第2話 赤の少女

「――てください。起きてください、太一さん」

「……ここは……?」


 自分の名前を何度か呼ばれ、重い瞼を開けて太一は呟いた。

 今いる場所が先ほどまでいた駅前広場と、違う場所であることだけはわかった。

 緑の多い原っぱのようで、頬に当たる風が気持ちいい。身体を覆っていた膜のようなものはすでに消えていた。

 何か暖かくて柔らかいものに頭を預けて、仰向けに横たわっている。


「目が覚めたようですね、良かった」


 状況を把握しようと視線を左右に動かす太一に、どこか安心した優しげな少女の声が意外なほど間近で答えた。

 ぼぅっとした頭で声の方へ焦点を合わせた太一は、すぐに驚愕で両目を見開く。

 ……胸が見える。

 鮮明になった視界が最初に捉えたのは、白い服に包まれた少女の胸だった。

 目に映るものを脳が理解できた瞬間、それからの行動は早い。太一はバネ仕掛けの

人形のように、即座に上体を起こした。


「――きゃっ!?」


 ギ、ギ、ギ、と油の切れた金属のように、可愛い悲鳴を発した主へと身体を向ける。

 その顔がはっきりと見えた瞬間、金属は動かなくなる。いや、動けなくなる。

 太一もこの世に生きて一〇と数年、美人を目にしたことは何度かある。

 だが目の前に座っている少女は、その全てを凌駕していた。


 一番印象的だったのはその瞳だ。ルビーのように鮮やかに赤く輝く双眸が、柔和なまなざしで太一のことを見つめている。

 風に揺らめいて煌めく、透き通るような銀髪。白磁のように滑らかな肌。硝子細工

のように華奢な首の上で、美しい貌が優しく微笑んでいた。


「……お、お前、誰だ……?」


 喉の奥から何とかその言葉を引き出すのがやっとなほど、太一の心は目の前の少女に揺さぶられていた。意識が完全に覚醒し、先ほどの自分の状況に気付く。初めて出会った、人並外れた美貌を持つ少女に膝枕をされていた。


「……何で俺はこんなところで女の子に膝枕を? 確か、駅前広場で青唯たちと待ち合わせをしていたはずで……」


 自分に何があったのか、記憶を辿る太一に少女は申し訳なさそうに謝ってきた。


「ごめんなさい、太一さん。私の不注意で衝突してしまい、そのまま放っておくこともできず、ここまで連れて来てしまいました」

「……衝突した?」


 太一は気を失う直前の、凄まじい衝撃を思い出す。


「そんな……お前と衝突しただけで、俺は気を失うほどの衝撃を受けたのか……」


 寸前に少女の声は聞こえたが、まさに刹那としか言いようがなかった。


「俺の手足、一本も欠けることなく全部くっついてるか!? ――まさかここが天国ってことはないよな!?」


 あの衝撃をくらい、身体のどこにも異常がないことが、太一には信じられなかった。

 そんな反応が可笑しかったのか、少女は右手を口にあててくすっと小さく笑う。

 太一はそれで初めて気付いた。彼女の右腕には黒い無骨な腕輪がはめられていた。

 白い滑らかな肌の上で、その腕輪は異様な存在感を示していた。


「衝突してしまったのは間違いなく私です。それと、太一さんの両手と両足はちゃん

と身体にくっついていますし、ここは天国ではありません」


 少女の声を聞いていると、不思議と心が落ち着いていく。

 太一は安心してほっと胸を撫でおろした。


虹術結界プリズムの中ではまず人が死ぬことはありませんし、怪我を負うこともありません」

「確かにどこも怪我はないようだけど……虹術結界って何だ?」


 太一はざっと身体を見回したが特にこれといった怪我はなく、それよりも初めて聞いた言葉に首を傾げる。


「人や街を守るための特殊な結界で、太一さんも覆われていました。――ですが衝撃の全ては消しきれないようです。だいぶ軽減はされていましたけど」


 太一は自分や周囲を突然覆った、透明な膜のようなものを思い出す。

 ……あれで軽減されていたというのか。 太一の頬には、知らず冷や汗が流れた。


「それで、お前は一体誰なんだ? 可愛い女の子に知られてるのはすごく光栄なんだけど、どうして俺の名前を?」


 名乗った覚えもないのに、目の前の少女は始めから太一の名前を呼んでいた。そのことを不思議に思い尋ねた。


「私は――いえ、私たちは太一さんのことを前から知っていました。そして太一さんが城壱市に戻ってくる日を心から待っていました」

「……どういうことだ?」


 疑問を解消するつもりで少女に訊いたのだが、ますます増えてしまった。


「本来ならちゃんとした形で会って話したかったのですが、今は時間がありません」


 少女は申し訳なさげに言うと、何かを警戒するように周囲を見渡した。


「時間がないって、さっきお前を追ってた奴らか?」

「はい。逃げ切れたとは思いますが、油断はできません。――太一さん、立ち上がることはできますか?」


 視線を巡らせて追手がいないことが確認できると、少女は太一に訊いてきた。


「……とっと、少しふらつくけど、大丈夫そうだ」


 太一がふらつく身体を立て直して、きちんと立ってから答えると、少女は満足そうに続いて立ち上がった。


「今回は巻き込んでしまってごめんなさい」


 少女は太一に向かって深く頭を下げる。


「いや、そんなに気にしないでくれ。俺は何ともないから!」


 頭を下げる少女に、太一は慌てて答える。彼女に頭を下げさせるのは何か、とっても悪いことをしている気がした。 

 少女はゆっくり姿勢を戻すと、ちょうど太一の後方を右手で示した。


「あちらにこの公園一帯の地図が設置されてます。駅までは少し距離がありますが、それに従ってください」

「ああ、わかった。ありがとう、助かる」

「それでは太一さん、私はこれで失礼します。次は学校で会いましょう」


 そう言って少女は太一に背を向けると、跳ぶように駆けていってしまう。見る間にその距離が離れていく。

 太一は小さくなっていく少女に向かって慌てて叫んだ。これだけは、絶対に訊いておかなければならなかったからだ。


「待ってくれ! 名前! お前の名前を教えてくれ!」


 だいぶ距離が離れてしまったが、太一の声は届いたようだ。

 銀髪赤眼の少女は一度その場で止まり、太一の方に振り返ってから応えた。


「私の名前は、赤護湖都奈あかもりことなです! 太一さん!!」


 それから再び太一に背中を向けると、今度こそ街の中へと消えていった。

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