第10話 初回的侵入者
かっぽ~~ん。そんな音が頭の中に浮かんだ。
そう、俺は今風呂につかっている。無論一人で、だ。大きな湯船を独り占めしているのだ。
おまけに実はもう洗濯も済ましてある。後顧の憂いはない。
「は~~」
思わずため息が漏れる。
「そういや、このかっぽ~~んって何なんだろうな。つーと言えばかー、山と言えば川、風呂と言えばこの音くらいの勢いなんだが……」
ボーッと風呂につかっていると、そんなとりとめのない考えが浮かんでくる。
なんだろう……、これぞまさしく命の洗濯って奴だろうか。
「服を洗濯したあとに命の洗濯までするとか……」
我ながらうまいことを言ったもんだ。ふふっと心の中で笑ったとき――。
――バーンという勢いで浴室の扉が開いた。
「マスター、別にうまくもなんともないです。むしろ凡庸とも言えるでしょう」
扉を開けた勢いとは裏腹に、イリスは冷静に言い放つ。
「え!? それってわざわざ扉を開けて宣言することなの? つーかそもそも聞いてたの?」
「失礼……、もとい侵入者です」
「ねぇ、俺の話聞いてる? つか侵入者とか、どう考えてもそっちの方を先に言うべきでしょ」
慌てて湯船から立ち上がった俺に、イリスがばさりと何かを投げかけてきた。
「まだそこまで緊急でないから後回しにしただけです。ですからマスターは、早く身体をふいて、その粗末なモノを隠して下さい」
……粗末じゃないし、ご立派なマーラ様だし。そう思いながらイリスの投げてきた物を手に取ると、それは小さめではあるがバスタオルだった。
あれ? バスタオルってガチャから排出されてたっけ……。俺が小首をかしげていると……。
「早く着替えてこっちに来て下さい」
そう言って、イリスはぴしゃりと浴室の扉を閉めた。
……バスタオルについては、まあいっか。それよりもさっさと着替えて脱衣所に行こう。
せっかくの初侵入者だ。念入りに歓待しないとな。
◆
脱衣所に入ると二人――イリスとナーネ――はタブレットの前で待機していた。
イリスはいつものように正座で、ナーネはペットボトルに腰掛け、足をぷらぷらさせている。……かわいい。
え? モンスターチェア? あいつは隅っこに放置されてるよ。さすがにイリスもあれに座ることはなかったさ。
さて、じゃあ侵入者はどんな感じかなっと……。確認のためにタブレットの前まで歩く。
「よいしょっと」
座るとき、つい声が出てしまった。
「おじさんくさいですね……」
即座にイリスがそうのたまう。
その言葉に思わず、自らの身体のにおいを嗅いでしまった。
大丈夫、まだ匂わない。そもそもさっき風呂に入ったばかりだしな。
「違います。物理的なスメルではなく。マスターの言動がおじさんのようだと言っているんです」
なんだ、それならそうと、もっとわかりやすく言ってくれなきゃ。思わず加齢臭を確認しちゃったじゃないか――。
「――ってちげーし。声を上げるのに年は関係ねぇし。疲れてると、つい出ちゃうもんだし。……そ、そうだよ。ここのところ心労が重なってたからな、シカタナイワー」
思わず声を上げるも、イリスは重ねていった。
「ふむ、疲れがたまると声が出る……。なるほどそうであるならば私も声が出るはずでしょうが、そんなことはありませんね。……やはり年なのでは?」
ええい、こやつめ。ああ言えばこう言いおる。
イリスの発言に俺がぐぬぬってると、ナーネが膝をぺちぺちと叩いてきた。
「ナッ」
まるで、気にするなと、大丈夫だと自分を肯定してくれるかのようだ。
うんうん、ここで俺に優しくしてくれるのはナーネだけかもしれない。
……ことここに至り、なぜか学生時代の友人のことを思い出した。そしてその彼の至言には「バブみを感じ、オギャることこそ至高」といった物があった。
そうか……、ここがバブみの入り口。ここを過ぎれば……。
「――そんなことより、侵入者はどうするんですか?」
俺の、深く暗くも心地よい沼にすべてを委ねようとしたその身に、イリスの冷たい声がかかり、はっと我に返った。
……やばいところだった。あれがバブみ。その片鱗に触れただけでもわかることがある。あれは行っては引き返せない底なし沼のような物だ。
「マスター? 本当に疲れが……」
「い、いや。大丈夫だ。確認するよ」
再度の、今度は少し心許なげなイリスの声に顔を上げ、タブレットをみる。
画面には、ダンジョンの入り口付近で、ごぶごぶギャーギャー言ってるゴブリンが四匹写っていた。
イリスから侵入を知らされてから、それなりの時間がたつのに、まだ入り口付近でわちゃわちゃしている。なにやってるんだ?
いや、うちのゴブリンがやたら下手に出て案内しようとしてるから、おそらくこんな感じか……?
うちのゴブ「ここが、さっき言ってた薬草のある場所っすよ」
ゴブA「てめぇ、ホントにこんなとこにあるんだろうな。嘘ついてたらただじゃおかねぇぞ!」
うちのゴブ「嘘じゃないっすよ。本当にこの間ここで見つけたんですって」
ゴブA「だからそれが怪しいつってんだ。大体この間までこんな穴なかっただろうが!」
ゴブB「そこまでにしておけ、ゴブA。今まで見つからなかったからこそ、新発見もあるのだろう。それに兄貴が行くと決めたんだ。それに逆らう気か?」
ゴブA「いえ、そこまでは……。ですがやっぱり不安で」
ゴブ兄貴「ふむ、確かにお前の心配はもっともだ。だがな、Bの言うとおり、もう決めたことだ。それに罠があったら、それごと食い破ればいい、そうだろ?」
ゴブAB「「兄貴……」」
ゴブ兄貴「新入り、案内しろ」
うちのゴブ「わかったっす」
といった所か。いやまぁ全部俺の妄想だけどな。そもそも言葉わかんないし。
顔を上げるとナーネが「なーなー」と声を上げ手を叩いている。どうやらご機嫌のようだ。
一方でイリスはこめかみを押さえ、何やらぶつぶつとつぶやいていた。
「どうしましょう。突然一人芝居を始めるなんて、本当に疲れがたまっておかしくなってしまったのでしょうか。とは言えたった二日でそんなに疲れがたまるとは……。私もしっかりケアしてきましたし。……いえ、もしかすると転移前から蓄積された疲れがあったという可能性も。そういえば転移前のマスターの職業は、シャチクという大変過酷な物だったという話が……」
何を言ってるのかまではわからんが、小声で問答を繰り返してる。ダメだ、本当に疲れがたまってるのかもしれない。休ませないと。
その一方で俺の方は……、何か正気に戻ってきた。人の振りみて我が振り直せじゃないけど、ある意味イリスのおかげで、戻ってこれたな。
とりあえずイリスは置いておいて、ナーネと一緒に画面を見つめる。
どうやらゴブリンズは、無事薬草園にたどり着いたらしい。
一面に広がる薬草園を見て、ゴブBは感嘆の声を上げた。
その一方でゴブAは、うちのゴブを見て頭を下げた。どうやら疑っていたのを謝ったらしい。その姿を見て、うちのゴブはなんとも言えない困ったような表情をしている。
それもそうか。騙してるのは間違いないものな。
そんな彼らを満足げに見ていたゴブリーダーが、「ゴブゴブッ」と一声掛けた。
すると三匹は居住まいを正し、薬草を採取し始めた。採取し始めたのだが……。
「う~ん。うちのゴブリンの薬草の採り方が雑すぎる」
そうなのだ、うちのゴブリンの薬草の採り方は、適当にブッチブッチとちぎっているようにしか見えない。
一方で他のゴブリンの取り方は丁寧だ。薬草一つ一つを確認して、葉っぱを取ったり花だけ取ったりしている。
そんなゴブリンズの丁寧な取り方を見て、うちのゴブリンは……、首をかしげブッチブッチと薬草を取りに戻った。
おいおい、そんなだと――
――ゴンッ
ほら殴られた。
痛みで頭を抱えるうちのゴブリンに、ゴブAが説教をしている。
だが、ただの説教ではないようだ、薬草一つ一つ指さしてゴブギャー言ってるから、どうやら薬草の採り方を教えているようだ。
「なんか面倒見がいいな、あいつ。ゴブリンってあんなに面倒見のいい物なのか?」
「まさか、さすがにそんなことは……」
再起動を果たしたのか、イリスが俺のつぶやきに答えてくれた。
「面倒見もそうですけど、普通のゴブリンが、あんなに綺麗に薬草をより分けたりできませんよ。ただの個性と言うには、ちょっと際立ちすぎてますね。身内どころか侵入者まで変なのを引き当てるとは、ある意味さすがですねマスター」
うん、最後に一言入れてくるあたり、しっかり復活してるね、イリス。でもな、身内ってくくりにはイリス自身も入ってると思うんだ……。
「……何か?」
「いや、何も……」
イリスの問いには沈黙で答える。いや、もしも口を滑らそう物なら、何を言われるかわからないからね。
「まぁいいです。それよりも、そろそろいいのではないですか?」
「ん? ああ、そうだな」
画面を見ると、ゴブリン達の薬草採取はそれなりに進んでいるようで、持ってきた袋も半ばまで薬草で埋まっていた。
「よし、次はゴースト達の出番だ。ジョンにジェーン、頼んだよ」
俺の言葉に応えるかのように、薬草園の壁からジョンとジェーンがぬっと姿を現した。
「ごぉおぉぉ」「がぁあぁぁ」
驚きで思わず手を止めるゴブリン達。
だが、ゴースト達が次の行動を起こす前に、動き始めたゴブリンがいた。
ゴブBだ。
ゴブBは腰に吊るしていた棍棒を手に取ると、ジョンに向かってそれを即座に振り下ろした。
ドガッ
大きな音に思わず目をしばたかせる。
だがそんな大きな音とは裏腹に、ジョンは何の痛痒も受けていないようだ。
それもそのはず、ゴーストの特性の一つは物理無効。それがあるからこそのゴブリンの撃退役なのだから……。
さっきの音も、どうやら棍棒が壁にぶつかった音らしい。そういやこいつら、非実体の特性も持っていたっけか?
「何をぼうっとしてるのですか、マスター。早くしないと」
イリスにせかされて他のゴブリンを見ると……。
「ゴブッ」
ゴブリーダーが指示を出して撤退をしようとしている。
攻撃が効かないとなるとすぐに撤退か……。くそっ反応が早い!
「ジェーン、足止めを!」
そう指示した瞬間、画面が真っ白に染まった。
「な、何が起きたんだ?」
数瞬の後、光が収まった画面ではゴブリン達が目を押さえて、転げ回っていた。
おいおい、何で異世界にきてまでリアル『目が、目がぁ~!』を見なきゃならないんだよ!
……いや待て、これってチャンスか? まさかジェーンの足止めがこんな物だとは思いもしなかったけど、今ならやれるかもしれない。
「ジョン! ジェーン!」
そう呼びかけ画面を移したその先で二人は…………、目を押さえて転げ回っていた。
「あ、あほか~~~! 何でおまえらまで『めがーめがー』になってんだよ。特にジェーン! 自分の魔法だろうがーー」
しかもだ。二人身体からジュウジュウと音を立てて煙が出ているのも見える、どうやらダメージまで受けてしまっているようだ。一体どういうことなんだよ!
「さすがにゴーストでも、ただの閃光でダメージを受けるとは思いませんし。もしかしたら聖属性の魔法かもしれませんね。珍しい個体です」
イリスが冷静に疑問に答えてくれるが、それはおかしいだろ。聖属性の魔法を使うアンデッドとか矛盾しすぎだろうがよ。
「そんなことより、このままうかうかしてるとゴブリン達が復活しますよ? 幸い、うちのゴブリンの被害は少なそうです。指示を出しては?」
イリスに言われてうちのゴブリンを見ると、頭を振りながらも立ち上がって周りを見ている。確かに閃光の被害があまりなさそうだ。
やっぱりお前はできる子だな。信じていたぞ。
「よし、ゴブリン。みんなが目を押さえてる間にとりあえず一匹気絶、そのあと残り二匹を連れて脱出しろ」
ゴブリンは肯くと、ゴブBの落とした棍棒を手に取り、未だに目を押さえ転がっているBにその棍棒を、思いっきり振り下ろした――
――ゴッ
鈍い音とともに沈黙するBと、一仕事終えたかのように汗を拭ううちのゴブリン。
「……容赦ないな、あいつ」
「マスターの指示通りですよ、一応。一撃で気絶させるならあれぐらいやらないと……」
う~ん、言われてみると確かにそうかもしれない。首トンで気絶とか、よく考えれば無理な話だよな。
そんなふうに話している間にも、ダンジョン内の状況は進む。
「ゴブッ? ゴブゴブッ!」
うちのゴブリンが、今度は慌てたような声を上げた。なかなかの演技派じゃないか? あいつは。
そして残った二匹の手を取る。
二匹とも最初はゴブゴブと抵抗していたが、そこにゴーストのうめき声が聞こえてきた。
「ごぉおぉぉ」「がぁあぁぁ」
その恨めしげな声を聞くと、納得したのか引っ張られるかのように、薬草部屋から、そしてそのままダンジョンから出て行った。
ジョンとジェーンはナイスアシストだな。まあ当人にしてみれば、自分が痛くてうめいていただけだろうけど。
……さて、一応侵入者の撃退に成功したし、結果的には当初の予定通りなんだが。……途中経過がまずすぎる。
「反省会かなぁ」
がくりとうなだれる俺の膝をナーネがぺしぺし叩いてくる。
慰めてくれるか? うん、ありがとな。
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