第23話 鞘のイメージ

「……平和って素晴らしいな」


 一年二組の教室の窓から見える、雲一つない青空を眺めて太一は何気なく呟いた。


「おいおい、何だか随分じじ臭いことを言うじゃないか」


 右横の席から了介が抑えた声で、失礼なことを言ってくる。


「じじ臭いとは失礼だな。普段あんまり感じることのない、平和の大切さを噛み締めてるんだろうが」


 身体は前を向けたままで視線だけ了介に向けて、声を抑えながら太一が返す。


「なあ、マジでどうした。突然頭がおかしくなったか?」


 なおも失礼なことを言う了介に、授業中なので何もできずにいると、太一の後ろの席からくすくすと笑う声が聞こえた。


「お二人は本当に仲が良いんですね」


 振り返ると湖都奈が笑っていた。右手を口に当てているが、その腕にはもう黒い腕輪はない。はまっていた場所は今まで光が当たっていなかったからか、湖都奈の白い肌の中でさらに白かった。


「……本当に腕輪、外れたんだな」


 湖都奈の腕を眺めながら、太一はしみじみと言う。無骨な腕輪は彼女には全く似合っていなかったので、外れて良かったと心から思う。


「まあ、一体何があったのか知らないし訊かないが、腕輪外れて良かったじゃないか。PRFも来ないってことは、もうはめなくていいんだろ?」

「ええ。特に外れてしまった腕輪を、新しくはめる義務はありませんから」


 了介が訊くと、湖都奈は嬉しそうに笑顔で答えた。


「私としては城壱にいる全ての虹霊が、腕輪をはめる必要がなくなってくれると嬉しいのですが」

「うーん、それはなかなか難しいって。何しろ市の特別条例があるだろう? そういうのって一度決まっちまうと、簡単には変わらないし。物理的に腕輪が機能しなくなって、外れでもすれば話は別だろうけど」


 了介が言うが、それが現状で無理なことは太一にもわかっている。


「そんな夢みたいなことがそうそう起きるかよ。俺もできることなら青唯の腕輪を外してやりたいけど、あれ、下手にいじると反応するんだろ?」

「でもな、腕輪自体をいじればそうなるんだが、腕輪のデータを管理してるところが機能しなくなれば何とかなるかもだ」

「? どういうことだ?」


 太一が訊き返そうと了介の方へ向いた途端、教壇の方から声が飛んできた。


「日向君、教科書の一四ページを音読してください」


 ……今は現文の授業中だ。おしゃべりをしている場合じゃない。

 太一は慌てて教科書を開くと、すぐに席を立って指定されたページを読み始めた。

 了介と湖都奈も、いつの間にか真面目に授業を受ける態勢に変わっている。

 こういうときの人の反応は素早いものである。

 終業のチャイムが鳴り、昼休みに入ったので改めて話の続きをしようと横を見ると、すでに了介は席を離れてしまっていた。


「あれ、また了介の奴いないじゃないか。一体いつ席を立ったんだ?」


 太一が周りに訊いたが、誰もはっきりした答えを持っていなかった。


「本当ですね。動いた気配がまるでしませんでした。……了介さんは忍者か何かですか」


 湖都奈も今気付いたようで、目を丸くしていた。


「後ろから見えるはずの湖都奈さえ気付かないって、どういうことだ……」


 親友の人間離れした動きに、頬に汗が流れる。


「……考えたところで仕方ないか。――湖都奈、飯にしよう」

「はい。一緒に食べましょう!」


 太一が誘うと、湖都奈は嬉しそうににっこりと微笑んだ。

 周りから羨望とも嫉妬とも取れる視線が照射されてきたので、太一はいそいそと湖都奈を連れて教室をあとにした。


「湖都奈に色々と訊きたいことがあるんだけど、どっか人の少ないところないかな」


 中庭に出ながら太一は辺りを見回した。


「でしたら、あの隅の生垣の辺りはどうでしょう。人がいなさそうです」


 二人がいってみると、その場所はベンチが二つ向かい合って置かれていたが、高い生垣に囲まれ、中が周囲からは見えにくくなっていた。


「中庭にこんな場所があったなんて、色々見て回るものだ」


 ベンチに座って持ってきた弁当を食べながら、太一は生垣を見渡して言った。


「私たち、この学校に入学してからまだ一週間しか経っていないんです。まだまだ知らないことの方が多いですから」


 湖都奈は綺麗に箸を使ってご飯を口に運んでいる。その何気ない所作の一つ一つが上品で、太一は魅入ってしまっていた。


「太一、どうしました? 私の顔に何か付いていますか?」


 見つめすぎたのか、太一の視線に気付いた湖都奈が首を傾げる。


「いや、上品に食べるなと思ってさ。やっぱり育ちの違いか」

「マナーに関しては皓造や流珂から厳しく教えられましたから」

「へえ、あの二人が厳しく……」


 皓造はともかく流珂はどちらかと言うと、湖都奈を甘やかしていそうなイメージがあったのだが、きっちり教えることは教えているようだ。


「それにしても昨日は大活躍だったな、湖都奈。赤い光の柱から出てきたあと、すごく凛々しくなってて驚いた」


 隣で美味しそうに弁当を食べている湖都奈が、勇ましく剣を取った鮮烈な光景は、太一にはひょっとしたら夢ではなかったのかと思えるほど、現実離れしていた。


「ありがとうございます。私が【創虹剣フォージングソード】を発動できたのは、太一のおかげです」


 何かしてあげられたとは太一にはとても思えなかったが、湖都奈にとってはそうではないようだ。


「太一が私の前に立ってくれたから、私と一緒にいたいと言ってくれたから、私は自分の虹力を恐れずに剣を取ることができました。本当にありがとうございます」

「い、いやそれはどうもな……」


 嬉しそうに話す湖都奈の笑顔はとても眩しかった。自分のしたことを彼女に恥ずかしげもなく言われて、太一は照れてしまった。


「…………」


 その場の空気に耐えられなくなって何か話題はないかと考えていると、湖都奈の胸元で日の光に煌めくものが目に入った。


「……そのペンダント、学校でも着けてくれてるのか」


 昨日、太一が贈ったペンダントを湖都奈は朝から身に着けていた。

 学校によっては没収されそうなものだが、太一たちの通う常彩高校は身に着けるものに対して、それほど厳しくはなかった。


「はい。太一からもらった『大切なもの』ですから、あれからずっと着けています」


 ペンダントに右手で優しく触れながら湖都奈は続ける。


「このペンダントは、私が工房へと至る心の扉を開くための『鍵』に捧げたことで、私の虹力の象徴となりました。私が生きている限り壊れませんし、遠くに離していたとしても、望めば手元に現れます」


 ペンダントを眺めていた太一は、自分の毒を打ち消した白い花の結界を思い出す。


「湖都奈が使った結界にも、その花の模様が浮かんでた。BKの毒が消えたのはあの結界のおかげなんだろ?」

「【白花の守護領域リージョン・オブ・エーデルワイス】。私が太一を心から助けたいと願ったことで発現した、私だけの能力です。全ての不浄はあの結界の中では祓われます」


 身体を蝕む状態異常の全てを無効化する能力。それがどれだけの異能なのか、太一にもわからないわけがない。


「――全て、か。〈アルカンシエル〉はそんなことまでできるのか」

「改めて訊きますが、太一は怖くはありませんか? 〈アルカンシエル〉の私が」

「まさか。どんなにすごい力を持ってたって湖都奈は湖都奈だ。俺と一緒に弁当を食べてくれる女の子だ。――俺の言葉は変わらない」


 瞳に不安の色を滲ませて訊いてくる湖都奈に、太一は笑って答えた。しかし思ったことを素直に口に出してから、少々恥ずかしすぎたかと後悔する。


「ありがとうございます、太一。太一にそう言ってもらえて私、本当に嬉しいです」


 湖都奈は頬を赤く染めたあと、どこかほっとしたように笑顔を向けてくる。それを見て正直に言って良かったと太一は安心した。


「湖都奈、ペンダントを捧げたって、赤い光の剣でペンダントごと自分の胸を貫いただろ? あれが【創虹剣】を発動する条件だったのか?」

「あのとき私に起こったことを説明しますと――」


 それから聞かされた湖都奈の話に、太一は驚きを隠せない。まさかあの束の間にそのようなことが起こっていたとは。


 外が一面虹色の工房もそうだが、太一は虹剣鍛冶ソードスミスのことが気になった。湖都奈の話を聞く限りでは明らかに人ではないようだ。


「虹霊でもないのに目が虹色だったり、虹力で剣を創ったり、虹剣鍛冶って何者なんだ?」 

「彼が何者かは私にもわかりませんが、悪意を持っていないのは確かです。かと言って善意を持っているわけでもなく、ただ自分の役目を果たしているだけのように感じました」

「なるほど。――ところで湖都奈は何であのとき格好まで変わったんだ? 剣はともかく、ドレスのことなんて今まで一言も言ってなかっただろ」


 今まで湖都奈から聞いていた話に、彼女が纏っていた神秘的な衣装のことは一切出てこなかった。それなら一体あれはなんだというのか。


「あのドレスは台座から剣を抜いて脳裏に銘が焼き付いたときのように、身に纏ってから初めて知りました。虹衣こういと言って、位階で第四位以上の虹霊が【創虹剣】を発動すると現れます。その中でも私の虹衣は〈七属虹衣第一光アン〉と言います」

「確か【創虹剣】は第三位の虹霊からできたよな。それなのに虹衣は第四位からなのか?」 

「虹力の強さの問題です。第三位では虹衣を纏うまでは足りていないんです」

「虹衣ってそんなに強い虹力を使うのか?」

「剣と鎧を両方とも顕現させ維持するとなると、相当な虹力が必要になります。その分どちらも強力な武装です」


 剣はたったの一撃でBKを戦闘不能に追い込んだ。剣でそれなら鎧の方も相当頑丈なのだろうと、容易に想像できた。


「色々と教えてくれてありがとう。……だけど、こうして話を訊いてると、湖都奈の剣をちゃんと納められるのか不安になってきた」


 湖都奈が【創虹剣】で剣を創ったのなら、今度は太一が【納虹剣ペイドソード】で剣を納める必要がある。もともと彼女の剣を納めるために、協力しているのだから。


「……不安、ですか?」

「富栄高校で桃代さんの剣を納めたとき、俺はただ鞘がほしいと思っただけなんだ。そうしたら光が勝手に鞘を創って納まった」


 そこで太一の頭に浮かぶのは昨日見た湖都奈の赤い剣。彼女が手にした剣には人の手で成されたとは思えない、華麗な装飾が施されていた。


「――〈召喚勇剣コールブランド〉か。俺なんかが本当にあの剣に相応しい鞘を創って納められるのか自信がないんだ」 


 湖都奈の剣に相応しい鞘が、太一には想像もできなかった。


「要はイメージの問題だと思います。太一は桃代さんの鞘にはどんなイメージを持っていました?」


 湖都奈に訊かれ、太一は初めて【納虹剣】で、鞘を創ったときのことをを思い出す。


「……うーん、特にどんな色でとか、装飾はどうのなんて考えもしてなかった」

「それなら、今度はもっと具体的なイメージを持っていれば、望んだ形に創れるかもしれません」

「望んだ形にって、あんな綺麗な剣に合う鞘なんて、簡単にイメージできるもんじゃないぞ」

「それほど気にしなくても、太一が創ってくれるものなら私は構いません」


 湖都奈はそう言ってくれるが、それは逆効果だ。太一が構わないわけにはいかない。

 頭をガリガリかくと、太一は決心するように言った。


「――よし! これから湖都奈の剣に合う鞘を創れるよう、イメージを持つ練習をする」

「イメージを持つ練習、ですか?」

「ああ、父さんが仕事で世界中を飛び回ってるんだけど、趣味で聖剣だの魔剣だののイラストが載った本だの資料だのをたくさん集めてくるんだ。それを見ながら自分でも描いたりして、鞘のイメージが持てるよう練習してくる」

「太一のお父様の職業は考古学者でしたね」

 

 さすが太一のことを調べているだけあって、湖都奈は父親の職業を知っていた。


「それに母さんもくっついて家を空けてくんだから困ったもんだって……悪かった、両親の話なんかして」


 湖都奈の両親は安否不明だ。それなのに自分の両親のことを、楽しげに話してしまった太一は頭を下げた。


「私のことは気にしないでください。太一や太一のご両親ことを私ももっと知りたいですから」


 しかし太一はそのまま続ける気にはなれず、鞘の件に戻すことにした。


「とにかく、相応しい鞘のイメージを持つのにあんまり時間をかけないようにするから頼む。【納虹剣】は少しだけ待っていてくれ」


 太一は湖都奈に少しだけ待ってくれるように頼んだ。


「ふふっ、ありがとうございます。楽しみにしています。――そうです、太一に一つお願いがあるんですが、聞いてくれますか?」


 嬉しそうに湖都奈は微笑んだあと、何かを思い出したように太一に訊いてきた。


「お願い? 俺に聞ける範囲でなら聞くけど、湖都奈のお願いって何だ?」

「それはですね――」


 と、そこで湖都奈が言葉を続けようとするのを、突如鳴り響いた警報が遮った。


「最近、やけに多くねえか!?」

「待って、置いていかないで!」

「とっとと走れ!!」


 警報に動揺し、飛び交う生徒たちの叫び声が中庭で響き渡る。

 二人も弁当をベンチに置いたまま、すぐにその場から駆け出した。


 太一はてっきり、そのまま校舎へ向かうと思っていたのだが、先を走っていた湖都奈は途中で校舎とは反対側の校庭へと向きを変えた。

 慌てて全速力だった身体にブレーキをかけて方向転換し、そのあとを追う。


「おい、湖都奈! どこへ向かう気だ!?」


 腕輪はすでに外れている。今回は湖都奈のせいで警報が鳴っているわけではないと知っている太一は、前を走る彼女に叫んだ。


「異質な虹力を感じるんです! 距離が離れていても肌に感じるほど、尋常じゃない強さの!」


 湖都奈が速度を緩め、太一に合わせながら言う。


「虹力って、場所がわかるのか!? ……そもそも行ってどうする気だ!?」


 湖都奈の隣を必死に並走しながら太一は訊いた。


「方向的にオフィス街の辺りから感じます。私が行って止めてきます。この虹力は人にとって良いものではありません。……それに似ているんです」


「似ている? 何に?」

「昨日、対峙したBKにです。あれは放置すると何をしでかすかわかりません」


 太一はBKの言動を思い出す。一般人に平気で危害を加え、一緒に行動していたPRFとも揉めているようだった。

 ……確かに放置しておくべき相手ではない。


「完全に停止させたと思っていましたが、少し加減が過ぎたようです。虹術結界プリズムが張られていれば、加減など一切しなかったのですが」

「えっ!? 虹術結界が張られてなかったのか!?」

「恐らく太一の毒を止めるためでしょう。あの場に展開していたPRFの隊員たちは、使える虹力の全てを太一に注ぎ込んでいましたから」


 ……自分がナイフなどに刺されてさえいなければ。太一は自分の不甲斐なさに嫌気がさす。


「……私が早く【創虹剣】を発動していれば、こんなことにはならなかったんです」


 そんな渋面を浮かべる太一の顔を見てしまったのだろう、湖都奈の表情が曇る。


「それは違う! 湖都奈が悪いんじゃない。あのときにできるだけのことをやってこうなったんだ。だったら、また今度もできるだけのことをやってBKを止めるだけだ!」


 これ以上、誰が悪い悪くないなど言っていても埒が明かない。皆、そのときの最善を尽くしていくしかないのだ。


「そうですね。――わかりました。今度こそ必ずBKを止めて見せます!」


 湖都奈も気持ちを切り替えてくれたようだ。目に力強い光が宿る。


「よし! それじゃあ、やってやるか!」


 太一はすでに校舎には向かわず、湖都奈と一緒に行くことを選択している。それを彼女は喜んで受け入れてくれた。


「はい! では太一、また揺れますので舌を噛まないように気を付けてください」


 湖都奈は片腕で太一を軽々と抱えると、速度を上げて街に向かって跳び出していった。


「また、これかぁぁぁぁぁぁーーーーー!!」


 湖都奈に抱えられた太一の絶叫が街中に響き渡った。

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