第1話 衝突いは刹那に

「ふわぁあ……こうして眺めると、だいぶ街の景色も変わったなぁ」


 乗っている列車の窓から届く四月の暖かな陽射しに軽く眠気を誘われ、我慢できずにあくびを一つ零すと、日向太一ひなたたいちは一人呟いた。


 視線を近くに向ければ車窓に、青みがかった黒髪が特徴と言えば特徴の少年が薄く映っている。ただ、童顔と祖父譲りの目つきの悪さが悩みではあったが。

 遠くに向ければ、久々の故郷の風景が流れている。


 小学校の四年生のときからずっと、とある事情で母方の祖父母の家に預けられていた太一だったが、高校に進学するにあたり実家の近くの高校を選択した。

 そして見事、合格を果たしたため、五年ぶりに戻って来たのだ。


 最近導入されたばかりの新型車両、その座席に座りながら太一は感慨深げに街の景色を眺めていた。


 キュイィィィン――

 耳に微かに響く、独特な駆動音を上げるのは虹式動力ポーラと呼ばれる新型動力。

 パワーオブレインボーの頭文字を取って命名された動力は、その名の通り虹の力で動いている。


 ――虹力こうりょくと呼ばれる力がこの世界には存在する。

 何処にあるとされる虹界こうかいが空を覆うほどの巨大な虹の輪で世界と繋がり、虹力が世界に溢れ出してから、およそ八〇年あまり。

 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫 の七つの光から成る超常の力は、付与された物質に様々な効果を与える性質があった。


 赤なら〈強化ストレングス〉が、青なら〈堅牢ソリッド〉が、と光の色によって効果が異なるため、それぞれに応じて使い分ける必要がある。


 世界に溢れた虹力を人類が活かさないわけはなく、予定調和のごとく科学と合わさったことで、人類は科学力を一つ、二つと飛躍的に向上させ、それまで空想上の産物でしかなかった代物が、次々に現代には実現していった。


 太一が乗車している列車もそんな虹力を活用した虹式動力の恩恵を受け、揺れを一切出さない無振動の高速走行や停車を可能にしていた。


 ――虹界よりもたらされたのは、虹力だけではなかった。


 虹界の住人たちである虹霊こうれいと呼ばれる存在が、虹の輪より世界に訪れた。


 可憐な少女の姿をした、その身に虹力を宿し自在に統べる異界の者たち。


 来訪者たる虹霊は突如、世界に対し宣戦布告を宣言した。

 異能を容易に扱う存在に人類が挑んだとして、勝利する可能性はないに等しい。

 だが結果は絶望的な予想を覆した。人類を勝者として不条理な戦争は終結したのだ。


 後にその戦争は『世界間代理戦争』と歴史に刻まれ、呼ばれるようになった。


 しかし、戦争がどういうものだったのか、内容を知る者はいない。

 その理由は極めて単純。――誰にもわからないからだ。


 戦争に勝利した人類と敗北した虹霊、ともに戦争をした事実と勝敗の結果の他に、該当する記憶、及び記録の全てを失っていた。

 記憶を呼び起こそうとする者は一様に、頭の中が厚い霧に包まれ阻まれてしまった。


 世界と虹界を繋いでいた虹の輪も、影も形もなく消え去っていた。

 残された虹霊は一部の例外を除いて積極的に人類と交流を交わし、八〇年の時をかけて世界に溶け込んだ。


 虹力と虹霊の存在する世界で五年という歳月は、太一の故郷を様変わりさせるのには十分な時間だった。


「――そういえば、青唯あおいはちゃんと駅前で待ってられるのか?」


 変貌した景色に見入っていたが、太一はふとあることが気にかかった。

 受験の合格と実家に戻る旨を伝えるため電話をした際に、受話器越しに聞こえたのは両親ではなく、ともに住む従妹の青唯の声だった。


 太一の脳裏に嬉しそうな声で『迎えに、行きます』と答えた、記憶に残る従妹の愛らしい幼い顔が浮かぶ。


 今年で中学の三年生になる青唯は、太一から見ると母親の妹の娘にあたる。

 彼女の物心がつくかつかないかの頃、両親が揃って事故で亡くなってしまったために、今は太一の実家で暮らしている。


 最後に見た青唯は、一人で外を出歩こうものなら悪い人に連れていかれやしないか、と気が気でない贔屓目に見ても可愛いらしい少女だった。


「まあ、了介りょうすけの奴も一緒に来るらしいから、大丈夫だとは思うけど……」


 太一には幼い頃からの友人に、親友とも呼べる間柄の了介がいた。

 何かと仕事で太一の両親は揃って長期間、家を空けてしまうことが多い。


 そのため近所に住む周斗が、一人になってしまう青唯の面倒を太一や、太一の両親に代わって見てくれていた。

 今日も迎えに来るのに一緒について来てくれるよう、青唯が頼んでいるそうだ。


 太一が思案していると、周りの人々が動き出していた。いつの間にか列車が目的の駅に到着するらしい。

 降りる駅名を知らせるアナウンスに、慌てて荷物を持ち直した。


 太一の故郷である城壱市しろいちしはもともと豊かな自然と美味しい空気以外に、何も名所といえるものがない場所だった。

 だが、他より虹力が安定しやすい土地柄だったのが幸いした。


 虹式動力を活かした都市として大規模に再開発が進められ、大手の企業のオフィスがいくつも入り、人口が一気に増加したのだ。

 増えた労働力を輸送するため、交通の便は一時間に一本だったものが、数分単位のものに変わり物流も加速した。


 虹力の安定する土地は虹霊に住みやすいようで、城壱市には他よりも多くの虹霊が住んで生活していた。


 太一が降り立った城壱駅は、多方面へと繋がる路線が大幅に増えたため、それに対応するため駅舎が丸ごと新築されて、昔の面影を一切残していなかった。


「ずいぶんとまた、ダンジョンと化したな、ここは……」


 複雑に道が入り組んだ駅の中は、まさに迷宮ダンジョンとしか言いようがない。

 数がやたらと多く、案内する気があるのかわからない案内板や矢印、ぶつからないのが不思議なほどの行き交う人の多さに、太一は冷や汗を垂らす。


 しかし、立ち止まっていても邪魔になるだけなので、青唯たちと合流するため、太一はあらかじめ集合場所として指定されていた駅前広場へと向かって歩き始めた。


「……人が本当に多い」


 今日が休日ということもあり、駅前広場は多くの人が集まり大変賑わっていた。

 待ち合わせをした相手を待っている人や、無事に合流してこれからどこに行こう、と話しているグループなど実に様々だ。


 広場の中央に設置された大時計を太一が見上げると、針は九時二〇分を指していた。


 一〇時に駅前広場の大時計前で会う約束なので、時間までにはまだ余裕がある。


「青唯たちはまだ来ていないか。まあこの時間じゃあ、当然と言えば当然か」


 一通り見渡してみるが、目的の二人の姿は見当たらない。


「早めに出てきて正解だった。二人を待たせたくはないからな」


 太一は待ち合わせをした際に、相手を待たせるのは悪いと考えている。

 自分が待つのには例え、一時間以上だろうと平気で待てる。

 だが相手を待たせるということが許せないので、いつも約束した時間より早く着くことを心がけて家を出ていた。


 今日、城壱市に戻ってくるときも、迷うだろうことを考慮して早めに出てきたのだ。

 二人が来るまで特にすることもなかったので、しばらく時間をつぶそうと、ズボンのポケットから携帯電話を取り出した――そのときだった。


 ブォォォォォォォォォォォォン、ブォォォォォォォォォォォォン――


 街中の至るところから唐突に、聞き慣れないサイレンが大音量で高々と響き渡った。


「えっ、警報!?」

「早く逃げろ!! 巻き込まれるぞ!」

「なんだってこんな時間に!」

「皆さん避難してくださいっ!!」


 広場にいた人々が口々に叫びながら、慌てた様子で近くの建物の中へ駆けこんでいく。


「な、何が起こったんだ!?」


 あまりにも急に一変した駅前の様子にわけがわからず、太一はその場から一歩も動くこともできなかった。

 すると突然、身体が透明な膜なようなものに覆われた。


 周囲の建物から植物まで駅周辺の一帯全てが膜によって覆われたようだ。

 そして、人の流れを追っていた太一の視線の先で、出てきたばかりの駅の出入り口が鋼鉄の壁に塞がれてしまった――。


「うわ、この壁びくともしないぞっ!?」


 駅の出入り口を塞いだ壁はかなり分厚く、太一が近づいてコン、コンと軽く叩いてみるが、固く冷たい感触を右手に返すだけで動く気配はない。


 鋼鉄の壁の前に成す術もなくその場で呆然としていると、上の方からタンッ、タンッと一定のリズムで響く音が聞こえてきた。


 ――足で地面を思い切り踏み抜いているようだ、と太一は感じた。


 あとを追いかけるように、虹式動力の駆動音も耳に届く。どちらの音も徐々に駅前へと近づいてきていた。


「一体、何が来るって言うんだ?」


 近づいてくる音の方向を見上げた太一は、目に映った光景に思わず言葉を失った。


 少女が謎の集団に追われている。これだけなら物騒な話ではあるが、まだ頭で理解することはできる。


 ただし、追いかけているのが頭と背に何らかの装置をつけ、特撮で着るような身体のラインが出るスーツを着込んだ、飛翔する集団でいなければ。

 肩に担いだ銃器から、レーザーを少女に向けて放つおまけつきで。


 そして、追われている少女が人間の域をはるかに超えた跳躍力によって、建ち並ぶ建造物の壁を蹴り、舞うように跳躍していなければ。

 

 少女は飛翔する集団から放たれるレーザーの弾幕を、銀の髪をなびかせながら華麗に躱している。


 ……どうやら映画の撮影か何かの、ど真ん中に出てきてしまったらしい。

 太一がそう勘違いをしてしまうくらいには、日常とかけ離れた光景だった。


「――って、見てる場合じゃない!?」


 まずいことに太一は両者の進行方向に位置していた。

 慌ててその場から少しでも離れようとするが、事態は想像よりもはるかに早く進み、息を呑んでいる暇すらなかった。


 意図してなのかはわからないが、勢いよく壁を蹴って空中に舞った少女は、それこそまさに打ち出された弾丸の如く、まっすぐに太一に向かって突っ込んで来たのだ。


 さすがにその速度は音速の壁を超えるものではないが、どのみち生身の人間が衝突して五体満足で済むはずがない。

 一般車とスポーツカーが、それぞれ全開のスピードで人間に衝突したとして、出ているスピードにいくら差があったところで、もたらされる結果は変わらないのだ。


「避けてくださーーーーーーい!!」


 そんな無茶苦茶な要求が、太一の耳に届く。


 ドゴンッ!!


 ――そのとき、少年は妖精しょうじょ衝突であった。


 言葉を知覚できた刹那の間に、太一の身体は後方へ声の主とともに吹き飛んでいた。


 突き抜けた衝撃は、今までの人生で受けた中でも最大級で即死級の、二度は受けたくないと痛感させるもので、意識は遠い彼方へとすっ飛んでいった。

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