第25話 〈闇塗者〉

「……なんだよ、あれ……」


 太一はただそんなことを、呟くように喉から絞り出した。 

 闇で形作られた湖都奈の赤黒い目が、殺意のこもった視線で太一のことを睥睨してきた――と、感じた瞬間には身体が地面から離れていた。


 隣にいた湖都奈が太一を強く抱きしめた状態で、舞い上がったのだ。あとから凄まじい轟音が耳に響く。


「今のは危なかった……」


 身体を襲った強烈な殺気と浮遊感に、太一はどぎまぎしながら言った。


「――間一髪でしたね」


 湖都奈の声に太一が見ると、先ほどまで隠れていたビルが横一文字に断たれ崩落していく最中だった。


「! ビルが斬られたっ!?」


 そのあまりの惨状に、太一は驚愕で目を見開いた。湖都奈が咄嗟に抱えて飛んでいなければ、確実に太一も同じ運命を辿るところだった。


「中にいた人は!?」

「全員が地下にあるシェルターに避難しているはずです。この辺り一帯は城壱の中でも、特にシェルターの設置と迅速な避難誘導が徹底していますから」

「そ、そうか。それならよかった」


 最悪の事態を想像して太一は肝が冷えたが、そう聞いてほっと胸を撫で下ろす。


「危険ですから太一はできる限り離れていてください」

「湖都奈はどうするんだ――って、おい!」


 太一が言い切る前に湖都奈はすでに、己と同じ姿をした闇に向かい飛んでいた。

 そのまま、こちらに飛んで来ようとしていた闇と正面からぶつかる。


 両者の間で凄まじい剣劇が繰り広げられた。二本の刃がぶつかり合う度に、火花と硬質な鉄の音が響く。巻起こる剣圧で周囲にいくつもの深い傷が刻まれていく。


 周囲を飛んでいるPRFの隊員たちも熾烈な戦闘に割って入ることができず、ただただ呆然と見守っていた。


 それほどまでに両者の剣術の腕はまったくの互角。と、言うよりはむしろ――


「……鏡合わせ、なのか……?」


 見ている太一がそう思ってしまうほどに、両者の動きは一致していた。


 ふと、未だに〈虹術結界プリズム〉の張られた街中に、太一の耳は聞き慣れた車のエンジン音を捉えた。

 間もなく一台のミニバンが太一のすぐ脇に止まり、中からメイド服姿の紫音が出てきた。

 どうやら喫茶店で働いている格好のまま、避難もせずにやってきたらしい。運転席には流珂が座っていた。


「戦況はどうなってる?」


 湖都奈と闇の戦闘を見ながら紫音が訊いてくる。


「まったくの互角だ。というか、気味悪いくらいに闇が湖都奈と同じ動きをしてる」

「互角。同じ動き……」


 太一がそう伝えると、紫音は何か考え込むように腕組みをした。それから彼女にしては珍しく大きな声を上げた。


「湖都奈、今すぐそいつから離れて! 虹力を奪われる!」


 紫音は両手を闇に向かって掲げた。その紫水晶アメジストの瞳が眩く輝く。

 〈支配ドミネイション〉の虹力に全身を包まれ、闇の動きが極端に遅くなった。止まるまではいかないが、湖都奈がその場から退避する余裕ができた。


「はぁ……はぁ……。紫音、来てくれたんですね。おかげで息を整えるだけの余裕ができました。どうもあちらは呼吸とは無縁のようなので」


 太一たちの方まで飛んでくると、湖都奈は乱れた息を整えながら闇を見て冗談めかして言った。


「よかった。冗談を言えるうちに間に合って。湖都奈、あの闇が何かわかってる?」


 闇に向けて虹力を放ちながら、紫音が視線だけ湖都奈に合わせて訊く。 


「ええ、あの距離まで迫って、互いに剣を交えて確信しました。あれは〈闇塗者オプスキュリテ〉ですね」

「そう。ここまで来る間、湖都奈の虹力が徐々に奪われていくのを感じて、太一の話を聞いて紫音も確信した」

「〈闇塗者〉って確か、喫茶店の地下で話してた球状の闇のことだろ? それがなんで湖都奈の姿で襲ってくるんだよ?」


 未だ〈支配〉の虹力に捕らわれたままの闇を一瞥しながら、太一は二人に尋ねる。


「恐らくそれが〈闇塗者〉のやり方なのでしょう。まるで鏡合わせのように対象の虹霊と同じ力量で接触し、逃げる隙を与えず徐々に虹力を奪っていく、という。虹力を奪われていくのは私もわかってましたが、紫音が来てくれるまで思うように距離を離せなくて困ってました」

「下手に強い力で圧倒されるよりも怖くないか、それ。――で、虹力を奪われ続けたら虹霊はどうなるんだ?」

「虹力は虹霊が生きるために必須。残らず全て奪われたら最悪死んじゃう」

「! なんだって!? 湖都奈、大丈夫か!?」

 

 紫音の説明を受け、太一は咄嗟に湖都奈に異常がないか、近づいてその貌を凝視してしまう。だが、白磁のごとき頬は血が巡って赤みが差し、唇は潤いプルンと瑞々しかった。


「た、太一。そんなに間近で見られていると、ドキドキしてしまいます……」

「――あ、ご、ごめん! その湖都奈が心配でつい……!」


 あまりの衝撃で、気付けば太一は湖都奈の息が自分の顔にかかるほどの距離にいた。

 慌ててその場から飛び退き、頬を真っ赤に染めた湖都奈との距離を空ける。自然、太一の頬もカァっと熱くなった。


「何をやってるんだか。――それで話の続きだけど、〈闇塗者〉は虹力を奪えば奪うほど闇を濃くしてる。この嫌な感じからして、十分な量を奪ったら、その瞬間にドカン」

「ドカン? ――ってまさか、映像で見た砂漠やらジャングルみたいな、でかい球状になるっていうのか!?」

「うん。湖都奈の虹力を奪われ続けると間違いなくそうなる。このままじゃ、城壱が丸ごと闇の中。そうならないためには――」


と、紫音が言いかけたところで、遠くから近づいてくる虹式動力ポーラの駆動音が聞こえた。


「ちょっとあんたたち、ここはもういいからさっさと退避しなさい」


 声の方に振り向くと、PRFの隊員が一人、太一たちの方へ近づいてきた。

 彼女が近くまで来て初めてわかったが、声を掛けてきたのは、太一と同年代くらいの少女だった。

 長い髪をサイドテールにしていて、太一たちを気の強そうな目で見ている。


「あの化物は私たちが対処するから、民間人は逃げなさい。ここは危険よ」

「危険なのはわかるけど、PRFがあれをどうにかできるのかよ」


 太一が言うと、自信がないのか隊員はうっと唸って視線を逸らした。


「……やるしかないじゃない。私たちしかいないんだから……! それに間もなく他の部隊も応援に来るわ。巻き込まれても知らないわよ?」


 しかし、話しながら決心したようで、隊員が逸らしていた視線を太一たちに戻すと、その瞳には力強さが宿っていた。


「あの、すいません。あなたたちPRFに一つお願いがあります。できれば今ここに展開している部隊の中で、指揮を執っている方に聞いてもらいたいんですが」


 そんな隊員に向かって、湖都奈がお願いを頼んだ。


「ここにいる一番隊の指揮を執っているのはこの私、倉田花火よ。それでお願いの内容だけど、言うだけ言ってみて。判断はこちらでさせてもらうわ」


 勝気な態度で花火は名乗ると、湖都奈にお願いを話すよう促した。


「わかりました。――では花火さん、お話しします。内容はこうです。私が全力の一撃でもってあの闇を消し飛ばしますので、街に被害が及ばないように花火さんたちPRFには虹術結界を闇の周囲に厚く張って、維持していてほしいのです」

「私たちにただ、ひたすら虹術結界だけを維持してろっていうの!? 民間人を危険に晒すような真似してまで!?」


 聞き終えた花火が驚愕の声を上げるが、それも当然だろう。湖都奈のお願いは自分の身の安全を全く考慮していない。


「危険ではありますが、これが一番確実です」

「確実だからって、あなた一人が危険な目に合う必要はないのよ?」

「湖都奈を一人でなんて行かせるか、もちろん俺も一緒だ」

 

 二人の会話を横で聞いていた太一は間髪入れずに声を上げる。


「湖都奈一人だけを危ない目に合わせるわけないだろう」


 当然のことを太一は言ったつもりだ。だが、なぜか聞いていた花火は絶句した表情で太一を見てくる。

 一度やると決めたら、湖都奈はそれがどれほど危険でも実行するだろう。

 それがしばらく彼女と行動をともにしてわからない太一ではないから、迷わず自分も湖都奈の隣に立つと言ったのだ。


「ありがとうございます、太一」


 太一にはただそれだけのことだったのだが、湖都奈は嬉しそうに微笑んでくれた。


「異論がないならさっさと動いて。あれを支配できるのは今のうちだけ」


 闇に向かって未だ〈支配〉の虹力を行使し続けている紫音が、どうするのか早く決めるよう花火を促す。


「……ああ、もう! わかったわよ! こうなったらやってやろうじゃない! ただし、失敗は絶対に許さないから、覚えときなさい!」


 頭をガリガリかきながら唸って花火は悩んでいたが、吹っ切れたように叫んだ。

 ……せっかくの綺麗な髪もそんのことしていたら痛むだろうに。


「はい、お願いします!」


 湖都奈の屈託のない笑顔を一瞥すると花火は飛翔し、他の隊員たちのもとへと戻っていった。


 ――作戦の内容が伝わってからの隊員たちの行動は迅速だった。

 あまり動けない状態の闇の正面と後方を空けて、左右に一定の間隔に離れて空中に散開し、両腕をかざして虹術結界を全力で展開していく。

 背中の機械を失っていた隊員たちも予備を装着したのか、作戦に加わっている。


 皆がありったけの虹力を注いでいるのは、その表情の真剣さから虹力を感知することができない太一にもわかった。

 通常より厚く張っているためか、太一の目には薄い虹色の結界が見えた。前面だけを空けて闇を囲う形は、まるで猛獣を逃がさないための檻のようだ。


 虹術結界が分厚い強度で展開され維持されているのを確認すると、湖都奈は太一を抱え、紫音とミニバンから十分に距離を保ってから位置に着いた。


「そう言えば湖都奈、ここに来る前、俺にもお願いをしようとしてたよな?」


 湖都奈の隣に立った太一はふと、ここに跳んで来る前、彼女が自分にもお願いをしようとしていたことを思い出した。


「ええ、そのお願いは太一にしか聞いてもらうことができません。それが何か?」


 突然、お願いの話を切り出した太一に、湖都奈は小首を傾げて尋ねてくる。


「そのお願いを必ず聞く代わりに俺のお願いも聞いて欲しいんだ。これは湖都奈じゃないと聞けない願いだから」

「私にしか聞けないお願いですか? 何でしょう?」

「今はあんな闇に変わっちまったけど、あれの元はBKだ。んでもって俺はBKに腹をナイフで刺された。それだけでもムカつくけど何より、湖都奈を見世物だのと言って傷つけたBKのことが俺は絶対に許せない。――だから頼む。俺の分の気持ちも思いっ切りぶつけてくれ!」


 太一は胸にある気持ちを込めるように、湖都奈に言葉を紡いでいく。


「今の俺には湖都奈に何もしてやることができない。……だけど、気持ちを託すくらいはできる」

「……太一、あなたが何もしていないわけないじゃないですか。太一がここにいてくれるだけで私の勇気になります。――わかりました。太一の分の気持ちも思いっ切りぶつけます!」


 気持ちを受け取ったというように、湖都奈は太一に深くうなずいた。


「よしっ!」


 太一は満足してうなずくと湖都奈から距離を取った。十分に離れたのを確認すると 彼女は自身と同じ形をした闇に向き直り、両手で持つ赤い剣を大上段に構える。


「輝け――〈召喚勇剣コールブランド〉」


 湖都奈の周囲を赤い光が舞い始め、瞳が赤く輝きを放つ。体内に満ちている赤の虹力を剣に注いでいるのだ。

 それが使命であるかのように、空気中に含まれる赤の虹力も剣に向かって収束していく。その刃が絶大な赤の虹力を纏って輝き出し、それに呼応するように大気が震え悲鳴を上げた。


 湖都奈が両手で天高く構える剣の銘はコールブランド。それが伝説に刻まれた王の剣と同一の銘を持っている意味を、太一は己の目で見て理解した。

 彼の赤い剣に刻まれる銘など他に、初めから存在していなかったのだ。


「【赤王の権威ロワイヤル・オーソリティー】!!」


 振り降ろされた剣から解放された凄まじい赤い光の奔流が目の前の存在、その全てを容赦なく飲み込んでいく。

 闇も湖都奈に向かって剣を振るおうとした。 

 だがその動きはあまりに遅きに失していた。〈支配〉の虹力に捕らわれたままでいる闇などに、湖都奈の必滅の一撃をはね除ける術など持ち合わせていなかったのだ。


 ――存在する全てを悉く殲滅していく赤の〈アルカンシエル〉の一閃。

 対象を闇だけに限定しての開放とはいえ、その鮮烈な光を受けたあとには痕跡一つ残らなかった。

 その余波で周りを囲っていた隊員たちが吹き飛ばされそうになっていたが、必死に結界を維持してくれたおかげで、街に被害は出なかった。

 終わった途端に全員体力が尽きたようで、地上に降りるとぐったりしていた。


 ふいに湖都奈がふらついた。纏っていたドレスと手に持っていた剣が赤い光の粒子となって消え、元の制服姿へと戻る。太一が慌てて駆け寄ると、額に汗を浮かべて疲労の色を見せていた。


「おい、大丈夫か湖都奈?」


 しかし太一の顔をみとめると、湖都奈は笑顔を返してきた。


「〈闇塗者〉を消滅させました。……太一の気持ち、思いっ切りぶつけました。これでもう大丈夫です」

「ありがとう、お疲れ様。湖都奈の赤い光、すごく綺麗だった」


 深く息を吸って吐いてを繰り返す湖都奈に、労いの言葉を太一は掛けた。

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