第16話 ブラッドナイフ
PRF城壱駐屯地の一室にて、指でコツコツとデスクが叩かれる音を聞きながら、花火は姿勢正しく立っていた。
今は礼装ではなく、慎ましやかな身体をPRFの制服に包んでいるが、直立不動で微動だにできない。
デスクを挟んで相対している相手の凄まじいプレッシャーが重くのしかかり、全身から吹き出る汗の量にあとで絶対にシャワーを浴びよう、と心に誓う花火だった。
「それで、報告を見るに五番隊と同様〈妖精〉にいいように翻弄され、保護を失敗しているわけだが」
報告書の全てに目を通し終えた花火たち隊長を纏める上官で、この執務室の主たる
デスクに座る彼女は大隊長の職にあり、城壱市を担当する総指揮官として、全体の指揮を執っていた。
役職に相応しい能力の持ち主で、その実力は城壱市にいる虹術師の中では最強。PRF全体で見ても三強に入るレベルである。
褐色の肌と引き締まった身体、それでいて豊かに膨らんだ乳房。ウェーブのかかった長い金髪とアンダーフレームの眼鏡が特徴の女性だ。
「も、申し訳ありません。私の力が至らずに」
「気にすることはない。相手は報告に上がっていた以上の挙動を、花火たちが追ったときに限って見せたんだ。対応が遅れてしまったとしても文句は言わん」
「い、いえ、大隊長の期待に応えられなかった、私の責任です」
「花火から見て〈妖精〉は街の住民に、害を成すような存在に見えるか?」
ふむ、と一つうなずくと、時雨が未だ直立不動の姿勢を崩さない花火に訊いてきた。
「今のところ、こちらに敵意を向けてくるようなことはありません。ですが〈妖精〉の持つ虹力の強さから見て、暴走した場合かなりの脅威になるかと思われます」
「では、早急に対処した方か良い、と?」
「はい。すでに一名、民間人が巻き込まれています」
花火は任務中に〈妖精〉によって何処へと連れていかれた、自分とほぼ同年代の少年を思い浮かべる。
なぜ警報が鳴り響いても、あの場所に立っていたのか不明だったが、あとで調べてみると、少年は日向太一という名前で、この街に数年ぶりに帰省してきたばかりだったことがわかった。この街の警報のことを知らなくても不思議ではない。
〈妖精〉に連れて行かれたあと何事もなく高校に登校しているようなので、花火は少年と接触を試みようと本部に申請したが、許可が下りなかった。
「なぜ少年と接触することに許可が下りないのでしょうか?」
時雨に質問を直接ぶつけるなど恐れ多かったが、花火には納得がいかなかった。
「我々の装備や作戦のための資金は、一体どこから賄われているか知っているか?」
「――えっ? はい、それはもちろん、この国の税金です」
自分の質問に関係のない質問を時雨から返され、花火は困惑したが相手が大隊長なので即座に返答した。
「そう、そしてその税金をいくらこちらに回すか決定するのに、この街の市長も大きな影響力を持っている」
「話の意図するところが、よくわかりません」
「……市長に止められているのだ。少年に関わることの一切を」
「なぜ、市長がそのようなことを?」
花火には疑問だった。市長がどうしてPRFの行動に干渉してくるのか。……今までそのようなことはなかったというのに。
「……さあ、な。あの男は、少年が〈妖精〉と関係しているとは思えない。無用に一般市民に関わるな、と突然こちらに連絡をよこしてきた」
「――なっ!?」
……〈妖精〉と接触したあとに、そのまま日常生活を送る少年が、関係しないとは思えない! そう抗議したかった花火だが止めた。
時雨もそう思っているのだろう、渋面を浮かべていたからだ。
「では、我々はどうするのでしょう? このまま作戦を続行しますか?」
このまま〈妖精〉を追うのなら、確実に保護できるよう、もっと作戦を練らなければならない。
こちらは警報を鳴らして、わざわざ相手に来ることを教えてから動いているのだ。どうしても後手、後手に回ってしまう。
「今回これを使えとF・Iからお達しが来た」
フラメルインダストリー。大手の武器製造メーカーで通称、F・I。PRFの使用する
花火の前に、時雨がデスクから一つの箱を取り出した。何の変哲もない片手で持てるくらいの大きさの黒い箱だ。
「――何ですか、この箱?」
花火が訊くと無造作に時雨が箱の蓋を開けた。中には刃に何か液体を塗られ、テカテカと不気味に光を反射する赤黒いナイフが納まっていた。
すると突然、ナイフが目が眩むほどの鈍い赤色に輝いた。
「――くっ!?」
咄嗟に目を庇う花火に、予想外の所から魔の手が襲う。
「――ひゃっん!?」
花火はいきなり背後から何者かに尻を触られた。優しくどころではなく、制服のスカートの上から鷲掴みである。そのままいやらしく撫でまわされた。
人生初の経験に、何とも言い難い感覚を味わい、普段絶対に上げない声が出てしまう。
花火は顔を真っ赤に羞恥に染めながら、無礼な相手のことをろくに見もせず、勢いよく肘鉄をかます。
しかし、ブォンと直撃すれば骨折どころではすまない勢いの衝撃は躱され、襲撃者を捉えることはなかった。
「ウォッット、アブネーーナァー」
花火が声に振り返ると、いつの間にかそこには全身黒づくめの女が立っていた。女の髪と瞳は赤黒く、先ほど箱に納まっていたナイフと同じ色をしていた。
「ネェーチャン、肉はネェーけど、いい形の尻シテンナァー」
いやらしく這うように指を動かす相手に、尻を両手で抑えて花火が叫ぶ。
「あんた一体何者!? どこから入って来たの!?」
この部屋は城壱市のPRFの中枢である。決して一般人が入れるような場所ではない。
「アァーン? どこからも何も、アンタラガ箱をアケタンダロォーガ?」
謎の女に言われ、開かれたばかりの黒い箱の中を確認すると、ナイフが消えていた。
「……あんた一体何者なのよ?」
頬に汗を滲ませながら、先ほどとは違うニュアンスで、花火は正体不明の女に訊いた。
「アタシの名はブラッドナイフ――BKッテ呼びな」
正体不明の赤黒い女はBK、と名乗った。
「花火、これから一番隊にはこのBKと一緒に〈妖精〉の保護にあたってもらう」
「私たちはこいつと組んで行動しないといけないんですか!?」
大隊長の執務室に花火の絶叫が響き渡る。先ほどまで重圧で委縮していたのが、まるで嘘のようである。
こいつ呼ばわりされたBKは、特に気にする風でもなく後ろで腕を組みながら、呑気に室内を見回していた。
「一番隊は〈妖精〉が逃げないよう、警戒する役回りだ。〈妖精〉の相手はそこのBKが一人でする。保護したらそのまま〈妖精〉をF・Iの本社へ移送するそうだ」
「そんなこと納得できません! そもそもこいつは何なんですか!?」
F・Iから直々の要請であれば断るわけにもいかないが、花火には納得ができない。
「対虹霊用の秘密兵器。その試作品だそうだ」
「試作品って、まるで道具扱いじゃないですか」
時雨の言い方に花火は少しだけBKに憐憫の情を抱くが、時雨の次の言葉で驚愕する。
「ああ、そこのBKは間違いなく道具――元々が剣なんだよ」
「……な!? それってどういう意味ですか?」
「詳細は私も知らないが、強い虹力を付与した金属で鍛造した剣に特殊な術式を施すことで、BKのように人型になるらしい」
「F・Iってただの武器製造メーカーじゃないんですか? そんなこと一企業のできることじゃないですよ」
「さあ、な。ただBKのような存在を〈
「オォーー! ようやくこいつのデバンだな!」
時雨の言葉を遮り言うが早いか、BKは右手を前にかざす。すると――BKの瞳と同じ色の光が発せられた。消え去ると同時、箱に入っていたナイフと同じものを握っていた。
「――なっ!?」
花火はその光景に驚きを隠せない。
「アタシハコイツで、虹霊をとっ捕まえるためにここにキタンダゼー?」
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