第9話 抜き身の刃と納虹剣

 見えない衝撃波が湖都奈がいた位置に放たれたが、最初から来ることがわかっていたかのように、彼女は軽々と躱してみせた。


「何で湖都奈にはあれを躱すことができるんだ?」


 離れて観察して初めてわかったが、衝撃波を出す瞬間に桃代の瞳が光を発していた。

 ただ光を確認してから回避していたのでは、とてもではないが間に合わない。


「湖都奈が宿してる虹力は赤の〈強化ストレングス〉。使えばいろんな感覚が鋭くなる。本人曰く、頑張れば数秒間だけ未来が視える」

「……マジか」

「ただ身体にかかる負担が大きい。それよりは筋力や俊敏力を上げる方が楽だって」


 衝撃破が通じないと悟ったのか、桃代が忌々しげに湖都奈を見ている。


「桃代さん、私たちはあなたを助けに来ました」


 そんな彼女に、湖都奈は優しい声で彼女に語り掛ける。


「私は助けられることなんて何もないわ。邪魔をしないで……!」


 湖都奈を再び衝撃が襲うが、彼女は難なく躱してみせた。


「……できる限り荒事にしたくなかったのですが、仕方ありません。――いきます!!」


 湖都奈の瞳が赤に輝く。

 それは桃代の瞳よりも強い光で、そのまま彼女に跳ぶように突貫していった。


「――っ!?」


 それは時間にして、ほんの数瞬の出来事でしかなかった。

 ドスンッと見えない衝撃波が黒板に新しい丸い痕を描くのと、湖都奈が桃代の意識を当て身で刈り取るのは――。

 桃代は気を失う前に衝撃波を放っていたが、湖都奈を捉えることは最後までなかった。


「ごめんなさい。もう大丈夫ですよ」 


 優しく言い聞かせるように、湖都奈は気を失った桃代を抱きとめた。


「お疲れ様。湖都奈」 


 隠れていた机から太一たちが出ると、紫音が労いの言葉を湖都奈に掛けた。


「できることなら、もう少し穏便に済ませてあげたかったです」

「時間なかったし贅沢は言ってられない。それより早く太一に彼女を納めてもらおう」


 湖都奈はうなずくと桃代の身体を抱きかかえたまま窓際に運び、壁に背をつけるようにしてそっと下ろした。


「太一、お願いがあります。【納虹剣ペイドソード】で彼女の虹力を安定させてあげてください」

「この前みたいに右腕を向ければいいのか?」


 訊きながら太一は歩いて湖都奈の隣に立った。桃代は完璧に昏倒していて、目を覚ます気配がまるでない。太一が近づいたくらいの物音では身じろぎ一つしなかった。


「はい。それで彼女の虹力は納まり安定するはずです」

「気絶させただけだと安定はしないのか?」


 まるで眠るように壁にもたれている桃代を、太一は一瞥する。 


「今の状態では無理です。彼女の虹力は気を失っただけでは安定しないほどに乱れてしまっています。目が覚めたら本当に校舎を爆発させてしまうでしょう」


 太一たちがいる理科実験室にはガスが通っている。机には全てガスバーナー用の栓が設置されていた。下手にガス管を傷つけられ、そこからガスが漏れ出したら大惨事につながりかねない。


 意を決して太一は桃代に向けて右手を突き出した。路地で女性に向けたときのように固定されるが、今度は焦らずにされるがままにした。


「――【納虹剣】」


 自然と口からその名前が出ていた。それが引き金であったかのように、太一の右手が桃色の光を発する。やがて光は大きくなり、一本の剣の形をとった。

 所々に桃色があしらわれた抜き身の細剣レイピアが太一の右手の前で浮いている。

 その細剣を見た太一は何か物足りなさを感じた。綺麗な剣だと思うのだが、何か一つ足りていない気がする。


「――っ!」


 抜き身の刀身を見て太一は気が付いた。――剣の鞘だ。剣は使用しないときは鞘に納まっていなければその刃を痛めてしまう。目の前の細剣を傷つけないために、太一は納める鞘が欲しかった。


 その想いが通じたのか、細剣の刃は桃色の光に包まれると、パチンと小気味いい音を響かせてから鞘に納められた。それから細剣は桃色の光の粒子に変わり、太一の胸の中に流れ込んだ。


「――終わった、のか?」


 解放された右腕を下ろしながら、太一は湖都奈に訊いた。


「ええ、成功したようです。桃代さんの虹力は安定しています。というより……」

「……桃代の虹力は今、太一の中に納まってる」


 信じられないものを見た、という表情で二人が言った。太一にも今の一連の現象は全く理解できていない。

 すると場の空気に合わない軽快なメロディが、紫音のお尻のポケットから響く。そこから携帯を取り出し彼女は「もしもし?」と誰かと会話し始めた。


「――うん、わかった。すぐに行く」


 相手との通話を終え携帯をしまい直すと、太一と湖都奈に聞こえるように言った。


「流珂が校門の前に車で待機してる。桃代を止められたし、引き上げよう」

「わかりました。――さあ、太一。私たちも行きましょう」


 太一に言いながら湖都奈は軽々と桃代を両腕で抱き上げて、実験室の出口に向かって歩いていく。


「湖都奈、重くないか? 代わるぞ?」


 自分と同じくらいの背丈の桃代を抱えながら、湖都奈はまるで重さを感じさせない歩調で歩くので、思わず太一はその背中に訊いてしまった。


「女性に重いは禁句ですよ、太一。それに男性に運ばせたとなると、あとで桃代さんに怒られてしまいます」


 桃代を抱えたまま、湖都奈は首だけ巡らせて太一に言った。


「へ? ……ああ悪かった」

「大丈夫です。心配してくれてありがとうございます」


 湖都奈は太一が気遣ったのを嬉しそうに微笑んで、実験室を出て行った。


「ああ、疲れた。早く喫茶店で休みたい」


 湖都奈を先に行かせた紫音が、気だるげに実験室を出て行こうとする。

 ……紫音はそれほど疲れることをしていないだろう。太一はそう思いながらも口には出さず、代わりに最後に実験室を出てから訊いた。


「あの実験室はどうするんだ? 壊れた物をそのままってわけにはいかないだろ?」

「それは代表代理があとで全部片付けといてくれるから大丈夫。紫音たちはドローンを回収して戻るだけ」

「――代表代理?」


 初めて出てきた名称に太一が訊き返すと、紫音はうなずいた。


「そう。〈円卓の虹〉代表代理。――栄久田皓造えくたごうぞうのこと」

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