第18話 屋上の殺意

 その女はまるで殺意が人の形を成して立っているようだ。太一がそう錯覚を覚えるほどの気配を発していた。

 鈍く輝く赤黒い目は見ただけで、常人ならば恐怖で身体が震えて動けなくなったはずだ。

 日々をただ平凡に生きている男子高校生が、対峙していいような相手ではない。

 太一は自分の頬に汗が流れるのを感じた。身体も微かに震える。


「あなたは人ではありませんね。……かと言って虹霊でもない。かなり強い虹力を持っているようですが、一体何者ですか?」


 湖都奈は全く怯える素振りを見せず、女を見ながら尋ねた。凛としたその声を聞いただけで、太一の身体からは自然と震えがなくなった。

 湖都奈の反応に、ほおっと感心したように驚きをみせると女は口を開いた。


「アタシヲ人じゃないとミヌイタどころか、ビビらず失禁しなかったことはホメテヤルヨ」


 女はその右手から赤黒いナイフを一本出現させると、躊躇いもなく投擲してきた。

 ナイフは間違いなく湖都奈を狙って放たれた。だが、彼女は来ることが始めからわかっていたかのように、素早い反応速度で回避した。

 もし動かずその場にいたら、確実に心臓のあたりに深く突き刺さっていただろう。


「――なっ、フェンスが溶けた!?」


 ナイフが飛んでいった先を見た太一は驚愕の声を上げる。

 湖都奈を捉え損ねたナイフの刃がフェンスに深く突き刺さると、赤黒く変色させて溶かしたのだ。ナイフはその場で落下し、光の粒子となって消えていった。


「アタシノ刃は猛毒だ。掠っただけでも、人間なら速攻オダブツ、マッタナシダ」


 言いながらも女はどこから出現させているのか、次々にナイフを投擲してくる。

 湖都奈は間髪いれずに飛んでくるナイフを、跳躍を繰り返して回避する。


「ハッハッハッ! 面白い! ヨケテクレルトハネー!」


 心底面白そうに女は嗤う。湖都奈に対する攻撃を一切緩めない。


「アタシの名はブラッドナイフ。BKって呼びな。イキテタラナッ!」


 そう名乗ったBKから投擲されるナイフの尽くを、湖都奈は止まることなく回避していく。だが、ただ避けているだけでは埒が明かない。このままではいずれ当たってしまうだろう。


 しかし、離脱を試みようにも、すでにPRFの隊員たちによって屋上は取り囲まれていた。ただBKに加勢する気はないようで、湖都奈の回避を妨害するようなことはなく、この状況下ではそれだけが救いだった。


「湖都奈、俺を下ろしてくれ! このままじゃ、じり貧だ! そのうちナイフが湖都奈に当たっちまう!」


 ここまで逃げてきた湖都奈の頬には疲労からか、汗が伝っている。それを見て、彼女に抱えられた太一は必死に叫んだ。


「BKは人だろうと関係なく攻撃してきています。もしここで太一を離してしまったら、必ず狙ってくるでしょう」


 PRFとの関係は今のところ不明だが、BKは明確な殺意を持って、太一たちを攻撃をしている。

 湖都奈と離れた場合、躊躇うことなく太一に向かってナイフを投げてくるだろう。

 回避を続けながら湖都奈は冷静に、BKがどういう行動をとるのかを見極めていた。


「……ちくしょう……!」


 文字通りのお荷物でしかない太一は、悔しさに歯噛みする。


「ハナシテル余裕がアンノカァー?」


 自身に放たれるナイフを湖都奈は後方に跳んで避け、BKとの距離を大きく離した。

 そのタイミングを見計らい、太一は何か自分にできることはないかと、ズボンのポケットの中を漁る。


「……これはっ!」


 すると右手に何か固い感触が当たった。取り出した太一は、小さなそれを確認すると思わず声が漏れてしまった。


「どうしました、太一?」


 右手を見ながら固まる太一に、湖都奈が訊いてくる。


「……湖都奈、あいつ人じゃないんだよな?」

「ええ、どちらかと言えばあれは人よりも虹霊に近いですが、生物ではありません。どういった原理かわかりませんが、虹力を付与された物体が動いているようです」

「じゃあ、虹術結界プリズムはあいつにも有効なのか?」

「いえ、扱いは虹霊と同じなのか、BKには虹術結界は働いていません」


 それを聞いた太一は思わず、ニッと口の端を上げる。


「……湖都奈に一つ頼みたいことがある。俺を下ろしてくれ」


 手のなかの小さなそれに指をかけながら、太一は湖都奈に頼んだ。


「太一、それは無理だと――」

「俺を下ろすのはここでじゃない。湖都奈があいつに向かって突っ込んでいく途中でだ」

「……どういうことでしょう?」


 油断なくBKに注意を払いながら、湖都奈が太一に説明を求めてくる。


「言った通りだ。あいつに向かって突っ込みながら、湖都奈はその途中で放るなりして俺を下ろすんだ。そうすりゃ、あいつの気が俺に向くだろう? その隙に湖都奈がぶっ飛ばすんだ」

「それでは、太一が危険過ぎます!」


 無謀とも思える太一の作戦に、湖都奈が異を唱える。


「大丈夫だ。上手くいけば、あいつはしばらく手が離せなくなるからな。――湖都奈、俺を信じてくれ」

「……わかりました。――私は太一を信じます」


 湖都奈は少し悩んだが、やがて決心するようにうなずいた。


「太一、準備はいいですか?」

「俺はいつでも大丈夫だ。湖都奈も人や虹霊じゃない、よくわからねえ相手なんかに遠慮することはない、思いっきりぶっ飛ばせ!」

「――はい! 思いっきりぶっ飛ばします!」


 太一の言葉を受けた湖都奈の瞳が、赤色の輝きを増した。そして、今まで黙って様子を見ていたBKに向かって跳んでいく。


「ハッ、バカガ! 何をこそこそと話してるかと思えば、ツッコンデキヤガッタ!」


 BKは馬鹿にするように二人を嗤うと、ナイフの投擲を再開する。

 だが、湖都奈は高速でナイフの弾幕を最小限の動きで回避しながら、BKへと向かい突き進んでいく。

 そして、跳びはじめた位置からBKとの距離が半分まで縮まったあたりで、抱えていた太一の身体を解放した。

 突然、湖都奈から離れた太一に、興味をそそられたらしいBKの視線が向く。


 ――ここだっ! 太一は宙に浮きながらも、その瞬間を見逃さなかった。指をかけた小さな引き金を躊躇わずに引いた。


「――グアァァァァッ!?」


 不意をついて襲う、直視するに堪えない光量の強い赤色の光が、容赦なくBKの左目に直撃した。両手で庇うように押さえながらBKは悶え苦しみ、ナイフの投擲が止まる。

 太一は屋上に転がりながらその光景を見ていた。

 ――タンッ

 隙だらけのBKにさらに明るい赤色の光が肉薄する。

 湖都奈が力を貯めるようにBKの手前で低く屈むと、足下から赤色の輝きを放った。


「――はぁぁぁっ!!」


 ――ドゴォッ!! 

 湖都奈の裂帛の気合いとともに、放たれた右脚の鋭い蹴りがBKの顎に炸裂した。

 鮮やかな赤い光が脚の動きに合わせて円の軌跡を描く。

 縦に一回転したあと、湖都奈はその場で綺麗に着地した。


 太一は一緒に跳んだから知っている。赤の虹力によって強化された彼女の脚力は、重力という概念を嗤い飛ばすほどの跳躍力をその身に与えることを。

 虹術結界がなければ、コンクリート程度ならば容易に踏み抜けるだろう。

 ただの人間ならば頭蓋が砕かれるような衝撃が、BKをまるでゴムボールの如く軽々と吹き飛ばしていった。


 ――ガッシャァァァァァァン!

 けたたましい音を響かせてフェンスにBKの身体がめり込むと、その首は人間ではありえない方向を向いていた。


「……やった、のか?」


 太一は起き上がると、湖都奈の方へ走った。屋上に身体をぶつけた衝撃は、思いのほか大したことはなくすぐに動けた。


「大丈夫か、湖都奈? どこにも怪我はないか?」

「私は平気です。太一も怪我がないようで何よりです。――先ほどBKを狙った赤色の光はひょっとして?」


 湖都奈に訊かれ、太一は右手を広げて握りこんでいたもの――玩具の銃を見せた。


「ああ、ここに来る前にガチャガチャで当てたやつだ。光量が強くて人の目に向けるのはダメでも、相手がただの物体なら関係ないだろ」


 太一はフェンスにはまったままのBKを見た。


「なんだったんだろうな、あいつ。虹術結界の効果も受けないなんて」

「それは私にもわかりません。ですが――」


 言いきる前に太一の身体は湖都奈に思い切り突き飛ばされていた。宙に浮きながらけたたましい金属音を聞いた。


「いってて。――おい湖都奈、いきなり何する……んだよ……?」


 フェンスにぶつかって止まり、頭をさすりながら上体を起こすと、太一は目の前の光景に言葉を失った。


 大量のナイフが先ほどまで自分たちがいた場所に深く突き刺さっていた。その向こう側で、湖都奈が力なく倒れ伏していたのだ。

 どうやら太一を突き飛ばしながら、自身も反対側へ跳んだらしい。


「――湖都奈!!」


 太一は素早く立ち上がると、湖都奈のもとへ急いで駆け寄る。


「湖都奈!? おい、しっかりしろ!」

 

 抱き起こしてみると、湖都奈は脇腹にナイフを受けてしまっていた。その部分だけ服が溶けており、無残にも白い肌が裂け傷口の周りが赤黒く変色してしまっている。


「……う……く、太一、私は平気、です……」


 そんな状態にもかかわらず、湖都奈は額に汗を浮かべて太一に笑むと、その場で立ち上がろうとした。


「やめろ、湖都奈! いくらなんでも無茶だ!」


 途中でくずおれる彼女を、太一は慌てて支える。


「……ですが、このままでは……」

「コノママお前をF・Iまで連れてイクダケサァー」


 声に太一が振り向くと、ガシャガシャと音を立てながら、BKがフェンスから抜け出し復帰した。曲がった首を両手で持つと位置を戻し、具合を確かめるように回す。


「ナカナカ楽しめたがコンナモンカ。ムカツイテついついナイフをそこらにばら撒いちまったが、アタッチマウトハナ。〈アルカンシエル〉ナンテ大層な名前の割にはタイシタコトネェーナァー」

「! お前、〈アルカンシエル〉のことを知ってるのか!?」


 BKは一体どこで湖都奈が〈アルカンシエル〉だということを知ったというのか。


「アァーン、知ってるよ? ソモソモ、アタシハF・Iから言われてここにキタンダシナァー」

「――F・I?」

「ソウダ。アタシラみたいなのを作ってる武器製造メーカーダ。ソコカラそいつをとっ捕まえて来いってイワレテナ」

「何でそんなところが湖都奈を捕まえたがる?」


 太一には疑問だった。なぜ武器製造メーカーが〈アルカンシエル〉を欲しがるのか。


「サアナァー。ツヨイ虹力が欲しいのか、はたまた素っ裸にひん剥いて、見世物にデモシタイノカ。ドチラニセヨ、アタシには関係のないコトダ」


 BKが太一を見てくるが、すぐに興味は失せたようで視線は湖都奈に移された。


「ふざけるな! 誰がそんなことさせるか!」


 太一は湖都奈を抱えながら、近づいてくるBKに向かって叫んだ。


「ウルセェーナ。アタシガ用があんのは〈アルカンシエル〉ダケダ。テメェは見逃してやるからウセナ」


 このままBKは見逃すと言う。だが、それで逃げ帰ってしまうようなら、今ここに太一はいない。


「……太一、私のことは……もういいですから、ここから逃げてください。……相手は本気です。殺されてしまう前に……逃げて!」


 湖都奈はここから太一を逃がそうと、ふらつきながらも立ち上がり、前に出ていこうとする。

 だが彼女のそんな必死な姿を見て、切実な声を聞いてしまって、太一は頭に強く殴られたような衝撃を受けた。

 頭の中がすっきりとして、今自分がここで何をすべきなのかがはっきりとわかる。


「――太一?」


 湖都奈の前に出ると、太一はその場で両手を目一杯に広げてBKを睥睨する。これ以上来させまいと、その視界に湖都奈を入れさせまいとして。


「アァーン、お前それはナンノマネダ?」


 近づいていたBKが途中で立ち止まると、不思議そうに太一に訊いてきた。


「……行かせない。行かせるわけにはいかない」

「ハッ! バカなのか、オマエ。オマエがそこに立ってナンニナル?」


 あきれたようにBKが訊いてくる。

 それもそのはずだ。太一が立ったところで、BKにとっては何の意味もない。太一の命など、蝿をはたくように簡単に摘み取れるだろう。

 BKは馬鹿にするよりむしろ、可哀そうな者を見る目で訊いてきた。


「オマエが立ったところで、アタシには手間でもナンデモネェー。タダノ気まぐれで拾ってる命ナンダゾ?」

「そんなことは言われなくてもわかってる。俺なんか、お前の前じゃ虫と同然だ」


 何をわかりきっていることを言っているんだと、太一は答える。


「ジャアオマエは何でそこにタツ? ワカッテンナラならドケヨ。ソイツ守ったところでイミナンテネェーンダゾ?」 

「……わかってても、どくわけにはいかないんだ」

「――ハァッ!?」

「……俺の後ろには守りたい女の子がいる。しかもその娘は腹に毒を受けて、とても苦しがってる。そして目の前にはその娘を連れていこうとする、赤黒い色をしたふざけた女がいる。なら、俺はここをどくわけにはいかなんだ」


 太一はBKを見据えながら、それが自分の意志なのだと宣言する。声を張るわけでも叫ぶわけでもないが、言うことは全て紛れもない真実なのだと言葉を紡いでいく。


「オマエわかってイッテンノカ!? F・Iハ世界中にパイプをモッテンダゾ! オマエがシテイルことはF・Iに喧嘩売ってるヨウナモンダ! オマエ、セカイヲ敵に回そうってイウノカ!?」

「……世界だ? 俺はそんなものを敵に回す気はない。ただ湖都奈を守りたいだけだ。じいちゃんにも言われてるんだ、自分で決めたことは曲げるなってな。だから俺は湖都奈を絶対に守る。――けどな、それで世界が敵に回るって言うんなら、そのときは容赦しないし、躊躇いもしない。思い切りぶっ飛ばしてやる」

「ソンナコト、できるわけネェーダロウガ!!」

「……できるかどうかじゃない。――やるんだ」


 太一が静かに言い放つと、BKは今までの余裕の態度を一変させ、太一のことを恐ろしいものでも見るかのような目つきになった。

 

「……デキルものならやってミロヨ!!」


 そしてBKは右手にナイフを出現させると、太一に向かって投擲した。


「「――避けて!!」」


 湖都奈とあと誰か、他の少女が同時に叫んだように太一の耳には聞こえた。

 トスッとぞっとするほど軽い音を立てて、避けることもなく立っていた太一の腹にナイフが深く突き刺さった。

 傷口の辺りから服が溶け出し、皮膚が赤黒く染まっていく。内蔵を焼くような痛みに太一は前に倒れそうになった。


「……コフッ」


 抑えられずに太一は口から血の塊を吐き出した。ナイフは光となって消えることなく、そのまま激しい痛みを与え続けてくる。


「――太一っ!!」


 湖都奈の悲痛な叫び声が屋上に響いた。

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