第22話 緊急出動

 花火の頭を占めるのは昨日の極光。暗くなった空を貫いた一条の赤い光。

 相手との虹力の差は頭で理解していたはずなのに、実際に自分の目で見てしまうとその強大さに愕然となった。


 BKを倒した〈妖精〉は気を失った民間人を抱え、花火たちになぜか頭を下げた。

 それから赤く輝く蝶の翅で、何処へと飛んで行ってしまった。

 赤い光を放ちながら夜空を飛翔する姿は、まさしく〈妖精〉そのものだった。

 かなり疲労してしていた中での黄の〈停滞スタグネイション〉の虹力を使用したので、活動限界がきた花火たちは〈妖精〉を追えなかった。

 例え全快の状態であったとしても、追う気にはなれなかっただろう。


 あとに残された破損したBKのナイフを回収し、一番隊が廃工場を撤収してからすでに一夜が明けていた。

 午前中に〈妖精〉の報告書を作成し終えると、花火は提出するため大隊長の執務室へと向かった。

 そして扉の前で一度止まると、緊張して高鳴る胸に手を当てて抑える。

 花火が意を決してノックし「失礼します」と言って扉を開けと、執務室の中は重苦しい空気に包まれていた。


 前回、報告書を提出しに来たときとは違い、デスクの上には大量に積まれた書類が山となっていた。座っているはずの相手が見えなくなるほどに、その標高は高い。

 花火は室内に漂う空気に戸惑いながら、書類の向こうにいるはずの相手に声を掛けた。


「大隊長、報告書をお持ちしました。……あの、大丈夫でしょうか?」

「……ああ、花火か。報告書はそこら辺の塔の上にでも乗せておいてくれ……」


 疲れ切った時雨の声が、花火の耳に届いた。

 ……塔とは恐らくこの書類の山のことだろう。花火は比較的低い山の上に、崩さないよう慎重に報告書を乗せた。


「……あの、この書類の量は一体……」


 以前と変わってしまった様子に、戸惑いの色を隠せずに訊いた。


「昨日の夜に突然輝いてくれた赤い光の苦情や抗議文、その他諸々だ。花火が気にすることじゃない。――それよりもBKの件では迷惑をかけた」

「い、いえ迷惑だなんて。……あいつは何なんですか? 民間人に危害を加えるだなんて」


 牽制ではなく攻撃。BKは民間人に対して、殺すための攻撃を加えた。

 PRFに与えられた権限外の行動に、花火は苛立ちを隠せない。

 虹術結界プリズムの維持を止めてまで毒の進行を抑えなければ、確実に民間人は死んでいた。


「それはこちらからも厳重にF・Iに抗議させてもらった。だが向こうは試作品故のイレギュラーだと、ナイフの回収を要請してきただけだ」

「――そんな!? 人が死にかけたんですよ!?」


 あまりの対応に花火は声を荒げてしまう。


「無駄だ。いくら言ったところで聞く耳を持たん。……花火たちはよくやってくれた。死者が出なかったことが何よりだ」

「いえ、それが自分たちの職務ですから」


 時雨に褒められたことで顔を赤くしながら、ふと花火はあることが気になった。


「それで、逃げた〈妖精〉の方はこれからどうなるんですか?」


 一番隊が作戦を立て続けに失敗したことで、担当が他の隊に代わってしまうのかもしれない。


「〈妖精〉のことはもう気にしなくていい。あれは我々の管轄から外れた」

「……それはどういうことですか?」


 管轄から外れた、ということが花火に理解できない。


「我々PRFは腕輪が反応した虹霊に対してのみ、保護をする権限がある。だが〈妖精〉の腕輪は完全に破壊された。何も反応せずにだ。反応のない虹霊に対しては民間人と同じ扱いだ。我々の権限の及ぶところではない」

「――何も反応せずに腕輪が壊れるんですか!?」


 花火はこれまで活動してきて、腕輪が壊れたということは聞いたことがない。


「腕輪は無理やり外そうとしたり壊そうとすると、即座に内蔵されてるセンサーに引っかかる。騙せるような代物じゃない」

「それをやってのけたと?」

「〈妖精〉はセンサーが反応する間も与えずに破壊した。残骸すら残さずにな。モニターで監視していた奴らにも確認を取ったが、突然データが消えたそうだ」


 時雨の説明に、花火は唖然として言葉が出ない。


「こんなことは前代未聞。前例がない。腕輪をもう一度、はめさせる権利はPRFにはないし、虹霊の方もはめる義務がない。なので〈妖精〉は管轄から外れた。今後、PRFが関与することはない」


 そこでふぅーと溜息を吐く音が、デスクの向こうから花火の耳に入った。


「もう腕輪のない虹霊に関わるなと市長から忠告を受けた。これ以上は許される権限から逸脱するともな。F・Iの要請とは言え、反応していない腕輪をこちらで操作したんだ。無理矢理に特例を持ち出してまでな。民間人をすでに巻き込んでしまっている以上、何も言えん。よって〈妖精〉に関する作戦は終了する。――これは命令だ」

 

花火には納得がいかなかったが、大隊長直々の命令であれば、従うしか他にない。


「……わかりました。それでは一番隊はこれから訓練に戻りますか?」


 またいつ他の虹霊が反応するとも限らないため、訓練して次の出動に備えて置くに越したことはないが、時雨から返ってきた答えは予想外のものだった。


「ここ最近、一番隊は出動が続いている。疲労が続いては虹力の制御にも支障が出る。二日間の休暇を与えるから英気を養ってこい」

「一番隊はまだ動けます! 任務を失敗したまま休めだなんて――」


 つい意気込んで花火は叫んでしまう。 


「命令だ。いつ虹霊が反応するかわからないんだ。休めるときには休んでおけ」


 時雨の対応はバッサリだった。取り付く島もない。


「……了解しました。それでは失礼します」


 しぶしぶではあったが時雨の命令に従った花火は、そのまま執務室から出て行こうとする。


 しかし扉のノブに手をかけた花火の耳に突然、内線の音が聞こえて来た。それから時雨の驚いたような声も。


「何、回収したナイフが街の方に向かって逃走中だと!? あっ! おい、花火! どこへ行くつもり――」


 花火は途中から時雨の話を聞いていなかった。動きに気付いたのだろう、書類の向こうから呼び止める声が聞こえたが、そのまま部屋を勢いよく飛び出すと、全力で施設内を走り抜ける。

 途中で何度か人とぶつかりかけたが、構わずに一番隊の待機室へと急いだ。


「――緊急出動よ! みんな準備して!」


 花火はバンッと勢いよく扉を開いて叫んだ。礼装を着て待機していた一番隊のメンバーが驚きの声を上げるが、気にしている場合ではない。


「隊長? どうされたんですか、そんなに慌てて。……せっかくセットしてあげた髪が台無しじゃないですか」


 近くにいた副隊長の蘭が、どこか残念そうに花火に言う。


「ごめん蘭、今はそれどころじゃないの。BKが逃げ出して街の方に向かってる。時間がないわ!」


 花火は言いながら自分のロッカーの前までいき、勢いよく制服を脱いでいく。その行動に蘭は目を丸くしながらも、礼装の準備をしてくれた。


「――状況を確認します。BK――昨日我々が回収したナイフが逃走。そのまま街の方角へ向かった、ということでよろしいですか?」


 蘭が冷静な声で、現状を確認するように花火に問いかける。


「ええ、そうよ。あいつのは思考回路は人間とは違う。常識とかは一切通用しない。街になんかに行って何をしでかすか、わかったもんじゃないわ」


 花火は礼装の胸元のチャックを閉めながら蘭に言う。


「一番隊はこれよりBKの回収に向かうわ。命令は出てないけど、ここでモタモタしているわけにはいかないの」


 花火は礼装に着替え終わると、現場に向かうための輸送車両、キャリアーの駐車スペースへと走った。他の一番隊のメンバーもそのあとに続いてくる。

 隊ごとにそれぞれ専用のキャリアーがあり、中には使用する装備が常に万全の状態で積まれている。


「ちょっと、あなたたち! 出動の許可は降りてるんですか!?」


 駐車スペースの扉を蹴り開け、許可もなくキャリアーに乗り込み始める一番隊に、管理している職員が声を荒げた。


「緊急事態よ! 始末書なら一〇枚だろうと、二〇枚だろうと書いてやるわよ、帰ってからいくらでも!!」


 職員を沈黙させるのには十分すぎるほどの気迫を込めて、助手席から花火が吠えた。

 すると装着しているヘッドセットから通信が入る。


『――おい、花火、聞こえているならよく聞け。BKはどうやらオフィス街へ向かったようだ。至急そちらに向かえ』

「だ、大隊長!?」


 通信の相手は先ほど、勢いよく飛び出してきたばかりの執務室の主だった。花火の驚愕の声に運転席に座っていた蘭も驚く。


『お前たちがBKとの接触を確認次第、広範囲に警報を鳴らし市民を避難させる。作戦と武器の使用は許可するから全力でことに当たれ。――それと虹術結界は瞬間的なダメージには強いが、同じ個所に継続して受けると崩壊する。BKの毒とは相性が悪い。十分に注意しろ』

「――了解しました!」

『それと、始末書は出さなくていいが報告書は忘れるな』


 そこで時雨からの通信は切れた。


「許可は下りたわ。一番隊、出るわよ!」


 花火の号令に、蘭が勢いよくキャリアーのアクセルを踏み込んだ。

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