第20話 妖精は月下に現れる

「――ここはどこでしょう?」


 気が付くと湖都奈は石造りの建物の中にいた。何かのお店のようで、すぐ手前にカウンターがあるのだが、そこには誰もいなかった。


「手がかりになるようなものは――なさそうですね」 


 湖都奈はこの場所のことを探ろうとするが、天井のランプとカウンターの横の扉、壁に小さな窓があるだけで、他には何もなかった。

 外の景色から何か探れないかと窓から覗いてみた湖都奈は、驚愕で目を見開いた。


「……外が虹色?」


 窓から見えた景色はどこまでも虹色に輝く空間で、その果てはわからなかった。


「――この工房に誰か訪ねて来るなんて、実に十年ぶりの出来事だ。しかも、今回は正しく扉を開いてくれたようだね」


 突然後ろから掛けられた声に湖都奈が振り返ると、カウンター横の扉の前に一人の男性が立っていた。

 ぬけるように白い髪に白い肌。長身に纏う裾の長いローブの色も白く、唇も塗っているようで白色だった。

 ただ、その中で虹色に輝く瞳が湖都奈のことを見つめている。


「……初めての娘は僕が扉を開けた。すると彼女は剣以外のものまで奪っていった。二人目の娘は暴走して偶発的に扉が開いただけだった。何で右腕のない死にかけた男の子が一緒だったのかは知らないけど――」


 そこで男性は湖都奈を歓迎するように笑みを浮かべた。


「三人目の娘がようやくまともに扉を開いてくれた。お茶は出せないけど、僕は君のことを心から歓迎するよ」

「……あなたは誰ですか?」


 ふいに音もなくあらわれた男性に湖都奈は訊いた。人の気配を察知することには慣れているはずなのに、全くいつ現れたのかわからなかった。


「訪ねて来た方に誰か訊かれるのもおかしな話ではあるけど、この場合は仕方がないのだろうね。――僕は虹剣鍛冶ソードスミス。今はそう名乗っている」


 名乗ってから湖都奈に向かって虹剣鍛冶は優雅に一礼した。


「さあ、それでは早速だけど湖都奈君。君の剣を渡そうじゃないか」


 虹剣鍛冶はすぐ後ろの扉を開けると、中に入るように促した。

 なぜ名前を知っているのか湖都奈には疑問だったが、虹剣鍛冶に従うことにした。


 部屋に入ると、床の中央に複雑な紋様の魔方陣らしきものが描かれていた。湖都奈はそれが紫音がよく虹式動力ポーラに組み込む術式に似ていると思った。


 そして魔法陣の中心には石の台座があり、そこには一振りの剣が突き刺さっていた。

 華麗な装飾の赤い剣で、湖都奈はそれを目にした瞬間、自分の虹力によって創られているものだと悟った。


「……これが私の剣……?」

「そうだよ。僕が君の心という芯に君の虹力を流し、鍛えて創った君だけの剣だ」

「――あなたが創った?」


 湖都奈は虹剣鍛冶の方に向いて訊いた。


「『大切なもの』を捧げ工房への扉を開いた〈アルカンシエル〉に、その虹力で剣を創り与えるのが今の僕の役目でね」

「……虹剣鍛冶、あなたは一体何者ですか?」


 ――〈アルカンシエル〉の虹力で剣を創る。そんなことができる者がこの世にいるのだろうか。

 湖都奈は目の前にたたずむ人物がただの人ではないことに気付いてはいたが、ここまで異質な存在であることまではわからなかった。


「そう警戒しないでほしい、僕はただのしがない鍛冶屋でしかないよ。それよりもここに来たということは、今の君にはこの剣が必要なんだろう?」

「! そうです。早く太一を助けに行かなければ!」


 今の湖都奈は工房や虹剣鍛冶のことを気にしている場合ではないのだ。一刻も早く、太一のもとへ戻らなければならない。


「焦る必要はないさ。この工房の時間なんて、あってないようなものだからね。ここで一時間過ごそうが、向こうに戻れば一秒すら経っていないよ」

「それはよかったです。……この剣を台座から引き抜けばいいのですね?」


 湖都奈はほっと胸を撫でおろしたあとに石の台座に歩み寄ると、剣の柄を両手でしっかりと握った。


「ああ、その通り。その台座から引き抜けば、剣は世界に具現化する。――その前に必要ないだろうけど、一応忠告をしていいかい?」

「……どうぞ」


 柄を握りながら湖都奈は虹剣鍛冶に先を促した。


「その剣は世界で七本しかない強力な武器の内の一つだ。君はその剣で大切なものを守れるかもしれないし、傷つけてしまうかもしれない。望もうと望まなかろうとね。一度振るえば剣は相応の結果をもたらすよ」

「……わかっています。自分の虹力がどれだけ危険なものかは……」


 湖都奈の脳裏に一人の少年の顔が浮かぶ。青みがかった黒髪で目つきの悪い少年の顔が。


「それでも一緒にいたいと言ってくれた人のために――私は剣を取ります!」


 湖都奈が剣を台座から引き抜いた瞬間、脳裏に剣の銘と能力が焼き付いた。


「――くっ!」


 その痛みに耐えながら剣の銘を口にする。


「――〈召喚勇剣コールブランド〉」


======


 太一の目の前で〈妖精〉が微笑んでいた。

 天に届くほどの鮮やかな赤い光の柱が湖都奈を包み込んだかと思うと、そこから装いの変わった彼女が現れたのだ。


 身に纏うのは赤と白の要所に装甲が施された幻想的ないくさドレス。

 右手に握るのは赤色の華麗な装飾の剣。

 透き通るように煌めく銀の髪を夜の風になびかせ、鮮やかなルビーの瞳で優しく太一のことを見つめている。その背には赤い光で形成された蝶の翅が輝いていた。


「……湖都奈、なのか……?」


 その圧倒的な存在感に太一が圧されていると、湖都奈が近づいてきた。


「――祓え。【白花の守護領域レギオン・オブ・エーデルワイス】」


 王が命を下すように湖都奈が剣先を床に当てて告げた途端、太一の足元を中心に結界が現出する。そこには白い花の紋章が浮かんでいた。

 すると太一は腹の臓腑を焼かれるような痛みがなくなり、今にも途切れそうだった意識が鮮明になった。

 湖都奈は太一の腹に刺さっているナイフを左手で引き抜くと、遠くへ投げ捨てた。


「――!?」


 異物を抜かれる不快感が太一を襲ったが、傷から血が吹き出ることはなかった。

 ナイフは屋上にカランと音を立てて転がり、今度こそ光となって消えていく。

 湖都奈がそれには目もくれず、太一の傷口に左手をかざす。

 するとそこから赤い光が発せられ、刺された腹は平時と感覚が変わらなくなった。

 溶けて穴の空いたシャツを太一がめくると、痕が残っているだけで受けた傷は塞がっていた。


「……傷が塞がってる」 


 その様子に安心したのか、湖都奈は太一に微笑んでから前に出てBKと対峙した。

 先ほどからBKは微動だにせず、姿の変わった湖都奈を見つめているが、太一にはそれが、目の前の少女との力の差に圧倒されているように映った。 


「……ンダ、ソレ……。ナンナンダ、オマエノその虹力のツヨサハ!! ケタガ違うにもほどがアンダロォーガ!?」


 BKが殺意のこもった声で吠えるが、湖都奈は一切臆することなく、凛とした声を屋上に響かせて告げる。


「あなたは私の大切な人を傷つけました。私だけならまだしも、私のために立ってくれた太一を傷つけたことは断じて許しません。――ここで容赦なく斬り捨てます」

「フザケンナ、テメェー!!」


 ――赤い風が吹き抜けていった。


 BKが激情に任せ、湖都奈に向かってナイフを放とうとしたのが運の尽きだった。


 太一には湖都奈がその場で剣を軽く振るったように見えた。だが、それだけでBKを縦に真っ二つに斬り飛ばした。それどころか湖都奈の一閃の進路上にあったものが全て断たれ、屋上に大きな割れ目が刻まれた。


「クソガ……」


 BKの身体が赤黒い光の粒子となって人の形を失うと、刃の深く傷ついた赤黒いナイフに変わった。そして、そのまま刻まれた割れ目の中へと吸い込まれていった。

 圧倒的、としか言いようがなかった。全く相手になっていない。


「――さあ太一、帰りましょう」


 BKが完全に沈黙したのを確認すると、湖都奈は太一に向き直り微笑んできた。

 その姿に太一は言葉を発することもできずにただ、ただ見惚れていた。


 夜空に浮かんだ月を背景に微笑む湖都奈には、ものを言えなくなるほどの妖しい魅力があった。風に揺れて煌めく綺麗な銀髪は毛先が仄かに赤く染まっている。


 「あ、れ……?」


 その変化した髪やドレスについて訊こうとようやく口を開いた太一だが、ふいに視界がぐらぐらと揺れた。その場に手をついて、何とか倒れるのを堪える。

 湖都奈も太一の状態の変化に気付いたようだ。近づいてくると「大丈夫ですか?」と声を掛けてくる。

 その優しい声を聞きながら、太一の意識は闇へと飲まれていった。

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