第6話 放課後のお茶会
「PRFにいちいち追い回されるなんて、たまったもんじゃない」
湖都奈と高校の近くの商店街を並んで歩きながら、太一は駅でのことを訊いていた。
彼女は太一と駅前で衝突するに至るまで、ずっとPRFと街中で逃走劇を繰り広げていたらしい。
「虹力が乱れなければ、追い回されることもないんですけどね」
「索敵外まで逃げ切るか、撤退するのを待つか、行動不能にするかなんてどれも難易度が高すぎるだろ」
「確かにPRFから逃れるのは大変ですが、私は捕まるわけにはいかないんです」
太一に話す湖都奈の目は、とても強い意志を秘めていた。ただPRFに捕まることが嫌なのではなく、捕まることは絶対に許されない、とでもいうような強い意志が。
「……案内したい場所はまだかかるのか?」
太一はその目に若干気圧されながら、彼女に尋ねた。
「もう間もなく着きますから」
先ほどの緊張した雰囲気とは違い、優しい声で湖都奈が言う。その言葉通り、間もなく彼女は商店街の一角にある小さな店舗の前で立ち止まった。
特にこれと言った看板は外に出ておらず、曇りガラスで中の様子もわからない。湖都奈が足を止めなければ、太一はそのまま通り過ぎていただろう。
慣れた手つきで湖都奈が『OPEN』と書かれたプレートが下がる扉を開けて店の中へと入っていくので、太一も彼女のあとに続いて入った。
どうやら喫茶店のようで、落ち着いた照明に照らされた店内にはいくつかのテーブルと椅子、カウンターが設けられ、メイド服に身を包んだ給仕が五人ほど働いていた。
置かれている調度品は全てアンティークで統一され、太一はまるでタイムスリップしてしまったかのような雰囲気を味わった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
店内に入った二人に気付き声を掛けてきたのは、メイド服に身を包んだ二十歳前後と思われる栗毛のおっとりした雰囲気の女性だった。
「流珂、皓造は戻っていますか?」
「はい。すでに皓造様は戻られて、お嬢様と彼がお着きになられるのをお待ちです」
流珂と呼ばれた女性が彼、と太一に視線を移した瞬間、肉食獣に睨まれたような感覚に襲われた。……その感覚はすぐに消え去ったので、何かの勘違いだろうか。
「お初にお目にかかります、
「あ、はい、はじめまして。日向太一です」
あまり年上の女性と関わることのない太一は先ほど襲った感覚もあり、緊張しながら自己紹介をした。
「では流珂の紹介も済みましたので、私たちは奥へ行きましょう」
言いながら湖都奈は店の奥へと向かう。それに太一がついていくと入り口から陰になっている場所に両開きの扉があった。木製だが鉄の鋲がつけられ重厚感がある。
「俺に案内したい場所はここなのか?」
「そうです、この扉の先にあります。でもその前に少しだけ待ってください」
湖都奈は扉のすぐ近くの席に近寄った。
そこには流珂と同じメイド服を着た少女が座っているのだが、テーブルにうつ伏せでぐっすり眠っていて、給仕として働く気はまったくうかがえなかった。
「紫音、起きて下さい。円卓への扉を開けてください」
「うにゃ……、湖都奈、戻った?」
湖都奈に肩を優しく揺さぶられ、紫音と呼ばれた少女が気だるそうに瞼を開く。
その瞳を見た太一は思わず魅入ってしまった。深い紫色が二つ、磨かれた
「はい、太一を連れてきましたので、円卓への扉を開けてください」
「……わかった。」
紫音はのっそりと席から立ち上がり、小さく伸びをしてから太一の前に来た。
身長は湖都奈より少しだけ低く、体系も彼女と比べれば大人しい。薄い紫の量の多い髪を高い位置に後ろで纏めていた。
「
それだけ言って紫音は太一に右手を差し出してきた。握った華奢な白い手首の先には、黒い腕輪がはめられていた。
「ずいぶん短いな。俺は日向太一、太一って呼んでくれ」
「わかった。太一」
自己紹介が終わると、紫音は扉の前に立って両手をついた。
「――オープンセサミ」
言いながら紫音が顔を扉に近づけると、紫色の不思議な紋様が浮かび上がり、独りでに奥に向かって重い音を立てて開いた。
扉の先には短い廊下が続き、そこから地下へとつながる石造りの階段になっていた。ただ明かりがなく、太一の位置からだと下が全く見えなかった。
紫音はそんな暗がりの中、気にせずにすたすたと廊下を進んでいく。
すると彼女が歩くのに合わせるように明かりがともり、足元が見えるようになった。
「どうなってるんだ、あれ?」
湖都奈のあとに扉を通りながら、今の現象を太一は尋ねた。
「紫音は色々とああいう仕掛けを作るのが趣味なんです」
「仕掛けなのか。趣味はいいけど、扉に向かってオープンセサミ(開けごま)って」
「太一はやったことない? 自動ドア開くときに両手で触って呪文唱えるの」
聞こえていたのか、前を向いたまま紫音が訊いてきた。
「……まあ、一回くらいはやったことあるけど、扉を開くのにあの呪文が必要なのか?」
「開けるのに呪文はいらない。――紫音がやりたかっただけ。扉は紫音の目を近づけるだけで、仕込まれたセンサーが網膜を読み込んで開く」
階段を下りながら、紫音は仕掛けについて教えてくれた。
「この階段の照明もそう。歩くと点灯する。紫音じゃないと反応しないけど」
「だから湖都奈は扉を開けるように起こしたのか」
「はい。紫音は色々と作ってはくれるんですが、全部彼女じゃないと反応しないんです」
詳しいことはわからないが、
それを同じか、あるいは年下にしか見えない容姿の少女が有していることに太一は驚いた。
「すごいな、紫音。……ただ仕掛けを他人が使えないのは、何か理由でもあるのか?」
「特にない。やろうと思えば簡単にできるけど――めんどくさい」
「すごくないな、紫音……」
……そこはめんどくさがるな。紫音がいない場合はどうすると言うのか。
階段が終わった先は部屋に通じていた。地下のために入り口の扉をを除いて、四方が壁に囲まれ窓が付いていないが、中が広いのでそれほど圧迫感はない。
天井に吊るされた大きなシャンデリアが、眩く輝いて室内を明るく照らしている。
部屋に入った太一は、そこが何かを話し合う場所だという印象を受けた。
なぜなら最も目を惹いたのは、部屋の中央に置かれた大きな円卓だったからだ。
一見すると木製の地味な円卓。
しかし近づいてよく見ると、それがただの木でないことがわかる。表面は丁寧に磨かれて光沢を放ち、縁には人の業とは思えない精緻な彫刻が彫りこまれている。
円卓には囲むように八つの席が置かれていた。
「……この部屋は一体……?」
太一が部屋の様子に息を呑んでいると、老齢の男性の声が掛かった。
「ようこそ、おいで下さいました。日向太一様」
声の方へ視線を移すといつからそこにいたのか、部屋の奥に老紳士が立っていた。
白髪混じりで、
老紳士に促されるまま、入り口から見て一番奥の席に太一は座った。
「……ほう、やはり席に着くことができますか」
「? 何か言いました?」
老紳士から小さな呟きが聞こえた気がして、太一が尋ねるが「いえ、いえ」と濁されてしまった。
太一から見て左に湖都奈、右に紫音がそれぞれ座ったが、二人ともなぜか太一を見
て安堵の表情を浮かべていた。
「太一様、本日は円卓の間にお越し頂き、誠にありがとうございます」
「……はぁ」
あまり聞き慣れない言葉づかいに太一はどう答えたものか、ろくに返事もできない。
老紳士は気にすることなく、黙々と紅茶をカップに淹れると三人の前に置いた。
「――美味いな、これ」
出された紅茶は口の中で風味が広がりとても美味しく、太一が今まで飲んだ中で間違いなく最高と言える味だった。
「こちらにお越し頂けたと言うことは太一様は協力なされる、ということでよろしいのでしょうか?」
「……協力、ですか?」
老紳士に突然尋ねられても太一には何のことかわからず、飲んでいた紅茶を円卓に置いて首をひねる。
「皓造、いくらなんでも話を進めすぎです。それでは太一が困惑してしまいます」
話が飲み込めない太一に変わり、湖都奈が老紳士に注意をした。
「これは、失敬。歳をとると、どうにも性急に進めてしまいがちで。――私は名を
「……これは、ご丁寧にどうも」
腰を折って恭しく挨拶してきた皓造に、太一もぎこちなく頭を下げる。
「では挨拶も済みましたので、始めさせてもらいます」
こほん、と小さく咳払いすると湖都奈は神妙な面持ちで話し始めた。
「このお店はただの喫茶店ではありません。それはもう、わかりましたよね?」
「それはまあ、なんとなく。店の奥にこんな地下室がある時点で」
喫茶店など滅多に入らないが、ここが普通の店でないことくらいは太一にもわかる。
「美味しい紅茶が売りの小さな喫茶店は世を忍ぶ仮の姿。ここは私設団体〈円卓の虹〉の活動拠点です!」
じゃーん、と効果音がつきそうな勢いで、円卓に向かって湖都奈は両腕を広げた。
「…………」
突然の行動に太一はぽかんと目を丸くした。……どうしろというのか。取り敢えず彼女に似合わない行動だとは思った。
本人も自覚しているのか、湖都奈の頬が羞恥でほんのり赤く染まっていた。
「素晴らしいです、お嬢様! 練習した甲斐がありましたな!」
室内に拍手が鳴り響いた。彼女の後ろに控える皓造が一人、割れんばかりに手を叩いているのだ。
「本当にこれ……必要でしたか? すごく恥ずかしいです」
「太一をびっくりさせるのには成功した」
紫音がこくこくとうなずきながら言う。
確かに、急なことで太一は驚きはした。湖都奈の動きがどこか、演技じみて見えたのは練習していたからか、と納得する。
「改めて太一、ようこそ〈円卓の虹〉へ」
今度は落ち着いた態度で、湖都奈がいまだ状況を飲み込めない太一を出迎えた。
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