第3話 青い妹


 湖都奈と別れてからすぐに太一は携帯電話で了介に連絡を取ろうとしたのだが、駅前広場で持っていた荷物を全て失くしていた。

 仕方なく連絡をあきらめ、湖都奈に言われた通り公園の地図に従い、何とか駅前広場までの長い道のりを走って戻ってきたときには、時計の針はとうに一二時を超えていた。


 広場にはすでに活気が戻り、鋼鉄の壁が閉じたあとの人気のなさが、まるで嘘であったかのように賑わっている。

 太一が待っていた二人は、約束通り大時計の前に立っていた。


「悪い、待たせた」


 へとへとになりながら走ってきた太一に、了介は「ほれっ」と、失くしていた荷物を渡してきた。太一はそれを目を丸くして受け取ると、これまでに起こったことを伝えた。


「そうか、荷物を全部落っことしてなぜか駅の反対から二時間以上も遅れてきた理由が、とんでもない脚力の美少女に衝突されて、公園で膝枕されていたから、とお前さんは言うわけだ」


 自身の右腕に巻かれた腕時計を太一に示しながら、状況を理解した了介が言った。

 その細い緻密な文字盤を確認すると、正確な時刻は一二時二〇分だった。

 了介の腕時計には見覚えがあった。太一が祖父母の家に預けられる前から着けていた。

 幼い子供がに身に着けるものにしては、かなり凝ったデザインの機械式時計だったのでよく覚えている。


 了介は身長が太一と比べると一〇センチほど低く、背中に届く長さの髪を雑に後ろで縛っている。視力があるのに左目をよく瞑っているのが昔からの癖だった。

 久しぶりに会った今でも、それは変わらないらしい。


「間違ってはいないけど、言い方に悪意がないか?」

「そりゃ、二時間以上も待ちぼうをけくらったらそうなるだろ。お前、携帯落っことしてたから連絡も取れないし」


 携帯がなくては連絡など取りようがない。太一には反論しようがなかった。


「こっちはな、警報が解除されて外に出られるようになってから急いで来たんだ」

「警報ってここら辺で突然鳴り響いたでかい音の奴か」

「そうそう、それのこと。何も知らない太一が巻き込まれてやしないかと思ってたけど、案の定だったな」


 まるで必ず巻き込まれる、とでも思っていたような言い方だ。


「まったく、広場に着いてみたら、誰かさんの荷物が色々と地面に転がってるからびっくりしたわ」


 散らばっていた太一の荷物は全て、了介が拾ってくれたようだ。大変だったというように、額に垂れる汗を拭った。


「それは悪かった。拾ってくれてありがとな。おかげで助かった」

「しかしな、お前の荷物そこらに散らばってたから、一応中身を確認しておけよ」


 散らばった荷物の中には貴重品も含まれている。太一は全て揃っているかその場で確認したが、特に問題はないようだ。


「大丈夫だ。それよりよく俺の荷物だってわかったな」

「ふふん、それはこの娘のおかげだ。感謝しろよ?」


 そう言うと、了介は先ほどからずっと恥ずかしがるように、背中で太一の視界から隠れていた小柄な存在を、太一の前へと押し出してきた。

 

 ようやく姿を現したのは中学生くらいの少女だった。

 どこかの制服を思わせる服装。少し青みがかった長い黒髪の下で、ラピスラズリのように青い瞳がキョド、キョドと視線をさ迷わせている。

 少女は両腕で、自分の背丈の半分近くあるぬいぐるみを抱いていた。デフォルメされたドラゴンの形で、持ち主と同じ色の青い眼が太一を見つめている。

 華奢な右腕には既視感のある黒い腕輪をはめていた。


「――青唯! 久しぶりだな!!」


 竜を両腕で抱えている虹霊、日向青唯は数年ぶりに合う太一の可愛い従妹だった。


======


「本当にありがとう、青唯。俺が荷物を失くさなくて済んだのは青唯のおかげだ!」


 タクシーで自宅に向かう途中、後部座席に座る太一は右隣の青唯にこれで何度目かになる礼を述べた。


「リュックに付いてたキーホルダー、私が兄さんにあげたものだったから……。まだ持っていてくれたんですね」


 太一は自分のリュックに、青唯からもらった鳥の形のキーホルダーを付けていた。


「当たり前だろ。青唯にもらってからずっと使ってるんだ」

「……すごく心配、しました。でも兄さんに何もなくて、本当に良かったです」

「青唯ちゃん、そのキーホルダーを見て、兄さんのだって顔面蒼白になるわ、目が青く発光しだすわで大変だったぞ」

「そうだったのか。ごめん、青唯」


 太一は心配をかけさせてしまった青唯に謝ると、彼女が腕に抱いている竜のぬいぐるみに視線を落とした。


「青唯もそのぬいぐるみ、まだ持っていてくれたのか」


 二人が会ってまだ間もない頃、太一は怖がりで泣いてばかりいた青唯のためにぬいぐるみを作ってあげた。そのお礼にと彼女はキーホルダーをくれたのだ。


「……兄さんがくれた『大切なもの』だから……」


 頬を赤く染めた青唯が、ぬいぐるみを強く抱きしめる。


「写真で知ってたつもりだったけど青唯、おっきくなったな。最後に見たときは、もっとちっちゃかったのに」


 実家から送られてくる写真のおかげで、青唯の成長を見てはきたが、実際に会ってみるとその変化に驚く。


「昔も可愛いかったけど、今はさらに見違えるほど可愛い女の子になった」


 青唯の女の子らしく成長した容姿を褒めていると、彼女は肩をビクッと揺らしさらに頬を赤くして俯いてしまった。

 そんな反応に太一は可愛いなぁと思っていると突然、脳天に鋭い衝撃が降ってき

た。


「――いだっ!?」


 思いの外強い痛みに、涙目になりながら両手で頭を押さえ、襲撃者を睨む。――青唯と反対の席に座る了介だ。


「……了介、いきなり何だよ」

「おいおい、仮にも幼い頃から妹だと豪語している女の子を口説くのは、さすがにどうかと思うぞ?」

「べ、別に口説いてるわけじゃない。久々に会えて嬉しかっただけだ。そんなことより、人の頭が割れたかと思うほどの一撃をいきなり入れてくるのはどうかと思うが」

「なに、親友がロリコンになりやしないかと、心配しているんじゃないか。それとな、頭が割れたら会話なんてしている場合じゃないぞ」


 そう平然とのたまう了介に、今こそここで決着をつけてやろうと太一は拳を固めるが、


「……ケンカ、良くないです」


 青唯の言葉に太一は毒気を抜かれてはぁ、とため息をついた。


「それにしても、今日は午前中からひどく疲れた……」

「お疲れ様です。兄さん、色々大変でしたね」

「まあ、向こうじゃまず体験できないようなことに遭遇したからな、太一は」


 了介が茶化すように言う。


「この街ではな、警報が鳴ったら即避難。これが鉄則だ」

「そもそも警報って一体、何なんだ?」

「正しくはな、暴走虹霊警戒警報。虹霊が多く住むようになったこの街独自の警報だ」

「この街独自って、何でそんなものができたんだ?」


 少なくとも太一がいた頃には警報は存在していなかった。


「その話、家についてからにしよう。もうすぐそこだし」 


 了介に言われて気付いたが、いつの間にか太一の家の近くまで来ていたらしい。見覚えのある建物が見えてきた。


「ちっとも変わらないな、この家は……」


 タクシーから降り、築十数年の何の変哲もない二階建ての一軒家に対し、少し感慨を抱いていると、さも当然のように了介が玄関の鍵を開け中に入り、青唯があとに続いた。


「……何でお前が日向家の鍵を持ってるんだ?」


 靴を履いたままの太一が玄関で尋ねると、先に靴を脱いで家の中に上がっていった了介は、振り返ってから不思議そうな顔をして答えた。


「あれ、おばさんに聞いてなかったのか? 青唯ちゃんを寂しがらせないようにって、おばさんが俺に合鍵を渡してきたんだぞ」

「……母さん、いくらなんでも他人に合鍵渡すとか、不用心すぎないか?」

「長期間、おばさんたちは家を空けることが多いからな。女の子を家に一人で置いていくよりは、よっぽど安心じゃないか」

「合鍵を渡す相手の人選が問題なんだが?」

「なあおい、それは男だからってことだよな? 俺個人のことじゃなくて」

「どちらもってことだ」


 太一は爽やかな笑顔で答える。


「――よし乗った。そのケンカ買おうじゃないか……とりあえず表出ろ?」


 了介も負けず劣らず、爽やかな笑顔で返して玄関に引き返そうとする。


「ふふふっ」


 小さな笑い声に、太一と了介が合わせて視線を向けると、青唯が笑っていた。

 だが二人の視線に気付くと途端に赤くなり、小さく縮こまった。


「ごめんなさい。兄さんたちのやり取り、懐かしくて」


 太一が家を出ていく前は、了介と他愛のない舌戦を繰り広げては、聞いていた青唯が仲裁するのが、日向家では日常茶飯事だった。

 玄関に靴を揃えてから家に上がった太一に、青唯が嬉しそうに笑顔を向けてくる。


「お帰りなさい、兄さん」


 太一は家に帰って来たんだ、という実感が湧いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る