第8話 こぶし大の円形
翌日から学校の授業が始まり太一は真面目に受けようとするのだが、朝から集中することができず、なかなか内容が頭に入ってこない。
中学生の頃から使っていたシャーペンが壊れ始め、文字が書きにくいのもあるが、その一番の原因は後ろの席にあった。
銀髪赤眼の少女、湖都奈が太一の後ろの席で授業を受けていたからだ。
プリントを回す際などに太一が何気なく振り返ると、にこやかな笑顔を向けられ、ついどぎまぎしてしまうのだ。
クラスの席順は大体、最初は覚えやすい出席番号順にすることが多いのだろう。
だが太一が在籍する一年二組は、入学初日に各々が最初に座った席がそのまま採用された。そのため太一が窓際の後ろから二番目、湖都奈が最後尾の順番になった。
それで名前をちゃんと覚えることができるのか皆不安になるのだが、今年でクラス担任を務めるのが二年目になる一年二組担任の数学教諭、
「はーい、じゃあホームルームはここまでー。皆さん、さよーならー」
そんな担任のやる気のない声で、帰りのホームルームが終了した。
太一が荷物をまとめて立ち上がり振り返ると、そこにはすで人だかりができていた。
湖都奈は銀髪に赤い瞳と、周囲からかなり目立つ。しかもその容姿は美術品の如き美しさだ。クラスの他の女子と比べて、レベルがはるかに高い。
男子の人気は入学式のときからうなぎ登りで、今日は休み時間のたびに他のクラスからも教室のドアのガラスごしに覗きに来ていた。
かと言って女子の人気が悪いということはなく、むしろ誰とでも平等に接するその人柄が受け入れられ、暇さえあれば湖都奈は質問攻めにあっていた。
「……湖都奈、俺の方は準備できたぞ」
「はい、私も大丈夫です。――ごめんなさい、私は太一と帰りますのでまた今度。――では行きましょうか」
太一が遠慮がちに声を掛けると、湖都奈は囲んでいた女子に謝りつつ席を離れた。二人が連れ立って教室を出ようとすると、周りから好奇の視線が降り注ぐ。
「何であんな目つきの悪い奴が一緒に帰ってんだ!!」
「呼び捨て!? 赤護さんとどういう関係だよ!?」
「俺も可愛い女の子と歩きてー!」
「ノロワレテシマエーーーーー!!」
……怨嗟の声が聞こえた。
湖都奈が男子と一緒に帰れば当然、クラスの注目を一番に集めることになる。
特に平凡などこにでもいる顔と自覚している太一とならなおさら。……目つきの悪いと言った奴、顔は覚えたからな。
学校から女の子と一緒に帰るという思春期の男子なら一度は憧れる状況に、太一は思わずフッと鼻で笑ってみたい衝動に駆られたが、次の日が怖そうなので止めておいた。
「なあ湖都奈、俺たちはこれから一体どこに行くんだ?」
湖都奈と並んで校門を出ると、太一は目的地を彼女に訊いた。
〈円卓の虹〉の活動がいつまでかかるかわからない。青唯には登校する前に、帰りが遅くなったら一人で先に夕飯を食べるように言っておいた。
「富栄高校です。ここから少し遠いのでバスで向かいます」
太一も名前を聞いたことはある。そこは城壱市にある私立高校の中でも、学習レベルが上位に位置する進学校だ。
少し歩いてバスの停留所が近づいてくると、見知った影が見えた。
「二人とも遅い。待ちくたびれた」
昨日のメイド服ではなく、私服姿の紫音がすでに停留所で待っていた。
ショートパンツにキャミソール、その上にパーカーを合わせ、背中には大き目のリュックを背負っている。メイド服と比べ格段に動きやすい格好だった。
「ごめんなさい紫音。お待たせしました」
湖都奈が謝ると、紫音は小さくうなずいてから時刻表に視線を移した。
「これからバスが来るとこ。危なかった。あと一分遅かったら乗れなかった」
紫音の言った通り、バスは遅れることなく一分もしないうちに来た。少々混雑した車内に乗り込んで、手すりに摑まりながら、太一はふとあることに気付いた。
「向かう場所は一緒なんだから、先に乗って行ってもよかったんじゃないか?」
到着する時間の差はあれど、目指す目的地は同じなのだから、紫音一人でバスに乗っても問題はないはずだ。
「それは嫌。一人で電車とかバスに乗りたくない」
紫音はそれだけ言って口をつぐんでしまった。まあ人にはそれぞれ理由があるかと、太一はそれ以上追及することはせず、目的地への到着を揺られながら待った。
「……何か、人っ子一人いないな」
富栄高校は平日の夕方という、まだ教員や生徒がいてもおかしくない時間の割に、人の影というものがなかった。
校門は固く閉ざされ、出入りをすることができなくなっている。
「もう、ここって授業始まってるよな?」
「常彩高校より一週間早く新学期が始まっています。一日でも多く授業を増やそうと、休みが他の高校に比べて短いんです」
「だけど門が閉まってるし、人の気配がないぞ」
「これからその原因を助けに行く」
紫音はそう言うと背負っていたリュックを下ろした。チャックを開け、中からプロペラが四隅に一つずつ付いた機械を取り出す。
真ん中にあるスイッチを入れてから「えいっ」と高々と放り投げた。
機械はそのまま落下することなく空中でプロペラを勢いよく回転させると、紫の光を発っして上空へと向かい飛んでいった。
ちょうど校舎の中心に位置する辺りで、光を振りまきながら空中で制止する。
「――あの機械は?」
目でその動きを追っていた太一は、空に浮かんでいる機械について紫音に尋ねた。
「妨害ドローン。あれが空に飛んでいる間、虹霊の腕輪が反応しにくくなる」
「へえ、腕輪が……って、そんなことができるのか!?」
紫音がしれっと言うので反応が遅れたが、脳が意味を理解すると太一は思わず叫んでいた。
「……うるさい、太一」
近くで大きな声を出したせいか、紫音が耳を押さえて嫌そうな顔を向けてくる。
「わ、悪い。思ったよりも大きくなった」
太一も声が大きくなったことを自覚していたので、素直に紫音に手を合わせて謝る。
「紫音が持つ紫の〈
耳から両手を離すと、紫音は面倒くさそうに教えてくれた。
「効果はそれほど高くない。持続時間も短いからさっさと行く」
すたすたと校門へ歩いていくと、紫音は自分の背丈より高い門に両手をかけて、軽々と乗り越えてしまった。
「おい、これってまずいんじゃ――」
「大丈夫です、太一。映画の撮影という名目で許可は取っていますから」
太一が注意する間もなく、横にいる湖都奈が制した。
「私たちが今日お邪魔することは、富栄高校の方も知ってますから安心してください」
湖都奈は笑って太一にそう言うと、門を助走すらつけずに跳んで超えてしまった。
ただ彼女はショートパンツの紫音と違い、着ているのは常彩高校の制服だ。
門を高い位置で超えた際に、かなり危険な位置までふわりとミニスカートが捲れ上がった。
下着が見えることはなかったが、ニーソックスに包まれた白い太ももが太一の目に飛び込んだ。
「……見えましたか?」
着地してから気が付いたのだろう。形のいいお尻をミニスカートの上から押さえた湖都奈が、首を巡らして太一を見た。
「いや、大丈夫だ! 見えてない、見えてない!」
太一はブンブン首と両手を振って、全力で見えてないアピールをする。それを確認して安心したのか、湖都奈はほっと胸を撫でおろした。
「湖都奈、油断し過ぎ。今日は太一もいる」
「そうですね。以後、気を付けます。――さあ、太一も早く門を超えて来てください。ここからが〈円卓の虹〉の活動の本番です」
顔を赤くしていた湖都奈は、気持ちを切り替えるように表情を真剣なものに改めると、太一に門を超えるように言ってきた。
「わかった。時間がないなら、ここでモタモタなんかしてられないか」
太一は門を乗り越え、富栄高校の敷地へと足を踏み入れた。
校舎内に入る際は当然、校門と同じように鍵が施錠してあるものだと思ったが、意外にも入り口の扉は簡単に開いた。――というより開いていた。
鍵が外から何者かによって殴られたかのように変形し、こじ開けられていた。
「これは……」
太一はその有様に息を呑んだ。鈍器で何度も殴りつけて壊すことなら人にも可能だろうが、扉の鍵はこぶし大の綺麗な円の形に潰れ、一撃だけしか衝撃を受けたように見えなかった。
「――急いだほうがいいです。思った以上に虹力の状態が安定していません」
湖都奈は扉の状態を確認すると、足早に校舎の中へ進んでいった。太一と紫音もそのあとを追いかける
三人は階段で二階に上がると、ある教室の前で立ち止まった。理科実験室とプレートがはまっている扉は一見、閉まっているように見える。
だが、本来生徒や教員がいなければ固く閉ざしているだろう鍵は円の形に潰され、校舎の入り口と同様、その役割を果たせていなかった。
「――この部屋の中に、今回助けなければならない相手がいます」
「助けなければならない相手って……」
「もちろん、虹霊です。この教室にいる虹霊は暴走しかけています。このままでは腕輪が反応するのも時間の問題でしょう」
湖都奈は室内をまだ見ていない。それにもかかわらず、中に虹霊がいて暴走に近い状態である、とまで言い切った。
「どうして湖都奈にはそれがわかる?」
「私と紫音は他の虹霊が近くにいれば、その場所と保有する虹力の強さがわかります」
「あと、虹力が安定してるかどうかも」
警戒するように扉に目を向けている紫音が補足する。
「ここまでまっすぐ迷うことなく来たのは、すでに場所がわかったいたからか?」
「はい。この校舎に入ったときから――」
続けようとした湖都奈の口が途中で止まる。ハッと目を見開くと勢いよく扉を開け理科実験室に飛び込んでいった。紫音も間髪入れずにそのすぐあとに続く。太一は呆気にとられ遅れてしまったが、すぐに追いかけて室内にいる二人の横に並んだ。
「――止まってください!!」
湖都奈が部屋中に響く声で叫ぶ。その先には恐らく、富栄高校のものだと思われる制服を着た黒髪の少女が、太一たちに背を向けて立っていた。
「あなたたち誰? ここの生徒じゃないわね……」
湖都奈の声に驚いたように振り返った少女は、一見すればただの人に見えるが、その瞳は桃色に輝き、右腕にはめた黒い腕輪が淡く同じ色の光を発している。
彼女が虹霊であることは間違いなかった。
「あなたは今、自分がしようとしていたことを自覚していますか?」
「……急に入って来て何を言うのかと思えば……ええ、わかっているわ。私はただ学校を爆発させようとしただけよ? 映画に使うとかで、今日は誰も人がいないんですもの。なら爆発させるのに絶好の日じゃない」
……彼女は今何と言った? 静かな声で目の前の少女は学校を爆発させると言った。
「――っ!」
正気なのかと疑う太一が目を合わせると、ゾクリと背筋に強い悪寒を感じた。
「――危ない!」
そんな湖都奈の声が聞こえた次の瞬間には、太一の身体は宙に舞っていた。ドンッと後ろで何かがぶつかる音が耳を打つ。
身構える間もなかったが、太一は湖都奈に抱かれるように支えられ、転ぶようなことはなかった
「怪我はないですか、太一?」
「……な、何で、いきなり……!?」
「太一が狙われていたので、とっさに跳びました」
鼻孔をくすぐる湖都奈の甘い香りと、身体に当たる柔らかい感触に、太一が動揺しながら尋ねると彼女は言った。
「そ、そうだったのか!? ……あ、ありがとう!」
湖都奈から解放された太一は、声を上擦らせながら彼女に礼を言った。
「太一慌てすぎ。……後ろをよく見て」
いつの間にか机の陰に姿勢を低くして隠れていた紫音が、クイッと顎で指す方向に太一は目を向けて、自分の頬に汗が垂れるのを感じた。
「……何だ……あれ」
そこには黒板が設置されていたのだが、その一部が綺麗に円の形に潰れていた。
先ほどここに来るまでに見てきた、校舎の入り口や実験室の扉と同じものだった。そしてその位置は――
「俺がそのまま立ってたら、当たってた……?」
同意するように紫音がうなずく。湖都奈が跳んでいなければ、太一の胸は今ごろ黒板の代わりに潰されていた。
紫音が手招きで机の陰に太一を呼ぶので、黙ってそれに従った。
「これがあの女子生徒、只野桃代さんの能力のようですね」
隠れずに制服の少女と対峙する状態で湖都奈が言う。
「湖都奈、あの娘のこと知ってるのか!?」
「はい、ですが詳しくはあとで。――私は彼女を助けます」
言うが早いか、湖都奈は跳んでその場から離れた。鮮やかな赤い光があとを追うように彼女の身体から発せられていた。
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