしい活躍はしてないぞ?」

「いえ、太一と密着しているおかげで隊員たちは私のことを撃てないようです。捕獲用の銃を持ってはいますが、構えすらしません」


 湖都奈は額に汗が伝う貌に笑顔を浮かべて、太一と身体を密着させる。


「こ、湖都奈? 俺が役に立てているのはすごく嬉しいけど、あんまり密着するとだな……」


 太一は湖都奈の言葉を嬉しく思いながらも、ぐにゅんと自分の身体で卑猥に形を変える柔らかい感触に、自然と顔が熱くなる。


「――?」


 だか湖都奈はわかっていない様子で、小首を傾げるだけだった。

 二人の逃走劇は、気がつけばオフィス街を抜けて廃工場まで続いていた。

 そこには広い敷地面積のなかに大きな工場が建っているのだが、前の持ち主が廃業したあとは新しい買い手が見つからず建物の老朽化も進み、市も再利用に難儀しているような場所だった。


 太一が後ろを振り返ると、初めは二〇名ほどいた隊員たちは、今では半分近くまでにその数を減らしている。


 ――これなら、こいつらから逃げ切れる!


 太一が自分にとって都合のいい方向に進んで行く現状に、笑みを浮かべたそのときだった。


 今まで他の隊員たちに指示を出していた、黒髪をサイドテールに纏めた隊員――恐らく部隊の隊長だろう、が何やら光を反射する物体を投擲してきた。

 それは他に足場がなく、四方を高いフェンスに囲まれた工場の屋上に湖都奈が降りたところで、進路を塞ぐように深々と突き刺さった。


「……へっ?」


 太一はその光景を見て、間の抜けた声を上げてしまう。

 なぜなら、物が傷つくことを防ぐための虹術結界が未だ周囲に張られているなか、テカテカと光を反射するナイフは、易々と刃を屋上に突き立てているのだから。

 太一がナイフを凝視していると赤黒い光を放って輝きだし、やがて人の形となる。


「ヨォーヤク、あたしのデバンカァーイ?」


 そこには赤黒い眼と髪の色をした、全身黒づくめの女が立っていた。

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