第10話 初回的侵入者

 かっぽ~~ん。そんな音が頭の中に浮かんだ。

 そう、俺は今風呂につかっている。無論一人で、だ。大きな湯船を独り占めしているのだ。

 おまけに実はもう洗濯も済ましてある。後顧の憂いはない。


「は~~」


 思わずため息が漏れる。


「そういや、このかっぽ~~んって何なんだろうな。つーと言えばかー、山と言えば川、風呂と言えばこの音くらいの勢いなんだが……」


 ボーッと風呂につかっていると、そんなとりとめのない考えが浮かんでくる。

 なんだろう……、これぞまさしく命の洗濯って奴だろうか。


「服を洗濯したあとに命の洗濯までするとか……」


 我ながらうまいことを言ったもんだ。ふふっと心の中で笑ったとき――。



 ――バーンという勢いで浴室の扉が開いた。


「マスター、別にうまくもなんともないです。むしろ凡庸とも言えるでしょう」


 扉を開けた勢いとは裏腹に、イリスは冷静に言い放つ。


「え!? それってわざわざ扉を開けて宣言することなの? つーかそもそも聞いてたの?」

「失礼……、もとい侵入者です」

「ねぇ、俺の話聞いてる? つか侵入者とか、どう考えてもそっちの方を先に言うべきでしょ」


 慌てて湯船から立ち上がった俺に、イリスがばさりと何かを投げかけてきた。


「まだそこまで緊急でないから後回しにしただけです。ですからマスターは、早く身体をふいて、その粗末なモノを隠して下さい」


 ……粗末じゃないし、ご立派なマーラ様だし。そう思いながらイリスの投げてきた物を手に取ると、それは小さめではあるがバスタオルだった。

 あれ? バスタオルってガチャから排出されてたっけ……。俺が小首をかしげていると……。


「早く着替えてこっちに来て下さい」


 そう言って、イリスはぴしゃりと浴室の扉を閉めた。


 ……バスタオルについては、まあいっか。それよりもさっさと着替えて脱衣所に行こう。

 せっかくの初侵入者だ。念入りに歓待しないとな。





 脱衣所に入ると二人――イリスとナーネ――はタブレットの前で待機していた。

 イリスはいつものように正座で、ナーネはペットボトルに腰掛け、足をぷらぷらさせている。……かわいい。

 え? モンスターチェア? あいつは隅っこに放置されてるよ。さすがにイリスもあれに座ることはなかったさ。


 さて、じゃあ侵入者はどんな感じかなっと……。確認のためにタブレットの前まで歩く。


「よいしょっと」


 座るとき、つい声が出てしまった。


「おじさんくさいですね……」


 即座にイリスがそうのたまう。

 その言葉に思わず、自らの身体のにおいを嗅いでしまった。

 大丈夫、まだ匂わない。そもそもさっき風呂に入ったばかりだしな。


「違います。物理的なスメルではなく。マスターの言動がおじさんのようだと言っているんです」


 なんだ、それならそうと、もっとわかりやすく言ってくれなきゃ。思わず加齢臭を確認しちゃったじゃないか――。


「――ってちげーし。声を上げるのに年は関係ねぇし。疲れてると、つい出ちゃうもんだし。……そ、そうだよ。ここのところ心労が重なってたからな、シカタナイワー」


 思わず声を上げるも、イリスは重ねていった。


「ふむ、疲れがたまると声が出る……。なるほどそうであるならば私も声が出るはずでしょうが、そんなことはありませんね。……やはり年なのでは?」


 ええい、こやつめ。ああ言えばこう言いおる。

 イリスの発言に俺がぐぬぬってると、ナーネが膝をぺちぺちと叩いてきた。


「ナッ」


 まるで、気にするなと、大丈夫だと自分を肯定してくれるかのようだ。

 うんうん、ここで俺に優しくしてくれるのはナーネだけかもしれない。

 ……ことここに至り、なぜか学生時代の友人のことを思い出した。そしてその彼の至言には「バブみを感じ、オギャることこそ至高」といった物があった。

 そうか……、ここがバブみの入り口。ここを過ぎれば……。


「――そんなことより、侵入者はどうするんですか?」


 俺の、深く暗くも心地よい沼にすべてを委ねようとしたその身に、イリスの冷たい声がかかり、はっと我に返った。


 ……やばいところだった。あれがバブみ。その片鱗に触れただけでもわかることがある。あれは行っては引き返せない底なし沼のような物だ。


「マスター? 本当に疲れが……」

「い、いや。大丈夫だ。確認するよ」


 再度の、今度は少し心許なげなイリスの声に顔を上げ、タブレットをみる。

 画面には、ダンジョンの入り口付近で、ごぶごぶギャーギャー言ってるゴブリンが四匹写っていた。

 イリスから侵入を知らされてから、それなりの時間がたつのに、まだ入り口付近でわちゃわちゃしている。なにやってるんだ?

 いや、うちのゴブリンがやたら下手に出て案内しようとしてるから、おそらくこんな感じか……?


うちのゴブ「ここが、さっき言ってた薬草のある場所っすよ」

ゴブA「てめぇ、ホントにこんなとこにあるんだろうな。嘘ついてたらただじゃおかねぇぞ!」

うちのゴブ「嘘じゃないっすよ。本当にこの間ここで見つけたんですって」

ゴブA「だからそれが怪しいつってんだ。大体この間までこんな穴なかっただろうが!」

ゴブB「そこまでにしておけ、ゴブA。今まで見つからなかったからこそ、新発見もあるのだろう。それに兄貴が行くと決めたんだ。それに逆らう気か?」

ゴブA「いえ、そこまでは……。ですがやっぱり不安で」

ゴブ兄貴「ふむ、確かにお前の心配はもっともだ。だがな、Bの言うとおり、もう決めたことだ。それに罠があったら、それごと食い破ればいい、そうだろ?」

ゴブAB「「兄貴……」」

ゴブ兄貴「新入り、案内しろ」

うちのゴブ「わかったっす」


 といった所か。いやまぁ全部俺の妄想だけどな。そもそも言葉わかんないし。

 顔を上げるとナーネが「なーなー」と声を上げ手を叩いている。どうやらご機嫌のようだ。

 一方でイリスはこめかみを押さえ、何やらぶつぶつとつぶやいていた。


「どうしましょう。突然一人芝居を始めるなんて、本当に疲れがたまっておかしくなってしまったのでしょうか。とは言えたった二日でそんなに疲れがたまるとは……。私もしっかりケアしてきましたし。……いえ、もしかすると転移前から蓄積された疲れがあったという可能性も。そういえば転移前のマスターの職業は、シャチクという大変過酷な物だったという話が……」


 何を言ってるのかまではわからんが、小声で問答を繰り返してる。ダメだ、本当に疲れがたまってるのかもしれない。休ませないと。

 その一方で俺の方は……、何か正気に戻ってきた。人の振りみて我が振り直せじゃないけど、ある意味イリスのおかげで、戻ってこれたな。


 とりあえずイリスは置いておいて、ナーネと一緒に画面を見つめる。

 どうやらゴブリンズは、無事薬草園にたどり着いたらしい。


 一面に広がる薬草園を見て、ゴブBは感嘆の声を上げた。

 その一方でゴブAは、うちのゴブを見て頭を下げた。どうやら疑っていたのを謝ったらしい。その姿を見て、うちのゴブはなんとも言えない困ったような表情をしている。

 それもそうか。騙してるのは間違いないものな。


 そんな彼らを満足げに見ていたゴブリーダーが、「ゴブゴブッ」と一声掛けた。

 すると三匹は居住まいを正し、薬草を採取し始めた。採取し始めたのだが……。


「う~ん。うちのゴブリンの薬草の採り方が雑すぎる」


 そうなのだ、うちのゴブリンの薬草の採り方は、適当にブッチブッチとちぎっているようにしか見えない。

 一方で他のゴブリンの取り方は丁寧だ。薬草一つ一つを確認して、葉っぱを取ったり花だけ取ったりしている。

 そんなゴブリンズの丁寧な取り方を見て、うちのゴブリンは……、首をかしげブッチブッチと薬草を取りに戻った。

 おいおい、そんなだと――


 ――ゴンッ


 ほら殴られた。

 痛みで頭を抱えるうちのゴブリンに、ゴブAが説教をしている。

 だが、ただの説教ではないようだ、薬草一つ一つ指さしてゴブギャー言ってるから、どうやら薬草の採り方を教えているようだ。


「なんか面倒見がいいな、あいつ。ゴブリンってあんなに面倒見のいい物なのか?」

「まさか、さすがにそんなことは……」


 再起動を果たしたのか、イリスが俺のつぶやきに答えてくれた。


「面倒見もそうですけど、普通のゴブリンが、あんなに綺麗に薬草をより分けたりできませんよ。ただの個性と言うには、ちょっと際立ちすぎてますね。身内どころか侵入者まで変なのを引き当てるとは、ある意味さすがですねマスター」


 うん、最後に一言入れてくるあたり、しっかり復活してるね、イリス。でもな、身内ってくくりにはイリス自身も入ってると思うんだ……。


「……何か?」

「いや、何も……」


 イリスの問いには沈黙で答える。いや、もしも口を滑らそう物なら、何を言われるかわからないからね。


「まぁいいです。それよりも、そろそろいいのではないですか?」

「ん? ああ、そうだな」


 画面を見ると、ゴブリン達の薬草採取はそれなりに進んでいるようで、持ってきた袋も半ばまで薬草で埋まっていた。


「よし、次はゴースト達の出番だ。ジョンにジェーン、頼んだよ」


 俺の言葉に応えるかのように、薬草園の壁からジョンとジェーンがぬっと姿を現した。


「ごぉおぉぉ」「がぁあぁぁ」


 驚きで思わず手を止めるゴブリン達。

 だが、ゴースト達が次の行動を起こす前に、動き始めたゴブリンがいた。

 ゴブBだ。


 ゴブBは腰に吊るしていた棍棒を手に取ると、ジョンに向かってそれを即座に振り下ろした。


 ドガッ


 大きな音に思わず目をしばたかせる。

 だがそんな大きな音とは裏腹に、ジョンは何の痛痒も受けていないようだ。

 それもそのはず、ゴーストの特性の一つは物理無効。それがあるからこそのゴブリンの撃退役なのだから……。

 さっきの音も、どうやら棍棒が壁にぶつかった音らしい。そういやこいつら、非実体の特性も持っていたっけか?


「何をぼうっとしてるのですか、マスター。早くしないと」


 イリスにせかされて他のゴブリンを見ると……。


「ゴブッ」


 ゴブリーダーが指示を出して撤退をしようとしている。

 攻撃が効かないとなるとすぐに撤退か……。くそっ反応が早い!


「ジェーン、足止めを!」


 そう指示した瞬間、画面が真っ白に染まった。


「な、何が起きたんだ?」


 数瞬の後、光が収まった画面ではゴブリン達が目を押さえて、転げ回っていた。

 おいおい、何で異世界にきてまでリアル『目が、目がぁ~!』を見なきゃならないんだよ!


 ……いや待て、これってチャンスか? まさかジェーンの足止めがこんな物だとは思いもしなかったけど、今ならやれるかもしれない。


「ジョン! ジェーン!」


 そう呼びかけ画面を移したその先で二人は…………、目を押さえて転げ回っていた。


「あ、あほか~~~! 何でおまえらまで『めがーめがー』になってんだよ。特にジェーン! 自分の魔法だろうがーー」


 しかもだ。二人身体からジュウジュウと音を立てて煙が出ているのも見える、どうやらダメージまで受けてしまっているようだ。一体どういうことなんだよ!


「さすがにゴーストでも、ただの閃光でダメージを受けるとは思いませんし。もしかしたら聖属性の魔法かもしれませんね。珍しい個体です」


 イリスが冷静に疑問に答えてくれるが、それはおかしいだろ。聖属性の魔法を使うアンデッドとか矛盾しすぎだろうがよ。


「そんなことより、このままうかうかしてるとゴブリン達が復活しますよ? 幸い、うちのゴブリンの被害は少なそうです。指示を出しては?」


 イリスに言われてうちのゴブリンを見ると、頭を振りながらも立ち上がって周りを見ている。確かに閃光の被害があまりなさそうだ。

 やっぱりお前はできる子だな。信じていたぞ。


「よし、ゴブリン。みんなが目を押さえてる間にとりあえず一匹気絶、そのあと残り二匹を連れて脱出しろ」


 ゴブリンは肯くと、ゴブBの落とした棍棒を手に取り、未だに目を押さえ転がっているBにその棍棒を、思いっきり振り下ろした――


 ――ゴッ


 鈍い音とともに沈黙するBと、一仕事終えたかのように汗を拭ううちのゴブリン。


「……容赦ないな、あいつ」

「マスターの指示通りですよ、一応。一撃で気絶させるならあれぐらいやらないと……」


 う~ん、言われてみると確かにそうかもしれない。首トンで気絶とか、よく考えれば無理な話だよな。

 そんなふうに話している間にも、ダンジョン内の状況は進む。


「ゴブッ? ゴブゴブッ!」


 うちのゴブリンが、今度は慌てたような声を上げた。なかなかの演技派じゃないか? あいつは。

 そして残った二匹の手を取る。

 二匹とも最初はゴブゴブと抵抗していたが、そこにゴーストのうめき声が聞こえてきた。


「ごぉおぉぉ」「がぁあぁぁ」


 その恨めしげな声を聞くと、納得したのか引っ張られるかのように、薬草部屋から、そしてそのままダンジョンから出て行った。

 ジョンとジェーンはナイスアシストだな。まあ当人にしてみれば、自分が痛くてうめいていただけだろうけど。


 ……さて、一応侵入者の撃退に成功したし、結果的には当初の予定通りなんだが。……途中経過がまずすぎる。


「反省会かなぁ」


 がくりとうなだれる俺の膝をナーネがぺしぺし叩いてくる。

 慰めてくれるか? うん、ありがとな。

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